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2013年9月 6日 (金)

神経質礼賛 942.やせ蛙負けるな一茶是にあり

 9月1日、読売新聞日曜版の一面「名言巡礼」には水面に浮かぶ葉の間からこちらをじっと窺っているようなカエルの写真が大きく載っていた。江戸時代の俳人・小林一茶(1763-1828)旧宅近くの田にいたカエルだという。今回は一茶をテーマにした記事であり「優しさも欲も あるがまま」という見出しがついている。二面には一茶出生の地・長野県信濃町が紹介されていた。今年は一茶生誕250年ということで記念イベントが企画されているらしい。

やせ蛙の句は一茶を代表する句の一つである。雌を取り合って雄同士が激しく争う蛙合戦。やせ蛙は形勢不利だ。思わず「負けるな」と心の中で叫ぶ一茶。やせ蛙に自分自身を投影し、自分に対しても負けるな、と言っているようにも思える。蛙を題材にした句は他にもある。「悠然として山を見る蛙かな」のような蛙でありたいと思いながらもそうはなりきれない一茶だった。一茶は熱心な浄土真宗の信者であり、「あるがまま」を体現した子供や動物を愛していたのだ、と著明な研究者は言う。一茶は小さな弱い立場のものに光を当てる優しさを持っていた反面、父親の遺産相続で弟と長年争い続けたという面も持っていた。また、反骨精神も感じさせる句もある。高い感受性と優しい繊細な心を持ち、それでいて負けず嫌い、といった性格が考えられ、一茶も神経質だったと推察できよう。

一茶は家庭的には恵まれなかった。3歳で母を失い、8歳の時に家にやってきた継母にはなじめなかった。14歳の時、江戸に奉公に出て、25歳の時に俳諧を学んだという。50歳の時に故郷に帰り、52歳で結婚。4人の子供が生まれるが、いずれも幼くして亡くなり、さらには妻も病死してしまう。一茶も脳卒中になり、半身不随・言語障害となってしまう。2番目の妻とは離婚。64歳にして3番目の妻と結婚し、一茶の死後に娘が生まれる。子孫を残そうとする執念はすさまじかった。もちろん俳句も作り続けたわけで、神経質らしい強い「生の欲望」を持ち、それを生かした人だったと言えるだろう。そして、見出しにあるように「あるがまま」に生きた人でもあった。

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