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2011年10月31日 (月)

神経質礼賛 720.安藤百福さんの名言

チキンラーメンを発明しラーメン博士とも呼ばれた日清食品の創業者・安藤百福さん(1910-2007)は数多くの名言を残している。神経質人間にとっても役立ちそうなものが多いので、いくつか紹介してみよう。

「明確な目標を持ったあとは執念だ。ひらめきも執念から生まれる」

「発明はひらめきから。ひらめきは執念から。執念なきものに発明はない。ひとつこころみてから捨てていく。考えて考えて考え抜け」

 神経質人間は、いろいろと考えるのは得意であるが、なかなか実際の行動に踏み出せない。しかし、一旦動き出せば今度はなかなか止まらないものである。最初はオズオズでもしだいに執念が燃え上がってくるものである。そうなればしめたもので、さらに創意工夫をこらして行動していけば、後から結果もついてくるのだ。

森田正馬先生の場合も当時「神経衰弱」と呼ばれた神経症の治療に、ありとあらゆる方法をやりつくし、ダメなものを捨てていき、森田療法ができあがっていったのである。そして、その療法を広めるためには、病身をおして各地で講演を行い、精神神経学会では精神分析学の丸田教授と激しくやりあった。執念のかたまりと言えるくらいに、生の欲望を完全燃焼させたのである。

「ぼくはタクシーでも構わない。ベンツでなくてはいけないと誰が言ったか。新幹線のグリーンに乗ることに何の意味があるのか。どこに乗ろうと目的地に着く時間は一緒じゃないか」

 小さな会社の社長もクリニックの院長もみなベンツなどの高級乗用車を買って経費で落とす。さらに儲かってくると、お抱え運転手を雇う。確かに、節税にはなるのだろけれども、これは無駄であり、気の緩みにもなる。タクシーを使った方がはるかに安上がりである。グリーン車でも着く時間は一緒というのはうなずける。質実剛健の神経質人間らしい発言である。

「経営者は一度借り入れの味を覚えると抜け出せなくなる。経営に緊張感がなくなり、そのツケは必ず自分に戻ってくる。企業にとって借金は麻薬のようなものである。高い山の後ろには、必ず深い谷が待ち受けている。順調な時ほど危機が訪れる。問題ないと考えること自体が問題である」

「私は事業に失敗して財産を失い、48歳から再出発した。60歳、70歳からでも新たな挑戦はある。人生に遅すぎるということはない。私の人生は波乱の連続だった。成功の喜びに浸る間もなく、何度も失意の底に突き落とされた。しかし、苦しい時の経験がいざというときに常識を超える力を発揮させてくれた」

 安藤さんは信用組合の理事長を頼まれて引き受け、その信用組合が倒産してその借金をすべてかぶった。無一文状態から、自宅裏庭に建てた小屋の中でインスタントラーメン開発に命を賭けて、ついに大ヒット商品のチキンラーメンを世に出した。神経質人間は失敗を忘れない。そして失敗を戒めとして、慢心せず、問題点を探して常に反省していくので、大きな失敗を予防できるのである。無借金経営にこだわり、毎日、自分を反省し続けたのは神経質人間の松下幸之助とも共通している。

 安藤さんの言葉を「政治家や官僚は一度国債の味を覚えると抜け出せなくなる。国債は麻薬のようなものである」と書き換えても当たっているように思うのは私だけだろうか。

「時は命なり。時計の針は時間を刻んでいるのではない。自分の命を刻んでいるのだ。神はすべての人に124時間を与えられた。時間だけは金持ちにも貧乏人にも平等であるが、取り返しがつかない。最大のコストは時間である。24時間働くことは24時間会社にいることではない」

 時は金なり、とよく言われる。安藤さんのように「時は命なり」とまで言い切った人はいない。若いうちは命を刻んでいるという実感はないが、だんだん歳を取るにつれて「持ち時間」が残り少なくなっていることを意識するようになる。神経質人間としては、与えられた生を全うして、生き尽くしたい。

2011年10月28日 (金)

