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2012年7月30日 (月)

神経質礼賛 810.治すことを忘れれば治る

 統合失調症や気分障害(躁うつ病・うつ病)などの精神科の疾患では患者さん本人に病気だという認識がなく、「自分は病気ではないから」と薬を処方しても飲んでくれないこともあって、治療に難渋することがある。それに対して神経症(不安障害)では、過度に病的なところを探し出して、必要以上に薬を求める傾向がある。症状を消そうとすること(はからいごと)のためにかえって症状へのとらわれ・こだわりを強めて症状が悪化する、という悪循環に陥ることにもなるのである。


 森田正馬先生は、大人の人格を持った人に起こる神経症を(森田)神経質と呼び、神経質は病気ではない、と説いた。そして、のちに森田療法と呼ばれるようになった「特殊療法」「余の療法」を行い、症状はそのままにして苦しくてもやるべきことをやっていくよう指導していた。森田先生のもとで月に
1回、形外会という集まりがあって、入院経験のある人ばかりでなく外来診察を受けた人や雑誌『神経質』の読者も参加した。その場で森田先生は次のように述べている。


 ここでは、なるべく話が脱線したほうがよい。話があまり病気の治療に拘泥しないほうがよい。皆様が病気が治るに、最も必要な条件は、病気を治す事を忘れる事である。ここでは例えば、人生と神経質とかいう題目の心持で話した方が面白い。自分の病気の治し方ばかり聞こうとしていると、かえって病気は治らなくなるのである。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 
p.203


『神経症の時代-わが内なる森田正馬』の著者・渡辺利夫さんは、精神分析の治癒が「無意識の意識化」であるのに対比して森田療法の治癒は「意識の無意識化」であると表現されている。病気であることを忘れる、治すことを忘れる、というのが森田療法の「治る」である。

  昨今は精神科の敷居が低くなった反面、安易な薬物療法により常用量依存の人を作り出しているという批判がある。大人の人格を持った人の神経症については薬は最小限にして「病気ではない」とする森田療法的アプローチがもっと広く行われても良いのではないかと思う。医療費削減にも役立つはずである。

2012年7月27日 (金)

神経質礼賛 809.ヴィックスドロップ

 恥ずかしい話だが、先週、風邪をひいてしまった。このところイソジンガーグルでのうがいを怠って油断していた。今回は風邪といってもいつものパターン、水様鼻汁→咽頭痛・発熱→咳というコースは異なり、もっぱら咽頭痛と嗄声が主症状だった。しかも長引いた。声が出にくいというのは商売柄、非常に困る。通常の風邪薬と抗生剤は効果がなく、結局は自然経過を待つしかなかった。のどの症状を和らげるためにヴィックスドロップを買ってみた。

 これを買うのは20年ぶりくらいだろうか。製造販売は大正製薬に変わっていた。120個入り。味はかつてのレギュラー、オレンジ、レモン味に加えて、チェリー、ウメがあり、さらにノンシュガーのグレープフルーツ味もある。以前はドロップが一袋に入っていたのが、5個ずつ薄く細長い4本のパッケージに小分けされていて便利になっていた。ただし、たまたま私が買ったものは粒が割れて粉々になっていたパッケージがあった。機械的強度には少々問題ありだ。それに夏場はベトベトして取り出しにくい。いっそ、明治のヨーグレットという菓子のように薬のシート状に個別包装にすればさらに使いやすいだろう。神経質の目から見るともう一工夫してほしいところだ。

 このヴィックスメディケイテッドドロップの有効成分は箱の記載によれば、のどをスッキリさせるl-メントールと消毒剤のセチルピリジニウム塩化物水和物である。電車の中でも使ってください、ということなのか、駅の売店でもさらに小さいパッケージで売られているそうである。うがいができない状況でのどの消毒を図るのには便利だ。


 ヴィックスドロップ以上に昔から日本で売られているのど飴に、浅田飴がある。この飴には消毒成分はなく、漢方薬でおなじみの、キキョウ根エキス、トコネキス、マオウエキス、ニンジンエキスが有効成分である。つまり咳止めとしての働きが主である。


 いずれにせよ、風邪は予防と早めの手当てが大切である。神経質を忘れてはいけない。ようやく声も元に戻り、ほっとしている。

2012年7月23日 (月)

