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2013年6月28日 (金)

神経質礼賛 920.「感じ」を高めていく

 神経質人間は豊かな感受性を持っている。芸術・文学の世界で活躍する人たちや優れた技術者・職人さんたちをみればわかるように、神経質は良い仕事をする上で欠かせない素質と言っていいだろう。当ブログでは徳川家康をはじめ歴史に名を残した優れた神経質人間を取り上げて紹介してきた。ところが、せっかく豊かな感受性があっても、それを行動に生かさずにああでもないこうでもないと考えて頭を空転させていたのでは宝の持ち腐れである。そればかりか負のスパイラル・自縄自縛の結果、神経症の「症状」と化して苦しむことになるのである。森田正馬先生は「余の療法」すなわち森田療法について次のように述べておられる。


 
 ここで修養の第一の出発点は、物事に対する「感じ」を高めて行く事である。我々は、見るもの・聞くもの何かにつけて、ちょっと心をとめていれば、必ず何かの「感じ」が起こる。かりそめにも、これにちょっと手を出しさえすれば、そこに感じが高まり、疑問や工夫が起こって、興味がわく。これを押し進めて行けば、そこにいくらでも、進歩がある。これと反対のものは「感じ」に対する理屈である。注意せねばならぬ・誠実であれ・努力し・忍受すべし・とかいう抽象的の文句をもって、自分の心の働きを抑制しようとする事である。この時には、いたずらに心の不可能の努力のために、物に対して起こる自然の感じは、一切閉塞して、心の発展進歩は、なくなってしまうのである。(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.425


 
 以前にも「感じから出発する」(675話)ということを書いた。例えば、身近なところで、部屋の汚れが気になる。そこで、めんどうだなと思いながらもゴミを捨てたりちょっと整理したり手を動かしてみる。すると、「見たところに仕事あり」という具合に次々とやるべきことが見つかる。そうなってくればしめたものである。神経質人間は「重い車」のたとえの通り動き出すまでが大変だが、一旦動き始めれば簡単には止まらない。正のスパイラルとなってくる。そしていつしか「症状」は忘れているのである。森田先生はさらに「煩悶は煩悶のままで、何かと手を出していさえすれば、自然に心が、その方にひきつけられて行く」と言っておられる。難しい理屈はいらない。「感じ」に対してちょっと手を出してみればそれが呼び水となって大きな流れが生まれるのである。

2013年6月24日 (月)

神経質礼賛 919.風疹の予防接種

 東京や大阪などの大都市を中心に風疹の流行が伝えられている。今年になってからの患者数は1万人を超えた。妊娠初期に感染すると胎児が先天性風疹症候群のために心奇形・難聴・白内障などの障害をきたすおそれがある。それを懸念して悩んだあげく妊娠中絶してしまう女性もいるという。とても残念なことである。

 私が中学生の頃には2年生の時に女子だけが予防接種を受けることになっていた。その後、法律が何度か変わって一時期、接種を義務づけられていない時期もあったそうである。その時期の人たちが現在30歳前後になっているという。2006年からは1歳以上2歳未満の時に麻疹・風疹混合ワクチンを接種することになっている。

 予防接種によって風疹ウイルスに対する抗体ができても、年を経るにつれ抗体価は徐々に下がってくる。昨今の晩婚化・高齢出産化では中学生の時に接種していても抗体価が下がって妊娠中に感染する危険性が高くなる。ましてや男子は全く接種されていなかったのだから、流行し始めたら止まりにくいというのが現状である。ワクチンが不足して海外から輸入しようという話もある。

 しかし、こうなる前に何とかできなかったのだろうか。男子は関係ないから予防接種しなくていい、という安易な発想に問題があった。大流行を防ぐためには、男子にも予防接種を行う必要があるはずである。神経質が足りないと言わざるを得ない。夫が風疹に感染したら、抗体価が下がっている妻も感染しやすくなるのは明らかである。欧米では予防接種を2回行っているそうである。風疹の予防接種の拡充は今からでも遅くはない。まずは未接種の成人を対象にワクチン接種を推進していけば、これから先の大流行は避けられるし、先天性風疹症候群をきたしたり、それを恐れて妊娠中絶したりする事態も回避できるはずだ。早い対応が望まれる。

2013年6月21日 (金)

