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2012年3月30日 (金)

神経質礼賛 770.人生の意味の発見

 森田療法では、行動本位(642)ということをよく言う。しかし、ただやみくもに働けばいいというものではない。また、症状を忘れるために働くものでもない。森田先生は次のように言っておられる。

 ここの治療法で、臥床から起きて庭に出る事になる。その時に、少しも筋肉労働をしないで、静かに庭の隅のごみを拾うとかいう事をする。この時に、我々は掃除によって、庭が奇麗になり、気が晴ばれする。この掃除という事の意味がわからないで、ただ庭の中の落葉を拾って回って、そこら中をフラフラと歩き、あるいは誰かが箒で、サッサと一掃きすれば、すぐにも掃除のできるのを、わざわざ手で拾っているとか、なんでも終日、何かと手を動かしておればよいとか思っている人は、まだ意味の発見のできない人である。普通の人が、ちょっと見ると、全く無意味のような事でも、実際に当たってみると、そこに大きな人生の意味がある。野依氏の『獄中四年の生活』の内に、同氏は麻つなぎの哲学を得たとの事が書いてある。人生は、機械的の運動や屁理屈のほかに、極めて些細な家庭の仕事の内にも、人生の意味の発見があり、私のところでは、この意味で神経質が全治し、あるいは悟りの境涯に達する事もできるのである。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.269-270

 単に「症状」を改善するだけでなく、神経質性格の良さを発揮し、よりよく生きていくためのカギはごく平凡な日常生活の中にある。仕方なしにやっている何でもない作業も「ものそのもの」になってみれば新たな発見があり、やりがいも出てくる。森田療法の自助グループ「生活の発見会」の名称もそこから来ているのだろうと思う。『あるがままに導かれて』(白揚社・水谷啓二追想録編集委員会編 p.404)によれば、昭和32年創刊の機関誌『生活の発見』の名前は永杉喜輔群馬大教授が万座温泉につかりながら思いついたという。会の創始者・水谷啓二さんは、森田先生が示した正しい生活態度をつかめば神経質による症状は自然に治っていくという信念を持っておられた。そのことを、時代を超えて人々の毎日の生活の上に具現し、社会にひろめていきたいと考えたそうである。水谷さんの思いがこめられたすばらしい名称だと思う。何も病院や精神科クリニックやカウンセリングに行くばかりが苦しい症状から脱却する方法ではない。むしろ足元の日常生活の中にそれはあるのだ。そして、せっかく神経質という優れた資質を持ち合わせているのだから、神経質を最大限に生かしていかなくてはもったいない。

2012年3月26日 (月)

神経質礼賛 769.源頼朝の性格

 神経質人間だった徳川家康(11話・209)が尊敬していた武将は武田信玄(729)と源頼朝である。武田信玄もまた神経質人間ではないかということを以前に書いたが、頼朝はどうだろうか。今回考えてみたい。

 小学校の社会の教科書には「1192年源頼朝が鎌倉幕府をつくる」と書かれていて皆様も「いいくに作ろう」という語呂合わせとともに覚えておられることだろう。歴史的には初めて本格的な武家政権を確立したという大きな功績があるけれども、小説やドラマでは弟の義経や範頼を死に追いやった頼朝はどうも立場が悪い。天才的なヒーロー・義経の悲劇を描けばどうしても頼朝は悪役になってしまう。しかし頼朝は疑い深く血も涙もない冷酷非情の人物かというと、そうでもなかったようだ。特に自分の子供には大甘で、息子の頼家が巻狩りで鹿を射止めた際、大喜びで妻の政子に知らせを送ったところ、政子からは武将の嫡子ならば当然である、とたしなめられたというエピソードがあるくらいである。