神経質礼賛 719.カップヌードルミュージアム

 今日は森田療法学会があって横浜まで行ってきた。学会は今日・明日の2日間であるが、私は明日の午前・午後とも外来診療担当で土日連続当直なので、日帰り参加である。

 年々、森田療法の裾野が広がっていて、そうした発表が増えている。それはそれで喜ばしいことではあるが、森田療法の本家でもある某大学病院の先生の発表に対して、「どこが森田療法なのか」という厳しい質問が出た。鈴木知準先生がお元気だった頃ならば、この種の発表はただでは済まなかっただろうにと思う。

 会場のすぐ近くに県立図書館があったので立ち寄ってみる。全国の各都道府県立図書館に自著『神経質礼賛』を寄贈して、過半数の図書館からは礼状が届いているのだが、ここからは来ていない。館内のパソコンで検索してみたがやはり貸出図書の中にはなかった。ちょっとがっかりする。

さらに神経質の欲張り根性から、「みなとみらい」に最近できた日清カップヌードルミュージアム(安藤百福発明記念館)ものぞいてみる。平日にもかかわらず、盛況だった。館内に入ってまず見るのは、今まで日清が世に送り出したインスタントラーメンやカップ麺のパッケージの展示だ。あ、こんなのも見たなあ、と懐かしく思う。安藤さんがチキンラーメンを発明した時の自宅の庭に作った研究小屋を復元したものが展示されていた。安藤さんが毎年年頭に心構えを書いた色紙が展示されていてそこでは思わず足が止まった。

日清食品の創業者・安藤百福さんが神経質人間だったことは166話に書いた。現社長である次男・宏基さんの話として、「寝ても覚めても仕事の話ばかり。99%は心配で、喜びはわずか1%だけ」だったそうだ。無借金経営にこだわったのも神経質ゆえだったのだろう。食品で初めて製造年月日を表示するようにしたのも、神経質を生かしてのことだと思う。安藤百福さんの名言には神経質人間にピッタリのものがある。次回にあらためて紹介したい。

2011年10月24日 (月)

神経質礼賛 718.秋の花粉症

 春にスギ・ヒノキ花粉による鼻や眼のアレルギー症状に悩まされている人たちにとって秋は安泰、と思いきや、この頃は秋の花粉症が話題になっている。秋の花粉症の原因となる植物としては、ブタクサ、ヨモギ、セイタカアワダチソウ、ススキ、イラクサ、カナムグラなどがある。ブタクサは北アメリカ原産の外来種であり、スギ花粉症が多い日本とは異なり、アメリカではブタクサ花粉症が多い。英語にはhay fever(枯草熱)という激しい花粉症を表す言葉もあり、元はイギリスで主にカモガヤによる花粉症のことを言っていたらしい。ただし、秋の草花の花粉はスギ・ヒノキ花粉と異なり、風に乗って何kmも何十kmも飛んでいくということはないので、気をつければ比較的防ぎやすい。風が強い日にはススキやセイタカアワダチソウが目立つ土手や切通し近くの道路を歩いて通るのは避けて別ルートを通るようにするとか車で通る時には窓を閉めるとかすれば花粉が避けられる。ハイキングや山登りには爽やかな季節ではあるけれども、花粉症のある人は前述のような草が生えていそうな野山ではマスクで防御した方が安全だろう。

もっとも、そうした秋の草花が原因ではない場合もあるかもしれない。秋は衣替えの時期でもあるので、冬物衣類や冬物寝具を引っ張り出した時に付着していたハウスダストや花粉を吸い込んで症状が出る可能性も考えられる。主婦(主夫)をしている方は気をつけた方が良い。

 今年もそろそろインフルエンザに備えて予防接種を打つ時期になってきた。これからはまたマスクの出番が増える。秋の花粉症だけでなく風邪予防に、帰宅時には(ほどほどに)手洗い・うがいを心掛けたい。

2011年10月21日 (金)

