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2012年5月28日 (月)

神経質礼賛 790.認知行動療法と森田療法

 『精神医学』誌の4月号に、「オピニオン・マインドフルネス/アクセプタンス認知行動療法と森田療法」という長いタイトルの特集があり、認知行動療法の専門家たち、森田療法の専門家たちの意見が載っていて大変面白かった。認知行動療法の新しい動きに「第三の波(the third wave)」と呼ばれるものがある。これらの精神療法におけるマインドフルネス(mindfulness)とアクセプタンス(acceptance)の治療原理は、価値判断を下さずに現在をありのままに受け入れる、というもので、「あるがまま」という森田療法との類似性が指摘され、話題になっている。認知行動療法が森田療法に近づいてきたという見方もある。今後、認知行動療法がどのような流れになっていくか注目したい。

 認知行動療法と森田療法には類似点が多いが、根本的な相違点がある。最新の「現代精神医学事典」(弘文堂)の認知療法(認知行動療法)の項目には、「人間の気分や行動が認知のあり方の影響を受けるという理解にもとづき、認知(ものの考え方や受け取り方)のあり方に働きかけることによって精神疾患を治療することを目的とした構造化された短期の精神療法である(大野裕)」とある。認知の歪みを是正したり行動パターンを変えたりすることで症状改善を図っていくわけである。ところが、森田療法では「症状は不問」として、症状を直接のターゲットとしない。なぜなら、症状を何とか消そうと「はからいごと」をすればするほど、「とらわれ」を深めて症状を悪化させる悪循環に陥ってしまうからだ。そこで症状の良し悪しに一喜一憂するのではなく、気分はともかくやるべき行動をしていくように指導する。そして事実本位の生活になってくれば、症状は忘れている、という具合で、結果的には症状は消退しているのである。自分の行動を減点法で評価しないで加点法で評価するとかマイナス思考でなくプラス思考で考える、ということはよいけれども、時に、「プラス思考に考えなければいけないのに自分はそれができない」と悩む人がいる。また、認知の歪の是正に力を注ぎ過ぎて、実際の行動が伴わなかったり症状へのとらわれを深めてしまったりする人もいる。そういう人には、森田の原点に帰って、理屈はさておき行動することをお勧めしたい。

2012年5月25日 (金)

神経質礼賛 789.森田療法と看護理念

 

 勤務先の病院では、今週から今年度の看護実習生の受け入れが始まった。例年の看護学校2校に加えて今年度からは大学看護学科の学生さんたちも受け入れることになっているので、看護スタッフの忙しさはさらに増すことになる。実習には看護学校の場合5名の学生さんに指導教官1名が付き添う。そして、学生さんたちは全体の見学実習だけでなく、それぞれ一人の担当患者さんについて勉強していくことになる。この患者さんには安定した方を選び、本人の同意を得たうえで学生さんについてもらっている。

 多くの精神科病院では、入院患者さんの6割位は統合失調症の患者さんである。昨今は発病して早い段階で受診されるようになったし、優れた抗精神病薬が開発されて、激しい症状があっても入院せずに外来だけで治せるケースや入院しても短期間で退院できるケースが増えてきた。とはいえ、症状の改善がみられず長期入院を余儀なくされている方々も少なくない。私が担当しているそのような患者さんの中にも看護学生さんに割り当てられた人がいる。60代半ばの女性で、20歳頃に統合失調症を発病し、いくつかの精神科病院に入退院を繰り返した後に、今の病院に入院して約30年になる。薬物療法を続けているが陽性症状の幻覚・妄想は取り切れていない。そして、陰性症状の無為自閉・自発性低下・感情鈍麻が目立つ。数年前までは入浴を拒否し、髪は脂でベットリし、衣服に大便が付着したままで平気でいた。看護師さんや看護助手さんたちがチームワークで粘り強く働きかけてくれて、ようやく入浴するようにもなったし、身なりも清潔になってきた。作業療法には参加してくれないが、職員がホールのテーブル拭きをしていると、自発的に手伝ってくれるようになった。日常生活の中で看護スタッフの関わりによって良くすることができるという例である。精神科病棟の看護師さん方の仕事は年々、記録・看護計画などのデスクワークやカンファレンスの比重が大きくなっているけれども、患者さんに寄り添い関わるという原点を学生さんが体験してもらえたらと思う。

