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2012年12月31日 (月)

神経質礼賛 860.鳥囚はれて飛ぶことを忘れず

 三島森田病院には森田正馬先生が書かれた次のような色紙が残っている。


 
鳥囚はれて飛ふことを忘れす

馬繋かれて馳する事を思ふ

昭和二年十一月   森田形外


 
 入院森田療法は1週間の絶対臥褥から始まる。もちろん自分の自由意思で行うことであり、囚われているわけでも繋がれているわけでもないけれども、1週間はひたすら寝るだけの生活を送る。何もしないで寝ているだけでいい、というのは楽そうに見えて、実は健康人にとってはものすごくキツイことなのである。これがエネルギーの枯渇した本物のうつ病の人であれば1週間でも2週間でも寝ていられる。しかし神経症の人は健康人と同様、あるいはそれ以上のエネルギーを持っている。自動車で言えばギアがニュートラルのままエンジンを空回りさせているようなもので、「症状」のために無駄にエネルギーを浪費しているだけのことである。人間には死にたくない、長生きしたい、という本能的なものから、人から認められたい、向上発展したい、といった高次なものまで、多様な「生の欲望」がある。特に神経質人間はそれが人一倍強いので、臥褥していることが苦しく、仕事をしたいという意欲がかきたてられることになる。絶対臥褥が終了してからは、次々と身の回りの仕事に手を出していくうちに、対人恐怖、不安発作、強迫観念、不眠といった神経症の症状はいつの間にか気にならなくなっていくのである。


 
 旧制中学時代に不眠症・強迫観念・胃腸症状などに悩み、学校に行けなくなってしまった若き日の鈴木知準先生(372)は森田医院を受診した。森田先生からは「意志薄弱者」と言われて入院を断られたが、奥さんと助手の野村先生の助言でようやく入院を許され、医院横の借家のボロボロの2畳の部屋で一週間の臥褥生活を送った。知準先生は大原健士郎先生との対談の中で「何もせず、ただ、すすけた天井のふし穴をながめるのみでたまに豆腐屋のラッパ、羅宇屋(ラオ屋:キセルの管の修理・清掃を行う商売)のチンチンという音、納豆売りの声を聞くだけの毎日が、過ぎていき、そのことで、私は、どうにもならぬ心になり切ったのでしょう。心機一転して、不安は不安でそれだけとなってしまったのです」と語っている(世界保健通信社:大原健士郎偏『森田療法』p.159)。1週間の臥褥生活が大きな転機となったのである。その後、知準先生はまるで別人のように勉強に集中できるようになり、旧制浦和高校さらに東大医学部に進学。診療所を開設して森田療法を行い、一生を神経症に悩む人のために捧げられた。


 
 今回、自分がICUに入院している時に頭に浮かんだのは、森田先生のこの言葉である。とにかく早く仕事がしたい、時間よ早く過ぎてくれ、と願い続けた。自分の「生の欲望」の強さを思い知った。それとともに、たとえいろいろな厄介事が次々と起きていても、仕事をすることができ、家で食事が食べられ、風呂に入れる、という何でもない一日が、とてつもなく幸福なことなのだ、と文字通り痛感した。まさに日々是好日なのである。



 今年も間もなく終わろうとしています。相変わらず無愛想なブログですが、いつもお読みいただきありがとうございます。皆様からいただきますコメントは私にとっても大変勉強になります。年末にアクシデントに見舞われましたけれども、おかげさまで何とか月10回更新を続けることができました。

皆様、どうぞよいお年をお迎えください。(四分休符)

2012年12月28日 (金)

