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2011年11月28日 (月)

神経質礼賛 730.迷わぬ者に悟りなし

 私は今では毎日を生活に追われてバタバタと過ごしているけれども、若い頃は「自分は何のために生きているのだろうか」「どう生きたらいいのだろう」「自分は果たして生きている価値があるのだろうか」などとあれこれクヨクヨ考えたものである。当時はいくら考えても答が出てこなかったことは言うまでもない。もし、その頃に次に示す森田正馬先生の文を読んでいたら、目から鱗が落ちて、人生が変わっていたかもしれない。

以下に示すのは雑念恐怖と赤面恐怖に悩む22歳男性へ書かれた森田先生の手紙からである。

 「目的が日々に変わり」とか、「将来の目的が見当がつかず」とか、「偉い人になつて何になるか」・「何のために生きるか」等の考へ方・人生の問題・迷ひといふ事は、特に青年には、誰にも必ず起る当然の現象であります。只其日其日の成り行きにまかす無頼漢(ならずもの)や・白痴には、この事がないだけの事です。

 昔から、偉い人は、必ずこの煩悶を、真面目に・必死に考へながら、而も生活の為に、努力勉強して、自分の運命を切り開き、後に初めて、其迷ひを解決し・悟りを開いて、立派な人格者になつたものです。初めから、こんな考へを捨てやうとし・或は考へがつかないから、手を出さずに、寝て居ようとかいふ風に考へる事はありません。

 斯の如く、(一)意志薄弱者のズボラは、初から人生に対する迷ひ即ち煩悶はない(二)偉い人は、この迷ひに対して、奮闘する(三)次に神経質は、其功利主義から、この迷ひの心を捨てやうとして、却て煩悶を増すやうになる。之が強迫観念といふ症状であります。それ故に、神経質は、私の療法により、迷ひを捨てやうと工夫する事を断念させ、其迷ひのまゝに迷はせて、之を偉い人になるやうに導く事が出来る。が、(一)の意志薄弱者は、猫に小判・豚に真珠で、どうしても之を偉い人に導く事は出来ません。こゝで初めて、神経質に生まれた有難さが明瞭になるのであります。(白揚社:森田正馬全集第4巻 p.523

 最初から迷わないのは意志薄弱者である。迷ったままでよい。迷いをなくそうとするから強迫観念に追い立てられる。迷いを抱えながら、日常生活を一生懸命に過ごしていればよいのだ。森田先生はそのように教えておられる。

 ことわざにも「迷わぬ者に悟りなし」というものがある。特に若いうちは大いに迷って苦しむことも悪くはない。発展向上欲が強い欲張りな神経質人間だからこそ人一倍迷い悩むのである。長い目で見れば迷い悩んだことがどこかで人生の肥料になっている。

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