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2012年1月30日 (月)

神経質礼賛 750.求不可得

 「求不可得」(求めて得べからず)は慧可(えか)大師の言葉だと言われている。慧可は名僧・達磨に参禅しようとして断られ、自ら左腕を切り落として真剣さを示し、弟子入りしたと伝えられている。森田正馬先生は「求めんとすれば得られず」ということで患者さんたちの前で話しておられる。

 禅に「求めんとすれば得られず」という事がある。そうかと思うとバイブルには、「求めよ。しからば与えられん」といってある。だから我々は常に、いたずらに言葉尻の詮索をしてはいけない。哲理にあれ・俳句にあれ・常に言葉よりは、いかなる場合の事実を表現したものであるか、という事を見抜く事の心掛けを忘れてはならない。 (中略) 「求めよ」という事も、珍しいものが欲しければ探して行け、一円が得たければ、それだけ働けということである。手を出さなければ得られるはずはないぞ、ということの奨励の意味である。すなわち実行における事実を表現したものである。

 次に「求めんとすれば得られず」というのは、これと比べて、思想と事実との相違であり、思念と実行の相違である。眠らんと求むれば眠られず・思わないようと欲すれば忘られず・気を落着けようとすれば、ますます不安になる・とかいうようなものである。私がこれを「思想の矛盾」として説明する事は、既に御承知の通りである。

 強迫観念の本を読んで、「あるがまま」とか、「なりきる」とかいう事を、なるほどと理解し承認すればよいけれども、一度自分が「あるがまま」になろうとしては、それは「求めんとすれば得られず」で、既に「あるがまま」ではない。なんとなれば「あるがまま」になろうとするのは、実はこれによって、自分の苦痛を回避しようとする野心があるのであって、苦痛は当然苦痛であるという事の「あるがまま」とは、全く反対であるからである。

 「眠らなくとも決して身体に障る事はない」といわれて、「なるほどそれで安心した」といえば、直ちに不眠は治るのであるが、「そう思って安眠できるものなら、そう思う事にしよう」といえば、もはや決して眠られないのである。 (白揚社:森田正馬全集第5巻p.709-710

 神経質人間は手っ取り早く症状をなくそう・不安を解消しようとする。これが「はからいごと」である。症状を消すために・不安をなくすために行動したのでは、かえって症状や不安へのとらわれを強めて逆効果になってしまうのである。森田療法を表面的に理解した人は、「あるがまま」になろう、行動して症状を忘れよう・不安をなくそう、となりがちであり、それではなかなか効果が出ず、「森田療法は効かない」ということになる。効かないのではなく、やり方が間違っているのである。

大原健士郎先生は「求不可得」について、解決を求めてあせっても、道は開けないという意味だと解説しておられた。そして「すべては時が解決してくれる」とも述べておられた。症状を振り払おう・不安をなくそうとジタバタすることをやめて仕事を探して行動していけば、いつしか症状や不安はないも同然となっていくのである。

2012年1月27日 (金)

神経質礼賛 749.太公望

 朝のニュース番組を見ていたら、都心の釣り堀が話題になっていた。忙しい日常から離れる場というばかりでなく、コミュニケーションの場としても利用されているという。会社の上司が部下たちと仕事帰りに寄り、ざっくばらんに仕事の話をしながら釣りをする例や、釣り堀で合コンという例を紹介していた。

 釣りの愛好家のことを太公望という。国語辞典を引くと、「釣りをする人。釣りの好きな人。中国周の政治家呂尚(りょしょう)が釣りをしていて周の文王と出会ったとき、文王がこの人こそ周の祖、太公が待ち望んでいた賢者だと言ったという故事から」とある。時は紀元前11世紀、殷の王は贅沢な生活に遊びふけり、忠告するような人物は片っ端から処刑した。呂尚は、殷を倒すために誰かが自分を探しに来るだろうと考え、80歳まで釣りをして待っていた。その間に生活苦から妻は去って行った。祖父・太公からいつか賢人が現れるだろうと告げられていた文王は、釣りをしている呂尚を一目見てこの人だと思い、太公望と呼び大臣に取り立てる。文王の子・武王はすぐに殷を倒そうとするが、呂尚は、釣りと同じように絶好の機会が来るまで我慢するようにと諭す。やがて殷の人々はあまりのひどさに王のことを話さなくなくなり、その機を見て武王は戦いを挑んだ。呂尚が先頭に立って戦い、ついに殷を倒して周が中国統一を成し遂げたという。