神経質礼賛 918.ミセスワタナベ

 この前の日曜日(616日)、毎日新聞の1面に「誘惑のアベノミクス 戻ってきたミセスワタナベ」と題する記事があった。ミセスワタナベとは何だろうかと興味を持って読んだ。小口外国為替証拠金取引(FX)投資を行う人のことだそうだ。イギリスの経済紙が日本人に多い姓のワタナベを用いて日本の主婦を中心にした個人投資家を表現したものだという。実際、FX投資で得た4億円の所得を申告しないで所得税法違反で有罪となった主婦が話題になったことがある。リーマンショックの際の円高で大損して市場から撤退したミセスワタナベたちがアベノミクスに背中を押されて再び市場に戻ってきているという。最近は夜になるとTVのCMにもFX関係のものがある。FXは証拠金(保証金)を担保に最大25倍の取引ができる。円高局面でも円安局面でも利益を上げることが可能であり、うまくやれば大きな儲けになる反面、失敗したら大損する。「カジノ資本主義」の申し子のような存在である。

 新聞記事では夫と二人暮らし・30代後半・会社員女性のミセスワタナべの一日を紹介していた。取引は帰宅後の一時間半と寝る前と早朝だけと決めているが、夕食を作っている間も為替相場の行方で頭が一杯になる。トータルでは数十万単位の損失になっている。「朝起きると真っ先にパソコンを開いて相場をチェック。生活に張りがある」と言うが「損切りが出るとぐったり疲れる」とも言う。

 生活に張りがあるのは結構だけれども、ミセスワタナベはいわゆる「ギャンブル依存症」と紙一重なのではないか、と心配になる。分単位、秒単位で刻々と変化する為替相場がいつも気になっていたのでは、本人がいくら否認しても仕事や家事がおろそかになっているだろうし、人間関係にも影響があるだろう。第一、気が休まる時がない。

ギャンブルはすべてそうだが、長期間平均すれば損をするものなのである。さらにはそれに費やされる時間的なコストだってバカにできない。FXも同様、みんなが儲かることはありえない。大儲けした、という話を聞いて、羨ましい、と思うかもしれないけれど、その影には多くの損をした人たちがいるわけである。大儲けした人がそのうち大損して自己破産に追い込まれることだってあるだろう。ちょっと考えればわかりそうなものだが、儲かった時の高揚感や爽快感がいつまでも記憶に刻まれ、夢よもう一度、になってしまうのだろう。その点、小心者の神経質はギャンブルの深みにはハマりにくい。FXや株の売買で大儲けすることはなくても大損する心配もない。

2013年6月17日 (月)

神経質礼賛 917.失業しにくい神経質

 就職活動で苦労している学生さんは多い。また、再就職先を探してハローワークに足を運んでいる方々もおられるだろう。今年の夏のボーナスは上昇するなどという景気の良いニュースも流れているけれども、景気回復は容易ではない。しかし、昨今の就職氷河期よりもはるかに就職難の時代があった。昭和初期は1927年の昭和金融恐慌、1929年の世界恐慌などがあって、大学卒の就職率はわずか30%というとんでもない時代だった。1929年公開の小津安二郎監督「大学を出たけれど」という映画が有名になった。そうした時代に森田正馬先生は次のように言っておられる。

さて、また私にときどき起こる感想は、今日失業者の非常に多い世の中に、神経質者がなかなか失業しない事である。

行方君などは、会社を一年半も休んでいる。山野井君でも、随分長い間、会社または店を休んでいる。しかも免職にならないで、会社からよく保護され待遇されている。書痙で全く字の書けないものでさえもこの通りである。この様に会社や店から信用があるというのは、何を意味するのでありましょう。あるいは神経質が地味であり、忠実であるとかいう事が関係するかと思われる。我々は自分が神経質に生まれたという素質に対して、感謝すべきであろうと思われます。

神経質は物に執着する。一度何か目的を定め、あるいは一つの職業につけば、常にこれに未練があって、いろいろ目的を替えたり、職業を転々するという事が少ない。(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.139

ちなみに、森田先生が名前を挙げた行方孝吉さんは、書痙のため入院。治ってからは会社の健康増進部に所属するとともに形外会の幹事を務めた。のちに朝日生命社長となり、戦後の新生形外会会長となっている。山野井房一郎さんは、日清製粉社員だったが対人恐怖と書痙のため入院。退院後、会社を辞めようとして先生に叱られ、出社したところ治り、形外会の副会長を務めた。のちに独学で公認会計士の試験に合格し、東京青山に会計事務所を開業。会計学の専門書を20冊ほど著作し、白揚社から『神経質でよかった』(660661話)という本を出した人物である。二人とも自分さえ治ればいいというのではなく、自分の仕事をきっちりこなしながら神経質に悩む人たちにアドバイスをし続けた神経質人間の鑑(かがみ)である。