神経質礼賛 808.退屈は充電完了のサイン

 精神科病院の病棟には、何もせずに一日を過ごしている患者さんがいる。作業療法や病棟レクリエーションへの参加を勧めても乗ってこない。そのままにしていたら入浴・洗髪もしない、着替えもしない、歯みがきや洗面もしない、髭は剃らず散髪も嫌がる、といった具合であるから、日常生活全般にわたり援助が必要である。こういう人に「何もしなくて退屈しませんか?」「やってみたいことはないですか?」と聞くと、即座に「退屈しません」「別にやりたいことはありません」という答えが返ってくる。精神病の薬は年々良いものが開発されているけれども、薬だけでこういった無為自閉状態を改善するのは極めて困難であり、スタッフの根気強い働きかけで、ようやく入浴してくれた、とか自分で洗髪してくれた、といったところである。それに対して同じ病気の人でも「退屈です」と答えてくれる人は見込みがある。入院している人ならば作業療法を勧めやすいし、外来患者さんの場合は気に入ったプログラムだけでもいいからデイケアに出てみましょう、と勧めると乗ってくれることが少なくないので、それを突破口に治療が進んでいく。


 神経症の治療法である入院森田療法では入院後すぐに絶対臥褥が行われる。期間は通常
1週間。娯楽や面会は禁止され、何もしないでひたすら寝続けるのである。典型的には安静期→煩悶期→退屈期という経過をたどる。生の欲望が強い神経症の人の場合は十分にエネルギーがあるわけで、何もしないで寝ているのは苦痛になってくる。退屈を感じて何かをしたいという欲求が強まる。そこで絶対臥褥後には円滑に作業期に入っていける。うつの人が絶対臥褥をすると、安静期のままで1週間が過ぎることが多い。まだエネルギーが十分ではないということなのだ。

 退屈だなあと感じる時は充電完了のサインである。それ以上休養していては「保養と怠惰は、似て非なるものなり」であり、かえって体も頭も使わなければなまってしまう。おっくうだなあ、面倒だなあと思いながらも、身近なところでやることを探して手を付けてみれば、やっているうちに気分も引き立ってくることになる。退屈を感じたら一歩踏み出してみることである。

2012年7月20日 (金)

神経質礼賛 807.人前で緊張しないお茶?

 昨日、帰宅して(毎日新聞)夕刊を広げた。最後のTV番組欄が載っているページ3分の2を占める見慣れない宣伝があって思わず読んでしまった。「人前で緊張しない人になりたい!!」「アスリートを考えたお茶が今、注目されている」という見出しがあり、フリーライターが書いた「なぜ、日本人は緊張しやすいか??」というコラム風の文章もある。

 書いてあることは、露骨に薬効をうたったものではないし、よくあるような怪しげな医師の推薦文はないから、この種の広告にしては、まあまともだと言えよう。成分は南インドの紅茶ニルギリをベースにディル、カルダモン、マンネンロウ(ローズマリー)高麗人参、イチョウ葉エキスといったハーブ・生薬類、さらには乳酸菌が入っているようなことが書いてある。いわば寄せ集めの健康食品ということになるだろう。価格は30日分5250円なのだそうだ。全国紙の夕刊にこれだけ大きな広告を出すのには数百万円単位の費用がかかるはずで、それだけ需要を見込んでのことだろう。


 緊張しない人はいない。日本では「あがり症」を自覚している人が2人に1人いる、という説もある(
411話)が、実際はそこまでいかず、人前を強く意識して苦手としている人は1-2割だろうと私は推測している。たとえ、プロのスポーツ選手でも俳優さんでも大歌手でも本番前は緊張している。しかし、緊張が足りない時にはかえって大失敗をしやすい、という話もある。緊張は自然な心身の準備状態なのである。そして一時的にあがることもあるだろうけれども、体を動かしたり、声を出したりしているうちに、普段の自分を取り戻して実力を発揮しているのである。


 かくいう私はこの歳になっても人前では緊張し、赤面し、あがる。けれども緊張やあがりがずっと続くわけではなく、そのまま仕方なしにやっているうちにいつの間にか普段の自分に戻っている。今のままで十分だ。神経質で良い。人前で緊張することなく無神経な放言をする政治家のようになっては困る。広告の「人前で緊張しないお茶」は私には不要である。

