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2013年8月30日 (金)

神経質礼賛 940.屁理屈(2)

 神経症、特に強迫の人の話を聞いていると、枝葉末節に力点が置かれ、本来中心となる話題になかなか行きつかないので、聞いていてもどかしくなる。しかも、理屈や言い訳は得意中の得意である。それでいて実際の行動が伴わない。その理屈の構築に要するエネルギーたるや大変なもので、その10分の1でもやらなくてはならない行動に向けられれば、仕事や勉強がはかどって本人もずいぶんラクになるだろうに、と思うことがよくある。


 かつて森田正馬先生の患者さんに、家の前の喫茶店から聞こえてくるジャズの音が気になって、読書や仕事ができなくて困っていた人がいた。この人は先生の言うことが信じられず、なかなかよくならなかったが、最終的には、やかましいと思いながらもやるべきことをやっているうちに気にならなくなり、さらには長いこと苦しんでいた耳鳴も同様に、苦しいながらも勉強したり仕事したりしているうちに苦にならなくなった。森田先生は次のように評している。


 
 神経質の特徴は自己内省が強く、理智的で感情を抑制するといふ事が、其最も大なる長所であるが、同時に之が最も大なる短所ともなり、徒(いたずら)に理屈ばって、自己の小智に執着し、長上の人や其道の人のいふ事も疑ひ、宗教なども信ずる事が出来ない。徒にヒネクレて疑ひ深くなり、人を怨み世を呪ふやうになる事が多い。<中略> 屁理屈を先にする事と、実行に重くを置くことゝ、斯くも大なる差のある事を悟り得ないのである。(白揚社:森田正馬全集第4巻 p.390


 
 本人にとっては屁理屈がとても大事なことに思えるのだが、実は何の役にも立たない。無限ループにエネルギーを浪費するだけのことである。理屈はさておき、たとえ小さなこと一つでよいから必要な行動のために実際に手足を動かしてみれば、それがきっかけとなって、無限ループから脱出できることになる。周囲を見渡せばやるべきことはいくつでも見つかる。そうして行動を続けていくうちに重い車も動き出すのである。そうなればしめたもので、神経質が長所として生かせるようになるのだ。森田先生の言葉をもう一つ紹介しておこう。


 
 生きて居る事実は、誰にも皆同じ様に、『日々是好日』であって、嘆くにも及ばない。安心するにも及ばない。それは事実である。屁理屈をつけてこそ、好日でもなくなるが、屁理屈が無ければ好日である。(白揚社:森田正馬全集第7巻 p.479

2013年8月26日 (月)

神経質礼賛 939.がんばれ中野さん

 初期の記事でTVアニメの神経質キャラについて書いたことがある(12話)。「ちびまる子ちゃん」の友人たちについて書いたのだが、同じアニメに時々登場する重要な神経質キャラを書き落としているのに気付いた。それは、まる子の祖父・友蔵さんの友人の中野小心(なかのしょうじん)さんである。

 中野さんは心配性で極度の恥ずかしがり屋である。こんなことをしたら(言ったら)どうなるだろうかと心配して深読みしてしまう。人が自分のことをどう思うか忖度して苦しむ対人恐怖の心理をよく表している。人前では激しく赤面し声は詰まってしどろもどろになり思ったことが言えない(声優さんが実にうまく演じている)。それゆえ、事はすべて相手の思ったように決められてしまう。特に町内会が絡んでくると、いろいろな行事で大変な役を押し付けられてしまう。運動会の選手やら夏祭りの踊りとかで人前で何かをやらなくてはならない状況になってしまうのだ。何とかそれから逃げ出そうとするのだが、つかまってしまい逃げられない。恐怖におののきながらも仕方なしに早く終わらせようと半ばヤケクソになって向かっていくと、本来有能な人だし、心配性だからまじめに準備して練習をするので、うまくできてしまって喝采を浴び、ますます注目され、「またこの次もやってください」と言われてしまう、というのがオチになっている。なお、中野さんの奥さんも恥ずかしがり屋であり、この二人が夫婦なのは不思議な感じもする。

 普段、軽口を叩いている、まる子の父・ヒロシも人前は苦手ではあるが、酒をあおってごまかすということをよくやる。その点、中野さんはまじめな神経質そのものであり、決して人に迷惑をかけることのない善良な小心者である。

 中野さんはアニメの世界だけではない。かく言う私も対人恐怖・赤面恐怖にずいぶん苦しんだ「中野さん」の一人である。中野さんのように対人恐怖があっても社会に適応している人は決して少なくない。がんばれ全国の中野さん!