神経質礼賛 859.まさかのICU(集中治療室)入院

 いつも月曜日と金曜日には新しい記事を追加しているので、今月17日(月)の追加がなくてオヤ?と思われた方もいらっしゃるかもしれない。コメントへのお返事も大幅に遅れてしまった。実は14日、頭にケガをして総合病院に救急搬送された。意識はハッキリしていて手足の麻痺やシビレはなかったのだが急性硬膜外血腫をきたしていて、3回撮ったCTではだんだん血腫が大きくなってきて、緊急手術が必要かもしれないということでICUに入院となってしまったのだった。翌日早朝のCTでは血腫の増大が止まり、手術しないで保存的治療ということになったが、血圧を厳重にコントロールするための降圧剤点滴と止血剤点滴は続けられた。胸には心電図の電極、指先にはパルスオキシメーターの電極が取り付けられたままで、絶対安静である。15日の仕事の予定は外来担当ではなかったけれども、妻に頼んで勤務先に電話連絡してもらった。まずは7時に職員送迎車の運転手さんにしばらく休むから乗らないという連絡。電車のトラブルでもなければ私が普段遅れることはない。駅で他の職員さんたちを乗せたまま待たせてしまうと悪いので必要な連絡である。次に7時半過ぎに院長先生が出勤されるので、現在の状況としばらく入院しなければならないという連絡。翌週の外来診察や当直に穴をあけてしまうことになってしまい申し訳ない。入院したのは3歳の時に鼡径ヘルニアの手術で入院して以来のことである。ICUは戦場のようなところである。どの患者さんも心電図などのモニターを付けられていて、ピ、ピ、ピという心拍数を示す音がいつも鳴っていて、時々心電図・血圧などの異常を示す警告音が鳴り響き、その都度看護師さんたちがあわただしく動く。苦しそうなうめき声も聞こえてくる。一応カーテンで仕切られているけれども、隣の患者さんの状況がまるわかりである。医師や看護師さんたちの会話も全部聞こえてしまう。昼も夜もなく、一睡もできない。意識がハッキリしているだけにかえって辛い。ICUで2晩過ごした。16日の昼前で点滴は終了となり、脳神経外科病棟の入口にある、重症者個室に移った。といっても別段治療があるわけではない。1日に何度か看護師さんが血圧を測りに来て、眼球にペンライトをあてて見て、「今日は何月何日ですか?」「ここはどこですか?」と質問していくだけだ。室内の歩行が許可され、食事もOKとなったけれど、困るのは時計がないから時刻が全くわからないのと、することがないのでボーとしているしかないことだった。森田療法の絶対臥褥みたいなものである。やる仕事がないのがこんなにつらいものなのか、と嫌というほど思い知らされた。隣室に入院している御老人は夜間よく痰がつまり、部屋のすぐ前にあるナースステーションから看護師さんが走ってきて痰を吸引する。あちこちの病室からナースコールがあり、モーツァルトの「メヌエット」が鳴り響く。夜間トイレを使う時には念のためナースコールをして下さいね、と言われていたが、あまりに忙しそうなので、コールはせずにこっそりトイレを使う。ここでもやはりほとんど眠れなかった。17日にまたCT検査。妻が腕時計と筆記用具を持ってきてくれたのでほっとする。その夜、主治医の先生が初めて今までのCTを見せてくれた。確かに入院した時には緊急手術かも、というような状態だった。その日のCTには、まだ血腫は残っていたが、薄らいできていた。そして「明日退院しますか?」と言ってくれたのはとてもうれしかった。18日に退院となり、翌19日の午後から出勤。20日からは通常出勤している。後遺症がないわけではない。朝起きた時にはめまいがするし、午前中を中心に頭重感やふらつき感がある。階段を下りる時は怖いので、手すりの近くを歩いている。日増しに少しずつ状態は改善してきている。医学生時代に買った脳神経外科の教科書を読むと血腫が吸収されるまで2週間から4週間かかるとある。1か月間は他の先生方に当直勤務を代わっていただいた。あちこちに御迷惑をかけてしまった。時間がかかるけれども、ゆっくりと挽回していきたい。

2012年12月24日 (月)

神経質礼賛 858.富士と不死

 長期予報を見ると、この冬は例年同等あるいはやや寒めの予報となっている。12月に入ってからは寒さが厳しい日があって、富士山の雪も例年より少し多いような気がする。三島から見える富士山は正面中央に宝永火口があるため、夏場は大きな口を開けているように見えてしまい、私は秘かに「あくび富士」と呼んでいる。しかし、冬になって白雪をかぶれば、一転して引き締まった顔つきになる。


