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2012年10月29日 (月)

神経質礼賛 840.東京スカイツリー

 先週は、日帰りの職員旅行があって、浅草と東京スカイツリーに行ってきた。以前にも浅草→水上バス→お台場というような日帰りコースがあったが、今回の目玉は何と言ってもスカイツリーである。問題は天候だ。雨で視界が悪くては展望台からの眺めが台無しだ。天気予報では曇りのち晴れだったが、バスが都内に入ると雨が降り始めた。バスから降りた時にはけっこう降っていたが神経質ゆえ折りたたみ傘を持っていて困らなかった。そのうちだんだん小降りになり、やがて止んだ。浅草では芸人の卵らしい人が着物姿で30分間の観光ガイドをしてくれた。浅草寺の中や路地裏の名店やスカイツリーのビューポイントなどを教えてくれた。浅草寺の中の古い鐘楼やその入口の芭蕉の句碑など、意外と知らないこともあった。我々一行にちゃっかりくっついて回り、ガイドさんの説明にうなずいているような人もいた。スカイツリーは修学旅行の小学生ら団体客で大変な混雑である。まず地上350mの天望デッキまで上がるのにエレベーター待ちが20分くらい。そこからすぐに445mの天望回廊へのチケットを買ってエレベーターに乗るまで20分かかった。あいにくの天候で遠景は望めないが、東京ドームや新宿のビル群や東京タワーが小さく見える。航空写真を見ているようで、あまり現実感がない。天望回廊を見終わって、地上450mの「ソラカラポイント」から今度は345m地点への下りエレベーターが大行列である。そこからさらにまた建物5Fへ向かう下りエレベーターも長蛇の列。5Fと1Fでおみやげを買うレジも行列。いやはや、昔の大阪万博を思い出した。ソラマチで買物をするような時間的余裕はなかった。2時間ばかりの滞在時間のうち、展望台で景色を見ていたのは正味15分くらいだろうか。大部分は行列待ちに費やされた。行列を待っている人たちが退屈しないようにする工夫があってもいいのではないだろうか。今はできたばかりで人気も高いが、1回行けばもうたくさん、という感想を持たせてしまっては、何年か先には客足は先細りする。せっかくすばらしいものを作ったのだから、今のうちからリピーターを呼び込むための魅力作りが必要なのではないだろうか。

2012年10月26日 (金)

神経質礼賛 839.姉がいる男性は結婚に有利?

 1018日付毎日新聞夕刊第2面に「結婚するならお姉ちゃんがいる男性!」という見出しの記事があって興味をそそられて読んだ。「幻想抱かず♡上から目線に慣れ♡顔色を読む・・・」という小見出しもあり、おもちゃメーカーのタカラトミーと学芸大関連NPOの共同調査による分析があった。姉がいる男の子は小さいときから人形ごっこやままごと遊びに付き合わされるから、ロールプレイングゲームを長い間やっているうち知らず知らずに女性とうまく付き合う方法を身に付けていく。姉からの命令には慣れ、上手に甘える術を会得する。そして、身近なところで女性の日常を見続けていると女性に幻想を抱かなくなるという。なるほど、一理ある。そうなれば、女性との付き合いもうまくいきやすく、結婚につながりやすいし、結婚後も上手にやっていけそうである。確かに中学、高校時代のモテ男くんたちを思い出してみると、2、3歳上のアネキがいるケースが多かったような気もする。私は男だけの兄弟の長男だったから、どうも女性に対する免疫ができていなかった。対人恐怖もあったけれども、特に女の子の前ではフリーズしてしまう傾向が強かったと振り返る。記事の中に、人は生まれてくる順番で性格がかなり違う、という作家の島田裕巳さんの発言があった。姉がいる長男だと、一家の注目度が高く、姉から可愛がられ、気楽に甘えながら育つから、モテやすい性格になるという。「一姫二太郎」は親が育てやすいばかりでなく、こんなメリットもあったのか。