2013年8月23日 (金)

神経質礼賛 938.シャンビリ

 当ブログでは、神経症(不安障害)に対する安易な薬物療法の問題点についてたびたび指摘してきた。また、「薬を売るために病気はつくられる」(168話)というような実態もあることを述べてきた。

今週の読売新聞のコラム「医療ルネサンス」では抗うつ薬・抗不安薬・睡眠薬の常用量依存や退薬(離脱)症候群の問題に焦点を当てている。

 820日の記事は、退薬症候群についての話であった。最近はパニック障害・社交不安障害・強迫性障害などの不安障害にSSRIと呼ばれる抗うつ剤が処方されることが多くなった。その中でもパキシル(一般名パロキセチン)は特に強力な効果を持つ反面、急に薬を減量したり中止したりした時に離脱症状が起きやすい。コラム記事によれば、服薬中止時に「シャンシャン」という耳鳴りや「ビリビリ」する体のしびれや倦怠感などが起こりネット上では「シャンビリ」と呼ばれているという。そして、それらはベンゾジアゼピン系と呼ばれる多くの抗不安薬・睡眠薬でも起こるとしている。翌21日の記事には、パニック障害と診断されてコンスタンとハルシオンを処方されたていたエッセイストの話が出ていた。主治医は薬を増量する一方であり、自分で減量を試みたが「シャンビリ」に苦しんだそうである。聴覚過敏、耳鳴り、めまいに悩まされ、薬の量を元に戻すとそれらの症状は消失する。約3か月かけてようやく断薬したが、苦しさに歯を食いしばり続けたため歯を傷めてしまったという。

 製薬会社側では離脱症状を防ぐため、パキシルは従来の10㎎、20㎎錠に加えて現在では5㎎錠も製造していて、漸減しやすくしている。またパキシルCR錠という徐放剤を開発して血中濃度の変動を少なくして副作用を軽減するとともに離脱症状を起きにくくする工夫をしている。しかし、問題はパキシルだけでなく、他の抗うつ剤でも起きる可能性があるし、精神科以外でも簡単に処方されている睡眠薬や抗不安薬でも起きるのである。処方する医師の側で、どれだけ常用量依存や退薬症候群の危険性を意識しているだろうか。

 神経症レベルの不眠や不安症状に対しては、薬の処方はなるべく控え、処方するとしても、離脱症状が出やすいハルシオンやコンスタン(ソラナックス)・デパスといった短時間型で強力な睡眠薬・抗不安薬は避けるに越したことはない。薬一辺倒でなく、認知療法や森田療法的アプローチを行ったり、適切な生活指導をしたりするのが、本来の精神科の仕事である。森田正馬先生の次の言葉を肝に銘じる必要がある。


 
(自然良能を無視するの危険) 又、例へば不眠を訴へる患者に対して、多くの立派な医者が、之に徒らに、催眠剤を種々撰定して与へる事がある。而かも患者の不眠は、少しも良くはならない。この医者は単に不眠の治療といふ事にのみ捉はれて、其人間全体を見る事を忘れたがためである。其患者の毎日の生活状態を聞きたゞして見ると、豈に計らんや患者は、毎日・熟眠が出来ないといひながら、十二時間以上も臥褥し、五時間・七時間位も睡眠して居るのである。多くの医者は不思議にも、其患者の日常の生活状態や、何時に寝て・何時に起き・其間に如何に睡眠が障害されるか・といふ事を聞きたゞさないで、患者の訴ふるまゝに、不眠と承認して、之に催眠剤を与へるのである。(白揚社:森田正馬全集 第7巻 p.401

2013年8月19日 (月)

神経質礼賛 937.Windows8難民(エイト難民)

