神経質礼賛 800.体験的理解
一昨日、仕事から帰って天気予報を見ようとTVをかけたらNHKのローカル番組に教育学者の齋藤孝さんが登場していた。齋藤さんはベストセラー『声に出して読みたい日本語』で有名になり現在は明治大学教授となっておられる。番組では、明大で教員志望の人たちを独自の方法で指導する様子が紹介されていた。裸足になって四股を踏むとかお互いにおんぶして歩くとか大きな声で「雨ニモ負ケズ」を読むとか、理屈ではなく体を動かし声に出す教育である。その独自の教育法の原点が齋藤さんの高校時代にある、ということで、県立静岡高校が画面に出た。齋藤さんは高校時代、テニス部で週7日練習していたという。テニスの練習を通じて体で覚えることの大切さを学んだということだ。さらには、漢文の先生との出会いがあった。漢詩を中国語で読み、韻を実感させるということをしていた先生が登場した。音読の大切さを学んだという。この先生には齋藤さん以前に私もお世話になっている。私は理系だったから普通の授業で教わることはなかったが、3年の夏休みに補習をやって下さり、短い時間だったが漢文を基礎からしっかり教えていただき、目からウロコが落ちる思いがしたものだ。
頭で理解しただけの知識では揮発しやすいし、実際の役に立ちにくい。一方、行動を通じて体で理解したものはしっかり定着するし、実際の場面で応用がきく。森田療法もまさにそれであり体験的理解が重要なのである。
私が浜松医大に勤務していた頃、50代の大学教授が入院したことがあった。この人は不安神経症(パニック障害)であり、薬だけでは効果が薄く、森田療法を希望して入院してこられたのだった。大原健士郎教授の著書など、森田療法関係の本を20冊近く読んでおられ、知識は非常に豊富にあったが、どうも行動が伴わない面があった。結果としては軽快退院だったけれども、不安なまま行動していくという姿勢が体にしみ込んでくれたならばもっとよくなっただろうに、と思ったものだ。
神経質人間は理屈好きで頭でっかちになりやすい。しかし「あるがまま」を呪文のように唱えたところで行動しなければ何の役にも立たない。森田正馬先生の甥で養子となり三島森田病院を創立した森田秀俊先生は、「理屈はいらない。理屈は君にとって役に立たない」「理屈ではない。事実を確実に体験するように。理論でいくとむずかしいが、事実は容易である。体験してそれに理論がついてくる」と患者さんたちを指導しておられた。私もしばしば「百の理屈より一つの行動」と言っている。不安を追い払おうとしてもなくならないばかりか、ますます不安は追いかけてくるものだ。不安をなくそうとはからうことが不安を強める悪循環となる。自分の気持ちはいじらずにそのままで行動していくうちにいつしか不安は薄れていく。その要領を体で覚えてしまえばこっちのものである。「症状」に困らなくなるばかりか、神経質を活かして仕事や勉強がはかどっていくのである。
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