フォト
無料ブログはココログ

« 神経質礼賛 884.乾電池による火災 | トップページ | 神経質礼賛 886.ティッシュペーパー »

2013年3月11日 (月)

神経質礼賛 885.方丈記

 近年、方丈記がちょっとしたブームだという。昨年がちょうど方丈記誕生800周年にあたること、東日本大震災後で種々の災害の記録とも言える方丈記が注目されたことがあるだろう。一頃は大きな書店に方丈記コーナーができていた。遅まきながら私も角川ソフィア文庫の武田友宏編『方丈記』を買ってみた。ビギナーズ・クラシックス日本の古典、の名の通り、角川文庫の古典シリーズもずいぶんソフトになったものだ。活字が大きくて老眼にやさしい。全体を37章に分けて、それぞれ、まず現代訳→原文→解説という構成になっているので、取っつきやすく、少しずつ読んでいきやすい。解説・付録を含めても200ページ足らずである。

 作者の鴨長明(かものながあきら・通称かものちょうめい1155-1216)が生きた時代は、平安時代・貴族の世から鎌倉時代・武士の世への大きな変化があった時期にあたる。保元の乱(1156)、平治の乱(1159)、平清盛太政大臣(1167)、平家滅亡(1185)、鎌倉幕府(1192)と歴史上の大きな出来事が続いた。それとともに、安元の大火(1177)、治承の辻風(竜巻)(1180)、養和の飢饉(1181)、元暦の大地震(1185)、と大災害が続き、伝染病の流行もあって、多くの死者を出し、長明はそれを目の当たりにして、無常観を深めていった。

 長明は下鴨神社の宮司の息子として生まれ、わずか七歳にして従五位下の位階を与えられた。しかし、父親が亡くなって後を継ぐことができず、結婚生活も破綻し、大きな挫折を味わう。さらに三十歳の時には住んでいた祖母宅を追われてしまう。長明にとっては和歌と音楽が生きがいだった。和歌の道では後鳥羽院に認められて、和歌所の寄人(和歌の選者)に任じられ、歌合の際には藤原定家に勝ったという記録も残っている。しかし、後鳥羽院が長明をある神社の宮司にさせようとした厚意に反して、長明は大原に隠棲してしまう。さらには日野に方丈の庵を作り、そこで方丈記を書き上げた。この庵については詳しく記述していて、分解して車2台で運ぶことが可能な構造になっているのが面白い。四畳半サイズのワンルームだけれど、南側には竹の簀子・・・今風に言えばウッドデッキがあり、東側には1mほどの庇を伸ばしてかまど・・・キッチンを設置していて、簡素ながらよくできている。折り畳み式の琴と組み立て式の琵琶も持っていた。自然に囲まれて季節のうつろいを感じながら、シンプルライフ・スローライフを愉しむのにふさわしい作りだったようだ。この方丈は災害や戦乱にまみれた無常の世を生き抜くために長明が開発した強力なツールだったと言えるかもしれない。

長明はどんな性格の持主だったのだろうか。育ちの良さからくる純粋さ、生真面目さ、自尊心の強さがあるが、徹底的に争わずに引いてしまうあたりをみると、強力性と弱力性が入り混じった神経質性格なのではないかと私は思う。隠棲したとはいえ、時々街に出ることもあり、常に世の中に関心を持ち続けていて、ひきこもりの隠者とはまた異なる面を持っている。後世の読者を意識して書いた方丈記は長明の「生の欲望」のあらわれだったのではないだろうか。

« 神経質礼賛 884.乾電池による火災 | トップページ | 神経質礼賛 886.ティッシュペーパー »

コメント

ひきこもりの隠者とはまた異なる面を持っている・・・

今晩これからNHK教育で「方丈記」の再放送がございます。
四分先生はすでにご覧になった蓋然性が高いと思われますが、お知らせします。

(経験上、この時間なら先生、チェックなさるかとhappy01

たらふく様

 すみません。コメントに気づいたのは土曜の朝でした。

 中学生や高校生の頃に読んだ方丈記のイメージは無常の世をはかなむだけの書、といったところでしたが、この年になってあらためて読んでみると、鴨長明のしぶとさ、無常の世を生き尽くす底力を強く感じた次第です。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 神経質礼賛 884.乾電池による火災 | トップページ | 神経質礼賛 886.ティッシュペーパー »

最近のトラックバック

2018年11月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30