2012年7月16日 (月)

神経質礼賛 806.蓮

 通勤途中、上り電車の左側車窓から、すぐ近くに一瞬お寺が見える。そして、何年か前から境内に蓮が植えてあることに気付いた。お寺の看板からは蓮興寺と読める。先日TVのローカルニュースでこのお寺が紹介された。蓮を見る会が催され、蓮茶などがふるまわれたとのことだ。お寺のホームページによれば10年ほど前に檀家の女性が蓮の種を持ってきたのが始まりだったそうだ。その後、住職さんが蓮を栽培している人からいろいろと教えてもらって増やしていき、今では立派に育ち観蓮会が開けるまでになったという。お寺の名前の通りで大変結構なことである。


 蓮の花は7月を代表する花の一つである。朝から昼までの間しか咲かないので、寝坊の方には縁が薄いかもしれない。蓮の花のある池辺は夏の朝の爽やか散歩コースに最適である。蓮の種は東南アジアでは食用とされている。そして地下茎から例のレンコンが取れる。レンコンは「先が見通せる」というところから縁起物として正月のおせち料理には欠かせないものだ。


 先の心配をする神経質人間は、先を見通す力は優れているけれども、どうかすると同じ心配で無限ループに陥ってしまうことがある。また、心配がどんどん枝分かれしてレンコンのようにスッキリいかないこともある。転ばぬ先の杖で最悪の事態をカバーしながらも、心配はそのままにして、とりあえずは今日一日、また今日一日、と目の前の仕事をこなしていけばそれでよい。その積み重ねが実績となっていく。

2012年7月13日 (金)

神経質礼賛 805.コバエ

 この季節、ゴミに発生して厄介なのがコバエである。コバエの代表格がショウジョウバエである。その名前は理科(生物)の教科書には遺伝子のところに必ず載っているから、聞き覚えのある方も多いだろう。体長3mm程度で寿命は1カ月程度。一匹が数百個の卵を産み、古くから遺伝子の研究には好都合だった。自然界では熟した果物・樹液、またそこで発生する天然酵母をエサにしているとのことである。糞便や腐敗動物との接触はなく、病原体を媒介するおそれは少ないので、不快害虫の位置づけである。

密閉したつもりのポリエチレン製のゴミ袋の中でも発生する。わが家では、妻が無農薬や有機農法の野菜や果物をよく買っているため、その捨てた部分から発生しているものと思われる。ホームセンターやドラッグストアへ行くと、ゴミ箱の内側に貼付してコバエ発生を防ぐ防虫剤が売られているが、結構な値段である。


 このところ、勤務先でもコバエの発生に悩まされている。周辺に畑があるような立地のため、開いた窓から入り込む。小さいから網戸の網をくぐり抜けて侵入してくるのだ。外来診察中に顔にまとわりつかれると、落ち着いて話ができない。朝とか昼休みに殺虫剤を撒くが、いつのまにか1匹、2匹と入り込んでくる。かといって、バルサンなどの強力な燻煙殺虫剤をたくと、火災報知器が作動して大騒ぎになる。さすがの神経質もコバエには諦めムード。網戸に殺虫剤を吹き付けておくという方法もあるようだが、とりあえずは窓を閉めてガマンである。

 このコバエはショウジョウバエではなく、体長が1-2mmとさらに小さいクロバネキノコバエという種類なのだそうだ。雨の後に畑などの腐葉土に大量発生することがあるという。全国の所々で大量発生しているらしい。広島県内では6月からクロバネキノコバエの大量発生のため小学校の学校給食を中止するような騒ぎになっている地区もあるそうだ。このハエの駆除は困難であるようなことが新聞にも書いてあった。どうやら自然におさまるのを待つしかなさそうだ。

2012年7月 9日 (月)

神経質礼賛 804.並べ癖

 当直が入っていない日曜日の午前中には車でホームセンターへ買出しに出かける。10時開店の5分位前に着けば広い駐車場の中でも店から近く車を出しやすい所に駐車できる。かさばる物や重い物を買った時にラクである。そして、家から持ってきた空き缶や空ペットボトルを回収ボックスに入れ、外の園芸コーナーに並んだ鉢植えを眺めていると、ちょうど開店となる。開店後15分位するとレジが混み始め、だんだんレジ待ち行列が長くなっていく。だから、いつも買う物は事前に決めておき、すばやく行動するに限る。

