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2012年8月31日 (金)

神経質礼賛 820.藤村トヨの教育と森田療法

 いささか不謹慎な動機もあって読み始めた『気骨の女』であったが(816817)、戦前の高等教育の実情を垣間見ることができた。本の中では、体操音楽学校での生活が架空の学生の目を通して描かれている。

 学校は全寮制。朝は5時起床で冷水浴。これは藤村トヨ校長が率先して行っていた。冬は氷の張ったバケツの水で行う。トヨさんは70歳を過ぎてもそれを続けていたという。炊事当番は朝5時以前から作業である。その他種々の当番がある。このあたりは禅寺の修行僧並である。日常生活のいろいろな場面でトヨさんが学生たちに注意を与えて指導していた。森田先生が生活場面で患者に注意を与えて神経質を生かすように指導していたのとよく似ている。日中は講義や実技指導が行われる。森田正馬先生は心理学を教えていたが、講師が足りない時には専門外の科目を教えることもあったし、学生たちと一緒に薙刀の実技に参加することもあったという。さらにダンスの実技は夜に行われていた。鶴見の総持寺へ座禅にいく日もあった。とてもハードな日課であり、同じことをやれ、と言われたら私だったら3日ともたないだろう。

 もっとも、トヨさん自身が入学した全寮制の当時の東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大)の日課もかなり厳しかったはずだ。後の明治41年に2番目に創立された奈良の女子高等師範学校(現在の奈良女子大)の日課の記録が本には書かれている。午前4時半起床 6時半朝食 始業7時 昼食12時 終業午後2時 夕食5時 就寝820分 消灯830分 寄宿舎は一部屋7-8人。手紙の発信には舎監の許可が必要だった。日曜の外出で2時間外出は自由な代りに同行者3人以上が必要。半日外出は舎監の許可を要し、行き先で印をもらって帰る必要があった。

 やがて戦後の自由教育の時代になってくるとすべてが一変した。軍隊式の寮生活には学生がついてこなくなり、トヨさんの愛の鞭は学生たちに理解されにくくなっていった。晩年の寂しい思いについても本には書かれている。現在はさらに社会風潮が大きく変化しているが、東京女子体育大学ではトヨさんの建学の精神を伝え、今に生かす努力を続けている。現代の学生にもできるように講堂で椅子に座ったままの座禅が行われているという。


 
 森田療法にも同様なことが言えるかもしれない。もし現代の若者がタイムスリップして昔の森田診療所に入院したとしたら、集団生活の経験がないからプライバシーがない生活には音を上げるだろうし、叱られることに慣れていないから森田先生に注意されたらすぐに自主退院しかねない。

時代に合わせて変化していかざるを得ない面はあるけれども、森田療法原法の良さを伝えて今に生かしていく努力も必要だと思う。

2012年8月27日 (月)

神経質礼賛 819.俳句

 先日、多可能(たかの)という酒場へ行った。この店に入るのは2度目である。駅前の高層ビル群の谷間に佇む木造の建物。家族経営の店で創業は大正12年という。カウンター奥の木製の屋号看板が長い歴史を物語っている。午後5時にはもう満席である。その割には騒がしくなく、小気味よいオーダーの声が響く。地元でとれる生シラスや桜エビ揚げがおいしい。郷土料理のひとつ黒はんぺんフライもよい。私は野菜のてんぷらが入った揚出し豆腐が気に入っている。飲み物はビールと地酒と焼酎サワー各種。BS-TBS「吉田類の酒場放浪記」で紹介されたのが2004年。その時の〆の一句は「タンブラーに 澱む翠(みどり)や 茶山みゆ」だった。焼酎お茶割から浮かんだ句なのだろう。ふと壁を見上げたら、吉田さんの色紙がかかっていた。今年の日付が入っていたので、よほどこの店が気に入っていて、プライベートで立ち寄ることもあるのだろうか。色紙に書かれた句は「笑ひ酒 トマトころがる ミニのひざ」。この句は実は他の店の放送で詠まれたものだが、酒場で若い女性が笑った拍子にプチトマトが膝の上に転がり落ちる様子が浮かんでくる。つられて笑ってしまいそうだ。タンブラーの句が静ならばこちらは動の句である。


