神経質礼賛 940.屁理屈(2)
神経症、特に強迫の人の話を聞いていると、枝葉末節に力点が置かれ、本来中心となる話題になかなか行きつかないので、聞いていてもどかしくなる。しかも、理屈や言い訳は得意中の得意である。それでいて実際の行動が伴わない。その理屈の構築に要するエネルギーたるや大変なもので、その10分の1でもやらなくてはならない行動に向けられれば、仕事や勉強がはかどって本人もずいぶんラクになるだろうに、と思うことがよくある。
かつて森田正馬先生の患者さんに、家の前の喫茶店から聞こえてくるジャズの音が気になって、読書や仕事ができなくて困っていた人がいた。この人は先生の言うことが信じられず、なかなかよくならなかったが、最終的には、やかましいと思いながらもやるべきことをやっているうちに気にならなくなり、さらには長いこと苦しんでいた耳鳴も同様に、苦しいながらも勉強したり仕事したりしているうちに苦にならなくなった。森田先生は次のように評している。
神経質の特徴は自己内省が強く、理智的で感情を抑制するといふ事が、其最も大なる長所であるが、同時に之が最も大なる短所ともなり、徒(いたずら)に理屈ばって、自己の小智に執着し、長上の人や其道の人のいふ事も疑ひ、宗教なども信ずる事が出来ない。徒にヒネクレて疑ひ深くなり、人を怨み世を呪ふやうになる事が多い。<中略> 屁理屈を先にする事と、実行に重くを置くことゝ、斯くも大なる差のある事を悟り得ないのである。(白揚社:森田正馬全集第4巻 p.390)
本人にとっては屁理屈がとても大事なことに思えるのだが、実は何の役にも立たない。無限ループにエネルギーを浪費するだけのことである。理屈はさておき、たとえ小さなこと一つでよいから必要な行動のために実際に手足を動かしてみれば、それがきっかけとなって、無限ループから脱出できることになる。周囲を見渡せばやるべきことはいくつでも見つかる。そうして行動を続けていくうちに重い車も動き出すのである。そうなればしめたもので、神経質が長所として生かせるようになるのだ。森田先生の言葉をもう一つ紹介しておこう。
生きて居る事実は、誰にも皆同じ様に、『日々是好日』であって、嘆くにも及ばない。安心するにも及ばない。それは事実である。屁理屈をつけてこそ、好日でもなくなるが、屁理屈が無ければ好日である。(白揚社:森田正馬全集第7巻 p.479)
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