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2011年10月14日 (金)

神経質礼賛 715.アンデルセンにみる自己愛と劣等感

 平成23年9月28日付の毎日新聞文化欄に仏文学者・鹿島茂による「引用句辞典 不朽版」というコラムがあって、「有名願望」という題名で童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセン(1805-1875)について書かれていた。「本物のアンデルセンと 無数の予備軍の違い」という見出しも付いている。

 鹿島さんはアンデルセンの自伝を分析して、自分は天才だと思い込む「根拠なき確信」が少年の頃からあって、被害妄想的な性格だったとしている。有名願望が強く、認めてもらえないと絶望して死を願う。詩人として成功してからも自我肥大と劣等感のサンドイッチ状態を抜け出せなかった、と評価している。そして、現代日本における有名願望の若者たち・・・無数のアンデルセン予備軍と本物のアンデルセンの違いは、自我肥大と劣等感の背中合わせを「マイナスの財産」として意識できたかどうかにあると言う。ダメな自分を創作童話の形に転化して普遍化したことで最終的に一発逆転できたとしている。

アンデルセンが神経質人間だったことは424話で紹介している。若い頃は貧困の中で、容貌や生い立ちにまつわる劣等感、度重なる失恋、強度の神経衰弱に悩まされた。極度の心配性で、火事を恐れるあまり脱出用ロープを常時持ち歩いていたとか、枕元に「死んだように見えますが生きています」と書いた紙を置いて寝た。生きたまま埋葬されることを恐れて、友人には「納棺前に必ず動脈を切るように」と頼んでいたという。誠実で優しい人柄だが、時に高慢さを見せたり怒りっぽくなったりすることがあったという。これは神経質、特に対人恐怖に見られる強力性と弱力性の二面性だと考えられるが、精神分析の観点からすればナルシシズムとマゾヒズムということになるだろう。ちなみに精神分析家に言わせると、森田療法の「仕事三昧」「勉強三昧」は攻撃欲の昇華なのだそうだ。

 鹿島さんの言われるようにアンデルセンが自分の性格をマイナスの財産として意識できたかどうかはわからない。しかしながら、行動面から見れば、膨れ上がった自己愛がペシャンコになるような体験を何度も繰り返しながらも、ともかく大学できちんと学問を学び、作品を発表し続けたという事実があるわけで、無数のアンデルセン予備軍との違いはそこにあるのではないかと思う。森田療法にたずさわる者としては、意識よりも行動や事実に注目したいところである。

 健全な自己愛は生きていく上で不可欠である。問題となるのはそれが膨れ上がって自我肥大をきたす悪性の自己愛である。薬の力で不安や劣等感を取り去っただけでは、悪性の自己愛が暴走して、周囲とトラブルを起こすことになりかねない。遠回りのようでも、アンデルセンのように自己愛と劣等感の相克に苦悩しながら行動し続けて、初めて「醜いアヒルの子」が本物の「白鳥」になれるのではないだろうか。

 鹿島さんは「昇華とは、マイナス×マイナス=プラスの言い換えにほかならない」という言葉でコラムをまとめている。なかなかうまい表現だなあ、と思うが、森田式はもっとシンプルである。神経質人間は強い劣等感で徹底的に自分を貶めたら、そこを原点としてできることを淡々と積み重ねていけば、必ず大きなプラスになるのである。

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コメント

「昇華とは、マイナス×マイナス=プラスの言い換えにほかならない」
もしわたくしが患者でこんな理屈を言ってドヤ顔したら、形外会でコテンパンでしょうねcoldsweats01

たらふく様

 コメントいただきありがとうございます。

 森田正馬先生と精神分析学派の丸井清泰教授との学会での激しい論争は有名で、語り草になっています。形外会で分析を振り回したらどんなことになりましたかねえ(笑)。

 森田療法に対する分析学派の先生方の解釈にはなるほどとは思いますが、理屈より行動、が森田の真骨頂です。考えているヒマがあったら、掃除をしている方が価値があります。

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