神経質礼賛 820.藤村トヨの教育と森田療法
いささか不謹慎な動機もあって読み始めた『気骨の女』であったが(816・817話)、戦前の高等教育の実情を垣間見ることができた。本の中では、体操音楽学校での生活が架空の学生の目を通して描かれている。
学校は全寮制。朝は5時起床で冷水浴。これは藤村トヨ校長が率先して行っていた。冬は氷の張ったバケツの水で行う。トヨさんは70歳を過ぎてもそれを続けていたという。炊事当番は朝5時以前から作業である。その他種々の当番がある。このあたりは禅寺の修行僧並である。日常生活のいろいろな場面でトヨさんが学生たちに注意を与えて指導していた。森田先生が生活場面で患者に注意を与えて神経質を生かすように指導していたのとよく似ている。日中は講義や実技指導が行われる。森田正馬先生は心理学を教えていたが、講師が足りない時には専門外の科目を教えることもあったし、学生たちと一緒に薙刀の実技に参加することもあったという。さらにダンスの実技は夜に行われていた。鶴見の総持寺へ座禅にいく日もあった。とてもハードな日課であり、同じことをやれ、と言われたら私だったら3日ともたないだろう。
もっとも、トヨさん自身が入学した全寮制の当時の東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大)の日課もかなり厳しかったはずだ。後の明治41年に2番目に創立された奈良の女子高等師範学校(現在の奈良女子大)の日課の記録が本には書かれている。午前4時半起床 6時半朝食 始業7時 昼食12時 終業午後2時 夕食5時 就寝8時20分 消灯8時30分 寄宿舎は一部屋7-8人。手紙の発信には舎監の許可が必要だった。日曜の外出で2時間外出は自由な代りに同行者3人以上が必要。半日外出は舎監の許可を要し、行き先で印をもらって帰る必要があった。
やがて戦後の自由教育の時代になってくるとすべてが一変した。軍隊式の寮生活には学生がついてこなくなり、トヨさんの愛の鞭は学生たちに理解されにくくなっていった。晩年の寂しい思いについても本には書かれている。現在はさらに社会風潮が大きく変化しているが、東京女子体育大学ではトヨさんの建学の精神を伝え、今に生かす努力を続けている。現代の学生にもできるように講堂で椅子に座ったままの座禅が行われているという。
森田療法にも同様なことが言えるかもしれない。もし現代の若者がタイムスリップして昔の森田診療所に入院したとしたら、集団生活の経験がないからプライバシーがない生活には音を上げるだろうし、叱られることに慣れていないから森田先生に注意されたらすぐに自主退院しかねない。
時代に合わせて変化していかざるを得ない面はあるけれども、森田療法原法の良さを伝えて今に生かしていく努力も必要だと思う。
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