 
 富士山は竹取物語に登場する。月に帰る直前のかぐや姫から贈られた不老不死の薬と手紙を帝は富士山で焼かせた。富士には不二、不死という意味を含んでいる。古来、人類は不死の薬を求めてきたが、再生医療の研究が盛んになった現在でもそれは実現していない。ベニクラゲのように、老いても赤ちゃん状態に戻れるというわけにはいかない。


 
 「蟻の如くに集まりて、東西に急ぎ、南北に走る」で始まる徒然草74段には「身を養いて何事をか待つ。期する処、ただ老と死とにあり」と厳しい言葉が書いてある。仏教の世界観から言えば、欲を張ってジタバタすることを戒めることになるけれども、森田正馬先生は特に晩年になると「生の欲望」を強く肯定されるようになった。


 
 我々は貝を拾っても、砂の池を掘っても、その現在においては、一生懸命に働いて、滅びるとか、なくなるとかいう観念を超越している。これが執着である。この執着が、実は動かすべからざる我々の本来性であり、人間の事実である。ただしこの執着の強いものが神経質であり、弱くて呑気なものが、意志薄弱者であるのである。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.325


 
 神経質人間は生の欲望が人一倍強いがためにそれと表裏一体である死の恐怖にさいなまれやすい。死の恐怖に根ざした不安は時には神経症の症状として現れることもある。しかしながら生の欲望に沿って一生懸命に働いている瞬間は不死なのである。蟻の如くでいいから生の欲望をエネルギー源として生き尽くしていきたい。

2012年12月21日 (金)

神経質礼賛 857.3日後に来い

 年末になって、将棋の米長邦雄さんの訃報が流れた。一昨日の新聞にはその死を惜しむ多くの著名人の声が載っていた。米長さんについては「運と不運」ということで紹介したことがある(783話)。米長さんは少々パフォーマンスが過ぎるかなという感もあったが、それも自分を目立たせることで将棋界を一般に広くアピールしたいということだったのだろう。

毎日新聞には米長さんと親交のあった、萩本欽一さんの談話が載っていた。ある時、萩本さんが「お弟子さんが随分たくさんいるけど、怒ることはないのか」と尋ねたら、米長さんは「すぐに怒ると、言わなくていいことまで言ってしまう。だから『3日後に来い』と言う。3日たつとほとんど怒らなくて済む」と言ったそうである。


 以前に紹介したことがある森田正馬先生の言葉を思い出す。


 
 私の郷里の土佐の武士道の戒めに、「男が腹が立てば、三日考えて、しかるのち断行せよ」という事がある。それでよい。そうすると、初めのうちは頭が、ガンガンして、思慮がまとまらないが、追おいとこのようにすれば、相手はどう、自分はどうという事がわかってきて、それが二時間も半日も続くのは、容易な腹立ちではない。私のいわゆる「純なる心」の修養ができれば、「心は万境に随(したが)って転じ」で、決して長く続くものではない。もし続けば、それは当然、続かなければならぬ重大事件であるのである。(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.275


 
 怒りをぶつけたのでは、ますます怒りは強まってしまう(247話)。怒りはそのままにして、他のことをしていれば、「感情の法則」(442)の通り収まっていくものだ。ある女流棋士の扇子に「よく戦うものは 怒らず」と書いてあるのを見たことがある。トッププロ同士の対戦では、勝負が「指運」で決まることがあるが、そういう微妙なところではメンタル面が影響することも考えられる。米長さんは厳しい修羅場を数多く乗り越えているうちに自然と怒りのコントロールをされるようになったのだと思う。

2012年12月18日 (火)

神経質礼賛 856.精神科専門医の更新

 先月、精神科専門医更新手続きの書類が送られてきた。名古屋まで口頭試問を受けに行ってから(210話)もう5年が過ぎていたのだ。専門医のメリットはまるっきりないような気もする。その割には更新ポイントを確保するため、学会総会に参加したり、東京での講習会に参加したりする時間と費用が結構かかっている。まあ、継続的に勉強する機会にはなっていると考えることにしよう。更新申請期限は来年の1月いっぱいであるが、こういう事務的なことはなるべく早くやるのがモットーなので、どんどんやっていく。更新手数料4万円を振り込み、症例2例の臨床経験レポートを作る。神経質ゆえ、普段からすべての入院患者さんのサマリー(要約)を作っていて、退院後も更新しているので、こういう時には楽である。サマリーを編集して考察を追加すれば症例レポートが出来上がる。プリントアウトしてみると、完成したつもりでも、やはりミスはあるものだ。よく見れば、数字が全角文字と半角文字がごっちゃになっているところがあった。別にこれで落とされることはないだろうけれど、全角に統一してプリントアウトしなおす。