 就職活動で苦労しても、いつかは何とかなる。神経質は口下手であっても、その誠実な人柄を評価してくれる場所がきっとある。

2013年6月14日 (金)

神経質礼賛 916.こころのメンテナンス

 勤務先の病院では年に数回床のワックス掛けのために業者が入る。半日がかりで一つの病棟だとか、事務室・診察室の作業をしていく。ワックスを塗った後は30分位扇風機を回して床を乾燥させてからようやく通行が可能となる。困るのは病棟などからコールがあって急いでいる時に通行止めになってしまうことだ。遠回りして普段使わない非常階段を通ったりしてやっと行き着くことになる。今週はエアコン清掃作業に業者が入ることになっている。時々あるエレベーターの定期点検の時に、歩けない患者さんの移動が急に必要になると厄介である。しかし、これらのメンテナンス作業は必要不可欠のことでやむを得ない。

 人間にも種々のメンテナンスが必要である。それは体だけではない。こころのメンテナンスも必要だ。昨今はどこの職場も効率重視でゆとりがない。そのため現代人は精神的疲労がたまりやすい。日常生活を忘れて本を読んで物語の世界に没入したり、ハイキングやウォーキングに出かけたり、美術館で絵画鑑賞したり、映画を見たり、楽器を弾いたり、一見ムダな時間のように見えるかもしれないが、大切なこころのメンテナンスである。休符があって音符が生きる。こころの休養で充電して、いい仕事が可能となるのである。

 森田正馬先生の色紙に「休息は仕事の中止に非ず、仕事の転換の中にあり」(24話・拙著p.104-105)というものがある。森田先生御自身、講演旅行から家に帰られると、休む間もなくたまった手紙や書類の整理に手をつけられ、入院患者さんの指導にあたられたりしていた。しかし、決して働き詰めというわけではなく、将棋をしたり散歩を楽しんだり俳句や和歌を作ったりしておられ、時には熱海の森田旅館で過ごされた。月1回の形外会も神経質に関する勉強会というだけでなく、落語家を呼んだり、参加者の余興やゲームで楽しんだり、皆で東京音頭を踊ったりすることもあった。森田療法では、とにかく仕事をみつけて次々と行動していくように指導するけれども、それはあくまでも神経症のとらわれのために頭が空回りして行動が伴わない人に対する指導なのである。仕事と遊びのバランスが取れているのが健康的な人間である。

2013年6月12日 (水)

神経質礼賛 915.今時の白衣

  現在、私の母が市立病院に入院中なので、仕事帰りに病室に寄っている。自分が昨年末に県立総合病院に入院した時にも、看護師さんたちの仕事のスタイルは以前と変わってきているなと感じた。入院時の病歴聴取や毎日の検温の際には台車に乗せた院内LAN接続のパソコンとともにやってくる。そしてその場でデータを入力している。さらに市立病院の病棟では看護スタッフの服はいろいろな色になっている。カラー柔道着のような濃い青色の看護師さんたちが病室に出入りしている。水色の服のスタッフもいるし、えんじ色のスタッフも見かける。ピンク色もある。そうかと思えばオーソドックスな白衣も見るので全部で5色あることになる。白衣の天使ならぬ戦隊○レンジャーである。仕事の内容によって色分けされているのかなと思って、病室に来た看護師さんにちょっと聞いてみたら、各自気に入った色の物を着ている、という返事だったのでいささか拍子抜けした。

  20年位前までは、どこの病院でも看護婦さん(当時の名称)の衣装は、手術室勤務以外は白衣に白いナースキャップと決まっていて、キャップに1本線が入っていると主任さん、2本線が病棟婦長さん、3本線が総婦長さん、という病院もあった。ずいぶん変わったものである。

  それにひきかえ、医師はいまだに昔のままの白衣が多い。時に精神科医で白衣は権威の象徴だから着ない、という人もいるが、極めて少数派である。今の白衣はポリエステル100%が多くて、シワになりにくいかわりに、夏は暑く冬は寒い。私もせいぜい、夏場はノーネクタイにする程度の違いしかなく、暑さ寒さは何とも仕方なしである。

  森田正馬先生の場合、診療所は自宅を兼ねていたから、和服の着流しのまま診察しておられた。「森田療法の生き証人」の異名のあった井上常七(1909-2010)さんは形外会で先生を前にして次のように述べている。