 
 性格の根本的な部分はかなり遺伝的に決まってしまうが、それに加えて親の養育態度や育った環境の影響も受ける。親が神経質だと、遺伝的に伝わる部分に加えて神経質な養育態度により、子供は神経質になりやすい。特に最初の子供だと、親も初めての経験だから、心配なので細かい注意を与えるから神経質になりやすいだろう。とはいえ、親の性格は選べないし、生まれる順番も選べないし、親の養育態度や育った環境も後からではどうにもならない。そこで親や境遇を恨んでも始まらない。神経質だとモテにくいけれども、神経質には神経質の良さがある。それを生かして幸せになることはできるのである。最後に森田正馬先生の言葉を記しておこう。


 
 男ぶりの悪い事も、同類を求めるとなかなかある。古今の偉人・天才にも多い。とくに失恋の結果、男ぶりを取りつくろう暇に、自分の実力をもって勝とうと発心して、偉い人になったのはいくらもある。神経質に生まれたという・たったそれくらいの事を喜んだり悲しんだりするのは手遅れです。浅薄で軽率です。 (白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.735-736

 

2012年10月22日 (月)

神経質礼賛 838.フィルムの劣化

 前々回、昔撮った写真のネガフィルムに退色がひどいものがあると書いたが、大学や企業などではネガフィルムやマイクロフィルムの劣化が深刻な問題となっているという。109日付読売新聞には「劣化進む写真フィルム 「歴史の記録」保存・活用を」という見出しの記事があって、有名写真家の作品を保存している国立近代美術館のフィルムセンターの話が書いてあった。そこでは室温10℃、湿度40%の収蔵庫にフィルムを保管しているが、高温多湿ではフィルムの加水分解が進み、「ビネガーシンドローム」と呼ばれる現象が起きて修復不可能な状態まで劣化するそうだ。日本では写真家の歴史に残るような作品のフィルムが適切に保存されておらず貴重な文化遺産が失われてしまうと指摘している。


 ビネガーシンドロームという現象は、特にモノクロネガフィルムで著しく、酢酸臭とともにフィルムが湾曲してワカメ状になり、最後にはストロー状になってしまう。図書館や博物館や大学や企業で保存されているマイクロフィルムでもこの現象が起こり始めて貴重なデータが失われつつあるという。そういえば、電子カルテになる前の大学病院では年数が経った紙カルテはマイクロフィルムに保管されていたけれども、そうした情報もこのままでは失われてしまうおそれがあるだろう。


 私たちが家族を撮ったようなフィルムは大して重要とは言えないかもしれないが、思い出深いものである。ネガを保管しておけば大丈夫だとずっと思い込んでいたけれども、通常の保管状態ではネガフィルムの寿命は意外と短いものだった。「
100年プリント」と謳っていたプリントも怪しいものだ。ネガでもプリントでもよいから、時間がある時にスキャナに読み取らせてデジタルデータとして残しておくに限る。そして長期保存にはCD-RやDVD-Rは適さない。神経質人間としては、信頼度がより高いCD-RWやDVD-RWに書き込むとともにハードディスク上のデータもバックアップを取って複数のメディア上に残しておきたいところである。

2012年10月19日 (金)

神経質礼賛 837.恥ずかしいこともエネルギー源

 普段、早めの始発列車に乗って通勤しているので、勤務先へ向かう職員送迎ワゴンが駅に来るまでの間、駅待合室でTVを見て時間調整している。16日(火)の朝はその時間帯、「NHKニュースおはよう日本」に101歳の誕生日を迎えた医師の日野原重明さんが登場していた。まだまだお元気で講演や執筆活動に励まれているという。番組では誕生日を祝う会での、鈴木メソッドを習っている子供たちのヴァイオリン演奏や、日野原さんの言葉を基にした「いろはかるた」で子供たちが遊ぶ様子が紹介されていた。そのかるたの「は」の札には「恥ずかしかったり 悲しかったりした その経験が 立ち上がる力の源」とあった。