 これが、精神病ではなく神経症の場合は、誰かが治してくれるわけではない。あくまでも治すのは自分の力である。入院森田療法であっても、医師は、コーチ・監督役であり、本人が症状はありながらも必要な行動をしていくように指導していくことになる。看護師さんたちも、できることはなるべく本人にやらせて、必要な時だけ援助していくわけである。

 大原健士郎教授在任中の浜松医大では、森田療法を実によく理解した看護師さんたちがおられた。朝夕の花壇の手入れ、畑作業、運動レクリエーションには研修医とともに看護師さんが必ず付き添っていた。患者さんの背中を押して作業に向かわせ、落ち込んで時には支え、症状を訴えて行動しない人には「それは森田的じゃないニ(浜松弁)」と叱ることもあった。まさに森田正馬先生の奥さん久亥さんの役割を見事に果たしていたのだ。彼女たちの活躍ぶりが記録に残っていないのは残念なことである。

 

 最近は森田療法学会で看護系の発表が増えている。その端緒となった慈恵医大第三病院の看護師さんの発表論文(矢崎志保子:入院森田療法患者の看護,森田療法学会雑誌 9;57-601998)に、森田療法の看護の基本は、本人が本来持っている健康的な力を引き出し、あるがままに目的本位の行動が取れるようにする、ナイチンゲールが言う「持てる力を最大限に発揮した」状態になるよう支援していくこと、と書かれていたのが、強く印象に残っている。森田先生の言われた「人の性(しょう)を尽くす」とナイチンゲールの看護理念は重なるものだったのだ。

 

2012年5月23日 (水)

神経質礼賛 788.折り畳み傘の修理

 最近の折り畳み傘は三つ折りが多くなり小型軽量で便利になった。ただ、傘立てに入れる際には三つ折りでは不便で昔の二つ折りが欲しくなる。先月、二つ折りの大型の折り畳み傘を見つけて買った。これなら商店などに立ち寄った時に傘立てに置けるし、大きさも十分なので上着やショルダーバックがあまり濡れなくて済む。傘を広げたり閉じたりを繰り返すような状況の時には、断然二つ折りの方が便利である。

ところが先日、風雨が強い日に使ったら、さっそく骨が曲がってしまった。しかも骨の関節部分の止め金具がはずれてなくなってしまった。まだ2回しか使っていないのに捨てるのはもったいない。問題はその金具をどうするかだ。ホームセンターで止め金具として使えそうな物を探したら、径1ミリ以下の釘があったけれども、400本単位で売られていて、そんなに買っても困ってしまう。結局、家にあったカラー針金の切れ端を使ってみることにした。曲がった骨を小型のラジオペンチで整形し、カラー針金を通して2、3回巻きつけた。果たしてこれで大丈夫だろうか。その後、2回、雨の日に使ってみたところ、問題なく機能している。

何でも使い捨て・壊れたら新品を買う時代だけれども、森田正馬先生の言われた「物の性(しょう)を尽くす」・・・その物の価値を最大限発揮させるようにする・・・は大切なことだと思う。そこに神経質を活かす場があるのだ。そして、さらに「己の性を尽くす」「人の性を尽くす」に発展していくのである。

2012年5月21日 (月)

神経質礼賛 787.今朝の天気は?

 今朝はいつもより少し早く目が覚めた。まるで遠足の日の小学生である。5時半には曇っていたのが、いつも通り家を出る6時40分には雲の間から時々日がさすようになった。これはちょっと期待できそうである。列車に乗ると、日が当たる席の人が窓越しにカメラを向けている。しかし列車が東に向かうにつれ、だんだん雲が厚くなる。駅で降りて東の空が望める駅前広場の交番脇に行った。ここは立番の警官がいて安心だし、近くに街路樹があって木漏れ日がどうなるかを観察するのにも好適なスポットだ。しかし、空は暗く、駅近くの街灯が自動点灯している。通勤途中のサラリーマンやOLさんたちも同じ場所に集まってきたが、とうとう金環日食の時間帯に晴れ間がのぞくことはなかった。みんなでちょっとがっかりする。職員送迎車が病院に向かう途中では雨が降っていた。