後は顔写真を撮って申請用紙に貼るだけ・・・撮ってみてちょっとがっかりする。見るからに老人顔である。髪が寂しくなってきたし、しわやシミが目立つ。238話で紹介した禅僧・仙厓さんの「老人六歌仙画賛」の通りで「しわがよるほ黒が出ける腰曲る 頭まがはげるひげ白くなる・・・」になりかけている。見た目はどうにもならないけれども、「心は曲る欲深ふなる くどくなる気短になる・・・」とならないように気をつけなくては、と思うこの頃である。

2012年12月14日 (金)

神経質礼賛 855.今年の漢字は「金」

 今年の漢字は「金」・・・清水寺の管主が大きな和紙に揮毫する様子がTVのニュースで流れていた。例年、漢字能力検定協会が今年一年を表すのにふさわしい漢字一文字を公募した中から最も多かったものを選んでいる。山中教授のノーベル賞受賞という「金」字塔、オリンピックの「金」メダルという輝かしい面と、生活保護世帯の急激な増大や消費税増税といった「カネ」にまつわる負の面の両方を反映していると新聞では報じていた。

 神経質人間としては、どうも負の面に目が行ってしまう。今週の週刊誌の新聞広告には、選挙で勝つであろう次の政権が建設国債を発行して公共事業にカネをつぎ込むからそういった業界が息を吹き返し、バブル再来、インフレになるというようなフレーズが踊っている。しかし、バブルは本当に幸せなのだろうか。躁状態のあとには浪費のツケが残って極度のうつ状態に陥る。今度やったら、失われた10年どころか失われた100年になりかねない。一度懲りているはずなのにまだわからないのだろうか。


 
 森田正馬先生は物を大切にし、ムダなく最後まで使い尽くした。そして森田先生の治療を受けた人達もそれにならった。ケチだと思う人もいるかもしれないが、大間違い。森田先生は郷里の小学校に建物や遊具などを惜しげもなく寄贈された。今の金額でいえば数千万円にあたるだろう。物と同様、お金も最大限、人のためになるように使われたのだ。毎月1回、患者さんたちが集まる形外会の場で森田先生は次のように言っておられる。


 
 さて、ユートピアとは、理想郷とか天国・極楽とかいうものである。それは、現在の感謝と希望の憧れとの幸福感そのものをいうべきである。

 七宝・万宝・充ち満ちている極楽世界でも、猫に小判・豚に真珠ではなんの幸福感はない。一万円と百万円と、おのおのその人の心の置き所によるもので、金の多少によって、その幸福を商量することはできない。すなわちユートピアは、おのおのその人の心そのものの内にあるのである。弘法大師が「仏法他に非ず。心中にして即ち然り。真如外に非ず、身を捨てて如何にか求めん」といってあるが、その通りであります。(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.168


 
 昭和初期当時の一万円と百万円は貨幣価値からしたら現代の七百万円と七億円といったところか。最近は聞かなくなったが「ボロは着ていても心は錦」。心の中に輝く金(きん)が持てるのが本当の幸せなのではないだろうか。

2012年12月12日 (水)