 私は釣りとは縁がない。鮎釣りが趣味だった父親に連れられて小学生の時に川に行ったことがある。釣れるかどうかわからないのに気長に待っていることが苦痛に感じられ、それ以来行ったことがない。父について釣りの修行(?)をしていたら、人生も変わっていたかもしれない。私と同様、神経質な人には割と気が短い人がいる。歴史上の神経質人間として当ブログ・拙著で紹介した徳川家康にしても、元来は短気な小心者だったが、長い人生経験の中で仕方なしに我慢して待つことを身につけていって大成したのだと思う。

 神経症に苦しんでいる方々にも我慢が必要である。機が熟せば治る、という面がある。まずは苦しいままに仕方なしに仕事に手を出していく。それですぐに症状が消散するわけではない。症状がすぐになくなることを期待して作業をしていたのでは、症状に対するとらわれがなくなっていないので治らないのだ。いつ釣れるかわからないけれども釣り糸を垂れる太公望よろしく目の前の仕事に取り組んでいればいつかは良くなっていくものである。

2012年1月23日 (月)

神経質礼賛 748.パン

 外来通院中の患者さんで、作業所に通所し、パン作りをしている人が2人いる。どちらの作業所のパンも好評なのだそうだ。ちょっと表情が硬い初老の男性患者さんも話題がパンのことになると表情がほころぶ。高校に売りに行くと、焼きそばパンがよく売れるとニコニコしながら話してくれる。若い女性患者さんは、作ったパンを自分でも買って、つい食べ過ぎて太っちゃう、と笑う。

 私が子供の頃には、母が家でパンをよく焼いていた。家の中にいい匂いが立ち込めた。ロールパンは時々焦げてカチンコチンのことがあったし、食パンはイースト由来の酸味を強く感じることがあった。室温によって発酵の具合がまちまちで同じ時間では発酵が足りなかったり発酵し過ぎたりしていたようだ。発酵加減と焼き加減は神経質を要するところである。

 自宅から徒歩5分の範囲に店内で焼いているパン屋さんが3店ある。行列ができるメロンパン専門店、材料にこだわった値段が高めの店、そして週1回くらい私が買いに行く天然酵母使用ながら価格がまずまずの店。この店で、あれば必ず買うのがオニオンパンである。細かく刻んだタマネギが生地に入っていて、いい香りがする。特にオーブントースターであぶると甘い香りが漂い、食欲をそそる。このパンに限らず、寒い季節はオーブントースターで温めると一層おいしく食べられるパンは多い。ちょっと一工夫である。

 ところで、森田正馬先生の好物と言えば、卵とカレーというのは有名な話だ。ゆで卵は10個でも食べたし、カレーは2杯、3杯とおかわりしたそうである。しかし、意外とあんぱん好きであったことは知られていないかもしれない。三島森田病院に保管されている先生の日記からの抜粋「我が家の記録」の一部は森田正馬全集第7巻(白揚社)に収録されていて、その中にあんぱんの記述がある。

明治四十年(三十四才)

一月、医科大学副手トナル。

根岸病院奉職後、余ハ毎日午前、根岸病院ニ出勤シ、午食ハ日暮里ヨリ巣鴨迄ノ汽車中ニテあんぱん九個(一個五厘)ヲ食シテ巣鴨病院に通ヒ、研究室ニ入リタリ。(第7巻 p.780

 当時、森田先生は午前の2時間、根岸病院に顧問として勤務し、午後から事実上東京大学精神科の医局があった巣鴨病院に出勤されていた。現在は山手線電車で日暮里から巣鴨までは8分ほどなのでゆっくり食べることもできない。それにしても、毎日昼食があんぱん9個というのは、よほど大好物だったのだろう。そして、もし今のように常温保存できる卵サンドがあったら、きっと喜んで買われただろうと想像する。

2012年1月20日 (金)

