神経質礼賛 860.鳥囚はれて飛ぶことを忘れず
三島森田病院には森田正馬先生が書かれた次のような色紙が残っている。
鳥囚はれて飛ふことを忘れす
馬繋かれて馳する事を思ふ
昭和二年十一月 森田形外
入院森田療法は1週間の絶対臥褥から始まる。もちろん自分の自由意思で行うことであり、囚われているわけでも繋がれているわけでもないけれども、1週間はひたすら寝るだけの生活を送る。何もしないで寝ているだけでいい、というのは楽そうに見えて、実は健康人にとってはものすごくキツイことなのである。これがエネルギーの枯渇した本物のうつ病の人であれば1週間でも2週間でも寝ていられる。しかし神経症の人は健康人と同様、あるいはそれ以上のエネルギーを持っている。自動車で言えばギアがニュートラルのままエンジンを空回りさせているようなもので、「症状」のために無駄にエネルギーを浪費しているだけのことである。人間には死にたくない、長生きしたい、という本能的なものから、人から認められたい、向上発展したい、といった高次なものまで、多様な「生の欲望」がある。特に神経質人間はそれが人一倍強いので、臥褥していることが苦しく、仕事をしたいという意欲がかきたてられることになる。絶対臥褥が終了してからは、次々と身の回りの仕事に手を出していくうちに、対人恐怖、不安発作、強迫観念、不眠といった神経症の症状はいつの間にか気にならなくなっていくのである。
旧制中学時代に不眠症・強迫観念・胃腸症状などに悩み、学校に行けなくなってしまった若き日の鈴木知準先生(372話)は森田医院を受診した。森田先生からは「意志薄弱者」と言われて入院を断られたが、奥さんと助手の野村先生の助言でようやく入院を許され、医院横の借家のボロボロの2畳の部屋で一週間の臥褥生活を送った。知準先生は大原健士郎先生との対談の中で「何もせず、ただ、すすけた天井のふし穴をながめるのみでたまに豆腐屋のラッパ、羅宇屋(ラオ屋:キセルの管の修理・清掃を行う商売)のチンチンという音、納豆売りの声を聞くだけの毎日が、過ぎていき、そのことで、私は、どうにもならぬ心になり切ったのでしょう。心機一転して、不安は不安でそれだけとなってしまったのです」と語っている(世界保健通信社:大原健士郎偏『森田療法』p.159)。1週間の臥褥生活が大きな転機となったのである。その後、知準先生はまるで別人のように勉強に集中できるようになり、旧制浦和高校さらに東大医学部に進学。診療所を開設して森田療法を行い、一生を神経症に悩む人のために捧げられた。
今回、自分がICUに入院している時に頭に浮かんだのは、森田先生のこの言葉である。とにかく早く仕事がしたい、時間よ早く過ぎてくれ、と願い続けた。自分の「生の欲望」の強さを思い知った。それとともに、たとえいろいろな厄介事が次々と起きていても、仕事をすることができ、家で食事が食べられ、風呂に入れる、という何でもない一日が、とてつもなく幸福なことなのだ、と文字通り痛感した。まさに日々是好日なのである。
今年も間もなく終わろうとしています。相変わらず無愛想なブログですが、いつもお読みいただきありがとうございます。皆様からいただきますコメントは私にとっても大変勉強になります。年末にアクシデントに見舞われましたけれども、おかげさまで何とか月10回更新を続けることができました。
皆様、どうぞよいお年をお迎えください。(四分休符)
最近のコメント