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2013年3月18日 (月)

神経質礼賛 887.山頭火

 昨年末の1224日、NHKで「放浪の俳人 山頭火 現代に響く魂の言葉」という番組が放送された。ビデオに録っておいたが、よい番組だったのでさらにキャプチャーしてパソコンにも入れてある。山頭火の句に触れて心の危機を脱することができた人たちの話を交えながら山頭火の生涯と名句を紹介していくという番組で、種田山頭火役を神経質人間の竹中直人さん(105話・484)が好演していた。果てしない道を僧衣でトボトボと一人歩いていく山頭火の姿は「どうしようもないわたしが歩いてゐる」「まっすぐな道でさみしい」そのものだ。最後に住んだ松山の一草庵には「濁れる水の流れつつ澄む」の石碑がある。これは死の1か月前の句であり、苦悩の末につかんだ澄み切った水のような境地に達した句である。あるがまま、の心境ともいえるだろう。私は「捨てきれない 荷物のおもさ まへうしろ」の句に惹かれた。家康公遺訓「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」(209話)にもあるように、捨てられない心の荷物は増える一方である。悟りきった禅僧のように重荷を捨てることはできないけれども、前後にぶらさがる荷物の重さを感じながら生きている限り一歩一歩歩いて行こうと思う。

 うつ病になり希死念慮にさいなまれたあるサラリーマンは休職中に図書館で山頭火の句集を読み、「生死(しょうじ)の中の雪ふりしきる」という句に自分を重ね合わせて涙した。苦しんでいるのは自分だけじゃない、すべての人間や動物は生死を賭けて今を生きているのだと。まだ服薬は続けているが、今では仕事を休むこともなくなり、出勤前には「だまって今日の草鞋(わらじ)穿く」の句を心に浮かべて、とにかく今日一日何とかやればよい、という思いで革靴をはいて家を出るという。

 書店にTown Mook『人間 山頭火と放哉』(徳間書店750円)という雑誌があって、手に取ってパラパラ見ているうちに欲しくなって買った。種田山頭火(1982-1940)は尾崎放哉(1885-1926)とともに荻原井泉水の門人で自由律俳句の俳人であり、酒で身を持ち崩し、出家して放浪した点は共通だが、作風は「動」と「静」で異なっていると言われている。山頭火は山口県の裕福な家庭に生まれたが、父親は家を顧みず愛人と遊び歩くような状況で、母親が自殺し、大きなショックを受けた。早大文学部に進学するも神経衰弱にかかって中退。その後、家業の酒造所が破産し、妻とは離縁。睡眠薬自殺を図ったこともある。自虐の念に苦しみ吐露した句は、自らの弱さを素直にさらけ出していて、とても共感できる。神経質人間はしばしば落ち込んでは「自分はダメだ」という思いにさいなまれる。そんな時には山頭火の句を読み、山頭火のように果てしない道を一人で歩いている自分を想像してみると、「この道しかない春の雪ふる」という気持ちになり、とにかく歩いて行こう、という元気がわいてくるのではないだろうか。

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コメント

先生、こんばんは。俳人の登場を待っておりました。私はあまりTVを見ないのですが、この番組は見たかったなぁと思います。

昔は、自由律というものがわからないといこともあって、山頭火の句の良さがあまりわかりませんでした。でも、ひさしぶりに山頭火の句に触れ、<生死の中の雪ふりしきる>、<この道しかない春の雪ふる>など、お引きになった句のどれにも惹かれています。すーっと共感し、何というか、大きな慰めを感じます。

近々旅をするので、「山頭火」をバッグに入れて行こうと思います。良い日曜日をお過ごし下さい。

anxiety様

 コメントいただきありがとうございます。

 私は頭が固いためか自由律の俳句はどうも抵抗があったのですが、俳句であるとかないとかを忘れて、山頭火の句を読んでみると、とても胸に響く言葉だなあ、と感じます。

 私が住んでいる静岡は一気に桜が満開に近くなっています。東京でもこの週末、花見日和のようです。句集を持って文学散歩も良さそうですね。

山頭火の名前は聞き知っていましたが
そういうものを背負った人だとは不知でした。

ご紹介の句はどれも身にしみます。
いろいろ知りたくなりました。

たらふく様

 コメントいただきありがとうございます。

 山頭火は神経衰弱症のため、大学を中退。40歳の時にも東京市役所職員として勤めていた一ツ橋図書館を神経衰弱症のため辞めています。もし、山頭火が森田先生の門を叩いて治療を受けていたら、輝かしい実生活を送れた可能性があります。でも、そうしたら、心にしみる名句は誕生しなかったことでしょう。

先生、こんばんは。

山頭火が輝かしい実生活を送っていたら、あのような心にしみる俳句は誕生しなかっただろう、と私も思います。ある種の痛みを伴いながら。神経症や人生の不運は山頭火を散々苦しめたけれど、その苦しみがあったから後世の私たちの心をもふるえさす句は生まれたのですよね。そんな句を数々生みながらも、山頭火はとても苦しかったでしょうが。

私の句友にも、かつて神経症だった人がいます。その人は俳句でめきめきと才能を発揮して、ある賞を受賞しました。その数々の受賞句は、その人が神経症だったと知っている私から見たら、その苦しみから生まれているとはっきりわかるのです。胸がしめつけられます。そして、その鋭敏な感受性ゆえに神経症にもなったけど、こんなすばらしい句を詠むことができる~神経症で苦しいから、即不幸ではないのだと思いました。「神経質でよかった」のひとつかもしれません。

