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2013年1月 7日 (月)

神経質礼賛 863.地蔵いろいろ

 例年ならば元日に墓参りをして妻の実家へ行くところであるが、スロースタートの今年はようやくこの週末に行ってきた。お寺の入口では、きりりとした表情の地蔵菩薩が出迎える。墓地の入口に進むと、今度は2.5頭身のかわいらしい石仏のお地蔵さんが立っている。墓参りを終えて、川の土手にある日限地蔵に寄ってお参りしていく。3体の中央に立つお地蔵さんは「ゆるキャラ」的な面白いお顔である。同じお地蔵さんでもずいぶん違うものである。お地蔵さんには民間信仰的なところがある。笠地蔵のような伝説は各地に残っている。一番弱い立場の人々を守ってくれる、お地蔵さんにはそんな庶民の願いが込められている。

 全国には○○地蔵という名のいろいろなお地蔵さんがある。まだ行ったことはないけれども、以前にTV番組「酒場放浪記」の中で紹介された葛飾区の水元公園近くにある「縛られ地蔵」が一番変わっているのではないかと思う。縄でぐるぐる巻きにされたお地蔵さんは極めて珍しい。そのお地蔵さんのある業平山南蔵院のホームページによれば、大岡越前守の話に出てくるのだそうだ。呉服問屋の手代が境内で反物を荷車ごと盗賊に盗まれてしまった。大岡越前守は「寺の門前にいながら黙って見ているとは、地蔵も同罪」と、お地蔵さんを縄で縛り引き回しの上、奉行所に連行する。どうなることか面白がった野次馬たちが奉行所になだれ込むと、「お白州に乱入するとは不届き至極」と各人一反の反物を過料として差し出すように命じる。奉行所には多くの反物が寄せられ、その中に盗まれたものが混じっていて、捜査したところ盗賊を捕まえることができたという。以来、お地蔵さんを縄で縛ると願いがかなうということで次々と縄で縛られてしまうのだそうで、ちょっと気の毒である。なお、茗荷谷・林泉寺にも縛られ地蔵があり、一昨日の「おんな酒場放浪記」に登場した。

 お地蔵さんとて縛られてしまうと苦しそうだけれど、我々の日常生活にもいろいろな縛りがある。そして神経質人間は、ともすれば、「こうでなければいけない」、という「すべき思考」に陥りやすく、さらに自分で自分を縛って苦しむことになる。そしてそれが神経症の症状にもつながる。縄に縛られている自分の姿を見ればすぐに気づくはずだが、自分のこころを鏡に映すことはなかなかむずかしい。認知行動療法のように客観的に自分を評価し直す訓練によって縛りから抜け出す方法もある。森田療法では苦しいまま仕方なしに行動していくうちに縛っていた縄が自然と抜け落ちていくのである。そして、自分のことはさておき、人のために行動しようという地蔵のこころがあれば、縄からの脱出も早くなるのだ。

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コメント

地蔵様のお話心温まります。
どん詰まりの末世に地蔵様は救いの大任を負っていらっしゃいます。

本記事は印刷してよく目にするように致します。

それにしても、先生、酒場好き過ぎhappy02

たらふく様

 コメントいただきありがとうございます。
 お地蔵さんに頼らなくてはいけない世の中では困りますよね。もう少しなんとかならないものかと思います。

 酒場に限らず、街歩きは大好物です(笑)。

 先生、こんばんは。今回のお話を読んで、あるお地蔵さんを懐かしく思い出しました。

 子供のころ住んでいた家のすぐ近くに小さな地蔵堂があり、お堂の外にも小さな石のお地蔵さんが何体か並んでいました。それは川端にあって、むかしその川の氾濫により亡くなった子供たちの供養のために造ったと言われていました。私は日頃からよくそこにお参りをしていましたが、子供ながらに真剣にお願いしたいことがあって通ったこともあります。私の母は病院に勤めていて、私が小学校低学年の頃、薬局の助手から会計に異動になったことがありました。十分な教育を受けられなかった母には難しいことがたくさんあったようですが、そろばん(時代ですね~)が出来ないのがいちばん困ったようで、近所のそろばん塾に2カ月くらい習いに行っていました。その頃の母の涙と頑張り(あるがままでしょうか)を見ていて、幼心にも何か切実な気持ちになったのを覚えています。それで学校から帰るとお地蔵さんに手を合わせに行くのが日課となりました。

 近くにお地蔵さんがいる生活-特に子供時代-は幸せだと思います。今、そのお地蔵さんは、町の区画整理でどこかに移動になってしまったようなのですが、私は公民館にいるのではと当たりをつけています。24日の初地蔵には訪ねてみようかなぁと思います。

anxiety様

 コメントいただきありがとうございます。

 都会化で道路が拡張されて、街中のお地蔵さんは本当に少なくなりました。道端にお地蔵さんが立っていて、自然の四季が感じられる光景は貴重です。子供時代に拝んだお地蔵さんと再会できるといいですね。

 お母様はとても頑張り屋さんだったのですね。anxiety様も、その良いところを受け継いでおられるのだと思います。

こんにちは。
お地蔵さまがお話にのぼってますね。私は10年ほど前地蔵さまを見つけると5円玉をあげて、手を合わせて地蔵さまの真言を3回唱えないといけない強迫にとらわれた時期があります。仕事は遅刻しそうになるし、土砂降りの雨の中でも立ち止まらないといけないし、いつも胸ポケットには5円玉を入れとかないといけないし、さい銭箱に入れる時、その5円玉の製造年は自分が何歳の時なのか確認しないといけなくて。苦しくて、お地蔵さまが立ってなさそうな道を遠周りでもして帰ったり。大変でした。自覚はしてなかったけど、願掛けみたいな行為だったのでしょうね。一番大事にしていた生活がダメになって、夢はかなわないとわかってから、それはしなくなりました。四分休符様、お地蔵さまのお話、ありがとうございます。

hagino様

 コメントいただきありがとうございます。

 ほのぼのとしたお地蔵さんですが、hagino様にとっては、つらい強迫症状の思い出があったのですね。5円玉を持っていない時、時間がない時には軽く一礼して通れば、ばちは当たらないでしょう。5円玉の製造年を確認して、その時の自分の年齢を計算することが、何の役に立つのか?ばかばかしいと御自分でも思っておられたことと思います。でも、強迫や確認の無限ループにはまりこむと抜け出すのは大変です。今後、万一、別の強迫にはまってしまわれた時には、あの地蔵強迫(?)と同じだ、と理解することで、ガマンして脱出できることと思います。

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