 
 日野原重明さんが若い頃、対人恐怖・赤面恐怖だったことは生活の発見会の会員の方々はよく御存知だと思う。『生活の発見』2010年7月号p.42-51に教育者で臨床心理士の刀根良典さんの『日野原重明先生に学ぶ「赤面恐怖症」の克服法』と題する講演記事がある。日野原さんは授業中に先生から当てられると緊張して顔が赤くなり、クラスメートたちから「金太郎」とからかわれて辛い思いをした。それを克服すべく、中学ではあえて弁論部に入るという荒療治を自ら行った。そして一生懸命取り組んでいるうちにいつしか赤面恐怖はなくなっていた。刀根さんの指摘のように、恐怖突入の効果である。最初は赤面恐怖を何とかしたい、というつもりで弁論部に入部したのが、神経質人間のよりよく生きたい・人から認められたい、という「生の欲望」に沿って懸命に取り組んでいるうちに、「ものそのもの」の状態となり症状をいつしか忘れていた、ということなのだろうと思う。


 
 森田正馬先生は赤面恐怖について次のように述べておられる。


 
恥かしがるのを以て、自らをフガヒなしとし、恥かしがらじとする負けじ魂の意地張り根性である。単に氣の小さいのは意志薄弱の素質から起り、負けじ魂は神経質の素質から起るのである。(白揚社:森田正馬全集 第3巻(赤面恐怖の治療法)p.114


 
 自分ではウジウジしていて情けないと思うかもしれないが、神経質が恥ずかしいと感じる裏には、「生の欲望」というエネルギーがある。日野原先生のいろはかるたにあるように、恥ずかしいこともエネルギー源なのだ。辛いながらも不安を抱えながらも、よりよく生きようと行動してみることだ。

2012年10月15日 (月)

神経質礼賛 836.フィルムスキャン

 先月、新しいスキャナを買った。安価なプリンタ・スキャナ複合機が増えているが、ネガフィルムやスライドフィルムの取り込み機能があるスキャナ専用機も捨てがたい。10年位使ってきた古いスキャナは勤務先に持っていき、たまった文献や雑誌のスキャンに利用している。


 新しい方は自宅で使っている。古い機種が一度に写真3枚分のネガフィルムしか取り込めなかったのに対して今度のは6枚分つまりネガフィルム1列分まとめてスキャンできるようになった。そこで、この際古いネガフィルムをデジタル化しようと思い立ち、休日を利用して少しずつスキャンし始めた。ネガフィルムは年代順に整理してある。学生時代や会社員時代にはよく写真を撮って人にあげていたし、子供が小さい頃はよく撮っていたので、全部で200本近くある。
2400dpiで取り込めば、約700万画素程度のデータになってちょうど良いが、6枚分スキャンするのに6分程度かかるので、操作時間を含めるとフィルム1本では30分から45分くらい要することになる。何か他のことをしながら平行してやる作業である。


 実際にスキャンしてみるとネガフィルムもずいぶん退色するものだ。特に国産F社のフィルムHRは全体がひどく黄色っぽくなってしまっている。良く言えばレトロ感を出しているが、
30年くらいでこの退色はないよなあ、と思う。スキャナの退色補正処理で何とかなるものもあるが、逆に青みがかってしまう場合もあって、どちらがよいか比較した上で補正をかけている。その点、国産K社のSカラーや先日倒産した米国K社のフィルムはそれほど退色が目立たず、赤色系が比較的よく残っている。

 

 ちょっと油断すると、スキャナのガラス面についた小さなホコリやフィルムに付着したごく小さなホコリが大きく現われてしまうことがある。神経質が必要な作業である。やっと32本分スキャンできた。まだまだである。気長に少しずつやっていこうと思っている。

2012年10月12日 (金)