 俳句や川柳ほど短い文学はない。わずか
17文字に世界を凝縮させてしまうのには、鋭い感性と高い言語能力を必要とする。まさに神経質にうってつけである。俳人にも神経質な人が多いのではないかと思っている。『生活の発見』誌の毎年1月号には神経質川柳の特集があるし(743話)、外来患者さんの中には俳句をたしなまれる方もいる。何事もないように思える日常生活の中でも、感性を研ぎ澄ませて見渡せば、俳句や川柳の題材は見つかるものだ。そうして外にアンテナを向けていると、いつの間にか自分の「症状」は忘れているのである。

2012年8月24日 (金)

神経質礼賛 818.白ゴーヤ

 今年も勤務先の病院では森田療法で入院中の患者さんたちが植えてくれた緑のカーテンが大活躍している。道路側に面した玄関先では外来待合室に入る午前中の日差しを和らげ、外来診察室に面した中庭では強烈な西日を遮ってくれるとともに、美しい緑色が涼感を醸し出してくれる。その緑のカーテンにこのところゴーヤの実が成って、連日収穫がある。面白いことに、表側からは実の場所が分かりにくいが、裏側から見るとよくわかる。室内の看護師さんが裏側から見て「ほら、そこにもあるよ」と指差したところの実を、患者さんや職員が高枝はさみを使って切り取っている。

今年は昨年と異なり、普通のゴーヤだけでなく白ゴーヤも植えられている。葉は一見して区別がつかないが、実の色の違いは歴然としている。濃い緑色のゴーヤと並べてみると真白く見える。表面のイボイボも普通のゴーヤは細かくとげとげしているが、今回の白ゴーヤはイボがなだらかで大きめである。緑の葉と色が違うので収穫の際に見つけやすいのはメリットである。


  白ゴーヤは台湾や東南アジアで栽培されている種類だという。栄養面の違いはデータが入手できないが、通常のゴーヤより少々劣るという説と変わらないという説がある。苦みはマイルドで食べやすいという。

その白ゴーヤを私もお裾分けにあずかった。普通のゴーヤと同じように薄切りして水にさらしてから鰹節と醤油をかけて食べてみた。結構苦い。味も食感も普通のゴーヤと変わらないという印象である。あとは色の違いを生かしてどう料理するかである。ネット上には実にいろいろな白ゴーヤ料理のレシピが公開されている。から揚げなんていうのもある。ゴーヤが苦手な人にも食べやすい調理法だと思う。白ゴーヤを麺に見立てて冷やし中華というのもあった。私はチーズ焼き(ピザ風)にしてみた。薄切りして水にさらしたものをアルミホイルの上に敷き詰め、オーブントースターで少し焼く。水分が飛んだら、上に溶けるチーズを乗せて少し焼き色が付く程度に焼いて出来上がり。肴一品といったところだ。いくらでも工夫はあるものだ。

2012年8月20日 (月)

神経質礼賛 817.気骨の女(ひと)藤村トヨ

 前話で述べた藤村トヨ(1876-1955)と森田正馬(1874-1938)には神経症に苦しみ、それを克服した経験を持つ、という共通点がある。そして禅などの東洋思想をバックボーンとし、心身同一論に基づき、それぞれ女子教育、精神医学の分野で独自の道を切り開いた、という点も共通している。寺田和子著『気骨の女』(白揚社)では藤村トヨの一生を追いながら、森田正馬の人生や森田療法もからめて描いている。「りりしく生きた二人の人生に学ぶ自己実現の知恵」と同書の帯に書かれている通りの内容である。