 病院に着いて、早くから出勤してきた人に聞いたら、雲の切れ間から薄く見えたとのことだった。昨夜当直勤務だったU先生も金環日食をカメラに収めたというので見せてもらうと、雲の向こうに光るリングを見事にとらえていた。駅と病院の間のわずか5、6kmほどの違いで、見えたり見えなかったりしたのだ。

 お天気ばかりはどうにも仕方ない。見ることはできなかったけれども、太陽・月が一直線に並んだ金環パワーをいただけたと思うことにしよう。ものは考えようである。こころに○が残ればそれでよい。

 なお、読売新聞5月16日付夕刊1面に「日食めがね 捨てないで」という記事があった。来月6月6日、太陽の前を金星が横切るのが観察できるそうである。東京の場合、午前1029分を中心に、午前710分頃から午後1時47分頃にかけて、向かって左上から右へ金星が太陽の前を横切っていくため、太陽に「ほくろ」が見えるのだそうだ。雨が多い時期なので難しいかもしれないが、期待してみよう。

2012年5月18日 (金)

神経質礼賛 786.風薫る

 5月の連休明けから、やっとマスクをはずした。インフルエンザ対策、そして花粉対策のため、外出時はいつもマスクを付けていた。それがなくなったら身も心も軽くなったような気がする。通勤列車の車窓から見える茶畑は鮮やかなライトグリーンに輝いている。街を歩けば製茶所から爽やかな新茶の匂いが漂ってくる。街路樹の緑も美しい。こんな中、天気の良い日は、つい、五月(さつき)晴れと言いたくなるが、5月には五月晴れと言ってはいけないのだそうである。本来、6月(旧暦の五月)の梅雨の合間の晴天のことを五月晴れと呼ぶのである。この誤用はTVアナウンサーにもみられる。神経質としては気を付けたい。

 5月の時候の挨拶に使われる言葉に「薫風の候」というものがある。そよ風が運んでくれるすがすがしい新緑の香りを連想させる実にいい言葉である。この言葉を私に教えてくれたのは中学の時の担任の先生である。理科の先生だったが、文学歴史にも造詣が深く、生徒たちからは本名の植松先生ではなく「植麻呂」と呼ばれていた。植麻呂先生はのちに中学校長を歴任された後、教育長になられた。「風薫る5月が一番好きです」と言われたのがつい昨日のようにも思える。

 最近のニュースで気になったことがある。ツバメの数が減っている、というものだ。そういえば街中ではほとんど見かけなくなった。大規模な調査が行われている石川県ではツバメの数は40年前の3分の1に減少したとのことである。森林や農地が減ってエサが減ったこと、住宅の壁が巣作りしにくい素材になってきたこと、天敵のカラスが増加していることが原因なのだそうだ。ツバメが住みにくい環境になったというわけだ。古くから日本人の生活と密接に関わってきたツバメがいなくなってしまうのは何とも寂しい。勤務先の病院は鉄骨建築にもかかわらずツバメが巣を作っていて、毎年この季節はツバメの親子たちで賑わう。直接外壁に巣を作るのは難しいとみえて、換気扇の吹出し口を覆うフードの上や照明器具の横を利用して巧みに巣作りしてある。ツバメも生きていくために創意工夫しているのだ。病院は山の中腹にあるので自然が残っているし、カラスも少なくて安全である。ヒナたちにせっせとエサを運ぶ親ツバメ、そして口を大きく開けてエサをねだるヒナを見ていると、こちらも元気をもらえる気がする。森田正馬先生の「純な心」「生の欲望」という言葉を思い浮かべる。

2012年5月14日 (月)