神経質礼賛 835.○心と秋の空

 10月になっても最高気温が30℃を超える日が数日あった。ここにきて秋らしい爽やかな日和となり、ようやく長い夏が終わったと実感している。病院へ向かう車が坂を上っていくと、鮮やかなピンクや白のコスモスの花が目につく。高い青空にはベストマッチで秋桜の別名に似つかわしい。

昨日の朝は富士山に笠雲がかかっていた。そのうち空が暗くなってきて、私の1時間後に出勤してきた先生は傘を手にしていた。昼頃になるとまた晴れて暑くなる。夕方には低い雲が空を覆う。やはり秋の空は変わりやすい。


 
 変わりやすい心を秋の空に例えた「男心と秋の空」「女心と秋の空」。両方耳にする言葉である。どちらが正しいのだろうか。この言葉は江戸時代あたりから使われるようになり、もともとは「男心」だったそうだ。封建社会では結婚している男性の浮気には寛大だったが、女性の浮気は許されなかった。明治時代になっても女性だけには姦通罪が残っていた。大正時代に入り、大正デモクラシーの世相を反映してか、ヴェルディのオペラ「リゴレット」の中の「女心の歌」・・・♪風の中の 羽のように いつも変わる 女心・・・が大流行し、そのあたりから「女心と秋の空」になってきたそうである。


 
 気分易変はヒステリー性格の特徴の一つである。泣いたかと思ったらもう笑う、という子供のままである。周囲の状況に大きく気分が左右されやすい。男女関係も好いた惚れたで大騒ぎしたかと思えば今度は大喧嘩になる、と何とも慌ただしい。有名人であれば格好の週刊誌ネタになる。

逆に、神経質人間の気分は簡単には変わらない。感情に任せて行動することが少なく万事慎重なので、浮いた話も出てこない。気分の安定性は高いのだが、悲観的な見方をしがちなので、下手をすれば嫌な気分をいつまでも引きずることになる。そんな時には、いくら気分を良くしようとジタバタしてもダメである。冴えない気分はそのままにしておき、とりあえずやらなくてはならないことに手を出して一つずつ片づけていく。そうしているうちにいつしか気分も引き立ってくるのである。神経質人間の良いところは、スロースターターながら、一旦始めれば長続きするところである。粘り強く努力を続けることで、人並み以上の成果を上げることができるのである。

2012年10月 8日 (月)

神経質礼賛 834.符牒

 先週、勤務先の病院で全館放送が流れた。それは緊急事態発生の符牒で、発生場所に集合するよう指示したものだった。私は外来診療担当日で患者さんと話をしている最中だったので、いきなり診察室を飛び出すわけにもいかず、その患者さんの診察が終わってから行ってみると、抜き打ちの訓練だと知った。


 
 デパートなどの大型商業施設の全館放送では符牒(隠語)が使われていることはよく知られている。ある雑誌に紹介されていた西武百貨店で使われている隠語は、「にしのもりこ」さんの呼び出しは不審物発見、「にしたけまもる」さんの呼び出しは火災発生、「にしあらた」さんの呼び出しは事故発生、などだそうだ。また、特定のBGMを流して、雨が降り始めた、とかVIPが来ている、などの情報を伝える施設も少なからずあるらしい。


 
 私は医療系ドラマを一切見ないが、医療関係者の間で隠語が多用されていることは御存知の通りである。ガンとは言わずに「カルチ」(carcinomaの略)とか「クレブス」(独Krebs)、患者さんが亡くなったことを「ステった」(独sterbenの略)、脳卒中を起こしたことを「アポった」(apoplexyの略)、という具合に英語あるいは古くはドイツ語やラテン語から取った隠語が多い。