  藤村トヨは明治
9年、香川県の坂出で塩と砂糖を製造販売する商家に生まれた。トヨの母は学問を志したが、女に学問は不要とされた時代であり、何とか娘には学問の道に進んで欲しいと思い、すべてをトヨに賭けたのだった。トヨは神童ぶりを発揮し、その期待に応えていくのだが、旧制中学にあたる学校の途中から不眠・食欲低下に悩み、勉強が手につかなくなった。これには抹茶の摂り過ぎからカフェイン過剰による不眠や食欲低下も一因だが、経済的に困っているのに自分のためにすべてをかけてくれる母親からのプレッシャーが大きな原因だったろう。当時で言うところの神経衰弱すなわち神経症である。学校をやめて小学校の臨時教員となり、明治32年、22歳にして女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大)理科に入学を果たす。当時は女子の唯一の最高学府であり、学費はもちろん生活費まで官費で支給されていたからそこに入学できたことは大変な名誉だった。しかし、2年に進級してから再び勉強に集中できなくなり、ついに「脚気」と診断され休学を余儀なくされる。結局3年で中退して郷里で静養していたが、小学校の連合大運動会に向けて子供たちに体操や遊戯を教えてほしいという依頼があり、子供たちと一緒になって走り踊っているうちにいつの間にか心身ともに健康になっていった。つまり、体を動かして注意が外に向いて行動本位の生活になって、知らぬ間に神経症が治っていたというわけである。その後、廃校寸前だった女子体操音楽学校を引き継ぎ、立て直し、発展させていくことに全身全霊をつぎ込んでいく。

 トヨにも縁談はあったが、トヨが「末弟が大学を卒業するまでは働いて自分の手で教育する。酒とタバコをのむ人には嫁がない」というような厳しい条件を付けたため成立しなかった。26歳頃、その条件を承知した町医者と結婚生活を送ったが、トヨが体操音楽学校を引き継ぐため上京して、この結婚は解消になったという。

  森田先生は体操音楽学校で心理学などの講義をしていて、講義が終わってからテニスやダンスをすることをとても楽しみにしていた。久亥夫人を伴って学校を訪れることもあったし、自宅に学校関係者を招くこともあった。生徒たちにとって、森田先生は講義の時には厳格な先生だったが、普段は温和であり、楽しみの場ではひょうきんな面も見せていた。森田先生は学校から自宅に帰る時に途中まで送ってくれた生徒に、「(藤村校長は)立派な偉い先生で、あんな良い先生について勉強できるなんて幸福者だ、このことをしっかり自覚するんだよ」と語ったという記録が残っている。

 森田先生と藤村トヨさんは同じ完成された神経質同士であり、深く尊敬し合い共鳴し合う間柄だった。この本に描かれたトヨさんは森田先生よりもはるかに生真面目でストイックな人で、近寄り難い部分を持っている。恋愛対象とするにはスキがなさ過ぎる。もちろんトヨさんには健康的で凛とした女性としての魅力があっただろうけれど、森田先生は、女であるとか男であるとかというところを通り越して、素晴らしい一人の人間にぞっこん惚れ込んだということなのだと私は思う。広い意味では愛と言えようが、前話に出てきた恋愛説はちょっと当たらないように思うがどうだろうか。

2012年8月17日 (金)

神経質礼賛 816.森田正馬先生の恋

 神経質人間は何事にも慎重で簡単には動かない。恋愛方面に関してもそれは言える。だからいくら探しても浮いた話は出てこない。世の中が神経質人間だらけだったら、きっと週刊誌ネタが足りなくて困ることだろう。


 森田正馬先生にも、そうしたエピソードは全くなく、親が旧制高校・大学の学費を出す代わりにいとこの久亥さんと結婚するという条件を出したため、学生結婚している。夫婦喧嘩が絶えなかった(森田先生のわがままによるところが大きい)が、久亥夫人はよく夫を理解して助け、久亥夫人の存在なしには森田療法は成立しなかっただろうとさえ言われている。


 そんな森田先生にも初恋はあった。著書『戀愛の心理』の中の「第十二 余の初戀の現象」(白揚社:森田正馬全集第7巻
p.9698)という項で自身の初恋について書かれている。

「余の中学時代の事である。余の下宿からま近い街角の商家に、まだ前髪を切り下げた十五六歳の女があった。余が学校に通ふ途中で、或日其女が門邊に立って居る処をふとかいま見した事がある。突然、心ときめきて、胸かきみだれ、顔の熱くなるのを覚えた。此刹那の感は、余をして世にも類なき美よ、身にかへても得まほしきものよと思はしめた。其容姿は、今にも猶ほ其の昔ありしがまゝを眼前に思ひ浮かべる事が出来る。」