神経質礼賛 747.妻と夫の許せぬ癖

 1月16日付毎日新聞夕刊の特集ワイドに「妻と夫の許せぬ癖」という面白い記事があった。イラストとともに「聞き流し 丸まった靴下 食べこぼし・・・」という見出しがある。有名な精神科医・斎藤学さんによれば、妻の最も嫌がる癖の一つが、聞き流しなのだそうだ。「夫婦も人間関係の一つに過ぎず、常に点検して、相手が嫌だと思う癖は直すべきだ」と言う。夫婦問題コンサルタント・池内ひろ美さんは、妻は夫から責められたと感じることを嫌と感じがち、と言う。そして、「恋人同士なら、しっかり両目で相手の悪い癖を見抜いてほしいですが、結婚後は片目をつむって受け入れてあげましょうよ」とアドバイスしている。

 記事の中で紹介されていた明治安田生命が昨年行った「いい夫婦の日」アンケート(同社HPにPDFファイルで公開されている)によれば、夫に対する不満の上位は①整理整頓ができない②気が利かない③イビキがひどい④たばこを吸う⑤家事の協力をしない、妻に対する不満の上位は①整理整頓ができない②朝寝坊③料理の手抜き④体型が変わってきたところ⑤夜更かし、ということである。なお、理想の有名人夫婦は三浦友和・山口百恵夫妻が6年連続で第1位、第2位は「佐々木健介・北斗晶」夫妻(女性の投票では第1位)が前年10位から大幅アップとのことである。夫婦関係も夫唱婦随から婦唱夫随の時代に移りつつある。

 夫婦とも「整理整頓ができない」が不満の1位と言う結果は注目に値する。整理整頓が夫婦円満の秘訣ということになるだろう。そういう私自身、自室としている3畳の書庫を散らかしていて妻からクレームが付く。書庫内には災害対策のため備蓄品を所狭しと詰め込んでいるのでやむを得ない面もある。現在、2リットルミネラルウォーター24本、500ml爽健美茶12本、トイレットペーパー12ロールが5パック、5個入り箱テッシュが6パック、液体洗剤アクロン詰替え用15パック、その他非常食としてカロリーメイトやレトルトカレー・カップ麺もあるしアルコール類のストックまである(笑)。少々やりすぎか。そして、すぐに捨てるわけにはいかない書類が机の上に山積みになって、書き物をするのは畳んだノートパソコンの天板の上という有様である。妻が言うのもごもっともだ。これがひどくなったら強迫症状の一つ「溜め込み」になってしまう。とりあえず書類やパンフレット類は整理・処分し、これから半年位かけて備蓄を半減させることにした。

整理整頓は神経質人間が本来得意とするはずのところであるが、手間を考えて面倒だなあ、と思うと先送りしていくうちに収拾がつかなくなってしまう。まず「散らかっているな」という感じからスタートして、ちょっと手を付けてみる。すると神経質の欲張り精神から片付け作業が進んでいくものだ。

2012年1月16日 (月)

神経質礼賛 746.歯磨剤

 精神科病院に長期入院している患者さんには歯が悪い人が多い。虫歯のために50代でほとんど歯がなくなっている人もいる。普段の診察の際に、「歯を磨いていますか?」と聞くと「磨いてるよ」と答えるが、さらに「いつ磨きますか?」と聞くと「朝起きた時に磨く」と答えることがしばしばある。「起きた時に磨いても効果がないから食後に磨くようにしましょう」と繰り返し言って、看護師さんたちも繰り返し指導してくれて、ようやく食後に磨くようになった人もいるし、いくら言っても変えない人もいる。また、実際にどの程度磨けているかという問題はある。今の病院には歯科治療室があり、週1回近くの歯医者さんが来てくださっているのでとても助かるが、やはり、少しでも自分の歯が長く使えるに越したことはない。歯がなくなってしまって全粥にキザミの副食では何を食べているのかよくわからず、食事の楽しみも半減してしまう。

 ところで、皆さんはチューブ入りの歯みがき剤を何と呼んでいるでしょうか。私は時々、何と呼んでいいか悩む時がある。「練り歯磨き」と呼ぶべきだろうか。私の妻は「歯磨き粉」と言っているが、粉ではないから違和感がある。練り歯磨き・歯磨き粉を総称した一般名は歯磨剤(しまざい)なのだそうだ。ワープロでも「しまざい」と打てば一発で変換されるけれども、そのように言っているのを実際に聞いたことがない。イメージに合ったいい呼び名はないものかと思う。

