神経質礼賛 726.悠々自適は悠々自敵?
5年ぶりに外来に現れた老年期の男性。動悸が気になって内科でいろいろ検査を受けたが異常はなく、心配になって脳神経外科で頭のMRIを撮ってもらったが特に問題はなく「精神的なものじゃないの」と言われて来たとのことである。以前通院していた時も動悸の訴えがあり、種々の不安を訴えていた。最初は眼の病気になったのをきっかけにいろいろな病気が心配になりあちこち病院を回って検査を受けても異常はなく、精神科クリニックで薬を処方されたらかえって副作用もあって症状が悪化して受診したのだった。少量の抗不安薬を処方し、「年齢とともにどうしても多少の不具合は出てくるものだから、検査で異常がないのならば、まあこんなものだと思って日常生活に目を向けていけばよくなりますよ」とアドバイスしたところ、症状はしだいに軽くなり、通院間隔が長くなり、自然と来なくなっていたのだった。
今回調子を崩したきっかけを尋ねてみると、自営でやっていた仕事を止めたあたりから調子が悪くなったとのことだ。年金をもらって悠々自適の生活を送ろうと思ったのだが、元来まじめ一方で特にこれといって趣味もないし、することがなく、そうこうしているうちに注意が自分の体にばかり向いてしまい、あれこれ症状が出てきてしまったようである。
神経質人間では悠々自適の「悠々」が自分の敵になってしまう可能性がある。この人の場合、自営業で何人も従業員を雇い、忙しく働き続けていた。神経質性格が外に向かって発揮できていたわけである。それが、仕事がなくなって神経質性格を持て余して、自分の体の不具合ばかりに目が行くようになった。そうなると、注意の集中→感覚の鋭化→意識の狭窄→注意の集中→・・・という森田正馬先生の言われた「精神交互作用」の無限ループにはまり込んでしまう。そのループから抜け出すための最良の薬は仕事や趣味である。以前処方した時と同様、少量の抗不安薬を処方し、「せっかくいろいろな技能を持っておられるのだからシルバー人材センターに登録してみてはどうでしょうか」とアドバイスしておいた。
定年退職後、神経症に悩まされる人やアルコール依存に陥ってしまう人は少なくない。お金にはならなくても役割意識が持てるようなボランティア活動は自分のためになるし、70の手習いで孫くらいの年齢の先生について新しい趣味を始めるのも良いのではないだろうか。お嫁に行った娘さんが使っていたピアノが家に残っているという場合には、たまには蓋を開けてピアノに挑戦すれば頭と体の老化防止に役立つ。
江戸時代に全国を測量して正確な日本地図を作製する偉業を成し遂げた伊能忠敬(117話)が勉強を始めたのは50歳を過ぎて家業を譲ってからである。当時の平均寿命を考えれば現在の65歳いや70歳位に相当するだろう。70を過ぎてもまだ一花二花咲かせられる。神経質を病気探しに無駄遣いしていてはもったいない。
« 神経質礼賛 725.スティック型外用鎮痛剤は火気注意 | トップページ | 神経質礼賛 727.自己充足の若者たち »
« 神経質礼賛 725.スティック型外用鎮痛剤は火気注意 | トップページ | 神経質礼賛 727.自己充足の若者たち »
コメント