 平治の乱で父・義朝が敗れて殺され、頼朝も捕えられた。斬られて当然のところを平清盛の継母・池禅尼の命乞いにより処刑を免れ、伊豆国蛭が小島に流された。当時は川の中州のような島だった。現在では陸地になっており、頼朝・政子像の周囲にはイチゴ農家のビニールハウスが立ち並ぶ。流刑とは言っても、政治的に失脚したとか戦いに敗れた人物が流刑先で密かに処刑されることは歴史上よくあることだ。頼朝の場合は、平氏から見て最も危険な人物であるから、いつ殺されてもおかしくない状況だった。常に監視され、死と隣り合わせの境遇が14歳の時から34歳になるまで続いていたのだから疑い深くなったのも当然と言える。平家打倒のために挙兵した後白河法皇の皇子・以仁王(もちひとおう)から、平家を倒せという令旨(りょうじ)を受けた際、頼朝は挙兵には慎重だった。しかし、令旨を受けた源氏は討つという平家側の方針が出たため、やむなく挙兵に踏み切ったのだ。頼朝の挙兵は失敗に終わり、安房に逃れた後、関東で兵を集め、富士川の合戦ではまともに戦わずに勝つことができた。普通ならば京に進軍するところなのに、調子に乗って深追いはせず、しっかり足場を固めていったのは慎重な頼朝らしい。頼朝は御家人たちを上手にコントロールし着実に政権を掌握する布石を打っていく。そんな中で平家を滅ぼした大功績があったとはいえ、策略家の後白河法皇の思う壺にはまって行動してしまう義経は、頼朝からすれば思慮の足りない人物と見えても仕方なかっただろう。

 先を読んで細かな配慮をする頼朝は、分裂気質というより神経質に近いのではないか、と思えてならない。徳川家康は鎌倉時代の歴史書・吾妻鏡を読んでそれを参考にしていたと言われている。人質生活を送った家康にとって、流刑生活を送った頼朝は親近感が強かっただろうし、同じ神経質人間として共鳴するものがあったのかも知れない。

2012年3月23日 (金)

神経質礼賛 768.早期離職

 19日、政府の雇用戦略対話で、大卒者の2人に1人、高卒の3人に2人が、無職や非正規雇用だったり、3年以内に仕事を辞めたりしている、という報告があったと新聞に書かれていた。正規雇用60万人のうち3分の1の20万人が3年以内に辞めているという。

 政府は早期退職の原因は雇用のミスマッチにあるとし、本人に合った中小企業に就職させればいいようなことを言っているが、問題はそれだけではないはずだ。ゆとり教育で小学校の勉強がわからないまま中学生になり、高校生になり、AO入試やら推薦入試やらで、知識もなく勉強する習慣もない大学生を大量に作り出してきたことにも問題があるだろう。企業の採用担当者たちの間では大学生の学力の大幅低下が言われている。これでは社会に出て通用するはずはない。さらに会社の入社式に母親がついて来るという過保護ぶりでは社会人として使い物にならない。それから、評論家たちが指摘しているように、経済状況の悪化により、企業側も目先の成果主義に傾いているため、時間をかけて社員を育てていく余裕がなくなっていることもあるだろう。

 かくいう私も最初の大学を卒業して入社した会社を4年間で辞めて医大に入学しているから偉そうなことは言えないけれども、まだ業務の能力が付かず、退職金がもらえない3年以内の早期離職はもったいないと思う。かつて私が入った会社は大卒者を大量採用していたが、大半は営業社員であり、販売ノルマが厳しくて辞める人が多く、社員の間では半減期1年と言われていた。当時の社長は工学部出身で先進技術に強い興味を持ち有能な技術系社員を育てようとしていたけれども、あとの役員のほとんどが文系出身、ハッタリと要領で出世したような人たちばかりだったから技術系に対する理解はまるでなかった。だから、全社一斉訪販日なんていうのもあって、システム開発に従事した私も先輩と一緒に飛び込みセールスに回ったことがあった。今にして思えば対人恐怖の私には治療的だったと言えるかもしれない。「アホらしくてやってられんわ!」と口癖のように言っていた先輩は大手電機メーカーに転職していった。他にも優秀な先輩たちが次々と辞めていった。私は何度も辞めようと思いながらも「お金をもらって勉強しているのだ」と自分に言い聞かせて働き続けた。情報処理技術者試験は毎年受けて、第Ⅰ種まで合格していつでも転職できるように準備した。会社に辞表を出したのは、医大受験日の有給休暇を申請する際だった。そして、ささやかな退職金は医大の入学金に充てることができたし、従業員持株会の解約金も予想外にあって助かった。

 