 病院で個人用に使っているノートパソコンは、家で使っていた古いものを回している。購入後7年を過ぎ、さすがに調子が悪くなってきた。ハードディスクの寿命を考えると、いつ完全ダウンしてもおかしくない。それに、WindowsXPのメンテナンスが来年4月に終了となってしまう。そこで、この際新しいものを買うことにした。できれば家で現在使っているのと同じWindows7機にしたかったけれど、店にはWindows8機しかなかったので、Officeインストール済みの一番安い機種を買った。

 Windows8は使いにくい、という評判は前から聞いてはいたけれど、まずは電源を入れて表示される画面に驚く。カラフルなタイルが表示され(モダンUIとかメトロUIと呼ぶそうだ)、そこからアプリケーションソフトを選ぶのだ。タッチパネルも使えて、スマートフォンのノリである。ファイル処理なんかはどうしていいのかわからない。いまどきのパソコンにはマニュアルは付いてこないので、あわててネット上でWindows8の変更点のまとめを記載したページを探して読む。神経質なくせにやることが泥縄式でいけない。タイルの中から「デスクトップ」というボタンを押せば従来風のデスクトップ画面になった。「ごみ箱」が見当たらないしスタートボタンもない。「ごみ箱」と「コントロールパネル」のありかを探すのに一苦労だった。そして、シャットダウンしようとして、どうしたらいいのかわからない。先ほどのページを読んで、画面右下端にマウスカーソルを持って行った時に表示される歯車マーク(設定)から電源ボタンを押してようやくシャットダウンすることができた。しかし、これは従来のシャットダウンではなく、仮シャットダウンのようなものだ。だから次回の起動時の立ち上がりは早いけれども、OSを全部読み込むわけではないので、何か不具合があって、OSを再起動したい時には「完全なシャットダウン」をしてやらなければならないのだそうだ。いやはや、何とも厄介である。ゲームソフトをダウンロードして遊ぶ人には適しているかもしれないが、事務用には全く不適である。今までのOSの中で一番慣れるまで時間がかかるだろう。私ばかりではなく、Windows8に泣かされているWindows8難民(エイト難民)が出ているのではなかろうか。あまりの不評ぶりに1018日にはWindows8.1が発売となり、8ユーザーは無料で更新できるというニュースがあった。あわてて飛びつくとまたひどい目にあうかもしれないので、しばらく様子を見てから更新を考えたい。

2013年8月16日 (金)

神経質礼賛 936.死の恐怖

 もう長年、外来に通院している神経症の患者さんがいる。抗不安薬と睡眠薬が処方されている。今週は珍しく「すみませんが今日は話が長くなります」と言うので何が起こったのかと聞いてみると・・・。「夜になると自分が死んだらどうなるのかと気になって不安で不安でしょうがないんです。それで姉のところに電話しちゃうんです。うつ病になっちゃったんでしょうか」ということだ。

 この人は結婚歴はなく単身生活である。趣味もなく酒もたばこもやらず、ひたすらまじめに働き続けてきた人だ。数年前、仕事中に大きな事故に遭い頭に重傷を負って入院したが後遺症は残らずに済んだ。退院後はすぐに出社し、休むこともなかった。そんなこともあって、会社側からは定年後も嘱託で働いたらどうだ、と勧めてくれたが、本人は同情されているようで嫌だと60歳で定年退職してしまった。こういう人が退職すると、ひきこもってしまったりアルコール依存に陥ったりしやすい。何か趣味を探すとかボランティアをやってみるとよい、と私は勧めていた。時間を決めて散歩をしたりフィットネスクラブに通ったりして調子が良いようだったのだが、クラブに昼間に行くと、自分より年配の人ばかりで、老人のデイサービスに行っているみたいで嫌だと思い、トレーニングマシンを購入してクラブには行かなくなった。すると、ひきこもり傾向となり、夜になると死の恐怖に怯えるようになってしまったのである。


