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2013年1月30日 (水)

神経質礼賛 870.腹を立てない工夫

 神経症圏の外来患者さんで、キレやすくて困る、という人が時々いる。男性・女性に限らない。当り散らす相手は、配偶者や親である。職場や外でやったら問題になってしまうので、身内という甘えもあって家庭内では暴言を吐いたり物を投げつけたりしてしまうのである。先日、ある外来患者さんが「ついイライラして妻に当り散らしてしまうと妻も怒って大ゲンカになる」と言っていたので、以前、247話「怒りの解消法」や442話「感情の法則と90秒ルール」に書いたことを話して、「奥さんに当り散らしそうになった時には、ちょっとトイレに行ってくるとか、他の部屋へ行って窓を開けて外の空気を吸って、ワンテンポ置いてみたらどうでしょうか」と勧めておいた。


 
 そもそも、腹を立てなくて済む工夫はあるのだろうか。

森田正馬先生は、月1回の形外会の際に女性の参加者から、

「私はどうも腹が立ちやすく、その時は心悸亢進が起こったり、胸苦しくなったりしますが、そんな時にはどうすればよいでしょうか。なんとか腹の立たないようにする方法はないものでしょうか」と質問された。

それに対して森田先生は、

 「腹が立って苦しく、いろいろの気持ちになるのは、寒い時に震え、暑い時に汗が出るのと同じように、ある事件に対する腹立ちという反応であり、現象であるからこれをどうする事もできない。このとき腹を立てないように工夫する方針をとると、その人はしだいにヒネクレの方に発展する。ただ腹の立つのはなんともしかたがないから、その衝動をジッと堪え忍んでいさえすれば、それが従順というものであります。これは体験すればなんでもない事で、理屈ではちょっと思い違いやすい事であります」(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.93)と答えている。


 
 やはり、腹が立つのはどうにもならない。自然なことなのである。腹が立ってしまったら、感情の法則を思い出して、怒りの感情はさておき、やらなければならいことをやっていき、自然に感情が消褪するのを待つのがベストである。

2013年1月28日 (月)

神経質礼賛 869.高見盛引退

 大相撲の人気力士だった高見盛(36)がついに十両から幕下陥落が確定し、引退を表明した。関取の中では旭天鵬に次ぐ高齢力士。満身創痍の体でよくここまで頑張ってきた。最近は「心も体もポンコツだから相撲を取っていることが怖いよ」とか「不安で不安で仕方ないけど、やるしかない」と発言をしていた。それでも、幕下陥落が確定した時点では引退表明せず、きっちり最終日まで相撲を取り続けたのは真面目な高見盛らしい。今場所は10敗していたが、昨日の千秋楽では勝って5勝目を上げ、現役最後の取組を白星で飾った。

 当ブログの初期、第5話に高見盛の話を書いている。土俵上で派手なパフォーマンスをしているように思われていたが、実はものすごく気が小さくて緊張しやすい性格なのだ。次の日の取組のことを報道関係者から聞かれると眠れなくなってしまう人でもあった。小さいころからいじめられっ子で、担任の先生から相撲を勧められてどんどん強くなったが、実生活では高校生になっても後輩からいじめられていたという。

 全くの相撲一筋だったから、引退後はどうするのだろうかと気になっていた。どうやら部屋付きの親方として後進の指導にあたるようだ。この人だったら弟子に「かわいがり」と称する体罰を加えるようなこともないだろう。小心なままオドオドしながら第二の人生でも活躍してほしいものである。

2013年1月25日 (金)

神経質礼賛 868.「さっさと死ねるように」発言

 放言問題をたびたび起こしてきた元総理のA副総理が21日の社会保障制度改革国民会議でまたまた物議をかもす発言である。終末期医療の患者を「チューブの人間」と表現し、「政府の金で延命治療をやってもらうなんてますます寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらわないと解決しない」と発言した。後になって記者団に釈明し、「公の場で発言したのは適当でない面もあった。撤回し、議事録から削除するよう申し入れる」とコメントしたという。

 これを聞いて、終末期医療を受けている患者さんやその家族はどう感じるだろうか。「チューブの人間」になりたくてなっているわけではない。本人・家族・医療関係者とも悩みながら苦渋の選択しているのだ。A副総理は「私はそういう(終末医療は)必要ない、さっさと死ぬんだからと(遺書を)書いて渡してある」そうだが、御自身だって状況によっては「チューブの人間」になるかもしれないのである。