神経質礼賛 854.病棟のクリスマス会

 ある病棟のクリスマス会で楽器を弾くように依頼があった。クリスマスにふさわしい曲といえば何はともあれ「きよしこの夜」。これは最後にみんなで歌う曲とした。「ホワイトクリスマス」は以前に弾いたことがあるので避けて、演奏するのは「アヴェ・マリア」にした。アヴェ・マリアとはラテン語で「おめでとう、マリア」というような意味らしい。「アヴェ・マリア」と題する曲は多い。かつてドリフの「8時だヨ!全員集合」で聖歌隊の最初に流れた曲はアルカデルトのアヴェ・マリアだった。モーツァルト作曲のアヴェ・マリアも有名だ。近頃はカッチーニのアヴェ・マリア(351)が演奏されるようになってきた。やはりオーソドックスなところではCM音楽としても多用されるシューベルトのものと、バッハ~グノーのものがよく知られているのでこの2曲を並べてみることにした。シューベルトの方はもともと宗教曲ではない。起伏に富んでいて、ちょっぴり色っぽいマリア様を連想する。バッハ~グノーの方はバッハのチェンバロ(ピアノ)曲「平均律クラヴィーア曲集」の前奏曲にグノーが旋律を乗せたものだ。こちらは清楚なマリア様といった感じである。シューベルトの方はよく市販の伴奏CDに収録されているがバッハ~グノーの方は意外とないものだ。そこで、あわててシンセサイザーソフトに楽譜を打ち込んで伴奏を作る。とはいえ、聞き覚えではバッハの原曲に比べると、後半の短調から長調に戻るところに1小節追加があるように思う。手持ちの伴奏譜がないので、家にあったバッハのピアノ譜の通りに入力し、ヴァイオリンパートをそれに合わせて変更した。あともう1曲市販の伴奏CDを利用して「アメイジング・グレース」を弾くことにした。当直勤務が立て続けの中なので、1週間前の日帰り勤務日に楽器を持ち込む。

今日がクリスマス会の当日。午前は外来担当日だ。新患さんが来て、外来患者さんの急な入院があって、大忙し。入院時の書類書きや処方などの指示でハラハラする。何とか1時にはおおむね書類書きを終える。それでも、作成した伴奏CD―RWが止まってしまったり音飛びしたりしないかどうか、事前にラジカセでチェックするのは神経質ならではである。145分の開始時刻には何とかセーフだった。下手な演奏だけれども、ヴァイオリンは見ていて動きが大きいので、患者さんたちが喜んでくれるのが何よりだ。ご褒美にケーキをいただいた。病院からさらに山の上に上がったところにあるブルーベリーという名前のおいしいケーキ屋さんのショートケーキだった。夜の病棟見回りを終えてからいただいたが、ひときわおいしく感じた。

2012年12月10日 (月)

神経質礼賛 853.加藤清正のリスク管理

先月の記事(843話)に勇猛で名高い戦国武将の加藤清正が神経質だったことを書いた。その後に読んだ「大塚薬報」という雑誌に連載読物「戦国時代千夜一夜」(山崎光男著)という貝原益軒(605)が筑前国福岡藩主の黒田光之に語る形で書かれたものがあって、11月号の第9回は加藤清正のことが書かれていたので紹介してみたい。

 肥後の国を治めていた清正は、ある時、家臣から米の運搬に関する提案を受けた。大坂まで米を船で運ぶ運賃は藩内の業者に委託するよりも讃岐の国の業者に頼んだ方が安いので、業者を変えれば運賃の節約になる、というものだった。ところが、清正は、その考えは確かに一理あるが、それには賛成できない、と述べた。藩内の船を使わなくなれば、船が減少してしまう、そんな時に戦が起きたら、輸送に事欠くことになる、というのが理由である。そして、その家臣に対して「そのほうが申す運賃の節減は眼前の小利に過ぎない。これは他日の大事を思えば害というものだ」と言ったという。

 加藤清正は神経質らしいリスク管理をしていた、と言えるだろう。昨今はコスト削減のためにモノ作りの拠点を海外に移しているため、国内産業の空洞化が問題となっている。そして、中国で反日デモが起きて工場の操業停止に陥ったり、タイで工業団地が洪水被害にあったりした時には生産は完全ストップし、復旧には長い期間がかかっている。自動車業界では部品を共通化し、コストが安い国で生産した結果、不具合が出て一度に多くの車種で大量のリコールが発生するといったことも起きている。「眼前の小利を追及するあまり、他日の大事に対応できない」のが現状の日本である。リスク管理を加藤清正から学ぶ必要があるのではないだろうか。