それから2年間というもの、登下校の際に友人と一緒に歩くことを避け、一人で彼女の家の近くを歩き回ってその姿を見ようとし、名文の手紙を書こうとして何度も書いては破りを繰り返したという。その女性に対する実質的なアプローチはなかったようだ。

 他に森田先生の人生に登場する女性といえば、女子体操音楽学校(現在の東京女子体育大学)校長の藤村トヨさんだろう。藤村さんはこの学校を恩師から引き継いだのだが、学校は深刻な経営危機にあって、備品は競売にかけられ、東京府からは廃校命令が出るというような有様だった。この大ピンチを藤村さんは粘り強く切り抜けていく。あちこちの学校で講師をして得たお金を全部つぎ込んだ。同じ女学校で講師のアルバイトをして知り合った森田先生に無給での講師を依頼し、森田先生は快諾された。森田先生は盆暮れに渡された謝礼を全部貯金しておき、藤村さんが留学する際に餞別として持たせた、というエピソードも残っている。森田先生の弟子で『森田正馬評伝』(白揚社)を書いた野村章恒(慈恵医大教授)は同書の中で、「藤村トヨに対する20年余にわたる援助は至上恋愛(プラトニックラブ)と考えられなくもない」と述べている。大原健士郎・大原浩一編著『森田療法』(世界保健通信社)p.34には「秘められた愛」と題して「森田が藤村にどのような感情をもっていたかについて、断定することは困難であるが、野村章恒や田原あや(84話、拙著p.46-47参照)は、やはり恋心を抱いていたようだと述懐している。30歳未満の若くて、健康的で、素直な藤村トヨに、森田が強く心をひかれたとしても、不思議ではない。高良武久は、「色が黒くて、健康的な女性だった。森田先生は晩年健康がすぐれなかったので、健康的な女性に憧れていたのかもしれない」と述べていたことがある」と記されている。

  果たしてどうだったのか、以前からちょっと気になっていた。15年前に発行された寺田和子著『気骨の女(ひと) 森田正馬と女子体操教育に賭けた藤村トヨ』(白揚社)という本を最近入手したのでその答えを探ってみたい。

2012年8月13日 (月)

神経質礼賛 815.転んだ時が起きる時

 毎朝、通勤の際に通りかかるお寺(徳川家康の祖母の菩提寺・華陽院【けよういん】)に掲げてある言葉が久しぶりに変わった。今年になってからはずっと教育家ペスタロッチの言葉「宗教は人間陶冶の根本である」が掲示されていた。今度は「ころんだときが おきるとき」とある。

この言葉は誰が言い出したのかハッキリしないが、「丹下作膳」で有名な大正昭和時代の映画俳優・大河内伝次郎の言葉とされ、京都の太秦映画村には伝次郎が描いた達磨絵があってこの言葉が書き込まれているそうである。


 七転び八起きとはよく言う。実際は八転び七起きなのかも知れない。生きている限り四苦八苦。人生は思うにまかせぬもので、何度もつまづき転ぶことを繰り返す。しかし、いつまでも転んだままではいられない。痛みをこらえ、あえぎながらも、また起き上がる他はない。ダルマさん(起き上がり小法師)は倒しても復元力が働いてすぐに起き上がることができる。人間にだって復元力がある。

  神経質人間は「死の恐怖」が強いから、凹みやすく、ささいなことで倒れやすい。あるいは実際には大したことでもないのに倒れたつもりになって悲観する。起き上がり小法師で言えば、ヤセ型の形をしているようなものだ。ちょっと押すと大きく揺れる。しかし、同時によりよく生きようとする「生の欲望」も人一倍強い。「生の欲望」は「死の恐怖」の裏返しでもある。その「生の欲望」が復元力となってくれるのだ。そして欲張りな神経質は転んでもタダでは起きない。凹むような出来事は次々起こるけれども、やらなければならないことはいくらでもある。「症状」を相手にしているヒマなどない。