確かに、「胃ろう」は反省期に入っている。限られた医療費の使い方も考える必要があるだろう。しかし、この発言は、国にとって役に立たない人間は死んでもらう、という発想そのものではなかろうか。障害者を「生きるに値しない生命」として「安楽死計画」を推進したナチスを思い起こさせる。弱い立場の人を思いやることができない政治家は、さっさと引退してもらわないと困る、という言葉を返したい。


 
 知性と品性が欠如し神経質が足りない政治屋の発言ではあるが、人のふり見てわがふりなおせ、である。我々神経質人間も神経質を生かせないでいると、自己中心的で思いやりに欠けることがあるので、気を付けなくてはならない。631話に書いたが、森田正馬先生は患者さんの指導の際によく次の句を引き合いに出された。


 
 雪の日や あれも人の子 樽拾い  安藤信友(冠里)


 
 人はまず誰でも腹がへれば食いたい、目上の人の前では恥ずかしい。これを平等観という。「雪の日や、あれも人の子樽拾い」という時に、たとえ酒屋の小僧でも、寒い時には苦しいと観ずるのを平等観というのであります。それを自分は寒がりであり、恥ずかしがりやであるから、自分は特別苦しいというのを差別観という。この差別をいよいよ強く言い立てて、他人との間に障壁を高くする時に、ますます人と妥協ができなくなり、強迫観念はしだいに増悪するのである。 (白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.40


 
 時々この句を思い出して、自己中心的な差別観に陥っていないかどうか、反省してみる必要がある。

2013年1月21日 (月)

神経質礼賛 867.緑の山手線

 先日、ニュースを見ていたら、東京の山手線が緑の車両登場50周年を記念して昔懐かしい全面緑色の車両を1年間限定で1編成だけ復活させたという。ただしフロントパネルは全面緑ではない。経済成長期に国電ならぬ酷電と言われた朝夕のひどい通勤ラッシュを思い出す方もおられるかもしれない。「♪丸い緑の山手線、真ん中通るは中央線」という某カメラ・家電量販店のCMソングを連想される方もおられるだろう。運行する時刻は決まっていないとのこと。運よく当たる確率は51編成中の1編成なので2%程度だ。車両を表す記号表示の文字も昔の書体を使っているそうだ。つり革には山手線のすべての駅名がデザインされているという。そうなると鉄道マニアの人々が追いかけることになるだろう。地方にいるとチャンスは少ないが私も一度乗れたらなあと思う。

 今の車両になる前、山手線は緑、総武線(各駅停車)は黄、中央線(快速)は赤橙で全面塗装されていたから、遠目にもよくわかった。現在の東京のJRは私鉄や地下鉄からの乗り入れ運転が多くなって便利になった反面、複雑になっていて、私のように「お上りさん」でたまに東京に出る田舎者や目が不自由な人や高齢者にとってはわかりにくくなっている。利用客にはいろいろな人がいる。わかりやすいことは、種々の間違いやトラブルを防止するのに役立ち、とても良い。1年限定と言わず、この際全車両を全面同色に統一して、ついでに総武線・中央線もそれぞれ全面同色にしてわかりやすくしたらどうか、と思う。

2013年1月18日 (金)

神経質礼賛 866.薬の引き算

 3日前から読売新聞「医療ルネサンス」のコラムで「高齢者と薬」という話題を取り上げ始めた。第1回は「睡眠薬で認知機能低下も」という見出しで、認知症として治療を受けていた高齢者が、足のふらつきと食欲低下がひどくなって、他のクリニックを受診して、睡眠薬を短時間型のものに変更して減量しアルツハイマー型認知症の薬を中止されたところ、足のフラツキや食欲低下は改善し、物忘れもなくなったという例を紹介していた。

