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2013年11月29日 (金)

神経質礼賛 970.あやかる

 入院の森田療法では、他の患者さんの影響で良くなる、ということがある。あんな風になりたいなあ、というようにキビキビと行動し、神経質を生かして活躍している人を身近なところで見る。しかし、その人も自分と同じような症状で悩んでいたことを知ると、じゃあ、自分も頑張ればああなれるかな、とますます治療意欲が湧いてくるのである。入院しているメンバーの質が高い時には新たに入院してきた人もそれにつられて、仮にあまり森田療法に適さない人であっても良くなることがある。逆に症状を理由にして作業をサボって寝ている人だとか、頻繁に遊び目的の外泊をしているような人が多い時には、せっかく森田療法が適している人が入院してもヤル気をなくして治療効果が上がりにくいこともある。

 外来で一対一の面接だけでは他の患者さんからよい影響を受ける機会がない。森田正馬先生や鈴木知準先生のように治療者が優れた神経質者であれば、薫陶を受ける効果はあるだろうけれども。以前、外来集団療法をやっていたことがあった。やはり、一見何でもないように見える人が神経症の悩みを抱えながら頑張っている姿を見て、自分も頑張ろうという意欲がわく効果は大きい。自然に、顔なじみになったメンバーが外来待合室でお互いに話をし合って励まし合うような場面も生まれた。しかしながら、平日の日中に集まれるのは学生さんや主婦や自営業の人であり、サラリーマンは参加しにくく、メンバーが揃いにくいという問題があった。

 その点、森田療法の自助グループ「生活の発見会」ならば、全国各地で月1回の「集談会」が行われていて、症状を克服して充実した生活を送っている方々に接してアドバイスしてもらうことで、森田の効果を高めていくことができるのでお勧めである。


 森田正馬先生のところでは、先生は大学の講義や他の病院の仕事などで忙しく、時には講演旅行のために2週間とか3週間とか不在の時もあったけれども、そんな時でもきっちり治療は進行していた。それは、奥さんの久亥さんや助手の先生たちの指導力が大きかったけれども、先輩患者さんの影響、そして月1回の形外会に参加する社会で大活躍している元患者さんの存在も大きかったと思う。

 患者さんたちの憧れの的は黒川大尉という軍人さんだった。強迫観念のため集中困難となり、森田先生の治療を受けた後はすばらしく勉強や仕事がはかどるようになり、陸軍の軍人として出世していく。この人のことは症例として森田先生が発表しているし、雑誌「神経質」にも掲載されていたから、ああなりたいものだ、と多くの患者さんたちが思っていた。他にも鈴木知準先生(372話参照)や形外会の幹事を務めた山野井房一郎さん(660661662話参照)・水谷啓二さん(生活の発見会創始者)・行方孝吉さん(朝日生命社長、戦後の新生形外会会長)など神経質を生かして活躍している人たちに間近に接して受けた影響は大きいだろう。森田先生は次のように言っておられる。


 まだよくならない人は、みな山野井君のような治った人にあやかればよい。あやかるとは、うらやましくて、その人のようになりたいと思い、その人の声咳にでも接する事である。このあやかるの反対は、寄せつけないで、排斥する事である。あの人は頭が良いから治った。自分は悪いから治らない。あの人は治るべきはずであるから、自分は意志薄弱であるから、とかいろいろのヒネクレをこねて、白眼をもって嫉視するような事である。こんな人は縁なき衆生といってなかなか治りにくい人である。(白揚社:森田正馬全集第5巻 
p.209


 入院の人がよくなった。自分もあんなようになりたい。人が歌をよむ、自分も一つやってみたい。そんな心持を「うらやむ」といいます。自分もそんな風になりたい・少なくともその人の声咳にでも接していたいという事になる。それによって、自然にその人の感化を受けるようになる。何かの因縁をつけて、その幸福感のお裾分けを受けたいと思うのを「あやかる」とかいいます。それは誠に自然の人情であって、純なる心である。この心になると、神経質もズンズンよくなります。(白揚社:森田正武全集第5巻 
p.618


 神経質を生かしている人にあやかればよくなること請け合いである。

2013年11月25日 (月)

神経質礼賛 969.手洗い実習

 インフルエンザウイルスやノロウイルスによる感染症のシーズンを前に、勤務先の病院で全職員を対象とした手洗い実習があった。汚れに模したスプレーを手にまんべんなく塗った後、石鹸で手を洗う。その後、紫外線を照らすと洗い残した部分が確認できるわけである。指の間や爪周りは洗い残しが出やすい。私が去年参加した時には、親指の根本の母指球に洗い残しがあった。今年は意識して洗ったためか洗い残し部分は少なくなっていた。やはりこうした実習は繰り返し受けて、自分の欠点を知って修正していくことが大切である。