 
 以前、400話に書いたように、「死は恐ろし 恐れざるを得ず」という森田正馬先生の色紙に書かれた言葉がある。


 
 「死ぬるは恐ろしい。生きるのは苦しい」。言い換えれば、「死を恐れないで、人生の思うままの目的を、楽々とし遂げたい」という事になる。これが神経質の特徴であって、無理にも、自然に反抗しようとする態度になり、死は当然恐ろしい。大なる希望には、大なる苦痛・困難があると、極めて簡単な事を覚悟しさえすれば、それだけで神経質の症状は、強迫観念でもなんでも、すべて消失するのである。既に神経質の全治した人には、これが簡単に理解できるが、まだ治らない人には、全く嘘のような法螺のような話である。(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.183


 
 この人の場合、外に出なくなって、自分自身の方に注意が向いてしまい、注意集中→感覚の鋭化→意識の狭窄→注意集中→・・・という精神交互作用と呼ばれる悪循環が起き、不安に強くとらわれるようになってしまったのである。うつ病ではないか、と心配しているがしっかり食欲はあり体重も減っていない。「うつ病ではなくて、もともとの神経症が一時的に悪くなっただけのことで心配することはない。家の中に籠っていないで散歩したりクラブへ行って人とおしゃべりするのが最良のクスリ」と話しておいた。

2013年8月14日 (水)

神経質礼賛 935.ナス

 全国的に強烈な暑さが続いている。四万十市では41℃の日本記録更新となった。その一方で1時間に100ミリを超えるような突然の豪雨も猛威をふるっている。完全に熱帯の気候である。天気予報によればこの天気は当分続きそうだということだ。

 朝6時なのに室温は30℃を超える日が多い。朝刊を取りに外に出てもムッとくる暑さだ。食事を済ませてから歩いて駅に向かうが、列車に乗るまでが一仕事といった感じだ。今朝の電車はさすがにお盆休みのためすいていた。ワイシャツ姿のサラリーマンが少ない分、家族連れの旅行客が乗ってくる。電車を降りてからいつも少し時間があるので待合室でTVニュースを見て涼んでから出ていく。最近は日陰のあるところを選んで歩くようにしている。

 このところの酷暑で夏野菜が不作だと聞く。特に葉物野菜が高騰している。病院内では森田療法の患者さんたちが畑で作った野菜を職員に売っていてキュウリ、ナス、トマトなどが出ている。今日はナスと食用ヘチマが並んでいて無料だった。小さかったり形が悪かったりする野菜は無料で提供されるのだ。無駄なく利用してもらえれば作った甲斐もあるというものだ。ヘチマは沖縄料理にはナーベラーの名で炒め物によく使われる。無難なところでナスを少しもらう。ナスは他の夏野菜に比べるとビタミンやミネラルは少ない。しかし、いいところもある。食物繊維は豊富だし、紫色の皮の色素には抗酸化作用があって血圧を下げるとかガン予防効果があるそうだ。独特の色自体ひんやり感があるし、東洋医学では体を冷ます作用があると言う。そのままの素材の味を楽しむには素揚げや焼きナスがおいしいけれども、バテ気味の体のためには麻婆茄子のように辛さで食欲を刺激し肉も一緒に食べられる料理の方がよさそうである。神経質人間としては、ナスなどの旬の野菜の特性を知って、おいしく夏バテ対策をしたいものである。

2013年8月12日 (月)

神経質礼賛 934.キラキラネーム

 先週、読売新聞のネットニュースに、「キラキラネームやめて」・・・小児救急医つぶやく、というタイトルがあって、気になって読んでみた

 同じ県内の病院で、小児救急を担当している医師が、当て字などによる個性的なキラキラネームの子供が増えていて、救急受診時に手間取っている実態をツイッターに投稿したのが問題化し、県当局が苦言を呈した、との記事だった。昨今は何でもコンピュータ入力であるから、カルテなどの書類を作るのに手間取るだろうから、一刻一秒を争うような状況では本人確認が困難な名前は本人にとって大きな不利益が生ずるであろう。落語の「寿限無」を思い起こす。長生きしてほしいと縁起をかついで子供に「寿限無、寿限無、五劫の擦り切れ・・・長久命の長助」という長い名前を付けてしまったがために川で溺れた時に助けを呼ぶのに手間取り死んでしまったという話である。

