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2012年10月19日 (金)

神経質礼賛 837.恥ずかしいこともエネルギー源

 普段、早めの始発列車に乗って通勤しているので、勤務先へ向かう職員送迎ワゴンが駅に来るまでの間、駅待合室でTVを見て時間調整している。16日(火)の朝はその時間帯、「NHKニュースおはよう日本」に101歳の誕生日を迎えた医師の日野原重明さんが登場していた。まだまだお元気で講演や執筆活動に励まれているという。番組では誕生日を祝う会での、鈴木メソッドを習っている子供たちのヴァイオリン演奏や、日野原さんの言葉を基にした「いろはかるた」で子供たちが遊ぶ様子が紹介されていた。そのかるたの「は」の札には「恥ずかしかったり 悲しかったりした その経験が 立ち上がる力の源」とあった。


 
 日野原重明さんが若い頃、対人恐怖・赤面恐怖だったことは生活の発見会の会員の方々はよく御存知だと思う。『生活の発見』2010年7月号p.42-51に教育者で臨床心理士の刀根良典さんの『日野原重明先生に学ぶ「赤面恐怖症」の克服法』と題する講演記事がある。日野原さんは授業中に先生から当てられると緊張して顔が赤くなり、クラスメートたちから「金太郎」とからかわれて辛い思いをした。それを克服すべく、中学ではあえて弁論部に入るという荒療治を自ら行った。そして一生懸命取り組んでいるうちにいつしか赤面恐怖はなくなっていた。刀根さんの指摘のように、恐怖突入の効果である。最初は赤面恐怖を何とかしたい、というつもりで弁論部に入部したのが、神経質人間のよりよく生きたい・人から認められたい、という「生の欲望」に沿って懸命に取り組んでいるうちに、「ものそのもの」の状態となり症状をいつしか忘れていた、ということなのだろうと思う。


 
 森田正馬先生は赤面恐怖について次のように述べておられる。


 
恥かしがるのを以て、自らをフガヒなしとし、恥かしがらじとする負けじ魂の意地張り根性である。単に氣の小さいのは意志薄弱の素質から起り、負けじ魂は神経質の素質から起るのである。(白揚社:森田正馬全集 第3巻(赤面恐怖の治療法)p.114


 
 自分ではウジウジしていて情けないと思うかもしれないが、神経質が恥ずかしいと感じる裏には、「生の欲望」というエネルギーがある。日野原先生のいろはかるたにあるように、恥ずかしいこともエネルギー源なのだ。辛いながらも不安を抱えながらも、よりよく生きようと行動してみることだ。

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コメント

はじめまして。
家の片づけをしている時、出てきた'80~'90のHealth Tribuneという月刊誌に連載されていた記事が、このブログと出会うきっかけでした。
それは、暮らしの中の精神医学という題で大原健志郎という人が寄せているものでした。
当時高校生だった私は、人前で話すと声が震え赤面し、なりたい自分と実際の自分とのギャップに苦しんでいました。
あの頃は、確かサイコロジーブームでもあった思います。この連載も毎月じっくり読んでいたような気がします。自分の悩みやブームもあり、確か、大学は心理学部を数多く受験しましたが、撃沈。
そんなことを思い出しながら、この大原健志郎という人の事が気になり、検索。
もうすでにお亡くなりになっていること、学生には非常にシビアであったこと、また、患者に対しては、診察の際の人当たりはどうかわかりませんが、冷徹な態度で向きあっておられたらしい、ということがわかりました。
 今回のこのブログを読み、コメントを送ろうと思った次第です。
それでは、また。

hagino様
 
 コメントいただきありがとうございます。

 私もhagino様と同じような経験をしています。小学校高学年あたりから授業中に当てられると、激しく緊張し、赤面して、しどろもどろ、声も震えるという具合で、思ったことが言えなかったです。中学生・高校生の頃が悩みのピークだったように思います。図書館で心理学系の本を読んだり、自律訓練法を読んでやってみたりもしましたが、ダメでした。自分は気が小さくて情けない、大胆になろうと無茶したこともありましたが、そんな「はからいごと」をしているうちは良くなりませんでした。結局は、自分はまあこんなもので仕方がない、と諦めて、緊張しながら仕方なしに行動しているうちに何となく気にならなくなっていきました。森田療法を知らないまま、結果的に森田療法と同じことになっていたわけです。いろいろと悩んだことも無駄ではなく、少しは「肥やし」になったと思っています。

 大原健士郎先生は学問には非常に厳しかった反面、人情家で、よく気配りされる方でもありました。いい意味での昔風のカミナリ親父だったと思っています。

 

四分休符さん、こんにちは。
このブログを読ませていただくと為になることが多いです。
あの日野原重明さんが若い頃、対人恐怖・赤面恐怖だったというのは初耳でした。
私も若い頃、不安神経症に悩まされましたが、「なにくそ」という気持ちで乗り切って来られたのだと思います。
不安や恐怖は過ぎ去ってしまえば「何故あんなことに執着していたのだろう」と思えるのですが、そう思えるようになるまでがしんどいところですね。
日野原さんというバイタリティーあふれる賢人もまた同じ神経質だったということを知り、私もまだまだ世間様のためにお役に立たなければと思った次第です。
いい記事を読ませていただき、ありがとうございました。

スローライフ様

 コメントいただきありがとうございます。スローライフ様のブログはいつもチェックさせていただいております(コメントをサボっていてすみません)。

 「なにくそ」自分はこんなものでは終わらないぞ、というところがまさに神経質なのだと思います。自分はダメだと考えがちですが、本当は強大なエネルギーを持っているのです。向上心が強いからこそ不安に苛まれやすいことになります。
 不安や恐怖は過ぎ去ってしまえば「何故あんなことに執着していたんだろう」と思えるけれども、そうなるまでがしんどい、とおっしゃられたのには私も全く同感です。

 日野原さんのバイタリティーにはとても足元にも及びませんが、神経質らしくチマチマとできることを積み重ねていきたいと思っています。今後ともよろしくお願いいたします。

私も先生のブログはとても好きです。慰めてもらったり、励ましてもらったり、落ち着きを得たり、知恵を授けられたり・・秋の夜長の良きおともです。

 「チマチマ」=着実ですね~。

anxiety様

 過分なお褒めをいただき恐縮です。古い記事は今読むと「赤面」してしまうものがあります(笑)。

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