かつての大学病院ではどの診療科でも大名行列と揶揄される週1回の教授回診があった。病棟医長や婦長の案内で教授が先頭に立ち、助手、医員、研修医、臨床実習の医学生の一群が続く。教授がベッドサイドに着いたらすばやくその患者さんを担当している研修医が前に出て病状経過をプレゼンテーションする。この際、患者さんには知られたくないこともあるので符牒が多用されていた。今ではインフォームド・コンセントが定着して、ガンなどの悪性疾患であっても本人に告知するし、検査結果も本人に見せるので、符牒で隠す必要性は少なくなっているかと思う。

大原健士郎教授の回診でも符牒が使われることがあった。患者さんを前にして教授から突然「SMはあったか?」と聞かれた研修医は困った顔をしていたが、これは自殺企図あるいは自殺念慮のことだった(自殺:独Selbstmort)。また、「ヒステリー傾向です」と患者さんの前で言うわけにもいかないし、「エイチワイ」(Hy)では感づかれるかもしれないので、ドイツ読みの「ハーイプシロン」が用いられていたことを思い出す。


 
 今回使われた符牒は、放送機器のテストを思わせるものなので、緊急事態発生の放送だとは思わなかった職員もいたようだ。誰にでもわかってしまう符牒では意味がないが、紛らわしい符牒も困る。神経質はすぐに反応するけれども鈍感な人もいる。実際に何度か訓練するしかないだろう。

2012年10月 7日 (日)

神経質礼賛 833.はさみ恐怖

 時々、先端(尖端)恐怖、という人がいる。尖ったもの、特にはさみや包丁などの刃物でケガをしないか、あるいは誰かにケガをさせないか心配で、安全な所に置き直さないと気が済まないとか、怖くて手に持てないとかいうものである。はさみや刃物に限らず机やテーブルの角も気にする人がいる。私も心配性なので、多少はその傾向がある。台所に置いてある包丁の位置が気になる。うっかり手が当たってしまいそうな所に妻が置いてあると、置き直す。開きっぱなしのはさみも見つけると閉じておく。家具類を買う時は角を丸く落とした安全なものをなるべく選ぶようにしている。この程度ならば予期せぬ事故を防止する上で役に立つが、患者さんの中には怖いからはさみや包丁は使えないような場所にしまい込んで、日常生活で不便している人もいる。


 森田正馬先生は、神経症のメカニズムについて、フロイトの精神分析と森田理論との違いを次のように説明している。(大原健士郎・大原浩一著 『森田療法』 世界保健通信社 
p.50

(精神分析)

 病症=感動事実(しかも性欲の)×機会

(森田理論)

病症=素質×感動事実×機会

素質について「ヒポコンドリー性基調」という難しい言葉を使っておられるが、これは神経質傾向つまり真面目で心配性の神経質な性格のことである。そして、たまたまはさみを落として恐怖を感じ、そのことに一旦注意が向くと、注意の集中→感覚の鋭化→意識の狭窄→注意の集中・・・という悪循環(精神交互作用)すなわち「とらわれ」に陥って、その結果はさみ恐怖になる、というわけである。森田先生は、はさみを落としたことは単なるきっかけに過ぎず、最も重要なのは素質にあると考えた。

これが森田先生と同時期に活躍していたフロイトの精神分析だと、例えばはさみや刃物などの尖ったものは男性器の象徴であるというような解釈をして、それにまつわる隠れたエピソードを探っていくことになる。自由連想によって抑圧された記憶を言語表出させて自己洞察に導くのが治療であるが、誰でもこの治療が適するわけではない。神経症の中ではヒステリーあるいはヒステリー傾向の強い人には向いている。

一方、森田療法では、過去や症状は不問とし、はさみや刃物は必要なのだから怖いままに注意を払いながら使っていくことになる。あくまでも現在の日常生活に焦点づけした訓練療法である。だから、大人の人格を持った神経質性格の人であれば、一見全く異なる症状に見える神経症であっても、対人恐怖(社交不安障害)であろうが、不安神経症(パニック障害)であろうが、不潔恐怖であろうが、同じアプローチが使えるのである。