 歯磨剤は、研磨剤・保湿剤・発泡剤などの基本成分にフッ素・殺菌剤・消炎剤などの薬効成分から成っている。あまり過剰に歯磨剤で磨くと歯のエナメル質が破壊されてかえって虫歯になりやすいと言われるので、ほどほどに使った方が良さそうである。

 なお、森田正馬先生のところに入院した患者さんたちは歯磨き粉は使わなかったそうである。この話は入院経験のある井上常七さん(1909-2010)が講演で述べておられ、「生活の発見」誌2012年1月号p.66に書かれている。歯磨き粉は無駄だ、歯ブラシで磨けば十分だ、業者に踊らされているだけだ、という理由である。現代でも、歯磨剤で口の中がすっきりして磨いた気分になってしまい、かえってきちんと磨けない、だから歯磨剤なしのブラッシングで十分だと言う歯医者さんもいるので、森田先生の指導も一理あるだろう。宣伝文句に踊らされず、費用対効果を考えるところが神経質らしいところだと思う。

2012年1月13日 (金)

神経質礼賛 745.双極性障害と疾患喧伝(けんでん)

 最近送られてきた精神神経学雑誌2011年の11312号に「双極スペクトラムを巡って」という特集があって、その最後に独協医大越谷病院の井原裕先生が書かれた「双極性障害と疾患喧伝(disease mongering)」という論文があった。井原先生は1年ほど前にも同誌の「最近のうつ病と治療」という特集の中で「うつ病臨床における「えせ契約」(Bogus Contract)について」という論文を発表され、「うつ」の過剰診断や安易な薬物の処方に警鐘を鳴らしておられたが(624)、これはその続編とも言えるだろう。

 最近の精神医学では双極スペクトラムという概念が受け入れられるようになり、双極性障害(躁うつ病)が急激に脚光を浴びるようになった。医師向けの雑誌には、女性が「あれもこれも買いすぎてしまう。性格の問題じゃなかったんだ」とキャッチコピーを語る広告も見かけるようになった。双極性障害の診断基準を満たさない場合でも軽い躁的症状を拾い上げることで、新型の気分安定薬や非定型抗精神病薬による薬物療法が奏効する可能性がある反面、過剰診断、過剰処方につながるのではないか、というおそれも指摘されている。そんな中、今回の井原先生の論文は、これまでの疾患喧伝の歴史・・・効果がなかった脳循環・代謝改善薬、SSRIの過剰処方・・・について振り返った上で、今回の問題に触れ、製薬会社のマーケティング戦略に精神科医たちがいとも簡単に踊らされてしまう点に事態の本質があるとしている。先ほどのキャッチコピーに対しては「あれもこれもビョーキにしてしまう。マーケティングの問題だったんだ」という強烈なパロディのカウンターパンチを繰り出している。そして、薬物療法や難しい精神療法の前にまずやるべきことは、生活習慣の是正である、としている。気分の変動の背後には必ず生活リズムの変動があるのだから、「完全断酒、週50時間の睡眠、定時に起床」の3点だけでも守らせたらどうか、と提唱しておられる。

 週50時間の睡眠ということに関しては、現実的には週50時間の「臥床時間」で良いのではないかと思う。完全断酒、定時起床を指導していくのは大賛成であり、私もうつ病・躁うつ病の外来患者さんに普段から言っていることである。本来、健康人らしい生活習慣にしていくことは精神疾患治療の基本中の基本であるが、その基本が忘れられているのではないか。かつて森田正馬先生が「自然良能を無視する(こと)の危険」と言われたような安易な薬物療法に走らないで、生活習慣の是正をした上で、必要があれば、非定型抗精神病薬や新型の気分安定薬を使っていけばよいのである。まずは生活のリズム作りからである。

2012年1月 9日 (月)

神経質礼賛 744.先入観

 1月4日読売新聞夕刊に、「ストラディバリ神話」に疑問符、と題した記事があった。パリ大学での実験結果で、300年程前に作られ数億円の値が付くヴァイオリンの名器ストラディバリやグァルネリは現代の高級ヴァイオリンと大差がなかった、とのことである。21人のヴァイオリニストたちに協力してもらい、楽器がよく見えないような眼鏡をかけて名器と現代物計6丁を弾いて評価してもらったところ、安い現代物の方が評価が高く、名器は評価が低かったという。今後は楽器そのものの秘密を探るよりも心理的な影響を研究した方がよいということも指摘していた。