2012年8月10日 (金)

神経質礼賛 814.神経質vsアブ

 このところ、寝室の窓は寝る直前まで開けている。網戸を通して少しでも外気を入れようとしているが、夜12時近いというのに室温は29℃から下がらない。窓を閉める際、暗い中、シャッターを下ろそうとしてヒモについた取っ手をつかんだら、一瞬、変な感触があり、次の瞬間、人差し指の付け根をチクリと刺された。あわてて振り払うと何かが飛んで行った。大きなハチだったのだろうか。よくわからないまま台所に直行し、刺された箇所を流水でよく洗う。もう赤くなり膨れはじめていた。急いでステロイド入りのリンデロンVG軟膏を塗って、寝室に戻り、窓を閉め、照明を点けたらビックリ。照明の周りを大きな虫が飛び回り始めた。さっきの虫が戻って部屋に入り込んだのだ。これはハチに違いない、とハチ・アブ用の強力殺虫剤を持ってきて噴射する。時間をおいて2回、3回と噴射したところ床に落ちた。チラシの紙に包んで踏み潰す。紙を広げて見れば、体長約3cmの虫だ。全体が黒っぽくハチのような黄色い部分がないのでアブなのだろう。ハチとアブの区別は結構むずかしい。

 いつも蚊やアブに刺されると腫れやすい体質なので、念のため花粉症の時に服用するザイザルを1錠飲んでおく。神経質に対応しておいた方が安全である。軟膏と内服薬の効果もあって、翌朝には刺された痕は残っていたものの腫れは引いていた。こんなこともあるものだ。

2012年8月 8日 (水)

神経質礼賛 813.ホッチキス

 時々実家に行った時に、自分の物を少しずつ処分するようにしている。どうも物が捨てられない性分でいけない。捨ててしまって後で後悔しないか心配なのだが、10年以上使わなかったものは、完全に不用品なのである。思い切って処分するに限る。中学生の頃に小遣いで買った試験管・ビーカー・フラスコ・アルコールランプなどの実験器具は燃えないゴミの日に出した。工具類や自作の電子機器も一部を残して処分した。未使用部品は何となくまだ捨てきれないでいる。大量の本やノートや資料類も処分を始めている。

資料や文献コピーなどのホッチキスの針は茶色に錆びついて紙にも錆がこびりついている。長い年月の経過を物語っている。昔は何でもホッチキスで綴じていた。小学生の頃から自分のホッチキスを持っていたけれど、針が終わってしまって新しい針をセットした後にケース部分を指で閉じた時に針が出てしまい指に刺さった嫌な記憶がある。神経質なので、同じ失敗をしないように新しい針をセットした時には針ケース部分が開いたままで使う習慣がついた。1回使えば針ケースが閉じる。これなら安全である。

 ホッチキスという名前は、日本に最初に輸入された商品が米国ホッチキス社製だったことに由来する。一般名はステープラーだそうだが、ピンとこない名称である。

 ホッチキスを打つ場所には個性がある。多くの人は左上だが、時に右上の人がいる。左利きで左手で紙をめくる習慣だと、その方が好都合なのだろう。また、針の打ち方も横、ななめ、縦とある。私はたいてい書類の左上に縦に打つ。そうすれば、書類に二つ孔をあけてファイルに綴じた際にホッチキスが邪魔にならず広げやすいからである。

 最近は青や紫などのカラー針を見かける。また、針を使わないで綴じるタイプもある。時代とともにホッチキスも変わってきている。

2012年8月 6日 (月)

神経質礼賛 812.年報

 平成23年度の病院の年報ができて1冊いただいた。平成19年度から作られるようになったのでこれで5冊目になる。ページ数は50ページほどで他の病院の年報に比べると薄い。そして硬い統計資料だけでなく、月1回の「お楽しみ献立」の写真が載っていたりして楽しいページもある。今回の表紙は病院玄関の緑のカーテンができていく過程の写真が並んでいる。


