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2011年11月25日 (金)

神経質礼賛 729.武田信玄も神経質か

 前話に登場した武田信玄は、ライバル上杉謙信との川中島の戦で有名である。二人とも出家していたという共通点はあるけれども、現実主義者の信玄と理想主義者の謙信は対照的である。謙信は義を重んじ、他の大名から救援要請があると損を承知で兵を出し、事実かどうかは不明だがよく知られているように塩不足で困っていた敵の信玄に塩を送ったとも伝えられている。毘沙門天の加護があると固く信じ、戦では先頭に立って兵を率いた。戦で命を落とさず重傷を負うこともなかったのは、よほどの強運の持ち主だったとしか言いようがない。一方、信玄は周囲の戦国大名と同盟を結んだりそれを破棄したりを繰り返していてその時その時の実利を重視していたといえる。また、内政にも力を入れ、治水事業や開墾・金貨の鋳造を行っている。京から公家を招いて歌会を行う教養人でもあった。戦では謙信のように自ら先頭に立つことはしなかったが、それでも何度か傷を負い湯治したとされ、信玄公湯治の湯と伝えられる温泉がある。

 非常に有名な人物にもかかわらず、信玄の性格や人物像については実はよくわかっていない。いくつかのエピソードから推測するしかないだろう。自分の弟を影武者としていたとか自分が死んでも3年間は伏せるようにさせた慎重さ、織田信長から贈られた小袖が入っていた箱を丹念に調べて織田側の真意を探ろうとした(漆が何重にも丁寧に重ね塗りされている箱だったので織田側に誠意ありと判断した)というエピソード、歩き巫女という隠密を全国に放って情報収集につとめ情報戦を得意としたあたりは、やはり神経質性格を思わせる。

 私が重視しているのは、神経質人間の徳川家康(11話・209)が信玄をあたかも師匠のように尊敬していたと思われる点である。江戸時代になり家康が神格化され淀君など豊臣関係者は徹底的に貶められたのだが、信玄に関しては家康公を成長させた武神として同じく神格化されている。家康は三方原の戦で武田軍に大敗して命を落としかけた苦い経験がある。その後、家康は信玄の軍制や行政のしくみを取り入れ、元は武田の家臣だった人物も積極的に登用している。神経質人間は神経質人間をよく知る、そして共鳴するものである。武田信玄もやはり神経質だったと私は考えたい。

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