 

2012年12月 7日 (金)

神経質礼賛 852.「形外」の謎

 森田正馬先生の雅号「形外」の意味については以前書いたことがある(28話)。今年の森田療法学会の一般演題の中に、森田正馬の雅号「形外」の意味について、という発表があった。発表されたのは長年、禅的森田療法を行っている三聖病院に精神科医として勤務されながら佛教大学教育学部教授として教鞭をとってこられた岡本重慶先生である。岡本先生は今年の2月に京都森田療法研究所を設立された。同研究所のブログには「森田療法の原点にある仏教、禅や東西の思想などと生活体験の知恵を結ぶ」とある。治療としてだけの森田療法に飽き足らない方や森田療法をさらに深めたい方には、ぜひ御覧いただきたいすばらしい内容である。その中の「研究ノート」に研究内容を発表されている。1123日付の研究ノートには学会発表で用いられた(と思われる)スライドを公表されている。

 森田先生は若い頃「是空」という雅号を使っていたが、懇意にしていて正岡子規の門人でもあった日本美術の原安民のすすめで「形外」に改めている。そして、不思議なことに「形外」の意味について弟子や患者さんたちに語った記録は全く残っていない。そのため形外が何を意味するかについては議論のあるところである。この謎を解明すべく、岡本先生はまず原安民(1870-1929)について調査された。原安民は元の名は川﨑安で、博識ながら自由奔放な性格の人だったそうである。「人體美論」という本を出したが女性の裸体写真を載せたため発禁になってしまったこともある。東京美術学校鋳金科を卒業し、岡倉天心・橋本雅邦からの雑誌「日本美術」を譲り受け、明治38年、森田先生に連載記事の原稿を依頼している。その連載中に森田先生の雅号は「是空」から「形外」に変わっている。しかしながら、岡本先生は、いろいろ研究されていく中で、「形外」は原安民の思想ではなく、橋本雅邦、岡倉天心の美術思想から生まれたものだとされている。そして、それはさらに雪舟、雪村の絵画の極意「形相を外にして一点の邪念もない」とか「無心」にまで遡ると結論されている。従来、森田療法に関わる医師による解釈や森田先生の治療を受けた患者さんによる解釈はあったが、純粋に学問的に「形外」の意味を追及した研究は今までなく、今回の御発表は貴重な研究成果だと思う。

2012年12月 3日 (月)

神経質礼賛 851.イチョウの落葉

 いよいよ12月。紅葉のピークを過ぎ、落葉の季節である。東大のイチョウ並木はとても有名だけれども、三島の日大通りも負けはていない。何しろ日大通りは、500mほどの道の両側に幼稚園、小学校、中学校、県立三島北高校、日大三島高校、日大国際関係学部といった学校施設がびっしり立ち並んでいる。その先になぜか税務署もある。春は学校の校庭に植えられた桜が咲き、桜吹雪の後には道路脇のツツジが開花。そして6月にはアジサイが花開く。秋になるとツツジの間からヒガンバナが鮮やかに顔を出す。そして秋には街路樹のイチョウから銀杏の実が降り(344話)、やがて木々の葉は黄色に染まる。年中私たちの目を愉しませてくれるのだ。こんな豪華な道はそうそうない。この時期はイチョウの落葉が道路脇や歩道を埋め尽くし、朝日を浴びて黄金色に輝く。毎朝、学校の生徒さんたちや税務署の職員たちが竹ぼうきで落葉を片付けている。

 もっとも美しい落葉のじゅうたんに見とれてばかりいるわけにもいかない。イチョウの落葉はとても滑りやすい。歩行者が滑ってケガをすることがある。自転車やバイクが急ブレーキをかけるとスリップするとか、ハンドルを切ってもそのまま滑って直進してしまうとかいったことも起きやすい。イチョウ並木のある自治体には、落葉の季節には「滑って危ない」という苦情がよくあるという。かといって早めに剪定すると、今度は「無粋だ」という苦情がくるのだそうでなかなか難しいものがある。神経質としては足元に気を配りながらも、黄金じゅうたんの景色を楽しみたい。

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