2012年10月 5日 (金)

神経質礼賛 832.目から鼻に抜ける

 昨年発売になったムコスタ点眼液UD2%の説明会があった。ムコスタ(一般名レバミピド)と言えば、胃潰瘍や胃炎の薬としてポピュラーであるが、今回のムコスタ点眼液はドライアイの治療薬である。涙液の成分であるムチン(粘液糖タンパク)産生を促進する働きがある。ちなみにムチンは納豆、オクラ、なめこ、ヤマイモ、海藻類などの食品のネバネバ成分でもあり、保水性が高い。このムコスタ点眼液は1回使い切りタイプで衛生的であり保存性にも優れている。薬価も従来の人工涙液タイプの点眼液とそれほど変わらず、効果が優れているのだそうだ。見ると透明ではなく白い液剤である。メーカー担当者の説明ではコンタクトレンズをしたままでも大丈夫だという。実際に試してみると、白色の懸濁液のため、点眼後、しばらくは目の前が暗くなり、だんだん元に戻っていく。特に刺激もなく、点し心地自体も悪くはない。ところが、口に苦みが感じられる。鼻涙管を通して薬剤が鼻に流れて苦みを感じてしまうのだ。これが本当の「目から鼻に抜ける」!? 点眼後に閉眼して目頭を押さえていると鼻への移行が少なくなり苦みが軽減できるのだそうである。


 
 諺の「目から鼻に抜ける」は、利口で物事の判断などの素早いさまを言う。神経質人間は本来そういう人が多いのだが、考え過ぎて行動が伴わず、性格の良さを生かし切れていないことがある。どんなに良い考えであっても実際の行動に移さなければ何もならない。人に先を越されて口惜しい思いをすることになる。ダメでもともとのつもりで思い切ってやってみることも必要である。

2012年10月 1日 (月)

神経質礼賛 831.野菜の名前(長谷川式スケール)

 高齢化社会ということもあって、外来には認知症やその一歩手前という方が来られることがある。そうした時に手軽に行える改定長谷川式スケールという検査がある。時と場所といった見当識、記銘力などを手早くチェックできるので、どこの医療機関でもよく使われている。もっとも、耳が遠い方が多いので、隣の診察室まで聞こえる大声を出す必要に迫られることもある。わが国では標準的な検査として定着している。保険点数は取れない、すなわち無料の検査である。30点満点で20点以下が認知症の疑いありということになっている。10点を切る程度までになると家庭での対応は困難となり、時には専門施設入所を考えなくてはならない場合がある。その検査の最後の設問が「知っている野菜の名前をできるだけたくさん答えて下さい」というものだ。10種類の名前が出てくれば満点の5点。9種で4点。8種で3点。7種で2点。6種で1点。5種以下は0点である。ここの得点は結構大きい。長年料理をしてきた主婦や農業関係の仕事をしていた人には有利に働きそうな気もするけれど、意外とそうでもない。記銘力が落ちてくると、既に言ったことを忘れて同じ名前を出してしまったりするのである。また、野菜の範疇がわからなくなっていて、スイカなどの果物の名前を挙げることも多くなる。「ジャガイモ、サツマイモ、サトイモ・・・」と芋づる式に出てくれるとよいのだが。


 
 この長谷川式スケールを開発した長谷川和夫先生は、慈恵医大の御出身で森田療法にも造詣が深く『森田療法入門』(ごま書房)という本を出しておられる。この本はイラストがあってとてもわかりやすく、若い方への入門書としてお勧めなのだが、書店では見かけなくなった。大原健士郎先生が高良武久著『森田療法のすすめ』を入門書として患者さんたちに読ませていたこともあって、三島森田病院でも入門書は高良先生の本である。非常に良い本ではあるけれど、若い人にはちょっととっつきにくい面がある。そろそろ『マンガ森田療法入門』が必要な時期に来ているのではないだろうかとも思う。

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