  4月になると、精神科外来には、職場で不適応を起こした新入社員たちがやってくる。私は四月病(299)と呼んでいる。薬やカウンセリングで治るものではない。本当にエネルギーが枯渇したうつ病に陥っているとか会社の待遇があまりにも理不尽であるならともかく、多くの場合は嫌でもとりあえず今日1日何とか踏ん張って仕事に行く、それを繰り返して自分の力でつらいところを乗り越えてストレスに対する耐力を獲得していくのが本当の処方箋ではないだろうか。

2012年3月20日 (火)

神経質礼賛 767.牡丹餅(ぼたもち)

 ようやく春らしい陽気になってきた。今日は春分の日。彼岸の中日ということで、墓参りに行ってきた。天候に恵まれたこともあって、お寺は家族連れで賑わい、鮮やかな色の花々が供えられていた。

 春のお彼岸にはつきものの牡丹餅。この季節に咲く大きな牡丹(ぼたん)の花に見立ててぼた餅と呼ばれるようになったそうである。一方、秋のお彼岸は餡の小豆粒を萩の花に見立てておはぎと呼ばれるようになったという。古人の想像力いや創造力には感心する。発想が貧困な私は、小豆の色から花はちょっと連想しにくい。それよりも、子供の頃は牡丹餅→お寺→人の死という神経質らしい連想が働いてしまい、黒い大きな塊はグロテスクにも感じて、あんこ物は大好きなのに、牡丹餅は敬遠していた。昨今はスーパーの生菓子コーナーに年中ぼたもちが並んでいて定番スイーツ化している。名称も「ぼたもち」ではなく「おはぎ」に統一されているような気がする。サイズは小さめであり、小豆餡だけでなく、きな粉・ゴマ・ずんだ餡と色とりどりで、たまには買ってみようか、という気を起こさせる。

 棚から牡丹餅という言葉がある。何も努力しないで予期しない幸運が舞い込んで来ることを言う。しかし、現実にはそんなにうまい話はない。特に神経質人間はスロースターターであり要領がいいとは言いかねるが、地道にコツコツ努力を積み重ねるのが身上である。とにかく今日一日、精一杯できることをやる。それだけでよい。それを続けていれば、いつしか牡丹餅以上のものが得られている。

2012年3月19日 (月)

神経質礼賛 766.怒りっぽい性格

 世の中には古今東西を問わず、短気で怒りっぽい性格の人がいる。性格の根本の気質は生来つまり遺伝的に決まる部分が小さくないと考えられている。

古代ギリシア時代、医学の父ヒポクラテス(紀元前400年頃)は、人間の体は地・水・火・風の四元素から成り、体内には湿温の性質を持つ血液、冷湿の性質を持つ粘液、湿乾の性質を持つ黄胆、冷乾の性質を持つ黒胆の四つの体液が存在すると考えた。この体液病理説を基に、ローマ帝国時代にガレヌス(129-200年頃)は偏った気質は特定の体液が優勢になるためだとした。血液が多い多血質では感情的・気分易変となり、粘液が多い粘液質では鈍感となり、黄胆が強い胆汁質では精力的で客観的、黒胆が強い黒胆汁質では憂鬱で主観的であるとした。この四気質説は長く受け継がれた。短気で怒りっぽく攻撃的なのは胆汁質とされていた。今ではこうした考え方は否定されているが、性格類型のもとになったと言える。

現在でも用いられる気質の分類の中で粘着気質(てんかん気質とも呼ばれる)では几帳面で熱中しやすく回りくどい一方、興奮・立腹しやすい爆発性を持っている。ちょっとからかわれただけで剣を抜いたり、言う事を聞かない楽団員に怒ってカツラを投げつけたりした大作曲家のJ.S.バッハは粘着器質の典型だと思われる。

神経質人間であっても短気で怒りっぽいことがある。自分に対しても他人に対しても厳しい神経質人間は無神経な行動をする人にはかなりカチンとくるのだ。実は私もそうであり、どうも怒りの沸点が低くていけないなあと反省している。

