神経質礼賛 737.ディスチミア症候群(ディスチミア親和型)
最近の週刊誌の広告に、さる御方の病名は「適応障害」ではなく「ディスチミア症候群」だというような見出しがあった。被害者意識や他罰性からそのように判断しているようである。
ディスチミアDysthymiaは「気分変調症」と訳されており、WHOの規定した診断基準ICDではコードF3・気分(感情)障害の中に分類されている。持続的な抑うつ気分が2年以上続く、正常な気分の期間があっても2-3週は越えず、軽躁病エピソードがない、うつ病エピソードの診断基準を満たすほど重度ではない、といった定義がある。簡単に言ってしまうと、軽いうつが長く続いているような病態なのである。
週刊誌の見出しにあった「ディスチミア症候群」はディスチミア親和型(うつ病)のことかと思われる。ディスチミア親和型とは九大の故・樽味医師が提唱したものである。今年の10月に発売となった最新の『現代精神医学事典』(弘文堂)にはこの語が掲載され、九大の神庭重信教授が解説を書いている。従来、典型的なうつ病はメランコリー親和型とか執着気質といって責任感が強く秩序を重んじ真面目で几帳面といった性格傾向の人がなりやすいとされてきた。最近はうつ病の診断が広くなって、それとは逆の性格傾向の「うつ病」が増えているということでこのように名付けたものである。決して新しい病気ではなく、有名な精神科医たちが「退却神経症」「逃避型うつ」「未熟型うつ病」と呼んできたものと重なり、一般的に言われる「新型うつ病」、マスコミで有名な香山リカさんの言う「三十代うつ」、あるいは俗にいわれる「五時までうつ病」とも重なるものである。従来のような休養と抗うつ薬という対応ではなかなかよくならない。それどころか安易な抗うつ薬投与は他罰・攻撃性を増して悪化させる一因にもなりうる。根底には自己愛や演技性といったパーソナリティの問題があるからだ。
今から20年前の浜松医大附属病院には高名な大原健士郎教授の診察を希望して、そうした患者さんたちが集まってきた。当時の病名は「抑うつ神経症」であり、入院治療を受けた人も少なくなかった。元は優等生だったり音楽の才能を認められていたりしたが挫折後に長いうつ状態が続いている、という人もいて、概してプライドが高く他罰的だったように記憶している。当時の浜松医大附属病院の精神科病棟は森田療法をベースとした治療が行われていた。統合失調症の患者さんもうつ病の患者さんも症状が良くなってくると「準森田」として、日記を書き、朝夕に花壇の手入れをし、森田療法グループの患者さんたちが中心になって行う畑作業やスポーツにもだんだん参加するようなシステムになっていた。つまり精神病の治療においても仕上げの段階では健康的な部分を伸ばしていく森田療法が使われていたのである。ところが、現代のディスチミア親和型と言えるような抑うつ神経症の患者さんたちは、花壇の手入れや畑作業にはなかなか乗ってこなかった。日記を見ると、プライドが高い彼ら・彼女らはそうしたことが「バカバカしい」と感じていることがうかがわれた。いやいやであっても行動していけば、結果として気分は後からついてきて少しずつよくなっていくものだが、そのとっかりの段階で拒絶してしまうわけである。「大学病院に入院している」ということはプライドを傷つけないし、一種の疾病利得になって入院が長引きがちだった。やがて教授から退院を勧告され、入院治療を担当した若手医師が外来診療を引き継いでいくことになる。私もそうした人を何人か受け持った。当然ながら一筋縄にはいかない。「いつまでたってもよくならない」「家族に理解してもらえない」という訴えには共感を示しながらも、「とりあえずパートやアルバイトの仕事を探しに行ってみましょう」と勧めた。うまく仕事に就けた時には少々大げさに褒め、仕事をクビになった時には、「それでも3か月続いたんだから大きな進歩。よくやったね。あきらめないでまた探しましょう」と話した。三歩進んで二歩下がるを繰り返し、たまに五、六歩下がることはあっても、わずかずつ良くなっていた人もいたし、あくまでも本人が「病気」にしがみついて良くならない人もいた。
ディスチミア親和型の人に森田療法をそのまま使うことは困難である。しかしながら、森田先生の言われた「感情の法則」(442話・自著p.209-211)は誰にも当てはまることであり、それを理解してもらって、少しでも現実的な行動に向かってくれれば、長い年月をかけて良くなっていく可能性があると考えている。
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先生、こんにちは。
私は、ガーデニングをしていると、夢中になって、土に触れています。
気が付くと、ガーデニング用の手袋があるのに、素手で泥だらけです。
それでも、心地良く植物が元気に育つ楽しみを待つことが出来ましたよ。
少し頑張り過ぎて寝込んでしまいますが、水やりや草取りは日課になって庭へ出れるようにもなりました。
園芸店へも行けるようになりました。
自分で育てた植物の花が咲いた時は、とても嬉しくなります。
このような喜びを、分かってもらえるには、大変なことなのですね…
みんなが優しく楽しく暮らせるように、なって欲しいと思います。
投稿: ヒロマンマ | 2011年12月25日 (日) 10時42分
ヒロマンマ様
コメントいただきありがとうございます。
土いじりは地味な作業ですが、やがて自分が育てた植物が花を開き、さらには実を付けてくれたらこんなに嬉しいことはありません。植物が人を癒し、成長させてくれる面もあります。ヒロマンマさんはとても良い趣味と出会われましたね。
投稿: 四分休符 | 2011年12月25日 (日) 17時51分