神経質礼賛 850.問うても不問
ネット上には、精神科の医療機関や医師たちの評判を書き込むような掲示板がある。私の勤務先の病院は、あまり話題にのぼることはないが、以前、「こんな書き込みがありましたよ」と私に教えてくれた職員がいた。それには、「N先生(私のこと)はニコニコ話を聞いてくれるが症状を重く取らない人で、薬を増やしてくれなかった。U先生は眠れないと言ったら薬を変えてくれた」というようなことが書かれていた。どこそこのクリニックは簡単に希望通りの薬を出してくれる、といった類の書き込みが多い掲示板のようだったから、書き込んだ人にとって私の診察は御希望に沿わなかったのだろう。しかしながら、神経症圏の人にはなるべく薬は出さない・増量しない、そして症状を相手にしないという不問の姿勢で私が臨んでいることを示している、ということもできよう。
森田療法を御存知の方は不問(27話参照)という言葉を聞かれたことがあると思う。神経症は小心・まじめ・取越し苦労しがちな神経質性格の人に起こりやすい。「人前で緊張する」とか「眠れない」とか「ささいなことが気になって仕方がない」といった誰にも起こりうる「症状」を取り去ろうと「不可能の努力」をすればするほど「とらわれ」の悪循環にはまり、ますます症状を強めてしまう。そこで「症状」を相手にせずに日常生活の行動に向かわせて、簡単に言えば「症状」を肩すかしするのが森田療法のやり方である。だから、治療者も本当は症状は気になるのだが、あえて症状は不問とする姿勢を取る。
ところが、最近の森田療法学会の重鎮の先生方は、森田療法は入院から外来にシフトしていて、外来診療では問うことが必要だ、としてあっさり不問の看板を下ろしてしまった。これはあまりにも字面にとらわれた考え方ではないだろうか。「不問」とは必ずしも症状について一切質問しない、ということではなく、症状をとりたてて問題にしない姿勢のはずである。白揚社の森田正馬全集第4巻は入院患者の日記指導や通信指導が大部分を占めるが、最初の80ページほどは外来指導の記録である。森田先生は症状について問うているが、症状そのものをさほど問題にはせず、最終的には症状はあっても不安なままに行動していくように指導しておられる。問うても不問なのである。
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