神経質礼賛 717.草食系のまなざし

 1011日付読売新聞夕刊「たしなみ」というページに作家の赤瀬川原平さんが「まなざしのマナー」「草食系ゆえ目をそらす」という面白い記事を書いておられた。赤瀬川さんは小学校2年生くらいの時、登校途中にいつもじーと見ているオバサンがいて怖い思いをしたという。学校では、人と話す時には相手の目を見ながら話しましょうと教えるが、じっと見ながら話したら緊張して疲れる、話しながら5秒くらいで目をそらしている自分は気が弱いのかもしれない、と語る赤瀬川さんも神経質人間のお仲間なのかもしれない。赤瀬川さんは欧米人と日本人、肉食動物と草食動物を比較して論じた上で、草食系の人は相手と話すにしても伏し目がちだったり、それとなく目をそらしながら話すのだろう、と分析し、見ることが表現としても受け取られるので、ものを見る目つきにもマナーがいる、と結論している。

 森田正馬先生は、赤面恐怖の患者さんへの手紙の中で、人と相対した時の視線について次のように述べておられる。

 人の視線と此方との相会ふ時には、自然の人は、普通、何思はず、必ず眼を他にそらせるものに候。之が普通の場合である。特に恋人や長上の人に対しては、それはそれは微妙に眼が他にそれるものに候。唯だ目下の者や小児に対しては、割合に静かに見つめる事が出来る。之に反して心なき小児、白痴、精神病者は訳なく人を見つめる。普通の人では、人を見つめる人は、気位高く、自我の強い傍若無人の変人のみに候。小生は我子や女中に対しても、其顔を見つめる事が出来ず、君等を診察する時でも、容易に其顔を見つめる事はなく、多くは伏目にて、其人の面と向はず候。之が小生の本来性にて、其処に小生の人に対する畏敬の情と小心さとがあり、人を冷視し圧倒せぬ態度があり候。小生も之が自分の持前なれば、強いて人と対抗し、故さらに強がる事は致さず、自ら独り守り居る態度にて候。小生は人を平気で見つめるやうな人は嫌ひに候。女などは特に人を見つめぬやうなつつましやかさがなければ、誠にいやなものに候。(白揚社:森田正馬全集 第2巻P.195-196)『神経衰弱及強迫観念の根治法より』

 私も、人の目をじっと見つめて話すことはしない、というかできない。小心者の神経質人間であり、赤瀬川さんの言われる草食系でもある。相手の目を睨みつけるのは、迷惑行為を行う者に対してのみである。

触法行為があって措置入院となった易怒・興奮の激しい女性患者さんから、「あっ、目をそらした!先生、私の目を見て話して下さいよ!何かやましい心があるから目をそらすんでしょ!」と怒鳴られて、「じーと相手の目を見続けるのは恋人同士で話す時かケンカを売る時ですよ」と答えたことがある。

 普段、外来診察室に患者さんが入ってくる時の様子はよく観察している。その時の表情やしぐさや家族との会話から得られる情報は大きい。患者さんが席に着くと、勤務先の病院は診察机を隔てて正面から患者さんと向き合う形なので、こちらもじーと患者さんの目を見続けていたら疲れるし、患者さんも見られていたら話しづらいだろう。ちらちら顔を見てはカルテに目をやり、ペンを走らせる、といった具合である。

 学校で教えるように「相手の目を見て話さなくてはならない」に拘泥する必要もないように思う。

2011年10月17日 (月)

神経質礼賛 716.漢方薬がピンチ

 最近の新聞報道によると、漢方薬の原材料となる生薬が高騰しており、今後漢方薬の製造に支障をきたすおそれがあるそうである。生薬の価格はここ4年間に加重平均で1.6倍になっているという。ハイテク製品に使われる希少金属レアアースと同様、中国側が輸出制限をかけているためとみられている。これまで漢方薬の原料となる薬草のカンゾウ、シャクヤク、ケイヒ、ハンゲ、サイコなどはほとんど中国からの輸入に頼ってきた。漢方薬がピンチというわけである。

 精神科医療でも漢方薬は用いられている。このところ処方するケースが少しずつ増えているのが抑肝散である。神経症・不眠症・(子供の)夜泣きや「疳の虫」などに使われてきた薬であり、最近はマイルドな鎮静作用を生かして高齢者のアルツハイマー病に伴う周辺症状、例えば幻覚・妄想・興奮・焦燥感などに使用されるようになってきた。漢方薬だからといって副作用がないわけではない。本来は漢方医の診察法で陽と陰、実と虚といった体質に合った処方をすれば副作用は防げるらしいのだけれども、我々のように西洋流の薬物療法を行う医師ではそこまでは難しい。抑肝散はカンゾウの作用で低カリウム血症・高ナトリウム血症・高血圧をきたすこともあるので、血圧には注意して処方している。従来やむなく処方していた抗精神病薬に比べれば過鎮静や転倒、嚥下障害による誤嚥などのトラブルがはるかに少なく重宝している。