 いくら現代物で安いとは言っても数百万円もする高級ヴァイオリンでは、我々下手なアマチュアには無縁のシロモノである。昔から、名器はニスに秘密があるとか、材料の木が数百年経って内部まで乾燥していい音になったとかいろいろなことが言われ、科学的な研究も行われてきた。一方でヴァイオリン職人たちは名器に追いつこうとしのぎを削ってきたし、国際的な弦楽器製作コンテストもあって、現代の最高級ヴァイオリンは歴史的名器に負けない、ひょっとすると、それを凌ぐレベルになっているのだろう。

 手持ちのCDに歴史的名器の演奏を収録したものがある。やはりストラディバリは高音部のキラキラきらめく音がとても印象に残る。その楽器の良さが出やすい曲を選んでいるからということもあろうし、確かに聴く側の先入観もあるのかもしれない。しかし、演奏家にしても歴史的名ヴァイオリニストたちが弾いた名器だからいい音が出せる、と思って弾くから最高の音が出せるという面、つまり演奏に与える心理的なプラス効果もあるかと思う。

 神経質も同じことだ。自分は病気だという先入観にとらわれてしまっては、何もできない病人になってしまう。「神経質は病氣でなくて、こんな仕合せな事はありません」(白揚社:森田正馬全集第4p.386)と神経質を礼賛して健康人らしく行動していけば、ストラディバリを手にした演奏家と同様にすばらしい結果がついてくるのではないだろうか。

2012年1月 6日 (金)

神経質礼賛 743.神経質川柳

森田療法の自助グループ・「NPO法人生活の発見会」の機関誌『生活の発見』の毎年1月号には発見会川柳の特集があって、とても楽しみにしている。症状を笑い飛ばす句や神経症が治ったら神経質が足りなくなったことをネタにしたような楽しい句もあれば、森田療法と関連はないが新聞のサラリーマン川柳に載りそうな秀逸な句も掲載されている。先日送っていただいた1月号も発見会川柳が巻頭を飾っていた。タナカサダユキさんのイラストがまた冴えていて実にいい。ここに転載するわけにもいかないので、関心のある方は会員の方か協力医に借りて読んでみて下さい。

 私も下手な川柳風というか単に五七五というだけの標語を作ってみた。もし、過去の発見会川柳に同じものがあったら御容赦下さい。神経質ゆえ、過去10年くらいの『生活の発見』誌1月号はチェックしましたが。

「仕方なし 不安抱えて また一歩」

 神経質人間は欲張りである。病気になりたくない。人に認められたい。お金も欲しい。幸せになりたい。発展向上欲が強いわけだが、実に欲の皮が張っている。そうした生の欲望と死の恐怖は表裏一体である。究極の不安や恐怖は死に根ざしたものである。人間の死亡率は100%なのだから、死の恐怖は決してなくならないし、不安もなくならない。欲望が強ければ強いほど不安も大きくなる。その不安をなくそうと不可能の努力をすれば、強迫観念にさいなまれることになる。不安は仕方なし。不安を抱えながら一歩一歩進んでいくだけである。一歩だって積み重ねれば十歩になり、やがては百歩、千歩となる。

「あるがまま 神経質に 今生きる」

 格好よく川柳風にすれば「今を生き」とでもなるだろうけれど他人事のように響くので、あえて泥臭く「今生きる」でよい。逆立ちしたって神経質は神経質のままであり、ビクビクハラハラは変わらないし、豪傑にはなれない。しかし心配性の小心者にはそれゆえの良さがある。豪傑のように取り返しのつかない大失敗をやらかす可能性は低い。先の心配はともかく、今、目の前にぶらさがっている仕事・やらなければならないことを一つずつ片づけていく。その連続が着実な実績となっていくのである。

2012年1月 5日 (木)