 希星(きらら)、火星(まあず)、姫星(きてぃ)、姫凛(ぷりん)、今鹿(なうしか)、永久恋愛(えくれあ)、凸(てとりす)、礼(ぺこ)・・・。これを読めた方はいらっしゃいますか。こういったキラキラネームを付ける親は非常識な人が多く、モンスターペアレント、クレーマー予備軍、というような指摘もある。変わった名前はいじめの誘因になりやすいだろうし、入試や就職試験の際に不利になる恐れもあるだろう。名前は一生ものだから、子供の時だけでなく高齢になった時でもおかしくないものにしてあげなければ本人が不幸である。親の神経質が足りないと子供が苦労するのである。

 もっとも、キラキラネームの元祖は森鴎外ではないか、という話もある。のちに小説家や随筆家として活躍することになる子供たちに、茉莉(まり)、杏奴(あんぬ)、類(るい)といったヨーロッパ風の名前を付けている。今ではそれほど驚かない名前だけれども、当時はさぞ驚かれたことだろう。ということは、先ほど紹介したような奇名も50年後、100年後には普通になって、「○男」君や「○子」さんは珍名になってしまうのだろうか。そうあってほしくない。

2013年8月 9日 (金)

神経質礼賛 933.くさみ

 森田療法で神経症が治癒した人には一種独特の「くさみ」があると言われていたことがある。森田療法以外の精神療法家からは、「自尊心を維持するために、本来なら劣等感を抱くはずの神経症経験をことさらに誇示し、後輩たちの指導に生きがいを見つけているのではないか」というような指摘もあったという。大原健士郎先生に言わせれば、神経症が治ったと自慢するような人はおそらくまだ完全には治っていないのではないか、しかしこのような人たちが森田療法推進の一翼を担っているのは事実であり、神経質を実生活に生かしているとも言える。「くさみ」という言葉は好意的な言葉ではないが、「くさみ」が社会においてよい面に発揮されれば、ほめられてよいことだと思う、とのことである。(大原健士郎:『神経質性格、その正常と異常』星和書店p.157-160

 神経質性格には強力性と弱力性が入り混じっている。症状に悩んでいるうちは弱力性の中の劣等感が強く働くのだが、症状が良くなると強力性の中の自己中心性が目立って出てしまうこともありうる。森田先生も次のように患者さんたちに注意を与えたことがある。


 
 今日の自己紹介の内には、皆さんもお聞きになった通り、対人もしくは赤面恐怖が、我も我もと競うて立って話をされた。近頃、佐藤先生までが赤面恐怖と名乗りをあげて、それに対して、山野井君が、今度「神経質」の七月号に、抗議らしい言いぶりで、佐藤先生は赤面恐怖の仲間に入れないという風にいってある。なんでもここでは、赤面恐怖でなければ肩身が狭いという風である、今日出席の山野井・日高の両副会長もみな赤面恐怖であった。

 しかし我も我もと、あまり自慢されても困る。神経質の事は、雑誌や私の著書でも、その素質を礼賛してあるが、九州大学の下田教授(下田光造1885-1978森田の精神療法を最初から高く評価し自らも九大で実施)も、根岸病院の高良博士も、神経質の肩をもって礼賛してくれる。神経質はこのように立派でも、自慢してはかえって間違いの元になる。赤面恐怖も、も少しオドオドして、気を小さくしてもらわなければ、あまり大胆にやられても困ります。(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.220


 
 私は今でもオドオドして気が小さいままである。人前では緊張するし、自分から積極的に発言することは少ない。おかげで出しゃばって失敗したり失言したりすることは少ない。小心なままが良いようである。


 もっとも、森田先生や高良先生は御著書の中で自身の神経症体験を述べておられるし、神経症に苦しみ森田先生の治療を受けたことのある鈴木知準先生や水谷啓二さんは数多くの神経症者を救っておられた。卑近な例えで申し訳ないが、ビールの苦味がビールの魅力であるのと同様、森田療法家独特の「くさみ」が神経質の悩みを持った人たちの共感を得て神経症の治療に役立っているのではないかと思う。

2013年8月 5日 (月)

神経質礼賛 932.七夕の願い(2)

