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2012年10月 7日 (日)

神経質礼賛 833.はさみ恐怖

 時々、先端(尖端)恐怖、という人がいる。尖ったもの、特にはさみや包丁などの刃物でケガをしないか、あるいは誰かにケガをさせないか心配で、安全な所に置き直さないと気が済まないとか、怖くて手に持てないとかいうものである。はさみや刃物に限らず机やテーブルの角も気にする人がいる。私も心配性なので、多少はその傾向がある。台所に置いてある包丁の位置が気になる。うっかり手が当たってしまいそうな所に妻が置いてあると、置き直す。開きっぱなしのはさみも見つけると閉じておく。家具類を買う時は角を丸く落とした安全なものをなるべく選ぶようにしている。この程度ならば予期せぬ事故を防止する上で役に立つが、患者さんの中には怖いからはさみや包丁は使えないような場所にしまい込んで、日常生活で不便している人もいる。


 森田正馬先生は、神経症のメカニズムについて、フロイトの精神分析と森田理論との違いを次のように説明している。(大原健士郎・大原浩一著 『森田療法』 世界保健通信社 
p.50

(精神分析)

 病症=感動事実(しかも性欲の)×機会

(森田理論)

病症=素質×感動事実×機会

素質について「ヒポコンドリー性基調」という難しい言葉を使っておられるが、これは神経質傾向つまり真面目で心配性の神経質な性格のことである。そして、たまたまはさみを落として恐怖を感じ、そのことに一旦注意が向くと、注意の集中→感覚の鋭化→意識の狭窄→注意の集中・・・という悪循環(精神交互作用)すなわち「とらわれ」に陥って、その結果はさみ恐怖になる、というわけである。森田先生は、はさみを落としたことは単なるきっかけに過ぎず、最も重要なのは素質にあると考えた。

これが森田先生と同時期に活躍していたフロイトの精神分析だと、例えばはさみや刃物などの尖ったものは男性器の象徴であるというような解釈をして、それにまつわる隠れたエピソードを探っていくことになる。自由連想によって抑圧された記憶を言語表出させて自己洞察に導くのが治療であるが、誰でもこの治療が適するわけではない。神経症の中ではヒステリーあるいはヒステリー傾向の強い人には向いている。

一方、森田療法では、過去や症状は不問とし、はさみや刃物は必要なのだから怖いままに注意を払いながら使っていくことになる。あくまでも現在の日常生活に焦点づけした訓練療法である。だから、大人の人格を持った神経質性格の人であれば、一見全く異なる症状に見える神経症であっても、対人恐怖(社交不安障害)であろうが、不安神経症(パニック障害)であろうが、不潔恐怖であろうが、同じアプローチが使えるのである。

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