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2013年8月 9日 (金)

神経質礼賛 933.くさみ

 森田療法で神経症が治癒した人には一種独特の「くさみ」があると言われていたことがある。森田療法以外の精神療法家からは、「自尊心を維持するために、本来なら劣等感を抱くはずの神経症経験をことさらに誇示し、後輩たちの指導に生きがいを見つけているのではないか」というような指摘もあったという。大原健士郎先生に言わせれば、神経症が治ったと自慢するような人はおそらくまだ完全には治っていないのではないか、しかしこのような人たちが森田療法推進の一翼を担っているのは事実であり、神経質を実生活に生かしているとも言える。「くさみ」という言葉は好意的な言葉ではないが、「くさみ」が社会においてよい面に発揮されれば、ほめられてよいことだと思う、とのことである。(大原健士郎:『神経質性格、その正常と異常』星和書店p.157-160

 神経質性格には強力性と弱力性が入り混じっている。症状に悩んでいるうちは弱力性の中の劣等感が強く働くのだが、症状が良くなると強力性の中の自己中心性が目立って出てしまうこともありうる。森田先生も次のように患者さんたちに注意を与えたことがある。


 
 今日の自己紹介の内には、皆さんもお聞きになった通り、対人もしくは赤面恐怖が、我も我もと競うて立って話をされた。近頃、佐藤先生までが赤面恐怖と名乗りをあげて、それに対して、山野井君が、今度「神経質」の七月号に、抗議らしい言いぶりで、佐藤先生は赤面恐怖の仲間に入れないという風にいってある。なんでもここでは、赤面恐怖でなければ肩身が狭いという風である、今日出席の山野井・日高の両副会長もみな赤面恐怖であった。

 しかし我も我もと、あまり自慢されても困る。神経質の事は、雑誌や私の著書でも、その素質を礼賛してあるが、九州大学の下田教授(下田光造1885-1978森田の精神療法を最初から高く評価し自らも九大で実施)も、根岸病院の高良博士も、神経質の肩をもって礼賛してくれる。神経質はこのように立派でも、自慢してはかえって間違いの元になる。赤面恐怖も、も少しオドオドして、気を小さくしてもらわなければ、あまり大胆にやられても困ります。(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.220


 
 私は今でもオドオドして気が小さいままである。人前では緊張するし、自分から積極的に発言することは少ない。おかげで出しゃばって失敗したり失言したりすることは少ない。小心なままが良いようである。


 もっとも、森田先生や高良先生は御著書の中で自身の神経症体験を述べておられるし、神経症に苦しみ森田先生の治療を受けたことのある鈴木知準先生や水谷啓二さんは数多くの神経症者を救っておられた。卑近な例えで申し訳ないが、ビールの苦味がビールの魅力であるのと同様、森田療法家独特の「くさみ」が神経質の悩みを持った人たちの共感を得て神経症の治療に役立っているのではないかと思う。

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