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2013年4月29日 (月)

神経質礼賛 900.運命を切り開く

 神経質人間は自分に降りかかった嫌なことを、ことさら大きく捉えてしまう傾向がある。そして苦しみを強調しがちである。誰でも人前では緊張するものを対人恐怖の人は自分ばかりが苦しいと思うし、不安になれば動悸や息苦しさを感じるのは普通のことながら不安神経症の人は「どこか体がおかしいはずだ」「死ぬのではないか」と心配してさらに注意を自分の体に向けて動悸や息苦しさを悪化させることになる。強迫神経症の人は何事も完全にすることは不可能であるのに完全にしようとして強迫観念に悩む。


 
 作家の倉田百三は種々の強迫症状に悩まされて森田正馬先生のところに通院し、形外会にも参加して症状は軽快した。その倉田百三の著書を森田先生は俎上に載せている。


 
話は変わるが、倉田(百三)氏の著『神経質者の天国』の巻末に、こんな事が書いてある。

「運命は自分に、尊き暗示に満ちた課題を与え、しかも立派に、これを解決させてくれた。自分が受けたる異常なる精神の苦しみも、今はかえって甘きものとなり、自分の生命の根を培う養いとして、貯えられたように思わる。『我々は、運命を堪え忍ぼう』自分が最後にこの記述を閉じる語はこれである。そしてこの語には、いずくともなき浄き光が、永久に照らしているように思うのである。」

 私はこれに対して、こんな批評をしてある。「運命は堪え忍ぶにおよばぬ。例えば偶然に、山から石が落ちて来た時に、死ぬ時は死ぬ。助かる時は助かる。堪え忍んでも、忍ばなくても、結局は同様である。我々はただ運命を切り開いていくべきである。正岡子規は、肺結核と脊椎カリエスで、永い年数、仰臥のままであった。そして運命に堪え忍ばずに、貧乏と苦痛に泣いた。苦痛の激しい時は、泣き叫びながら、それでも、歌や俳句や、随筆を書かずにはいられなかった。その病中に書かれたものは、随分の大部であり、それが生活の資にもなった。子規は不幸のどん底にありながら、運命を堪え忍ばずに、実に運命を切り開いていったという事は、できないであろうか。これが安心立命であるまいか。」(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.261


 
 倉田百三の「運命を堪え忍ぼう」にはまだ「はからい」の心があるのに対して、森田先生の「運命を切り開く」は仕方なしに境遇に柔順に行動していく、いわば「あるがまま」という違いがあるのだと思う。「運命を切り開く」と言うと、大層のことのように思われるかもしれないが、実は私たちの何気ない日常生活の中にあるのだ。緊張して嫌ではあっても必要となれば人前で話をしたり会食したりする。不安でドキドキは気になりながらも通勤の電車に乗ったり会議に出たりする。確認したくなりながらも後ろ髪を引かれる思いのまま次の行動に移っていく。不潔が気になって手を洗いたくなっても普通の人が洗わない程度のことであれば他のやるべきことを優先する。どれもが小さいけれども「運命を切り開く」行為である。そして、そうした行為を積み上げていくと自然に運命は大きく切り開かれていくのである。

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コメント

 先生、こんばんは。少し前になりますが、子規庵(根岸)を訪ねました。もとの庵は昭和20年4月の空襲で焼失、現在の子規庵は昭和25年に再建されたものだそうですが、それでも、子規がつよく偲ばれるよい庵でした。

 子規が仰臥していた部屋は庭に面していて、ガラス戸を通して眺めることができます。そのガラス戸は、障子から替えられたのだそうです。明治32年12月、まだガラスは高価だった頃のことで、「ホトトギス」の仲間が贈ったのです。もらってきた「台東ぶらり散歩 正岡子規ゆかりの地(句碑)を訪れる 其の六」に、子規のエッセイが紹介されています~「果たしてあたたかい。果たして見える。見えるも、見えるも、庭の木も見える。杉垣も見える物干し竿も見える、物干し竿に足袋のぶら下げてあるのも見え、其下の枯菊、水仙、小松菜の二葉に霜の置りて居るのも見える・・・」(明治33年「新年雑記」)。
子規の喜びように胸打たれます。病気のために外を好きに見て歩くことができなくなった子規は、句材をひたすらあの小さな庭に求めたのでしょう。

 私の大好きな子規の夏の句を。そして、畏れ多いのですが、子規の胸を借り私の句も並べさせて頂きます!

<夏嵐机上の白紙飛び尽す> 正岡子規

<万緑を梵鐘の音の抜けられず> anxiety 

anxiety様

 子規のために高価なガラス戸を贈った仲間の心意気には心を打たれます。全身結核に冒されていて動きの取れない子規にとっては最高のプレゼントだったことでしょう。視界が広がったことでできた句も少なくないことと思います。

 子規の句と並べますとanxiety様の句の面白さが引き立ちます。「飛び尽くす」と「抜けられず」の対照がとてもいいと思います。(「万緑」は夏の季語だったのですね。どうも季語を知らなくて恥ずかしいです)

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