 精神科病院では、統合失調症などのために長期入院している人は身辺が不潔になりやすく自己衛生管理が不十分である。また、症状を訴えない人が多いし、マスクを着用するように言っても理解できない人もいるから、ひとたび感染症が発生するとまたたく間に蔓延してしまう恐れがある。精神科では、手術前に念入りな手洗いをする外科系のような習慣がないだけに、手洗いがおろそかにならないように気を付けなくては、と思う。


 
 これが、不潔恐怖の人の手洗いだと、実用的な意味はない。彼らの洗い方は儀式化しており、5分とか10分洗っても、普通の人が10秒とか20秒洗うのに比べて清潔にはなっていない。例えばそれぞれの部位の洗う回数を50回ずつとか100回ずつとかに決めていて安心するための儀式を繰り返しているに過ぎない。回数がわからなくなると最初からやり直すという不合理も平気になってしまう。さらには、石鹸やら消毒剤を過度に使っているうちに手の皮膚が荒れてボロボロになって、かえってそうした部分に雑菌がたまりやすくなる。あまりに1回の手洗いや入浴に時間がかかりすぎるため、洗うべき時に洗えないとか長期間入浴できないということも起こる。よく言われるように不潔恐怖はかえって不潔になってしまうのである。誰もが洗う場面でだけ一定の時間内に洗う訓練が必要である。

2013年11月23日 (土)

神経質礼賛 968.年末ジャンボ宝くじ

 昨日の朝刊に年末ジャンボ本日発売という全面広告があった。もうそんな時期なのか、一年が早いなあ、と思う。仕事の帰りに駅の近くの宝くじ売場の横を通ると夕方6時だというのに歩道に行列ができていた。ここの店はよく当たりが出るとされている。家に帰ってニュースを見ていたら、東京・数寄屋橋の宝くじ売場の様子が映し出されていた。そこは一番当たりが出ると言われていて、以前、学会のあった時にたまたま横を通って長蛇の行列を見てビックリしたことがある。

 はたして、よく当たる店は存在するのだろうか。「当店で1等が出ました」などと貼り紙がしてあるけれども、よく考えてみれば全国どこの売場で買っても確率は同じである。よく当たる店イコールたくさん売れる店なのである。たくさん売れればそこで1等が出る可能性が高くなるだけのことである。だから、行列に並んで長時間待つのは無意味である。まあ、長いこと待って「1等がよく出る店」で買えたから自分も当たるかもしれない、というワクワク感が高まるという効果は期待できるだろう。また、売出初日に買うとよく当たるという話もあるけれど、これも売出初日には大勢の人が大量に買うからよく当たるというだけのことである。

 ギャンブル嫌いの私も、話のタネに50歳の時からサマージャンボと年末ジャンボを連番で10枚ずつ買っている。連番10枚のうちの1枚は必ず末等の300円が当たるから実質12700円の出費である。買ってもたいてい忘れていて抽選日を過ぎてから番号を調べることが多い。二度、100枚に1枚当たる3000円が当たったことがあった。確率から言ってそんなものだろう。なお、宝くじの払い戻し率は45%前後と言われる。運営経費を差し引いた宝くじの利益は社会のために使われるのだから、他のギャンブルよりははるかにマシである。今年も12月になって行列がなくなったあたりで買おうかと思っている。

宝くじは当たらなくても神経質人間には神経質という宝がある。神経質を生かせばこの上なく素晴らしい宝になるし、神経質を症状探しや強迫観念に無駄遣いすればとんでもないお荷物になる。宝にするかお荷物にするかは本人次第なのである。

2013年11月22日 (金)

神経質礼賛 967.セクハラ防止指針

 1119日付読売新聞朝刊の1面コラム「編集手帳」に厚生労働省がセクハラ防止の新しい指針を作成中という記事があった。職場でのセクハラは後を絶たず、そうした行為により逮捕されたという新聞記事をよく見かける。昔は職場でのセクハラは野放しだった。私が最初の大学を卒業して就職した会社では上司が「セクハラ大王」だった。朝、「おはよう」と言いながら次々と若い女子社員たちのお尻を触っていくのだ。「やだー!課長エッチ!」と女子社員たちは逃げ回っていた。私はその上司から何度か「お前はカタすぎる!女の子たちはお前に触られるのを待っているんだぞ」などと注意されたけれども、その指示(?)には従えなかった。そもそも対人恐怖・女性恐怖の私が間違ってもそんなことをするはずはなかった。人にどう思われるかが気になり心配性の神経質人間の場合、セクハラ問題は起こしにくいと思われる。

