神経質礼賛 760.近ごすい
森田正馬全集の第5巻は形外会の記録であり、読んでいると森田先生の指導ぶりが生き生きと伝わってくる。参加者たちの様々なエピソードも興味深い。何度読み直しても新しい発見がある。森田療法の自助グループ・生活の発見会には各地にこの全集5巻を読む勉強会がある。
全集5巻はとても読みやすいものだが、聞きなれない言葉が一つある。「近ごすい」という形容詞である。この言葉は何か所か出てくるが、その一つを以下に示す。
これまで、不潔恐怖の患者はよく私の妻が治したものですが、たいていは一度や二度は、妻に泣かされたものです。少し残酷なようですけれども泣かされないものは、どうも治り方が遅くて不完全のようです。つまり、よく完全に治るような人は、泣くばかり苦痛を忍んでも、必ず治したいという努力のある人です。(中略)
この治ると治らないとは、ほんの紙一重でちょっとした気合の変化で心機一転するものです。つまり、最も大切な事は、真面目で真剣である事で、ズボラで近ごすくない事であります。(白揚社:森田正馬全集第5巻p.612)
前後関係からして、「近ごすい」とは「安直な」という意味だろうと思って読んでいた。森田正馬先生の養子・森田秀俊先生の奥さんである高知県御出身の森田貞子さん(三島森田病院理事長)にこの言葉について伺ってみると、「聞いたことはありますねえ。私は使ったことはありません。狡い(こすい:悪がしこい・ずるい の意)は悪い意味で使いますけれど」とのことであった。
『生活の発見』誌2012年2月号p.35に高知県の会員の方が「高知じゃあ、標準語じゃきいに」とユーモアを交えて「考えが足りない」「短絡的」「すぐ結果を求める」ことだと書かれているので、私のカンもはずれてはいなかったようだ。
先ほどの引用部分にあるように、症状を「近ごすく」つまり安直に治す方法はないのである。「不安障害にはSSRI」という時代になったけれども、薬物療法だけで症状がなくなってすべて解決、というわけにはいかない。薬には副作用もあるし、本来必要な不安を過度に抑えてしまっては「SSRI誘発性恐怖過少症(684話)」というような問題も起こりうる。そして薬は神経質性格の良さを減じてしまう。私は薬物療法を否定するわけではなく、使う場合には必要最小量を慎重に処方するよう心掛けている。遠回りのようでも、苦しいながらに行動していき、症状を何とか消そうとするはからいごとをしないのが、本当は治療の近道なのである。
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