 以前、怒りの解消法(247話)、感情の法則と90秒ルールについて書いている(442)。そこでも紹介した「感情の法則」についてもう一度復習してみよう。

 常識養成の根本とする処は広くいはゞ即ち心身の訓練にして狭くいはゞ即ち感情の修練なり。されば先づ感情の特性に就て考ふるに

一、感情は常に同一の強さを以て永く持続するものにあらず、之を放任すれば自然に消失す。

二、感情は之が行動に変化すれば消失す。

三、感情は之を表出するに従ひ益々強盛となる。ランゲは吾人は悲しき為に泣くに非ず。泣くが為に悲しきなりといへり。

四、感情は之に慣るゝに従ひて鈍くなる。(白揚社:森田正馬全集 第7巻 p.555

 

 感情は時間が経てば薄れて消失していく。感情を露わにしたらますます感情は強まってしまう。感情を消そうとせずにやるべき仕事をしていれば結果的には早く消失していく。そういったことを森田先生は教えておられる。この法則は神経質以外の人ばかりでなく誰にでもあてはまることである。怒りを感じた時には、人や物に当たりたくもなるけれども、そうしたら、ますます腹が立ってくる。当り散らすのはやめておき、ちょっとトイレにでも行って頭を冷やしてくる、あるいはお茶を一口飲んでくる、というワンテンポ置くだけで怒りにまつわる脳内の神経伝達物質のピークは過ぎる。それからやるべき仕事にとりかかっていく。時間が経てばいつもの自分に戻っている。

2012年3月16日 (金)

神経質礼賛 765.バッテリーあがり

 年々、家の車に乗る機会が少なくなった。子供が小さい頃は週末に家族で出かけていたのだが、今では私がホームセンターの買い出しに行くのと妻が実家との往復に使う位である。年間の走行距離は2000㎞位にしかならない。定期点検に出すといつもバッテリーが弱っていると言われたので、279話に書いたように月1回はボンネットを開けてバッテリーを充電していた。ところが、昨年の暮れにそのバッテリー充電器が壊れてしまった。ヒューズは飛んでいない。中を開けてみるとスイッチングレギュレーターで1枚の基板が入っているだけであり、アンタッチャブルである。大きなトランスとダイオードなど数点の部品だけだった昔の充電器ならば壊れようもなかったし、原因のチェックは容易だったが、これではどうしようもない。そんなわけで、ここ3カ月ほど充電していなかった。さらにこの1カ月は子供の大学受験があって、妻が実家に行くのをやめていたため、ほとんど車は乗らない状態だった。日曜日の朝、私がホームセンターに行った時には何の問題もなかった。午後、1カ月ぶりに妻が実家に行き、美容院でカットして車に乗ろうとした時に事件は起こった。キーを回しても全くエンジンがかからなかったそうだ。お店の人やお客さんたちが総出で助けてくれた。他のお客さんの車からブースターケーブルをつないでエンジンをかけることができ、そこから比較的近いディーラーまで妻が運転していったが、パワステが利かなくて大変だったそうだ。あれこれ調べてもらったところ結局はバッテリーの不良とわかった。もう生産中止して7年になる車種のため、交換バッテリーがなく、取り寄せに1週間くらいかかるということだった。ディーラーでかなり待たされた妻から怒り口調の電話があってこの件を知った。後が高くつきそうだ。

 充電器が壊れたところで別の充電器を用意すれば良かったのだが、特にエンジンがかかりにくいわけではないし、車を近いうちに買い替えるかもしれないし、まあいいだろうと油断したのがいけなかった。人前で緊張して「あがる」のは仕方ないが車のバッテリーがあがるのはまずい。「神経質が足りない!」、と自分を叱らなくてはならない。

2012年3月12日 (月)

神経質礼賛 764.あるがままに認める

『人生の本(もと)を務めよ』(チクマ秀版社:臨済宗妙心寺派布教師会編著 藤原東演監修)という全国各地のお寺の50人近いお坊さんが書かれた本がある。その中に、埼玉県新座市の平林寺副住職、松竹寛山さんが「あるがままに認める 森田正馬と禅的生活法」と題して書かれたものがある。松竹さんは子供の頃から強い対人緊張と吃音に悩まされ、治そうとすればするほど悪化する悪循環に苦しんだという。大学生の時に書店で森田先生の書かれた『神経質問答』(白揚社)を見つけ、対人恐怖も吃音も他の人と仲良くしてよりよい人生を送りたいという欲求からであることを知った。それがきっかけで松竹さんは禅の道を志すようになり、積年の悩みを克服して、多くの人々の前で布教しておられるそうである。

