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2012年8月 6日 (月)

神経質礼賛 812.年報

 平成23年度の病院の年報ができて1冊いただいた。平成19年度から作られるようになったのでこれで5冊目になる。ページ数は50ページほどで他の病院の年報に比べると薄い。そして硬い統計資料だけでなく、月1回の「お楽しみ献立」の写真が載っていたりして楽しいページもある。今回の表紙は病院玄関の緑のカーテンができていく過程の写真が並んでいる。


 大原健士郎先生が教授だった頃の浜松医大精神科では「教室年報」が毎年発行されていた。教室人事、教室員名簿、入院外来統計、専門外来の状況、業績(論文・著書・講演・学会発表など)などが載せられていた。この年報の原稿集めと校正作業は結構大変で、大学勤務の医師たちが手分けしてやっていた。特筆すべきことは、教授以下教室員のエッセイが掲載されていることだった。毎年、原稿用紙2枚程度のエッセイを書かなくてはならないので、それを苦手とする医師は何とか出さずにごまかそうと苦労していた。これも森田療法的な医局員教育のひとつだったのだと思う。なぜエッセイを書かせるかということについて、最終の教室年報第18号巻頭に大原先生が次のように書かれている。

 エッセイに関して言えば、これは記念撮影のようなものである。その時、その場所で自分が最も感動したことをエッセイをかりて表現すると良いと思う。感動のないところに進歩はない。人間は年をとると成長するというものではない。森田正馬先生は「私はいままで退屈したことはない」とのべているし、すべてのことに感心を抱き続けたことでも有名である。馬齢を重ねるだけの人には、恐らくエッセイは書けないであろう。精神科医は文章を大事にしなければならない。美辞麗句は必要ではない。いつも「純な」気持で文章をしたためるべきである。それは他人を感動させるものでなくても、少なくとも自分の思い出にはなるものである。私は最近、良い人生とは恐らく、良い思い出の積み重ねではないかと思うようになった。(浜松医科大学教室年報第18号より)

  大原先生はある時、「おい、お前のエッセイ、無断盗用したからな」と笑いながら御著書を下さった。読んでみると、大原先生の美しい文章の中に、身に覚えがある文が混ざっているところがあった。粋な先生だった。こうしてまがりなりにも、ブログに毎月10話、エッセイ風の文章を書いているのも大原先生の森田療法的教育のおかげである。

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コメント

 先生、こんばんは。

 先生は本当に大原健士郎先生を敬愛されておられるのですね。私がかつて診て頂いていた先生もそういう方でした。その先生は話題が豊富で、直接症状を治療するというよりもちょっと離れたお話をいろいろして下さいましたが、森田先生に対する畏敬の念と、ご自分が所属されていた医局の教授への敬愛の念が言葉の端々にこめられていました。お医者様がお医者様を尊敬するって、とてもステキだと思っていました。

 「純な」気持ちで文章をしたためる~意外にむずかしいかもしれません。が、貴いことですよね。メール時代のいま、私もけっこう文章は書いていますが、大原先生の教えを大事にしたいと思います。

anxiety様

 コメントいただきありがとうございます。

 大原先生は人情家でもあり怖いカミナリ親父でもありました。同じ高知出身の森田正馬先生とも共通点があったと思います。土佐の人の気質なのかもしれません。

 anxiety様が診ていただいた先生が症状とはちょっと離れた話をしておられたのは、自然に「症状は不問」ということを示しておられたのだと思います。すばらしい先生に診ていただいたのですね。

 「純な気持ち」で文章を書くという点では、私もまだまだです。

 おっと、本文を見たら誤字がありました。「すべてのことに感心を抱き続けた」は感心しませんね。「関心」の変換ミスです。神経質が足りなくてどうもすみません。

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