昨年12月4日にメンタルヘルス岡本記念財団会長の岡本常男さんがお亡くなりになった。追悼文を書きたかったのだが、逝去されたことについて財団ホームページ上の発表がないため、これまで控えていた。このほど発行された生活の発見誌2月号p.43に岡本会長が逝去され「忍ぶ会」(「偲ぶ会」の誤植?)が2月24日(日)に行われるという記事が掲載されていて、公開されたも同然であるから、書かせていただこうと思う。私の自宅にも岡本常男会長を偲ぶ会の出欠ハガキが送られてきた。当日はあいにく日当直勤務が入っていて動きが取れない。何とも残念である。
森田療法関係者で岡本常男さんを知らない人は皆無であろうが、たまたまこの文章を目にした方のためにごく簡単に記しておく(37話・268話・269話参照)。
岡本常男さんは1924年生まれ。第2次世界大戦でシベリアに抑留され、九死に一生を得て帰国。文字通り裸一貫から苦労を重ねて大阪に衣料品店「岡本商会」を作り上げた。のちに「ダイエー」「ジャスコ」「ヨーカドー」と並ぶ四大スーパーのひとつ「ニチイ」(マイカル)の共同経営者となり、副社長となった。サクセスストーリーの典型のような人生だが、ニチイの営業本部長時代には胃腸神経症にかかり、食物がノドを通らなくなって、激ヤセしてしまう。いろいろな治療を受けてもよくならず、森田療法を勉強されて実践したところ、見事に回復された。その後、森田療法の普及と発展を天職として、私財40億円を投じてメンタルヘルス岡本記念財団を創設し、国内はもとより、諸外国に森田療法を広めるために東奔西走されてきた。晩年には息子さんに理事長職を譲られて会長となり、財団運営が盤石なものになってからもなお森田療法学会をはじめとする森田療法関連の行事には必ず参加されていた。今日の森田療法があるのも、岡本さんの尽力によるところが大きい。
私が初めて岡本会長(当時理事長)に身近に接したのは、平成7年に北京で行われた国際森田療法学会の後、オプショナルツアーで桂林へ行った時である。その後、私が三島森田病院に移ってから、8回ほど財団のセミナー講師をさせていただいた際に、お会いしていた。セミナーでは、まず岡本さんが御自身の体験を語り、次に生活の発見会の方の体験談があり、その後で精神科医が森田療法について話をするという流れだった。セミナーを終えて関係者で会食に向かう時、大阪の街を奥様と肩を並べて歩く岡本さんの後姿がほほえましかったのが強く印象に残っている。拙著のあとがきに書いたように、岡本さんから「森田療法の本を書きませんか」と言われたのが、当ブログを始め、ひいては拙著を出すきっかけとなった。
岡本会長に最後にお目にかかったのは一昨年6月のことだった(672話)。メンタルヘルス岡本記念財団の事務所移転後の新しい図書室で古閑義之先生の本を探して読ませていただき、さて帰ろうとエレベータに乗ったところで顔見知りの財団事務の方に呼び止められ、現理事長・現事務長そして岡本会長にお会いすることになった。会長は御体調がすぐれないにもかかわらず、毎日事務所に出勤なさっているということであり、「財団では森田療法の発展のため、研究を助成しています」と力強い口調で話されたのには、鬼気迫るものを感じた。
岡本常男さんは経営の神様・松下幸之助(211話)と共通点が多い。家庭の事情で高等教育を受けられなかったが、神経質性格を生かして起業し、その事業を着実に発展させていった。そして、私財を投げ打って社会のために尽くされた点も重なる。森田正馬先生の言葉「己の性(しょう)を尽くし、人の性を尽くし、物の性を尽くす」を体現された一生だったのだと思う。
岡本常男さんの御冥福を心よりお祈り申し上げます。
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