 このような例は時々経験する。ベンゾジアゼピン系睡眠薬の問題は以前にも書いた。筋弛緩作用のため、ふらつきや転倒事故をきたしやすい。高齢者では若い人に比べて腎機能が低下しているため、薬の代謝が遅くなって血中濃度が高くなりやすく、そうした副作用が出やすいのである。また、アルツハイマー型の「治療薬」は最近種類が増え、製薬会社間の競争が激しくなり、医療機関への売り込みも強力である。頭部CTやMRIの画像診断を踏まえ、日常生活の状態を詳細に把握した上でアルツハイマー型認知症と診断されるのならよいが、物忘れというだけで安易にそうした薬が処方される現実があるようだ。それらの薬剤は、食欲を低下させる副作用が出やすいばかりでなく、不眠、不穏といった問題を起こしやすい。在宅あるいは老人施設で精神症状が悪くて対応ができない、として入院になった方の中にも、薬を整理していったら、認知症治療薬や精神科薬はあまり使わずに平穏な日常生活が送れるようになる人がいる。ただでさえ高齢者は高血圧や糖尿病や高脂血症などの多くの薬を服用している。症状があるごとに薬の足し算をしていったのでは、副作用が出やすくなるし、薬同士の相互作用も出やすくなる。できる限り薬の引き算を考えることも大切である。


 
 精神科の世界では、かつて多剤併用がまかり通っていた。そんな時代に私の師の大原健士郎先生は教授回診の際、研修医に「ミッテル(独:Mittel 薬)は?」と尋ね、薬の種類が多いと、「薬は単剤で押すものだよ」と注意しておられた。統合失調症の治療で基本的な治療薬は抜くわけにはいかないけれども、睡眠薬や生活習慣病の薬は、生活上のアドバイスを繰り返すことで減量したりやめたりすることができる。なるべく低「脳薬」を心がけたい。そして、神経症の場合はできるだけ無「脳薬」が望ましい。

2013年1月14日 (月)

神経質礼賛 865.消費期限と賞味期限

 私は神経質なので、食品の消費期限や賞味期限が気になる。消費期限とは弁当や生菓子など長く保存できない食品の食べても安全な期限、賞味期限は常温で長期間保存できる食品のおいしく食べられる期限、という違いがある。古いものは早く使ってしまいたいと考える。ところが、私の妻は、有機や無農薬などの自然食品にとてもこだわる割には消費期限や賞味期限には無頓着であり、消費期限を1週間や10日くらい過ぎた豆腐や食パンなどが冷蔵庫に眠っている。それを指摘しても結局は食べさせられるので、怒らせるだけ損だから最近は言わないことにしている。妻は「別に腐っているわけじゃないから大丈夫」と言うが、どうも気になる。まあ、これらの期限は絶対的なものではなく、自分の五感で安全性を確かめる力も必要であるとは思うけれど・・・。消費期限や賞味期限は気にし過ぎもいけないが、気にしなさすぎも困る。ほどよい加減がよい。


 強い確認癖がある強迫神経症(強迫性障害)の患者さんで、郵便物が整理できなくて困るという人がいた。もし、大切なものを見落として捨ててしまっては困ると思って全部取っているので片付かない、と訴えていた。どのくらいたまっているのか、と聞いたら、ある時、大きなショッピングバッグに一杯の郵便物を持ってきて見せてくれたことがあった。それには驚いたけれど、「
1年以上過ぎたものは賞味期限切れの食品だと考えて、思い切って捨ててみたらどうですか」とアドバイスした。これは他人ごとではない。私も郵便物が溜まってしまって困る方である。明らかに不要なDMはすぐに捨てるが、「とりあえず取っておこう」をやってしまうとどんどん溜まる一方である。職場でも、製薬会社からの文献やパンフレットや雑誌類がすぐに溜まってしまう。捨てがたい内容のものもあって、気が付けば机の上には山ができている。最近は、必要な文献はスキャナで取り込んでデジタル化するようにしているけれども、なかなか追いつかない。やはり、時間が経って使わないものは賞味期限切れとして、思い切って捨てるに限る。

2013年1月11日 (金)

神経質礼賛 864.椿

 昨日の午後は休みを取って、退院(859話)後最初の受診に行った。駅からは10分おきに県立総合病院行のバスが出ている。駿府城外堀を半周する大回りのルートなので病院までは30分ほどかかる。街路樹が寂しげなこの時期、鮮やかに咲いていて目を引くのが椿の花である。バスの車窓からあちこちで見かける。椿の花は落ちる時にはまるで首が折れるようにハデに花全体が落ちるため、縁起が悪いということで病院のお見舞いには絶対にいけないのだそうだ。江戸時代には一部の武士に嫌われたという話もある。しかし、石庭の白砂や苔の上に落ちたり池などの水面に浮かんだりする椿の花はとても風流でいいと思う。