 松竹さんは、「柳は緑、花は紅」という禅語のように、人前で硬くなるなら硬くなるまま、足が震えるならば震えるままにそのことをありのままに認め、硬くなりながら震えながら目的に向かって行動していくことだ、と言う。そして自分と行為がピタリと一つになって「なりきる」という境涯が現れ、硬いとか震えるということはもはや問題ではなく、ただ行為する自分がそこにあるだけとなる、と説いている。他の禅僧たちが必ずと言っていいほどお寺での座禅の話を書いているのに松竹さんは座禅については一言も触れていないのがまた面白い。

 松竹さんが森田療法を学んでから禅僧になられた、というのはとても興味深い。禅僧から森田療法家になった宇佐玄雄先生(三聖病院初代院長)の禅的森田療法と逆であり、森田療法的禅とでも言えるかもしれない。

 森田先生御自身は自分の創始した治療法(森田療法)は禅から出たものではない、と言われた。また、冗談半分に「ここにおける四十日の入院による修行は禅寺における三年間の修行に相当する」と言っておられた(660)そうだ。当ブログに以前書いた「禅と森田療法」(135話)では両者の相違点を述べた。しかしながら森田療法の背景に東洋思想とりわけ禅があることは誰の目にも明らかである。そして森田療法が単なる神経症(不安障害)の治療法にとどまらず、生き方の指針となることも言うまでもない。

2012年3月 9日 (金)

神経質礼賛 763.悩ましい持ち物

 精神科病院で仕事をしていると、患者さんの持ち物に頭を悩まされることがある。一般の病院ならば、音や光や臭いで周囲の人に迷惑を掛ける物や公序良俗に反する物でなければ特に持ち込みが制限されることはない。一方、精神科病院の閉鎖病棟では常に事故防止を考えなくてはならない。刃物やひも・コード類は自傷他害に用いられる可能性があるので、たいていの精神科病院では持ち込みが制限されている。持ち主は問題なくても、他の患者さんがそれを持ち出して使う可能性も考えなくてはならない。事故が起こってからでは遅いので神経質を要するところである。

  患者さんが持ち込む物には本人持ちを許可していいのかどうか悩ましい物がある。看護師さんが判断に迷う場合には、「許可していいんでしょうか」と判断を求められることになる。先日も身寄りがなくて生活保護を受けて長期入院しているある患者さんが市役所担当者付添で一度に5万円分もの買物をしてきた。生活保護費の残があるということで市職員も特にアドバイスはしなかったらしい。多量の衣類はともかく、髪をカールさせるためのドライヤーは長いコードが付いていて、閉鎖病棟ゆえ本人持ちとするわけにもいかず、ナースステーション預かりで使用時のみ本人に渡すこととした。

 入院森田療法を受ける患者さんの病棟は一般病院の場合に近い。しかし、時として最初の1週間の絶対臥褥期の間に隠し持っていたゲーム機で遊んだり携帯電話でメールやインターネットを楽しんでいたり、という例がある。絶対臥褥期は自分と向き合い徹底的に悩みぬく場である。安楽に遊んで過ごしたのでは何のために入院しているのかわからない。「近ごすい」(760話)心で取り組んでいては治らないのだ。いまどきは便利道具が多過ぎて困ったものである。

2012年3月 5日 (月)

神経質礼賛 762.可能性

 先日NHKのBS「私が子供だった頃」という番組で漫画家の松本零士さんをやっていたので録画して見た。この番組は著名人の子供時代を本人のインタビューを交えながらドラマで再現したものである。2、3年前に一度放送されたものらしい。