神経質礼賛 785.金環食と日食グラス

 ちょうど一週間後5月21日(月)朝には東京をはじめとする関東~東海~近畿南部~四国・九州南部で金環食が観察できる。TVのニュースや新聞などで話題になっていて、御存知の方も多いことと思う。一昨日、近くの東急ハンズに行ったら、399円の紙製の日食グラスが並んでいた。昨日の午前中に行ってみると、すでに完売となっていた。よく行くホームセンターのチラシにも日食グラス686円とあったが、行ってみたらすでに売り切れていた。次の本格的な日食は203592日の皆既日食(能登半島~茨城県を結ぶラインで観察可能)なのだそうで、私には今回がラストチャンスのように思える。

 自宅には若い頃使っていた天体望遠鏡の接眼レンズに取り付ける太陽観察用のサングラスがあったはずだが、いくら探しても見つからなかった。こうなったら自作するしかない。私が小学生の時には日食を見るためにプレパラートにロウソクの炎で黒いススを付けたものを使ったり、黒い下敷きを使ったりした。しかし、これでは遮光が不十分で網膜を痛めるおそれがある。カラーネガフィルムもいけない。市販品の日食グラスにも危険なものがある、と新聞にあった。家の中の蛍光灯がハッキリ見えるようではダメなのだそうだ。試しに真黒く感光したカラーネガフィルム(古い一眼レフで撮影したフィルムには真黒い端の部分がある)を探し出した。そのままでは明るすぎて不十分ながら、2枚重ねてみると、ちょうど良い具合である。蛍光灯がボンヤリ見える程度にまで暗くなる。3枚重ねると暗くなりすぎて使い物にならない。そこで、学会発表のスライドで余ったワクに真黒ネガフィルム2枚を重ねて挟み込んで日食グラスの完成である。調子づいて同様の物を6枚も作ってしまった。実際にこれを使って太陽を見てみた。白黒でなくカラーネガフィルムのため茶色っぽく見える。長時間でなければ大丈夫そうである。本番では念のため濃いサングラスをかけた上でこのフィルターを通して観察してみようと思う。文字通り製作費ゼロ円の神経質製日食グラスである(これで絶対に安全だという保証はありませんので、同様の物を使われる場合自己責任でお願いします)。

 当日、金環食となる朝7時半頃は、駅を降りて病院へ向かう職員送迎車を待つ時間であるから、駅前の広場で見られるはずである。交番近くの安全な場所で見るようにしよう。後は好天を祈るばかりである。

2012年5月11日 (金)

神経質礼賛 784.メンタルヘルス検査義務化の愚

 5月3日毎日新聞第1面に『検査義務化「拙速だ」 メンタルヘルス 専門家から批判』という見出しの記事があった。厚生労働省が自殺・うつ病対策のためにメンタルヘルス検査を職場で行うことを義務化しようとしているが、この検査は科学的根拠が薄く、一人当たり350円の検査を3000万人の労働者に行えば、105億円の金がかかる。ストレスが高い人を早期発見するのが目的だというが、専門家たちからは「ストレスが高い人が必ずしもうつ病のリスクが高いとは限らない」「効果が実証されないのに費用を投じるのは無駄」「検査の結果、機械的に精神科受診を勧められたら医療機関が混乱する」といった批判が上がっている。例の腹囲を測定する「メタボ検診」の二の舞というわけだ。さらに新聞第3面には厚生労働省の官僚たちが強引に法制化しようとするウラ事情が載っていた。産業医や保健師が参加している日本産業衛生学会のホームページに、この検査の義務化に反対する意見が掲載されたのだが、厚生労働省から圧力がかかって、反対の文字は消えたという。法改正で「実績」をあげ、利益を得ようとする官僚たちの暗躍があるのだそうだ。何のことはない、国民のためではなく官僚たちのための法改正である。都合の悪い言論を封殺するようでは近隣某国と大差ない。

 ちなみに、この検査は9項目からなり、最近の1カ月、

①ひどく疲れた

②へとへとだ

③だるい

④気がはりつめている

⑤不安だ

⑥落ち着かない 

⑦ゆううつだ

⑧何をするのも面倒だ

⑨気分が晴れない

という質問に対して、ほとんどなかった(1点)、ときどきあった(2点)、しばしばあった(3点)、ほとんどいつもあった(4点)を選択させ、合計点で判定するというものだそうである。神経質な人だと不調を強く感じやすく、スコアが高くなる可能性がある。