神経質礼賛 742.スカイツリー関連グッズ

 昨年は東日本大震災に原発事故、豪雨災害などの災厄に苦しめられた年だった。さらに財政赤字、超円高と、すっかり凹みっぱなしだった日本にとって、今年はスカイツリーの開業という明るい話題がある。昨日、今年の外来診療初日にやってきたおしゃべり好きの患者さんが「今年はスカイツリーに行くのが目標」とのことでツリーのことを延々と話してくれた。

NHK「おはよう日本」の中に「まちかど情報室」というコーナーがあっていつも面白いアイデアグッズを紹介している。今朝はスカイツリー関連グッズの話題だった。500分の1スケール(とは言っても高さ1メートルを超える)のスカイツリー型貯金箱はかなりお金が貯まりそうである。スカイツリーも一緒に映し出される家庭用プラネタリウムというものもあった。防水加工されていて、お風呂でリラックスしながらどうぞ、というわけである。こういうものがあったら「烏の行水」派の私も長風呂になってしまいそうである。

私の印象に残ったのは、6250分の1サイズのスカイツリーの型を切り抜いたカードである。これをちょうどツリーが収まる位置に調整すると、目とスケールの距離から、現在地点からツリーまでの距離を測れるというものである。小学生には算数の「比」だとか地図の「縮尺」の勉強に役立ちそうだ。町おこしに考えられたアイデアグッズとのことで、街歩きが楽しくなりそうである。これも立派な発明である。創意工夫次第でこうした安上がりなグッズも開発できるという良い見本である。

 森田正馬先生は、「(生の)欲望其ものに乗りきる時、そこにエヂソンが生ずる」(白揚社:森田正馬全集第7巻 p.427)と述べておられる。御自身、散歩していて見つけた自動車の廃物のゴムをクズ屋から買って、テーブルや椅子の足の底に張って利用した(5.228)というし、晩年、肺結核のために寝込むことが多くなってからも来客がわかるように鏡を組み合わせて設置しておいたというエピソードもある。お金をかけずとも、ちょっとした工夫で生活が便利になり楽しくもなる。神経質の生かしどころである。

2012年1月 2日 (月)

神経質礼賛 741.おせち

 我が家は年末年始も普段とさほど変わり映えがしない。一昨日の大みそかの夕食は魚の干物に納豆に野菜炒め。昨日の元日の朝食はパンだった。普段と違うのは、門松(本物ではなく、普段使っている傘立てに金色の紙を巻きつけてそれらしく飾り付けた妻の作)が出ているのと、それぞれの実家へ行って墓参りするのと、昼食にはおせちを食べることである。

 ここ数年間利用しているのは、時々ランチを食べに行く西洋料理店「夢蔵」の洋風おせち料理だ。ローストビーフ、ミートローフ、鴨のパストラミ、とこぶしワイン蒸し、車海老あたりは一般のおせちの定番だけれど、イカ墨、オマール海老のグラタン、マダコのサルサ、鯛のハーブ焼あたりは洋風らしいところで、極めつけはエスカルゴのココットである。これはレンジで温めた後オーブントースターで3分ほどあぶってから食べる。お手頃価格で贅沢感を味わえる。子供は「食べるものがない」と言うが、ローストビーフに醤油を垂らしてオーブントースターで少し焼いてやると、ペロリと食べてしまって大人の分はなくなる。

 この料理はマスターと奥さんの手作りで、大みそかの昼に引き渡され、大変な忙しさだ。お客さんたちに喜んでもらおうという心意気が伝わってくる。しかも器は前年のものを洗って事前に持っていけば千円引きにしてくれるのだ。器を預かったら置き場所を取るし、大変な手間がかかってしまうはずだが、使い捨てでなく環境に配慮した姿勢はすばらしい。

 マスターは障がい者施設で調理の仕事を経験し、その後はフランス料理店などで修業し、健常者も障がい者も料理を楽しめる店にしたいという考えで15年前に西洋料理店「夢蔵」を出された。文字通り夢の詰まった蔵で健康に配慮したおいしい料理が楽しめ、マスター御夫妻と従業員の笑顔に元気をいただける。地方TV局のグルメ番組にも何度か出ているが、マスターは巨体にもかかわらずちょっとシャイである。私は秘かに神経質のお仲間だと思っている。だからこそ気配りの効いた良い仕事をされているのだろう。夢蔵のおせちで今年も神経質の1年が始まった。

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