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2012年7月 2日 (月)

神経質礼賛 802.生き尽くす

 森田正馬先生は昭和6年(57歳)の3月頃から喘息症状が重篤となり、神経学会での特別講演の予定を中止し、病気の時には弟子の高良武久先生に慈恵医大の講義を代わってもらうことにしていた。それでも9月には久亥夫人とともに茨城を旅行している。筑波山のケーブルカーに乗ったが、その先の山頂までは歩いて行かなければならず、自分は無理だと思い、ここで待っているから、と妻と案内人を頂上に行かせた。しかし、少し歩いては休んで息を整え、また少し歩いては休みを繰り返して結局、頂上に立ったのだった。さらに10月には九州医学会で講演するため、2週間の長旅に出て、熊本、鹿児島、福岡で講演を行っている。この講演旅行に行く途中、京都の三聖病院に立ち寄り、東福寺大方丈で弟子の宇佐玄雄院長や京都三省会会員らとの座談会に参加。さらに翌日、熊本に出発する直前に三聖病院で講話を行った。講話の最後の部分を紹介したい。


(筑波山に登った話に続いて)僕は登れないと断念していた頂上に登ったのです。それがありのままの僕の生命の結果です。僕は死ぬるのはいやである。しかし今は大きなことをいっているが、明日でも死ぬかも知れない状態にある。それで古閑君(古閑義之先生:後に慈恵医大内科教授、聖マリアンナ医大学長)が注射器を持ってついて来ているのである。しかし僕は死ぬまで神経質の研究を続けたい。それがありのままの僕の生命である。

 仏教では、涅槃という事をいうが、涅槃とは、死ぬることである。死ぬるとは生き尽くすということである。あの人は三年たって死んだといえば、三年生きたということになる。よく生きるということは、よく死ぬるということである。いま僕は九州へ立つ前のあわただしい四十分の時間に、諸君に話をしている。あわただしいということも事実であれば、諸君に話をしたいということも事実である。すなわち、こうして話している事が、ありのままの僕の生命である。筑波山で一足一足と下へ向かわずに、上向きに歩いたのと同じ事で、私の生命の目途(もくと)が、私をそちらに向かわせるのであります。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.160


  この講演旅行の途中の日記には「今日、痰に血点アリ、今回の旅行ニ喘息ト血痰トヲ恐レタリシモ幸ニ事ナキヲ得タリ」と書かれている。前年に一人息子の正一郎を結核で亡くしているだけに、自身にひたひたと迫り来る死の予感があったのだと思う。死を恐れながらも「生の欲望」に沿って山登りと同様に一歩一歩前進しようとするのが森田先生の生き様だった。たとえ病苦にさいなまれても、己の性(しょう)を尽くすという姿勢を、身をもって示しておられたのだ。


 どんな人にも死は訪れる。それが5年先か10年先か、それとも今日明日なのかは誰にもわからない。いくら健康であっても、歩道に突っ込んできた暴走車にはねられて命を落とすかもしれないし、通り魔の犠牲になることだってある。死はどうにもならないけれども命がある間はせめて、よりよく生きたいという生の欲望を原動力にして、できることを積み重ねて生き尽くしたいものである。

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