 大原健士郎先生が教授だった頃の浜松医大精神科では「教室年報」が毎年発行されていた。教室人事、教室員名簿、入院外来統計、専門外来の状況、業績(論文・著書・講演・学会発表など)などが載せられていた。この年報の原稿集めと校正作業は結構大変で、大学勤務の医師たちが手分けしてやっていた。特筆すべきことは、教授以下教室員のエッセイが掲載されていることだった。毎年、原稿用紙2枚程度のエッセイを書かなくてはならないので、それを苦手とする医師は何とか出さずにごまかそうと苦労していた。これも森田療法的な医局員教育のひとつだったのだと思う。なぜエッセイを書かせるかということについて、最終の教室年報第18号巻頭に大原先生が次のように書かれている。

 エッセイに関して言えば、これは記念撮影のようなものである。その時、その場所で自分が最も感動したことをエッセイをかりて表現すると良いと思う。感動のないところに進歩はない。人間は年をとると成長するというものではない。森田正馬先生は「私はいままで退屈したことはない」とのべているし、すべてのことに感心を抱き続けたことでも有名である。馬齢を重ねるだけの人には、恐らくエッセイは書けないであろう。精神科医は文章を大事にしなければならない。美辞麗句は必要ではない。いつも「純な」気持で文章をしたためるべきである。それは他人を感動させるものでなくても、少なくとも自分の思い出にはなるものである。私は最近、良い人生とは恐らく、良い思い出の積み重ねではないかと思うようになった。(浜松医科大学教室年報第18号より)

  大原先生はある時、「おい、お前のエッセイ、無断盗用したからな」と笑いながら御著書を下さった。読んでみると、大原先生の美しい文章の中に、身に覚えがある文が混ざっているところがあった。粋な先生だった。こうしてまがりなりにも、ブログに毎月10話、エッセイ風の文章を書いているのも大原先生の森田療法的教育のおかげである。

2012年8月 3日 (金)

神経質礼賛 811.そうめん

 全国的に厳しい暑さが続いている。あちこちで35℃以上の猛暑日を記録している。アスファルトとコンクリートに囲まれた街中は、それらの蓄熱とクーラーの排熱もあって、観測所のデータ以上に暑い。こう暑いと、どうしても食欲が落ちる。あっさり・ひんやりのそうめんが無性に食べたくなる。外来患者さんにも、そうめんばかり食べています、という人がいる。栄養面で考えるとそうめんには一品添えたいところである。


 この前の日曜日、病院の昼食は新メニュー「なすと豚のおろしそうめん」だった。そうめんの上に、素揚げしたナス、茹でた豚肉、大根おろし、に加えて赤ピーマンときゅうりを刻んだものが乗っていて彩あざやかで見た目にも良い。消化が良く栄養バランスも取れていて夏バテ気味の体にとってもやさしいスグレ物である。この新メニューには五つ星をあげたい。


 そうめんで思い出すのがかつて沖縄の酒場で食べたソーミンチャンプルーである。私が食べたのは肉・野菜が入ってあっさりしたソース系の味だった。いくらでも食べたくなる味だった。沖縄ショップでソーミンチャンプルーの麺とタレ、そしてポーク缶を買って作ってみても、どうもあの味が出せない。


 流しそうめんは夏の風物詩である。竹筒で作られた樋をそうめんが流れる様子は涼しげでよい。しかし、神経質過ぎると言われるかもしれないが、多くの人が箸をつけるとなると衛生面ではちょっと問題ありだ。TVのニュースで何十メートルもある樋の両脇に大勢の子供たちが並んで流しそうめんを食べる様子を見ると、大丈夫だろうかと気になる。手間と時間がかかってめんどうでも、一人ずつ交代で食べるようにすれば衛生的である。別の取り箸を使うとか茶こしのようなもので麺をキャッチする方法も考えられる。一工夫ほしい。


 蛇足ながら、「そうめん」と「ひやむぎ」の違いは何だろうと疑問に思ったことがある。ある人から太さの違いだと聞いた。実際のところ、直径1.3mm未満がそうめん、1.3mm以上1.7mm未満がひやむぎ、1.7mm以上がうどんと定義されているようだ。

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