  篠原さんが、先生が風采があがらぬと感じたといわれたが、私も同様であった。初め古閑先生を森田先生かと思った。和服で袴もつけず、猫背で、あてがはずれた気がした。も一つ先生は、お酒をあがらないだろうと思っていたのに、大分召しあがられたそうで、こんな先生に病気が治せるかと心配した事があった。(白揚社 森田正馬全集 第5巻 p.210

  自宅で診察していた森田先生だからこそ着流しで良かったけれども、普通はやはり「外相整いて内相自ら熟す」であって身だしなみは大切である。お会いする人に不快な印象を与えないようにワイシャツ(なるべくネクタイ着用)に白衣は続けていきたいと思う。

 

2013年6月10日 (月)

神経質礼賛 914.圧迫面接

 外来通院している人のお子さんが就職活動中であちこちの企業の面接を受けるけれどもよい結果が出ず心配で親まで調子が悪くなる、という話をよく聞く。景気は上向きとは言いながら、まだ就職戦線は厳しい。面接では、かなり理不尽な質問をされて、思い切り凹んで帰ってくるということがあるそうだ。いわゆる圧迫面接が横行しているものと思われる。

 圧迫面接とは、面接を受ける人に対して、採用者側が意地悪な威圧的な質問や反論をして、それに対する反応を見る、というもので、アメリカで始まったものだという。日本でもバブル崩壊後、行われるようになったそうである。特に、営業職ではクレームに対処する能力が求められるので、そうした面接が行われやすい。心配性の神経質人間、特に対人恐怖の人にとっては厳しい時代である。

 しかし、就職希望者に対して圧迫面接を行うということは、企業の品格に問題ありということでもある。そういう企業は人間を人間として扱わない企業風土を持っているということを発表しているようなものである。高齢者に無理やり高額商品を売りつけるとか、儲かると嘘を言って株や投資信託を売りつけるように、法律を守れない企業であるかもしれない。仮にその企業に入社したところで、上司からパワハラやセクハラを受けて潰される可能性が高い。だから、面接でひどいことを言われて落とされてもガッカリすることはない。逆に、世間的には優良企業と言われていても、実際には圧迫面接をするようなブラック企業だった、知らずに内定して入社してからひどいめに遭わずに済んで助かった、と考えればよい。

 

2013年6月 7日 (金)

神経質礼賛 913.不純型

 前話に書いたような生の欲望が乏しい人の神経症を(森田)神経質に対して不純型と呼ぶことがある。しかし、大原健士郎先生は安易にこの言葉を使うことを戒められた。週1回のケーススタディ(症例検討会)の際に、主治医グループの一人が不純型という言葉を使おうものならば、「君たちが(森田療法の治療者として)不純型じゃないのか!」と厳しく叱られた。生の欲望が乏しいのであれば、それを引き出してあげるのが主治医の役目ではないのか、というわけである。かつて大原先生がNHK教育テレビの市民大学講座で講義された時、最終回で「生きる意欲」というテーマで森田療法の話をされていた。その中で不純型について述べられた一節を紹介しておこう。

 

 ところで最近、「生の欲望」の感じられない不純型の神経症が多くなってきた、と専門医の間で議論をよぶようになった。しかし、これは何も神経症だけでなく、正常人でもそのことはいえそうである。これはいったいどういうことであろうか。

 森田療法は、家庭療法とか、教育療法とかいわれる。治療者は、患者と起居を共にしながら生活指導をする。治療者は父親であり、看護婦は母親である。そして患者同士は兄弟のようなものである。しかし患者にかつてのような家族内人間関係が形成されていないとなると、森田療法のあり方そのものにもある程度の変革は余儀なくされるかもしれない。しかし、逆にいえば、家庭の養育がしっかりしておらず、人生目標も漠然としている患者たちにこそ、再教育の場としての森田療法は必要であるともいえそうである。

 (日本放送出版協会:大原健士郎著NHK市民大学テキスト『家族関係の病理』1986年 p.140-141


 私は浜松医大では大原教授最後の森田療法担当助手だった。大原先生が私に対して指導されたのは、「お前が(神経症の)患者のお手本になるように行動していくんだよ」の一言だけである。それ以外は一切言葉で言われなかった。先生はお忙しい中、患者さんたちが朝夕に花壇の手入れする様子をよく御覧になっていたし、患者さんが作る壁新聞「ハピネス」はいつも読まれていた。先生の生活態度は患者さんのお手本であり、私にとってもお手本だった。言葉には出さず行動に示しておられたのだ。愚痴をこぼさずに家族のために一生懸命に働く健康的な父親は子供の中に健康的な父親像を作っていく。森田療法の治療者も同様である。紹介したテキストの結びの言葉は「病める家族が病める人間をつくり出し、病める人間がその家族を病めるものにする」とある。これは「健康的な家族が健康な人間をつくり出し、健康な人間がその家族を健康にする」ということでもあり、健康人らしく行動することを説く森田療法は、本人だけでなく周囲の人にも良い影響を与えて皆を健康にしていくものである。

