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2012年3月12日 (月)

神経質礼賛 764.あるがままに認める

『人生の本(もと)を務めよ』(チクマ秀版社:臨済宗妙心寺派布教師会編著 藤原東演監修)という全国各地のお寺の50人近いお坊さんが書かれた本がある。その中に、埼玉県新座市の平林寺副住職、松竹寛山さんが「あるがままに認める 森田正馬と禅的生活法」と題して書かれたものがある。松竹さんは子供の頃から強い対人緊張と吃音に悩まされ、治そうとすればするほど悪化する悪循環に苦しんだという。大学生の時に書店で森田先生の書かれた『神経質問答』(白揚社)を見つけ、対人恐怖も吃音も他の人と仲良くしてよりよい人生を送りたいという欲求からであることを知った。それがきっかけで松竹さんは禅の道を志すようになり、積年の悩みを克服して、多くの人々の前で布教しておられるそうである。

 松竹さんは、「柳は緑、花は紅」という禅語のように、人前で硬くなるなら硬くなるまま、足が震えるならば震えるままにそのことをありのままに認め、硬くなりながら震えながら目的に向かって行動していくことだ、と言う。そして自分と行為がピタリと一つになって「なりきる」という境涯が現れ、硬いとか震えるということはもはや問題ではなく、ただ行為する自分がそこにあるだけとなる、と説いている。他の禅僧たちが必ずと言っていいほどお寺での座禅の話を書いているのに松竹さんは座禅については一言も触れていないのがまた面白い。

 松竹さんが森田療法を学んでから禅僧になられた、というのはとても興味深い。禅僧から森田療法家になった宇佐玄雄先生(三聖病院初代院長)の禅的森田療法と逆であり、森田療法的禅とでも言えるかもしれない。

 森田先生御自身は自分の創始した治療法(森田療法)は禅から出たものではない、と言われた。また、冗談半分に「ここにおける四十日の入院による修行は禅寺における三年間の修行に相当する」と言っておられた(660)そうだ。当ブログに以前書いた「禅と森田療法」(135話)では両者の相違点を述べた。しかしながら森田療法の背景に東洋思想とりわけ禅があることは誰の目にも明らかである。そして森田療法が単なる神経症(不安障害)の治療法にとどまらず、生き方の指針となることも言うまでもない。

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