神経質礼賛 780.人生観が変わった
前々話で、森田療法は神経症(不安障害)症状を改善するだけでなく、心身ともに健康にし、仕事や勉強や家事の能率があがる、ということを書いたが、その根本について森田正馬先生はさらに次のように述べている。
「またここの全治患者の、よくいう事であるが、それは例えば、自分の不眠や赤面恐怖の治った事は嬉しいが、それよりもさらに有難い事は、日常生活に能率があがるようになり、人生観の変わった事であるとかいう事である。
しかしこれは物の本末を誤り、部分と全体とを思い違えたものである。それは、人生観が変わったから病気が治ったのである。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.139)」
神経質人間は悪いところ探しの名人でもある。誰にでも起こりうる不安をことさら過大評価して、自分ばかりが特別苦しいと言い立て、そういう差別観で見れば「症状」ということになる。そして、それをなくそう、避けようと「はからいごと」をしていてはますますとらわれの悪循環となって「症状」の深みにはまっていくのである。例えば、寝つきが悪いながら実際には十分に眠っていて「一睡もできない」と訴える不眠症。人前で緊張し「あがる」のは誰しもあるのに、自分だけが苦しいのは気が小さいからだとクヨクヨ悩む対人恐怖。不安になれば胸がドキドキし息苦しさを感じることは誰でもあり、心臓病でもなければそのために死ぬ心配はないのに、このまま死んでしまうのではないかと大騒ぎする不安神経症(パニック障害)。完全にミスをなくしたり完全に清潔にすることは不可能なのに必要以上に何度も確認したり儀式的に手を洗ってしまう強迫神経症(強迫性障害)。タイプは異なっても共通のメカニズムで「症状」が起きているのである。
森田療法では、個々の「症状」をどうこうしよう、ということはしない。不安な気持ちはそのままにして、仕方なしに目の前のやるべきことをやっていく。することがなければ仕事を探すのも仕事のうち、と指導する。苦しいまま行動していくうちに、苦しくても行動はできるのだ、という事実を体感する。そして誰もが苦しみながら行動しているのだ、とわかってくる。これが平等観である。森田の立場からすれば神経質は病気ではない(「神経質は病氣でなくて、こんな仕合せな事はありません」森田正馬全集 第4巻 p.386)。だから、差別観が平等観に変わる、つまり人生観が変われば、とらわれの悪循環から解放されて自然と「症状」も消失しているし、神経質性格を生かして上手に気を配って行動するようになって、仕事や勉強がはかどるようになっているのである。
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