 この質問紙には見覚えがある。以前、私は国のある機関のメンタルヘルス相談を委嘱されたことがあって、この種の質問紙で点数が高い職員が相談対象となっていたが、こういう質問紙の点数で抽出することに意味があるのか、と疑問に思っていた。疲労感や抑うつ感を押し殺して無理に働いている人の方が本当は危ないのではなかろうかと。

 

 今週の月曜日、連休明けの外来は多くの新患の方たちで大変混雑した。その中には、ここ3カ月間全く休みがなく連休も出勤しなければならず、ついにダウンした、という人がいた。まだ子供さんは小さく普通の会社ならば休日に加えて育児休暇も取れるはずなのだが、毎日帰宅が遅く普通の休日すら休めないのではおかしくなって当然である。この人が働いている会社は世間的には優良企業と思われているが、過重労働や職場内のパワーハラスメントのために具合が悪くなって受診する社員が多い企業である。意地の悪い言い方をすれば、「適応障害」や「うつ病」社員を効率よく大量生産する企業ということになろう。残念なことに、成果主義・人件費削減の旗印のもと、最近はこうした企業が増えている印象がある。さらには、社員予備軍、就活学生さんたちの消耗も激しい。5月8日付読売新聞夕刊には「就活失敗し自殺 急増 10-20歳代 4年で2.5倍に」という見出しの記事が載っていた。メンタルヘルス検査義務化よりも、もっと厚生労働省がやらなくてはならないことがあるはずだ。

2012年5月 7日 (月)

神経質礼賛 783.運と不運

 6年前に出た本だが、将棋の米長邦雄さんが書いた『不運のすすめ』(角川書店)という本を読んだ。米長さんといえば一昔前、中原誠名人とトップの座を争った棋士であり、中原さんの「自然流」に対して「泥沼流」と呼ばれていた。現在は引退して日本将棋連盟の会長をしている。最近では将棋ソフト「ボンクラーズ」と平手の勝負に敗れて話題となった。概して勝負師は強気の人が多い。例えば加藤一二三(九段)さんはNHK将棋講座の講師をすれば自分が勝った将棋ばかりを例題にして自画自賛していたし、対局中に立ち上がって相手を威圧する盤外戦術(?)も有名である。屋敷伸之(九段)さんのように講座で自分が負けた将棋ばかり例題に出して反省しているような人は例外中の例外だろう。米長さんも強気の発言がしばしば新聞に取り上げられ、神経質人間の私からすれば、正直言ってあまり好きになれない棋士の一人だった。しかしこの本を読んで、米長さんのイメージは少々変わった。米長さんとて人の子。いつも強気のようでも、スランプに悩み、プレッシャーに苦しんでいたのだ。この本の中で米長さんは、「不運」と「幸運」は表裏一体の関係だとし、「幸運」だけでは人生は勝てない、人生はいかに勝つかでなくいかに負けるかである、将棋も人生も勝ったり負けたりで勝ちっぱなし負けっぱなしということはない、勝っても負けても幸福になりうる生き方を追求すべきだと説いている。泥沼流の米長さんが長い勝負師人生の末につかんだのは「負けるが勝ち」(276)ということだったのではないだろうか。

 面白いのは、勝利の女神に好かれ貧乏神を遠ざける勝負の極意は、勝ち続けている時には自分の負け将棋を並べて欠点を直し、スランプに陥って落ち込んでいる時には自分の勝ち将棋を並べて「俺は強いんだ」と納得することなのだそうだ。これなどは、気分変動に悩む人に応用がききそうだ。気分が上がっていると人に干渉して嫌われたりお金を浪費したり余計な仕事を抱え込んだりして後でうつに転じる原因をつくってしまう。そんな時には過去の失敗を思い出してやり過ぎていないかどうかチェックすれば、自然とエンジンブレーキがかかる。気分が落ち込んでいる時には、過去の成功体験を思い出してみる。自分は決してダメなわけではない、と思えてくる。そして、必ず持ち直すだろうという希望が出てくるだろう。

