神経質礼賛 960.森田先生の奇行?
森田正馬先生には奇行と思われるエピソードが数多くある。私が研修医になった時に大原健士郎教授からいただいた御著書『目でみる精神医学シリーズ 3 森田療法』(世界保健通信社)の「第1章 森田正馬の人と業績」の項にはそうした話が書かれていて強く印象に残っている。以下に紹介しておこう。
①以前にも紹介した「下されもの」の貼り紙(385話・拙著p.105)。診療所の玄関に患者から「もらってうれしいもの」と「もらって困るもの」を書いて貼っていた。うれしいものは(1)現金、(2)味噌、(3)醤油など。困るものは(1)メロン、(2)菓子 などである。日持ちがするものがよくて、メロンは胃腸が冷えるので困るというわけである。これにはいくつか別バージョンがあったそうで、状況に応じて使い分けていたらしい。写真に残っているものには、「一、困るもの 菓子 果物 特にメロン 商品券 二、困らないもの 卵、鰹節、缶詰、茶、金、りんご 三、うれしきもの 一輪花、チョコレート(瓶詰)、サンドウィッチ、女中に反物」と書かれている。森田先生の大好物は卵だった話は何度か書いた通りである。
この貼り紙は当時かなり噂となり、新聞にも「変な医者がいる」と書かれたほどだった。しかし、決してがめついわけではなく、好意が無駄にならないように、という徹底した合理主義からである。「うれしきもの」の最初に一輪花とあるのには、ほのぼのとしたものを感じる。高知県出身の大原先生はこの貼り紙は土佐人特有のユーモアだろうと考えておられた。
②庭の盆栽は患者さんたちが手入れをしていたが、正札が付けられたままにしていた。無粋のように思われるだろうが、これは、患者さんたちが盆栽の価値がわかるように、という配慮からだった。また、ニワトリやウサギを飼っていたが、イヌは飼わなかった。ニワトリは卵を産み、ウサギは毛皮や肉を利用できるがイヌは役に立たない、という理由からである。サルを飼っていたこともあるが、これは研究用だった。
③勤務先の婦長さんが昼食のおかずを作って職員にふるまってくれていた。みな「おいしい」と言って御馳走になっていたが、ある時、森田先生は「まずい」と言い放った。それ以来、婦長さんはおかずを持ってこなくなった。ある人がそう言った真意を聞くと、「ああ言わなければ婦長は毎日おかずを作り続けなくてはならない。私はそれをやめさせようと思ったのだ」と答えたという。
④一人息子の正一郎が結核のために亡くなった時、信頼する弟子(佐藤政治先生)に「跡継ぎをもうけるために、妾をもてないだろうか」と真顔で相談したという話がある。結局、妹の三男・秀俊(のちに三島森田病院を創立)を養子に迎えたが、その後、その兄も「一人っ子では養育に問題があるから」とやはり養子にしたという。
⑤熱海の旅館を買い取って旅館経営をしたことはよく知られている。医者仲間でも当時かなり話題になったようであるが、これは儲けるためではない。以前泊まったことのある患者さんの親類が経営していた旅館が経営困難に陥り、泣きつかれていきがかり上買ったものだった。患者さんの働く場として役立つし、自分が死んだ後、遺族の生活を考えてのことだった。
⑥最晩年は長く歩くことができなくなり、患者さんが押す小さな乳母車に乗って外出をしていた。タクシーでは店に入って買物をすることができない。その点小回りの利く乳母車は便利だった。患者さんたちは恥ずかしがって逃げ回っていたが、仕方なしに指示に従っていた。「恥ずかしかっただろう」と先生が尋ねて「平気だった」と答えると「恥ずかしくないはずはない。私だって恥ずかしいがこれが目的本位だ」というような指導をしておられたという。
これらの行動は誤解されるだろうが、いずれも徹底した合理主義、相手を思いやるところから出発した行動であり、周囲の人への森田先生なりの愛情に満ちていると考えることができるだろう。
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