 頭部CTを撮ってもらってから外来診察を待つこと2時間あまり。入院中主治医だった先生は病棟の受け持ち患者さんの急変のため緊急手術に入ってしまい、結局他の先生の外来に回った。ほとんどいつも病院に詰めているような先生で、病棟と救急をこなしておられるので、若いとは言え無理をされなければいいが、と気になる。入院中のCTに比べると血腫はやや縮小していたが、まだまだ結構大きい。この状態で生活しているのかと思うと、神経質の小心者ゆえビビってしまう。もっと消退していることを期待していたのだが事実はそうなのだから仕方がない。元が大きかったので吸収されるまでには時間がかかりそうだ。それでも、退院した時よりは改善しているのだから、と気を取り直す。仕事をしながら規則正しい生活を送り、自然治癒力を高めて治るのを待つ。神経症の治療と大差ない。「求不可得(求めて得べからず)」解決を求めてあせっても道は開けない。時がすべてを解決してくれる。

 この次に受診する頃には梅が咲き始めていることだろう。春が待ち遠しい。それまでは椿の花を楽しむとしよう。

2013年1月 7日 (月)

神経質礼賛 863.地蔵いろいろ

 例年ならば元日に墓参りをして妻の実家へ行くところであるが、スロースタートの今年はようやくこの週末に行ってきた。お寺の入口では、きりりとした表情の地蔵菩薩が出迎える。墓地の入口に進むと、今度は2.5頭身のかわいらしい石仏のお地蔵さんが立っている。墓参りを終えて、川の土手にある日限地蔵に寄ってお参りしていく。3体の中央に立つお地蔵さんは「ゆるキャラ」的な面白いお顔である。同じお地蔵さんでもずいぶん違うものである。お地蔵さんには民間信仰的なところがある。笠地蔵のような伝説は各地に残っている。一番弱い立場の人々を守ってくれる、お地蔵さんにはそんな庶民の願いが込められている。

 全国には○○地蔵という名のいろいろなお地蔵さんがある。まだ行ったことはないけれども、以前にTV番組「酒場放浪記」の中で紹介された葛飾区の水元公園近くにある「縛られ地蔵」が一番変わっているのではないかと思う。縄でぐるぐる巻きにされたお地蔵さんは極めて珍しい。そのお地蔵さんのある業平山南蔵院のホームページによれば、大岡越前守の話に出てくるのだそうだ。呉服問屋の手代が境内で反物を荷車ごと盗賊に盗まれてしまった。大岡越前守は「寺の門前にいながら黙って見ているとは、地蔵も同罪」と、お地蔵さんを縄で縛り引き回しの上、奉行所に連行する。どうなることか面白がった野次馬たちが奉行所になだれ込むと、「お白州に乱入するとは不届き至極」と各人一反の反物を過料として差し出すように命じる。奉行所には多くの反物が寄せられ、その中に盗まれたものが混じっていて、捜査したところ盗賊を捕まえることができたという。以来、お地蔵さんを縄で縛ると願いがかなうということで次々と縄で縛られてしまうのだそうで、ちょっと気の毒である。なお、茗荷谷・林泉寺にも縛られ地蔵があり、一昨日の「おんな酒場放浪記」に登場した。

 お地蔵さんとて縛られてしまうと苦しそうだけれど、我々の日常生活にもいろいろな縛りがある。そして神経質人間は、ともすれば、「こうでなければいけない」、という「すべき思考」に陥りやすく、さらに自分で自分を縛って苦しむことになる。そしてそれが神経症の症状にもつながる。縄に縛られている自分の姿を見ればすぐに気づくはずだが、自分のこころを鏡に映すことはなかなかむずかしい。認知行動療法のように客観的に自分を評価し直す訓練によって縛りから抜け出す方法もある。森田療法では苦しいまま仕方なしに行動していくうちに縛っていた縄が自然と抜け落ちていくのである。そして、自分のことはさておき、人のために行動しようという地蔵のこころがあれば、縄からの脱出も早くなるのだ。

2013年1月 4日 (金)