 この本では晩年の過ごし方もテーマになっている。60歳過ぎの男性の悩みの一つはやがてくる死への恐怖、もう一つが定年退職して肩書も収入もなくなった自分に自信をなくすこと、と言われている。米長さんは、定年になったら、それまで大事だと思っていた学歴・地位・収入・仕事の実績・プライドといった古い物差しを捨て去るようにアドバイスしている。これは他人事ではない。私にもそういう時がやって来る。しかしながら、仕事をやめてすべて捨て去った時にも森田道だけは残るだろう。さんざん対人恐怖や強迫観念に悩んだ御褒美である。これはとても「幸運」なことだと思う。

2012年5月 4日 (金)

神経質礼賛 782.海ぶどう

 時々立ち寄る沖縄ショップ「わした」で買物をしていたら、レジの近くに海ぶどうという海藻が置いてあった。全体が薄い黄緑で、小さな房状の形をしている。100g入りの小さなパックが650円。海ぶどうは今まで食べたことがなかった。昔、那覇の牧志市場でよく見かけたし那覇空港の土産物屋にもあって興味は持っていた。先日、沖縄の食をテーマにしたBSの番組で海ぶどう丼が登場したのを思い出して買ってみることにした。パッケージには「冷蔵庫に入れないで下さい」と書いてある。店員さんも同じことを言っていた。神経質人間ゆえなぜだろうと疑問を持つ。さらに、普通の海藻類は水に浸して塩抜きして食べるのに、「ザルに入れて軽く水洗いして」という説明書きもなぜだろう、と思う。

 説明の通りザルに入れて軽く水洗いしてから水を切って、ガラスの器に入れるときれいで食べてしまうのがもったいない感じである。一房取って、そのまま食べてみる。口に入れた時にはあまり味はしないが、噛むとプチプチした食感がとても楽しい。そして、じわーと磯の味が口の中に広がる。添付のタレをかけてみる。これもさっぱりした味でなかなかいける。リピーターになってしまいそうだ。

 プチプチの粒の中には海水が蓄えられているのだろう。海ぶどうの味は、美しい沖縄の海の味に他ならない。多分、水に漬けてしまったら浸透圧の関係で塩分が出てしまうとともにプチプチの食感がなくなってしまうのだろう。冷蔵保存も水滴が付いてそういう問題が発生するからではないかと考えた。理屈はともかく、今度は泡盛を片手にあのプチプチを楽しみたいものだ。

2012年5月 2日 (水)

神経質礼賛 781.大型バス事故

 大型連休が始まったばかり先月29日の早朝、関越自動車道で夜行の大型バスが事故を起こし、金沢から東京都内やディズニーランドへ向かっていた乗客のうち7人が亡くなる大惨事となった。事故の際、ブレーキをかけた痕跡はなく、直接の原因はバスの運転手の居眠り運転である。特に渋滞していたわけでもないのに、わざわざ遠回りのルートを走っていたなど疑問点も残る。運転手の取り調べには中国語通訳が必要だということで、まだ時間がかかりそうである。それと並行してバス会社の管理が適切だったかどうかの調べが行われている。民放のニュースでは会社側がコストを下げるために安全をおろそかにしていた実態を報道している。

 最近、居眠り運転の車が登校中の小学生の列に突っ込むという大事故が続いていた。ニュースでそういった事故を知れば、神経質な人は自分が事故の現場に居合わせたような恐怖を感じるとともに、「もしも、自分が運転して居眠り事故を起こしたら大変なことになってしまう」と恐れて安全運転に気を付けるところだが、神経質が足りない人には全く他人ごとである。

 今回の事故では防音壁がまるで包丁のようにバスの前面から後部近くまで車体を縦に切り裂いていた。これではいくらシートベルトをしていても乗客は助かるまい。バス車体の軽量化の危険性とともに、防音壁の構造上の問題を指摘する新聞記事もある。今までこういう事故はなかったけれども、心配性の神経質人間が道路を設計していたら、防音壁の端がバスやトラックの前面に当たる事故を想定して、防音壁の端を外側に開いた構造にするとか、ガードレールと防音壁の位置関係を工夫するなどして、大惨事になるのを防げたかもしれない。新聞によれば、全国の道路には同じような構造の箇所が数多くあるという。早急に改善してほしいところである。

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