漢方薬は西洋薬にない良さを持っているので、漢方処方を得意としている医師も珍しくはない。今後、生薬の高騰で採算が取れなくなって生産中止のような事態になれば、医療界に少なからぬ打撃となる懸念がある。

 ところで、日本たばこ産業様。葉タバコ生産農家に薬草への転作を勧めて、漢方薬の材料生産、あるいは純国産漢方薬の自社製品開発をされたらいかがでしょうか。御社が、人を病気にして不幸にする企業から、人を健康にして幸福にする企業に大転換するチャンスだと思いますがどうでしょうか。

2011年10月14日 (金)

神経質礼賛 715.アンデルセンにみる自己愛と劣等感

 平成23年9月28日付の毎日新聞文化欄に仏文学者・鹿島茂による「引用句辞典 不朽版」というコラムがあって、「有名願望」という題名で童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセン(1805-1875)について書かれていた。「本物のアンデルセンと 無数の予備軍の違い」という見出しも付いている。

 鹿島さんはアンデルセンの自伝を分析して、自分は天才だと思い込む「根拠なき確信」が少年の頃からあって、被害妄想的な性格だったとしている。有名願望が強く、認めてもらえないと絶望して死を願う。詩人として成功してからも自我肥大と劣等感のサンドイッチ状態を抜け出せなかった、と評価している。そして、現代日本における有名願望の若者たち・・・無数のアンデルセン予備軍と本物のアンデルセンの違いは、自我肥大と劣等感の背中合わせを「マイナスの財産」として意識できたかどうかにあると言う。ダメな自分を創作童話の形に転化して普遍化したことで最終的に一発逆転できたとしている。

アンデルセンが神経質人間だったことは424話で紹介している。若い頃は貧困の中で、容貌や生い立ちにまつわる劣等感、度重なる失恋、強度の神経衰弱に悩まされた。極度の心配性で、火事を恐れるあまり脱出用ロープを常時持ち歩いていたとか、枕元に「死んだように見えますが生きています」と書いた紙を置いて寝た。生きたまま埋葬されることを恐れて、友人には「納棺前に必ず動脈を切るように」と頼んでいたという。誠実で優しい人柄だが、時に高慢さを見せたり怒りっぽくなったりすることがあったという。これは神経質、特に対人恐怖に見られる強力性と弱力性の二面性だと考えられるが、精神分析の観点からすればナルシシズムとマゾヒズムということになるだろう。ちなみに精神分析家に言わせると、森田療法の「仕事三昧」「勉強三昧」は攻撃欲の昇華なのだそうだ。

 鹿島さんの言われるようにアンデルセンが自分の性格をマイナスの財産として意識できたかどうかはわからない。しかしながら、行動面から見れば、膨れ上がった自己愛がペシャンコになるような体験を何度も繰り返しながらも、ともかく大学できちんと学問を学び、作品を発表し続けたという事実があるわけで、無数のアンデルセン予備軍との違いはそこにあるのではないかと思う。森田療法にたずさわる者としては、意識よりも行動や事実に注目したいところである。

 健全な自己愛は生きていく上で不可欠である。問題となるのはそれが膨れ上がって自我肥大をきたす悪性の自己愛である。薬の力で不安や劣等感を取り去っただけでは、悪性の自己愛が暴走して、周囲とトラブルを起こすことになりかねない。遠回りのようでも、アンデルセンのように自己愛と劣等感の相克に苦悩しながら行動し続けて、初めて「醜いアヒルの子」が本物の「白鳥」になれるのではないだろうか。

 鹿島さんは「昇華とは、マイナス×マイナス=プラスの言い換えにほかならない」という言葉でコラムをまとめている。なかなかうまい表現だなあ、と思うが、森田式はもっとシンプルである。神経質人間は強い劣等感で徹底的に自分を貶めたら、そこを原点としてできることを淡々と積み重ねていけば、必ず大きなプラスになるのである。