神経質礼賛 862.形外会のお正月

 月1回、森田正馬先生のところで患者さんや雑誌「神経質」の読者を集めて行われていた形外会は、座談会だけではなく、参加者の余興を楽しんだり、時にはピクニックや旅行に出かけたりすることもあった。昭和81月の第29回形外会では新年会の余興が行われた記録がある(白揚社:森田正馬全集第5巻p.293-302)。

一 桂米丸氏の落語「ネギマの殿様」

二 森田大尉の首くくりの芸

三 山野井氏の童謡

四 長谷川・末政両氏のお国自慢安来節

五 清正と母と虎のはち合わせ遊び

六 職業当て遊戯

七 森田先生の綱渡り曲芸

八 大詰・赤面恐怖一座・滑稽劇「三方一両損」


 
 五はじゃんけんのようなものだが、舞台の中央に衝立を置き、両側に紙で作った兜と杖がおいてあり、両側に一人ずつ隠れ、合図とともに顔を出す。兜をかぶっていれば清正、杖を持てば母、四つん這いならば虎というわけである。清正は虎に勝ち、虎は母に勝ち、母は清正に勝、というわけである。これは意外にも面白かったらしく、参加希望者が続出したという。

 六は二名がそれぞれ背中に職業を書いた紙を貼り、相手の無言の身振りから自分に貼られた職業を言い当てるものだ。「森田先生」と書いたものがあってウケたようだ。

 七では森田先生がちょんまげの鬘をかぶり、黒紋付き赤たすき日傘をさし、口上と曲芸を一人でされたという。綱渡りを真似て畳の上でのジェスチャーである。これは拍手喝采だったそうだ。

 八は水谷啓二さん(生活の発見会創始者)の企画によるもので、神経質らしく、台本までしっかり記録されている。「寒い風が吹きやがる。面は、ほてりやがって、足はブルブル震えやがって、まるで赤面恐怖みたいじゃねえか」なんていうセリフまであった。


 
 まじめな神経質人間はどうしても面白味に欠ける面があると思われがちだが、自分が恥ずかしいとか馬鹿だと思われはしないか、という心配はさておいて、人に喜んでもらいたいという気持ちで創意工夫をこらせば、すばらしい芸ができるものである。そして、それを森田先生が自ら示しておられたのだ。この形外会は、一般的には退院者のアフターケアとも言われているが、実は神経質を生かし、よりよく生きるための教育の場、人間形成の場だったと言えるだろうと思う。

2013年1月 2日 (水)

神経質礼賛 861.カロリーオフとカロリーゼロ

 例年ならば元日には妻の実家へ行き、墓参りなどをするところだが、今年は体調を考えて無理はせず自宅でゆっくり過ごし、スローテンポでのスタートだ。アルコールを完全にやめているのも例年との違いである。成人になった子供たちがビール、私はノンアルコールビールで乾杯だ。ノンアルコールビールはたまに飲んだことがあったが、どれも酸味が強く感じられた。今回は日本ビールの「龍馬1865」という商品を買ってみたけれども、やはり同様だった。不思議なもので、アルコール分が酸味を軽減しているのだろうか。


 
 この商品の表示を見ると、100ml当たりエネルギー11kcal、糖質2.7gとなっている。これでもカロリーオフとして扱われる。神経質ゆえ、近頃よく見かける「カロリーゼロ」や「カロリーオフ」は実際のところどうなっているのだろうか、と気になって調べてみる。すると、カロリーゼロは100ml当たり5kcal未満、カロリーオフは20kcal未満だという。年末年始の食べ過ぎ・飲み過ぎを気にしてそろそろノンアルコールビールに切り替えようかと思っておられる方もいらっしゃるだろうけれども、ノンアルコールならばいくら飲んでも大丈夫、というわけでもないので注意が必要である。それに飲めばまた食が進んで食べ過ぎてしまうということもある。


 
 ノンアルコールビールに限らずコーラやスポーツドリンクや紅茶・コーヒーなどでもカロリーゼロやカロリーオフと表示されている商品をよく見かける。これらは人工甘味料を使っている。最近の研究ではカロリーがほとんどないような人工甘味料であっても摂取すると砂糖などの糖類と同様にインスリンが多量に分泌されている、というものがあるので、体に負担をかけることになる。やはり、ほどほどにするのがよいだろう。

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