 レジ打ちの女性にも個性があって面白い。出口に一番近いレジに陣取っているのはちょっとキツそうな人で、とにかく仕事が速い。この人がレジ打ちのエースなのだろう。二番目のレジの人は人が良さそうな太っちょのおばさんで、よく気がきくけれども仕事は遅い。三番目のレジの人は淡々とした感じで仕事はまずまず速い。四番目のレジの人は若い人で全くマイペースである。混んでくると、五番・六番レジも開く。昨日は二番レジの行列が短かったのでそこに並んだ。太っちょのおばさんが汗を拭き拭き奮闘している。私の番になったら、「お客さん、几帳面ですねえ。(カゴの中の商品が)きちんと並んでますねえ。私も見習わなきゃ」と話しかけてきた。別に褒められることではない。単に神経質の並べ癖であり、強迫性の証しかもしれない。もっとも、レジ担当者にとっては、同じ種類の商品ごとにまとめてカゴに入れてあった方が打ちやすいし、精算済み商品を入れるカゴに移すのもやりやすくなるだろうから、多少は人の役に立つ癖ではあるだろう。


 私には子供の頃から並べ癖があった。色鉛筆やクレヨンは自分が決めた順(光のスペクトル順)に並べなければ気がすまなかった。今でもサイフの中は金種順にお金を並べて入れているから、端数の金額がすぐに出せる。洗濯干しハンガーも使った後は同じ種類ごとに並べて掛けておくから、ごっちゃになって絡んでしまうことは少ない。こういう私の性格を知っている院長からは医局の書籍・雑誌類の整理を仰せつかっている。雑誌は年月順に並べないと気が済まないので、順番が変わっているところを見つけると、並び替えている。並び癖も度が過ぎては時間がかかって困ったことになるが、ほどほどであれば、役に立つものである。

2012年7月 6日 (金)

神経質礼賛 803.あせも(汗疹)の季節

 7月に入っても梅雨空の毎日である。この蒸し暑さでは風通しが悪いポリエステル製の白衣を着ているとたまらない。気がついたら一気にあせも(汗疹)ができてしまった。特にベルトの下あたりの部分は風通しが悪くて、よくないようだ。私は若い人のようにワイシャツをズボンの外に出すことができないので、それもよくないのだろう。

汗疹は、汗管が詰まって汗の排出が十分にできないことで発生するものである。あまり軟膏類をベタベタ塗って汗管を塞いでしまっては逆効果になることもあるので、痒みの強いところだけ少量塗るに留めている。シッカロールのようなベビーパウダーの方が効果ありそうだけれども、この歳でベビーパウダーもなあ、と躊躇するし、それをパタパタ付けている自分の姿を想像すると可笑しくなる。

汗疹は毎年恒例の現象なのだが、私の場合、暑くなり始めの7月上旬にできやすく、厳しい暑さが続く8月にはかえって軽快する。やはり、暑い中で生活しているうちに、だんだん体が環境に順応して汗管の流れが良くなるからだろうか。

夏に暑いのは何とも仕方がない。同様に人前で緊張するのも何とも仕方がない。不安も何とも仕方がない。自分ばかりつらいと愚痴をこぼしても始まらない。いずれにしても仕方なしに過ごしていればどうにか慣れてくるのである。

2012年7月 2日 (月)

神経質礼賛 802.生き尽くす

 森田正馬先生は昭和6年(57歳)の3月頃から喘息症状が重篤となり、神経学会での特別講演の予定を中止し、病気の時には弟子の高良武久先生に慈恵医大の講義を代わってもらうことにしていた。それでも9月には久亥夫人とともに茨城を旅行している。筑波山のケーブルカーに乗ったが、その先の山頂までは歩いて行かなければならず、自分は無理だと思い、ここで待っているから、と妻と案内人を頂上に行かせた。しかし、少し歩いては休んで息を整え、また少し歩いては休みを繰り返して結局、頂上に立ったのだった。さらに10月には九州医学会で講演するため、2週間の長旅に出て、熊本、鹿児島、福岡で講演を行っている。この講演旅行に行く途中、京都の三聖病院に立ち寄り、東福寺大方丈で弟子の宇佐玄雄院長や京都三省会会員らとの座談会に参加。さらに翌日、熊本に出発する直前に三聖病院で講話を行った。講話の最後の部分を紹介したい。