2011年10月10日 (月)

神経質礼賛 714.秋の院内コンサート

 いよいよ食欲の秋・芸術の秋である。病院内でも入院患者さんの行事がいろいろある。食べる系ではバーベキュー大会がある。美術系では生け花展などの展示を見に行く。音楽系では、普段から患者さんたちのカラオケ大会があるが、秋にはボランティアの方を招いて歌や太鼓などのコンサートもある。今年は一昨日の土曜日にあった。日程の関係で例年お願いしているボランティアの方の都合がつかないということで私にお鉢が回ってきて、1時間の行事のうち半分の30分間を担当することになった。

 クラシックの短いヴァイオリン曲を3曲と、聞きばえのするモンティの「チャルダッシュ」さらに葉加瀬太郎の「情熱大陸」を曲目に選んだ。リズム感の鈍い私には「情熱大陸」の速いシンコペーションはなかなかキビシイものがある。しかもキッチリ楽譜通りに弾いたのでは感じが出ない。練習時間もあまり取れないので、通勤途中にミュージックプレーヤーで繰り返し聴いて、少しでも葉加瀬さんに近づけようと、頭にしみ込ませた。5曲で演奏時間は約20分になる。

 そして残りの10分は、「みんなで歌おう」コーナーということにして、井上陽水「少年時代」を本来のイ長調からヘ長調に下げて歌いやすくして全員で歌うという企画にした。伴奏譜は楽譜作成ソフトに打ち込んでプリントアウトし、ボランティアのエレクトーン奏者さんに渡しておいたが、万一ご都合が悪くて来られなくなった場合も考えて、ソフトシンセサイザーでwavファイルを作りヴァイオリン曲の伴奏とともにCD-Rに焼いておいた。心配性なので、伴奏CD-Rは2枚用意した。当日、本番で使うカラオケセットにかけてみて、ちゃんと鳴ることを確認する。そして演奏時には、万一弦が切れた場合に備えてズボンのポケットに予備弦1セット忍ばせておいた。心配性の神経質人間なので、こういう準備は徹底的にやるのである。

 外来が予約制ではないため、外来の混雑具合も心配になる。幸い、演奏時刻前には患者さんが切れたので、会場に行って演奏し、終わったらすぐに外来に戻って外来診察をこなす。あわただしいが、いろいろと事前準備しておけば何とかなるものだ。

問題の演奏は・・・60点くらいの出来だろうか。後で録画DVDを見るのが恐ろしい(冷汗)。まあ、患者さんたちに喜んでもらえたのでよしとしよう。

2011年10月 7日 (金)

神経質礼賛 713.キンモクセイ

 9月末日で全国の都道府県立図書館に寄贈本を郵送する作業を終えた。神経質ゆえ、送り状を入れ忘れていないか、あて先住所が間違っていないか、確認した上で封筒を糊付けして、家と郵便局を何度か往復したのだった。地元の県立中央図書館からは、1冊を保存用、1冊を貸出用にしたいので、できればもう1冊寄贈してほしい、というハガキが来たので、今度は郵送ではなく、自分で届けに行った。

 県立図書館は県立美術館のすぐ近くで山の中腹にある。JRの駅を降りて10分ほど坂を上っていくと県立大学があって、さらに5分ほど木立の中の遊歩道を歩いていくと図書館に着く。ちょっとしたウォーキングである。少し汗ばんだ顔に涼しい風が心地よい。受付に本を渡してまた来た道を戻っていく。気になるニオイが2種類ある。足元から臭ってくる悪臭・・・それは踏み潰された銀杏の実が発するものだ。それと頭上からは甘い芳香が漂ってくる。足元ばかり見て歩いていたので気がつかなかったが、見上げればキンモクセイの花が咲いているではないか。周囲をよく見ると、けっこうキンモクセイの木がある。後で調べてみたら、キンモクセイは県の木に指定されているのだと知った。ツツジが県の花だというのは知っていたが、これは盲点だった。

 私のような中高年世代では、キンモクセイの香りは、どうしてもトイレの芳香剤の匂いを連想してしまっていけない。最近の芳香剤は柑橘系やラベンダーやバラなど多様化しているので、若い人はあまりそう思わないだろう。TVのニュースでは、三嶋大社のキンモクセイが満開だという。素直に秋の甘い芳香を楽しむとしよう。