 私が住んでいる街では七夕は月遅れの8月7日である。神社には近くの幼稚園児が書いた短冊を吊るした竹が並ぶ。七夕飾りで商店街も明るい雰囲気になる。


 
 浜松医大に勤務していた頃、病棟内に七夕飾りを作るのは森田療法を受けている患者さんたちだった。入院患者さん全員に短冊を書いてもらい、デイルーム(食堂)に立てた竹に吊るす。ナースステーションの窓には毎月、白・赤・黄・緑・青の5色のスノースプレー(クリスマスの頃、商店のショーウインドウなどの飾りに用いられるスプレー:季節商品なので普段は入手困難であり、各色のスプレーを切らさないように在庫管理するのも神経質な私の仕事の一つだった)を使って絵を吹き付けていて、この時期は必ず七夕をテーマにしたものだった。

 当時の大原健士郎教授はいつも患者さんが書いた短冊をよく読まれていた。やはり「病気が治りますように」「健康になれますように」といった内容が多かった。回診の時には「あなたはどんな願いを書いたの?」と患者さんに尋ねておられた。「健康になりたい」という患者さんにはさらに「健康になって何がしたいんだね」とさらに聞かれるのが常だった。大原先生が好んで用いられた言葉に「人間、生きる目標があれば、たいていの苦難に耐えることができる」というニーチェの言葉があった。「人生に目的を持て」という意味だ。

 もちろん健康であることは大変望ましいことであるけれども、人間、歳を取ってくれば身体の不具合はいろいろと出てくるし、持病も一つ二つと増えてくるのはやむを得ない。がんのような大病を抱えてしまうこともありうる。しかし、健康であること、病気を治すことが人生の最終目的ではない。森田先生がよく正岡子規を引き合いに出したように、そして森田先生も身をもって示したように、また大原先生も同様であったが、たとえ重病に苦しみながらでも後世に名を残すような立派な仕事をすることができるのだ。病気があっても「生の欲望」に沿って行動していくことにより、自己の存在意義を示していくことはできるのである。名も無き凡庸な私としては、何かの形で人の役に立ち、自分も楽しんで、生き尽くしていければなあ、と常々思ってはいるが、もし七夕の短冊に何か書けと言われたら、無難に「健康でありますように」と書いてしまうような気がする。

2013年8月 2日 (金)

神経質礼賛 931.遠泳と回泳

 月曜日の朝、NHKのニュースを見ていたら、東京海洋大学の学生さんたちの遠泳訓練を取り上げていた。私のような古い人間には東京水産大学・東京商船大学と言った方がなじむ。当然、海に興味がある学生が集まっている大学のはずだが、驚いたことに半数の学生は海水浴の経験がないという。しかも、全く泳げない学生もいるという。これでは大学側も大変だ。「君たちには浮きが付いているのだから沈むことはない」というコーチ役の潜水士さんの言葉に励まされて特訓が始まる。全く泳げなかった学生も無事に遠泳を成し遂げることができた。

 同じ日の昼、浜松の「30分間回泳」をローカルニュースでやっていた。小学5年生たちがどんな泳ぎ方でもよいからプールの底に足を付けずに30分間泳ぎ続けるという行事であり、もう40年以上続いているのだそうだ。これは思いがけず水難に遭った時に自分の命を守る上で非常に役立つものと思われる。船が沈没したとか高波にさらわれたとかいう時に自分の力で泳いで岸までたどり着くのは難しい。体力を消耗して溺れてしまう危険性が高い。しかし長時間浮いていて救助を待てれば助かる可能性が高まるからである。

 潜水士さんの言葉のように人間の体には肺という浮きが付いているので、力を抜いていれば自然と浮かぶことができる。しかし、「大変だ」と焦って手足を無駄にバタつかせたのではかえって溺れてしまう。


 
 恐怖とする場面での私たちの対処法も遠泳や回泳の泳ぎ方と似ているのではないだろうか。例えば人前で話さなくてはならなくて強い不安感に襲われた時に、それから逃れようと焦れば焦るほど深みにはまる。「症状は逃げれば逃げるほど追っかけてくる、抗(あらが)えば抗うほど大きくなる」とは大原健士郎先生がよく言っておられた言葉である。不安はそのままにして、まあこんなものだ、と仕方なしにやっているうちに何とかなるのである。

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