松本少年の父親は陸軍の優秀なパイロットだった。教官として指導した若者たちは特攻隊として散っていき、同僚や部下たちも戦死し、一人だけ生還した。それについて非難されても一切言い訳はしなかった。多くの元パイロットたちが自衛隊に再就職する中、パイロットとしての人生を捨てて慣れない野菜の行商などで糊口をしのいだ。松本少年はそんな父親を誇りに思い、空や宇宙への関心を深めた。サムライ精神を持ち独立独歩のキャプテン・ハーロックは父親がモデルだという。やがて松本少年は漫画で身を立てる決心をし、夜汽車で東京へと旅立つ。銀河鉄道999の主人公・鉄郎は松本少年自身でもあった。インタビューの最後に松本さんは「今考えると貧乏だった少年の日々・旅立ちの時がユートピアだったんですね。どうなるかわからないけれど無限大の可能性があって、時間という無限大の宝物があった。できることならもう一回あの年代に戻りたい」と言っておられた。

  松本漫画には四畳半ものと呼ばれる特異なジャンルがあって、「男おいどん」(少年マガジン連載1971-73)は私も愛読した。青雲の志を抱いて上京するも、仕事は何をやってもクビ、夜学は授業料が払えず頓挫、ボロ下宿の家賃は滞納し食べる物にも事欠く惨めな生活を送る主人公のおいどんこと大山昇太もまた若い頃の松本さんの分身である。おいどんがアルバイトに行く先々でそこの主人が「おれももう一度あんたくらいの年になりたい」とか「あんたはいいよ。まだ若いから」と語る場面が何度か出てくる。おいどんは、社会的にある程度成功している人たちのその言葉が理解できず、「そら、ムリばいねー」とつぶやく。

 

  年だけは誰もが平等にとっていく。若ければ将来の可能性はいくらでもあるけれども年を取るにつれ可能性は狭まってくる。あと10歳、20歳若かったら、と誰も内心思うものだが、それは実現不可能である。けれども生きていれば必ず何がしかの望みはあるものだ。松本さんは現在74歳。漫画やアニメの仕事を続け、新たな可能性に挑戦しておられる。

  年を取って、たとえ重大な病気を抱えても、不遇に見舞われても、できることはある。生きている限り可能性はゼロにはならない。私たち神経質人間は心身の不調やら境遇やら、ついグチをこぼしてしまいがちだが、よりよく生きたいという生の欲望を発揮していけばいくらでもやることはある。そしてその行動を重ねることが「日々是好日」なのではないだろうか。

2012年3月 2日 (金)

神経質礼賛 761.もらって困る引物(引出物)

 先週の土曜日に父方伯父の一周忌があった。私は外来担当日・当直勤務で参加できず、母も風邪で体調が悪く欠席した。何しろ田舎のことだから馬鹿丁寧である。昨年の葬儀や四十九日忌明けの時と同様だったらしい。住職のお経・焼香・墓参りの後にお寺に仕出し料理を取って精進落としである。これがまたいつ終わるのかわからないほど長い時間がかかる。後で母のもとに引物が届けられた。昨年と同様に「おくさまセット」と書かれた箱に入った台所洗剤・スポンジ・ウエットティッシュ・ビニール袋などの家庭用品詰合せとロールケーキ2本だった。母も困るから、と私の家に持ってきた。叔父・叔母世代も高齢化して「おひとり様」生活をしている人が多くなった。おひとり様では日持ちがしない食品やかさばる物はもらっても困る。昔のようにご近所にお裾分けという時代でもないから、結局は持て余して捨ててしまうことになる。石鹸・洗剤類ならば困らないだろうと思うかもしれないが、この種のものは普段使い慣れたものでないと使いにくいから、そのまま死蔵されることになる。実にもったいない話で神経質人間としてはとても気になる。

 概して引物(引出物)はもらって困るものが多いように思う。最近では祝儀や香典のお返しがギフトカタログというケースもある。選べるだけベターではあるが、実際のところカタログを見ても欲しいものがない、ということもあるし、うっかりそのままにしていてギフト注文はがきの期限を過ぎてしまうなんてことも起きる。

森田正馬先生のように「下されもの」(385話)という張り紙をしてもらってうれしい物と困るものを公表して困るものは受け取らない、というのも手かもしれないが、普通はそんなことはできない。神経質人間としてはもらって困るような引物(引出物)を配らないように気をつけたい。会費制の簡素な結婚式が増えているのだから、法事も香典お断り、精進落としの食事は会費制にして、無駄な引物なしにできないものかとつくづく思う。

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