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2012年9月24日 (月)

神経質礼賛 829.確認行為

 当直の夜、ようやく眠ったところに病棟からのコールがあって飛び起きる。注射の指示を出したが、その注射薬は病棟ストックにありません、と再度コールがあって、注射薬のアンプルを薬局へ取りに行き、病棟へ持っていく。さて、当直室に帰ろうとして、眠い状態でうっかり薬局の照明を消し忘れてはいないかと気になった。心配なので確認に行くと消し忘れはなかった。当直室に戻る途中、今度は薬局の注射薬の引き出しを出しっぱなしにしてはいなかったか、と気になる。しかし、私が普段から引き出しを出しっぱなしにすることはありえないし、こんなことで確認していたらまずい、それこそ強迫神経症(強迫性障害)になってしまうと思い、そのまま当直室に帰った。


 
 確認は失敗を未然に防ぎ、私たちの生活を安全にするのにとても役立っている。しかしながら、1回の確認では安心できずに2回、3回と確認するようになってしまうと、確認回数は際限なく増えていくことになる。確認が次の確認を呼ぶという悪循環を招くのだ。ついには確認行為のために生活に支障をきたすようになる。こうなると、確認は失敗を防ぎ生活を安全にするという本来の目的からはずれて、儀式化し、一時的な安心感を得るがための気晴らし行為すなわち「はからいごと」になってしまう。さらには家族を巻き込んで家族に確認行為の手伝いをさせるようになっては難治となる。確認してとりあえず安心を得たい、という気分はあっても、繰り返しの確認は無意味なばかりかさらなる確認欲求を招くだけであるのだから、目的本位にやるべき行動を優先してやっていくことが悪循環から脱却する解決法である。現在は強迫性障害に対してSSRIによる薬物療法が盛んに行われている。確かに薬は不安感を軽減してくれるけれども、それだけで治るものではない。確認行為はガマンして、目的本位に行動していくという本人の努力が必要不可欠なのである。

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