2013年6月 3日 (月)

神経質礼賛 912.野心

 土日当直が続いた翌日5月27日の朝、職員食堂でNHKのニュースを見ながら朝食(患者さんと同じ病院食)を食べていたら、林真理子さんの『野心のすすめ』という本が評判になっているという話題だった。アメリカや中国・韓国の若者に比べると、日本の若者は野心を持っている、という人が少ないというデータがあるのだそうである。番組では林真理子さんが東洋大学に出向いて就職活動中の学生さんたちと懇談する場面があった。学生さんからは、電車の中で疲れ切った会社員を見ていると、ああなりたくない、と思う、というような発言があった。すでに面接を受けても片っ端からダメで疲れている学生さんもいた。

 確かにこの御時勢、がんばって勉強したり働いたりすれば未来が広がっているという感じは持てない。頭や性格は悪くても抜群の家柄と莫大なカネがあれば総理大臣になれるけれど、一般庶民は夢が描けない時代である。そんな中、とりあえず食べていければいいや、というようでは、以前話題になった『下流の宴』(532話)の若者みたいになってしまうから野心を持ちなさい、と林さんは言っているように思える。林さんは強い野心を持って、マスコミのバッシングをものともせず、売れっ子作家になった。『下流の宴』に登場した若者の祖母・・・夫に先立たれて下着の訪問販売をしてお金を貯めて子供たちに学歴をつけて上流社会の一員にしようとした・・・の姿は林さんの化身だったのかもしれない。私も『野心のすすめ』を買ってみようか、と書店へ行って手に取ってみた。200ページにも満たない新書だからすぐ読めるだろう。しかし、パラパラ見てみると、言いたいことはすぐに想像できて、結局、買わずに書店を出た。

 野心もいわば「生の欲望」の一つである。森田正馬先生は神経質人間の生の欲望に着目し、それに沿って建設的な生活をするように指導された。最近は「生の欲望」が乏しい人が増えている、ということが言われているが、社会状況の変化が大きく、野心のような形で目に見えてきにくいということもあるだろう。それに野心があればいいというものでもない。あまり野心ギラギラで好戦的、スキあれば隣の人の物をいただてしまおう、というような人間としての品性を疑われる姿勢は感心しない。誰にでも生の欲望はあるはずだ。神経質らしく周囲に気配りしながら生の欲望を発揮していければ、必ずしも明確な野心がなくともよい。

2013年6月 2日 (日)

神経質礼賛 911.ハナミズキ

 私が住んでいる街の「市の花」は徳川家康が少年時代と晩年を過ごしているためか葵の紋にちなんだタチアオイである。ちょうど梅雨時に花を咲かせるので、そろそろ赤やピンクの鮮やかな花を見ることができるだろう。そして「市の木」はハナミズキなのだそうだ。ハナミズキは全国的に街路樹としてよく使われるようになってきているが、どういうわけか、市の木という割には自宅周辺の私の行動範囲では全く見かけない。勤務先の病院の前の道路にはこのハナミズキが植えられていて、今、ちょうど花が咲いている。雨に打たれて静かに咲いているのは風情がある。花の色は白で、ところどころ薄いピンク色のところもあって、はにかんで顔を赤らめているようにも見える。木の高いところで花は上を向いて咲いているから、下から見上げてもあまり目立たない。通行人の視線を受けることが少ない。普段も目立たないけれども花が咲いてもおとなしい。しかし、木の高いところに多くの枝葉を付けるから通行のじゃまにはならず夏の暑い太陽の光を遮ってくれてしっかり街路樹の役割を果たしてくれている。対人恐怖・赤面恐怖の神経質人間みたいな存在である。自分はダメだとビクビクハラハラしながらも仕事をやればきちんとこなす。以前、「花は紅、柳は緑」(3話、拙著p.123-124)に地味な柳は神経質な人の象徴、と書いたが、現代的な街路樹で言えばハナミズキも神経質な人の象徴と言えるかもしれない。

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