2011年10月 3日 (月)

神経質礼賛 712.クモ

 大塚薬報2011年9月号NO.668の特集記事は「クモ博士」として有名な大﨑茂芳・奈良県立医大教授の「クモの糸の秘密」だった。クモがぶらさがっている糸(牽引糸)は2本のフィラメントでできていて、その強度はちょうどクモの体重の2倍だという。もし、1本が切れても残りの1本の強度で何とか落下せずに済むようになっていて、危機管理のしくみがある、という話にはなるほどと思った。大﨑教授はクモの糸を集めて束にしたもので人間の体重を支える実験に成功しているし、クモの糸から作ったヴァイオリンの弦も試作している。ちなみにその音の周波数スペクトルを解析すると、ガット弦やスチール弦に比べて柔らかい音色なのだそうだ。実際に聞いて(弾いて)みたいものだ。

 はたしてクモが好きだという人はいるだろうか。私はどうも苦手である。朝の蜘蛛は(良い客を連れてくるから)縁起が良く、夜の蜘蛛は(盗人を連れてくるから)縁起が悪い、というような迷信があるけれども、私から見るといつも縁起が悪く思えてしまう。鈍感な人はともかく神経質な人ではクモ嫌いさらにはクモ恐怖の人は多いのではないかと思う。実家の庭では木の枝の間に張られたクモの巣に気がつかずに、顔にベッタリついてしまい嫌な思いをすることがある。害虫を食べてくれる益虫であることはわかっているけれど、やはり気味が悪い。子供の頃、スリラー漫画で少女の髪の中からクモが多数出てくるような怖い場面を見たからだろうか。家の中の壁に大きなクモが陣取っていると何とか外へ追い出そうとするが、動きがすばしこくてうまくいかない。大きな紙に乗せて窓から外へ放り出そうとすると、平気でこちらの手にピョンと飛び乗るのであわてて振り払うのがやっとである。

 三島森田病院所蔵の森田正馬先生の色紙に

「毛虫をいやらしく思ふは感情にして 

之が人に飛びつかぬ事を知るは理知なり

いやらしからざらんとするは悪智にして

いやらしきまゝ之に近よるは良智なり」

というものがある。確かに毛虫は飛びつかないけれどもクモは飛びつくから始末が悪い。とりあえず、嫌だと思いながらも近づいてクモを除去する工夫をするしかなさそうである。

2011年10月 1日 (土)

神経質礼賛 711.閣僚の三原則

 新聞の1面に、新総理が閣僚たちに3つの原則を守るように指示したという記事があった。その三原則とは、

①余計なことは言わない。

②派手なことをしない。

③突出しない。

だそうである。

閣僚が問題発言や問題行動で辞任に追い込まれるようなことがこれ以上ないように安全第一を心がけるということなのだろう。それにしても現代の日本では①②③と正反対の政治家たちが何と多いことだろうか。芸能人と同様、目立ったもの勝ち、マスコミに取り上げられるほど有利という事態になっている。劇場型政治と言われた小泉元首相・小泉チルドレンの頃からの傾向なのかも知れない。果たして三原則は守られるだろうか。神経質が足りない政治家たちに「神経質になれ」と言ってもムリなような気がする。

 実のところ、①②③は神経質人間がいつも自然にやっていることである。対人恐怖の人のように、余計なことは言わないどころか必要なことも言わない、になってしまうとまずいが、うかつな発言で揚げ足をとられる心配は少ない。世の中にはいろいろな立場の人がいるし、よかれと思って言ったことも曲解されることもあるので、特に責任ある立場の人は余分なことは言わないに限る。神経質人間は周囲の人が自分をどう思うだろうかといつも気にするため、一人だけ目立つような行動を避け、周囲の動きを見ながら恐る恐る行動する。積極性に欠ける反面、周囲の反感を買って足を引っ張られる危険性は極めて低い。神経質で大いに結構なのである。その上で、ここぞという時には、熟慮した上で勇気を出して必要なことは主張し行動していくようにすれば、さらによい。

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