(筑波山に登った話に続いて)僕は登れないと断念していた頂上に登ったのです。それがありのままの僕の生命の結果です。僕は死ぬるのはいやである。しかし今は大きなことをいっているが、明日でも死ぬかも知れない状態にある。それで古閑君(古閑義之先生:後に慈恵医大内科教授、聖マリアンナ医大学長)が注射器を持ってついて来ているのである。しかし僕は死ぬまで神経質の研究を続けたい。それがありのままの僕の生命である。

 仏教では、涅槃という事をいうが、涅槃とは、死ぬることである。死ぬるとは生き尽くすということである。あの人は三年たって死んだといえば、三年生きたということになる。よく生きるということは、よく死ぬるということである。いま僕は九州へ立つ前のあわただしい四十分の時間に、諸君に話をしている。あわただしいということも事実であれば、諸君に話をしたいということも事実である。すなわち、こうして話している事が、ありのままの僕の生命である。筑波山で一足一足と下へ向かわずに、上向きに歩いたのと同じ事で、私の生命の目途(もくと)が、私をそちらに向かわせるのであります。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.160


  この講演旅行の途中の日記には「今日、痰に血点アリ、今回の旅行ニ喘息ト血痰トヲ恐レタリシモ幸ニ事ナキヲ得タリ」と書かれている。前年に一人息子の正一郎を結核で亡くしているだけに、自身にひたひたと迫り来る死の予感があったのだと思う。死を恐れながらも「生の欲望」に沿って山登りと同様に一歩一歩前進しようとするのが森田先生の生き様だった。たとえ病苦にさいなまれても、己の性(しょう)を尽くすという姿勢を、身をもって示しておられたのだ。


 どんな人にも死は訪れる。それが5年先か10年先か、それとも今日明日なのかは誰にもわからない。いくら健康であっても、歩道に突っ込んできた暴走車にはねられて命を落とすかもしれないし、通り魔の犠牲になることだってある。死はどうにもならないけれども命がある間はせめて、よりよく生きたいという生の欲望を原動力にして、できることを積み重ねて生き尽くしたいものである。

2012年7月 1日 (日)

神経質礼賛 801.おたのしみ献立

 勤務先の病院では月の下旬に翌月の献立表が発表されて病棟に掲示されるとともに、職員にも回覧されて各自食事注文票を書いて提出する。献立表には1カ月に1回、内容を伏せた「おたのしみ献立」とだけ書かれた昼食がある。これは患者さんたちにとって大きな楽しみになっていて今度は何だろうかと話題になる。そして、その日に勤務する職員にとっても秘かな楽しみである。1食のカロリーは表示されているので、それが唯一のヒントである。概して高カロリーの時は肉系、低カロリーの時は刺身系だろうと想像できる。

今日7月1日(日)の昼食がその「おたのしみ献立」だった。820kcalという数字からは肉系かな、と思われた。まず、御飯はおにぎり3個だった。青豆入り白飯おにぎりが1個、焼きおにぎりが1個。そして、最近ではスーパーから姿を消し幻の食材となったウナギと錦糸卵が載せられ海苔を巻いた豪華版おにぎりが1個だった。副菜はチキンカツ。すまし汁には素麺とカイワレ大根が入っていた。そしてデザートは餡子が乗った白玉団子とスイカだった。夏らしい季節感があり、彩もきれいである。病院食として栄養バランスも取れていることは言うまでもない。

 いつも栄養士さんと調理師さんたちがいろいろ知恵を絞っておたのしみ献立を考えている。何しろ病院食は1食平均300円にも満たない低予算だから大変な苦労のはずである。それでも患者さんたちに喜んでもらいたいという気持ちから、意表を突いたアイデアを捻り出し続けているのだ。


 この、人に喜んでもらおう、という素直な気持ちがとても大切なところで、特に神経質人間は心する必要がある。どうかすると、人から賞賛されたいという自己中心的なところが先に立ってしまうことがあるからである。森田正馬先生の色紙には次のようなものがある。胆に銘じたい。


人に親切と思はれようとすれば

親切の押売りになり

人を悦ばせようとすれば

即ち親切となる

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