本当はその人の句を紹介したいのですが、ブログではそうもいかないので、神経症の経験から生まれた私の句を先生に聞いてもらいたいですm(__)m

<発つものの飛沫を浴びて春の鴨>
<明日は去る西日の部屋の畳拭く>

俳句をする人って、たいてい図々しいのです。すみません。

すみません、上の投稿はanxietyです。

Anxiety様

 山頭火の俳句は、どん底状態の中での寂しさを吐露した句ゆえに、読者たちを惹きつけてやまないのでしょうね。

 春の俳句を御披露いただきありがとうございます。
 最初の句は、春になって渡り鳥たちが飛び立って行った後に残された鴨がほっとのんびりしているようで、ちょっぴり寂しげにも感じられます。
 二番目の句は、引っ越し前日の光景。たとえ西日が当たるオンボロのアパートでも住めば都。荷造りして疲れ切った体で最後の掃除をする時にはせつなくなる。こんな経験をした人は少なくないことでしょう。私もつい、学生時代に住んだ早稲田鶴巻町の倉庫のような三畳一間のアパート・荻窪の北向き1階の寒いアパート・下落合の元料亭だった学生下宿を次々と思い浮かべました。
 春は人も鳥も旅立ちの季節、別れと出会い季節ですね。二つの句とも春の温かさと別れの寂寥感が交錯していて、神経質らしい味のある句のように思います。(ど素人の個人的な感想を申し上げました。)

 先生、私の句をご鑑賞頂き、どうもありがとうございます!すごく感激しています。今日、ここ3か月ほどかなり労力をつかった仕事が何とか終わって、明日気分転換に小旅行に出かけることにしています。疲れが取れず、さっきまであまり乗り気になれなかったのですが、おかげさまで幸せ気分になってきました。楽しんできます!

anxiety様

 大きなお仕事が終わってやれやれですね。この週末は桜満開の所も多いかと思います。御褒美旅行、楽しんできて下さい。

 先生、こんばんは。
  
 先生は桜を楽しまれましたか。私の住んでいる所は桜はまだですが、東京に行ったときに桜を見てきました。名所がたくさんあるので何処にしようか迷いましたが、千鳥ヶ淵、播磨坂、小石川植物園(国重文の分館はお手入れ中で、その姿はシートに覆われていました)を散歩してきました。満開をほんのちょっと過ぎた頃でしたが、十分にきれいでした。残念だったのは、寝不足のためふらつき気味で、吟行としてはさっぱりだったこと・・。小石川は将軍家ゆかりの土地で、また、芭蕉が<一しぐれ礫や降りて小石川>の句を残していたり、啄木、幸田露伴なども住んでいたそうで、風情のある街でした。善光寺坂、湯立坂、堀坂といった良さそうな坂もあり、もう一度訪ねてみたい所です。

 とは言え、先生が送迎バスから菜の花を愛でられたように、身近な風景とも素敵な出会いはたくさんありますね。

anxiety様

 コメントいただきありがとうございます。

 東京の桜の名所を旅行され、文学散歩もなさってきたのですね。吟行としてはさっぱり、とおっしゃるけれど、時間が経ってから名句のネタになるかもしれませんよ。お住まいの地方の桜はこれから、ということでしたら、二度おいしいですね。

 今、小さな写真を載せているのは、静岡で最初に桜が咲き始める駿府城外堀の南東側です。堀の両側に桜が咲いていて見ごたえがあります。それ以外に通勤途中のあちこちで桜を楽しむことができました。桜の後は、もうツツジが咲いています。

 先生、こんばんは。

 「どうしようもないわたしが歩いてゐる」~今日、私はこの句に支えられました。最近やり始めた仕事があるのですが、能力不足に加え、どうしても症状がつよく出てしまい、他人にもそんな自分をさらしてしまい、消耗するし、ひどく惨めになります。今日はその仕事の日だったのですが、職場の駐車場に着いたとき、車のなかでしばらくの間ぐったりしてしまいました。そのとき、この句が浮かんできて、「ほんとうに私はどうしようもない。そのどうしようもない私で歩いて行けばいいのだ。へたれこんだり、引き返したりしなければいいのだ」と思い、車を出て、職場に入っていきました。

 先生、この「山頭火」のお話はありがたかったです。そして、やはり俳句はいいなあ、俳句と出合ってよかったなあ、と思います。

anxiety 様

 コメントいただきありがとうございます。

 私もすっかり凹んでしまう時があります。そんな時に、ふと頭をよぎるのはこの番組で知った山頭火の句たちです。どうしようもない私だけれども、一歩一歩前に向かって歩いているという事実があります。とりあえず今日一日、気分はどうあれ、結果はどうあれ、できることをやっていく、それだけでいいんだ、という気持ちにしてくれるのです。その先には森田先生の言われた「事実唯真」「日日是好日」の世界が待っています。

「神経質礼賛」とURLのとこに入れたら
ここに飛びました。
山頭火のお話ですが改めて読ませていただき
しみじみと味うことができました。
救われますhappy01

たらふく様

 コメントいただきありがとうございます。

 凹んでいる時、弱っている時、山頭火の句たちは心に沁みこんで辛さを和らげてくれるものです。本文で紹介した「捨てきれない 荷物の重さ まへうしろ」の通り、年々重くなってきますねえ(苦笑)。

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