 コラム記事の中では、「男ならしっかりしろ」「男のくせに」というような言い方もセクハラとして扱われ、今度の指針に盛り込まれることが話題となっていた。そうなると、「男は黙って○○○○ビール」というようなCMも放送禁止になるかもしれない。「男なら」の一言で傷つき傷つけられる間柄ではそれ以前にすでに人間関係がほころびているような気がする、というコラムの結びの言葉はもっともだと思う。

 以前、森田療法で大学病院に入院していた20代の男性患者さんがいた。がっしりした立派な体つきなのだが、気が小さく、職場で不適応を起こして退職して入院してきた人だった。いろいろな行事の係の担当やサブリーダーまではリーダーの援助もあって順調にこなしたが、グループのリーダーになると、ある患者さんの批判に反応して泣き出し「退院する」と言い出した。担当の看護師さんが慰めるとともに、私が「九州男児、しっかりしろよ。君はここまで立派にやれてきたんだし、彼から言われたことだって大したことじゃないんだ。もう一息、がんばってみようよ」と励ました。彼は退院を思いとどまってリーダーを続け、不安症状も大幅に軽減して退院していった。試練を乗り越えて彼は一回り大きくなったと思う。しかしながら、今にして思うと私の発言もセクハラに当たるのだろう。気を付けなくては。

 他人を傷つけないように言葉に気を遣うことはとても良いことであるが、あまり禁句が増えて言葉狩りが横行するようでは困る。

2013年11月18日 (月)

神経質礼賛 966.一と七

 一昨日の土曜日は半日勤務だった。帰宅途中、小さな西洋料理店の前を通りかかると、店の前に夫婦と大学生くらいの息子さんらしい3人連れがいて、奥さんが大声で携帯電話で話していた。ここの店はちょっと前に改装工事をして、「ランチはやめて夜だけの営業になりました」という張り紙があった記憶がある。私は入ったことはないが、民放ローカル局のアナウンサーおすすめの店ということでしばしばグルメ番組に登場する。「一時半で予約したんですけど!」・・・「エエッ!七時半ですかあッ!」。察するに、午後1時半のつもりで予約をしたが、店側ではランチはやめて夜だけの営業になったので7時半のつもりでいたようだ。一と七は聞き違えやすいから気をつけなくてはいけない。予約する時には「昼の1時半」とでも言えば間違いは少なくなるだろうし、店側でも「夜の7時半ですね」とか「なな時半ですね」とか「19時半ですね」と確認すればこういう事態は避けられたと思われる。

 言い間違い、聞き違いはよく漫才ネタになる。笑い話で済むようなことだったらいいけれども、医療事故につながるような言い間違い、聞き違いは怖い。薬の名前で似た名前の他の薬があったりすると口頭指示の聞き違いで別の薬や注射薬が投与されてしまったらとんでもないことになる。最近はジェネリック薬の普及により同じ薬効の薬に何種類もの商品名が付けられていて似た名前の薬が増えてしまっている。医療機関側でも間違いそうな似た名前の薬剤は採用しないようにして自衛策をとっているが、ジェネリック薬は各メーカーが独自の商品名を付けるのではなくすべて一般名にしてもらえたらいいのに、と思う。そうすれば、紹介状のジェネリック薬の薬剤名を調べる手間がなくなり、自分の病院で使っている薬に置き換える際のミスも防げるはずである。ともあれ、ミスを減らすために確認したり復唱したり他の人によるチェックを受けたりする神経質が必要である。

2013年11月15日 (金)

神経質礼賛 965.鬼手仏心

 医学生時代、大学の臨床講義室に「鬼手仏心(きしゅぶっしん)」という書が飾ってあったと記憶している。これは外科医の心構えである。一見、残酷なほど大胆にメスをふるうが、一生懸命に患者さんを助けたいという暖かい仏心からくるものだ、という意味である。


 
 これは森田療法にもあてはまることだと思う。家庭的な治療が行われていた森田正馬先生の所では、先生が父親、奥さんの久亥さんが母親の役割だったとよく言われる。久亥さんはできの悪い患者さんあるいは先生から疎んぜられている劣等生タイプのお弟子さんにとっては救い主であった。こっそり羊羹と番茶をふるまって励ましてもらったという患者さんの話もある。旧制中学の時に激しい症状に苦しんで森田先生のもとに入院を希望してきた鈴木知準先生は当初入院を断られ、久亥さんの「若いから何とかなるかもしれない」という救いの一言で入院を認められている。そして見違えるように回復し、やがて旧制浦和高校から東京大学医学部へと進学して精神科医・森田療法家となっていった。しかし、仏の久亥さんも、患者さんのためには鬼になる時があった。薬物療法が行われている現在でも強迫行為を伴う強迫神経症(強迫性障害)は難治であり、森田先生も強迫行為を伴う場合は「意志薄弱者」として治療対象外だった。とはいえ、強く頼まれてあるいはいきがかり上やむなく入院させるケースもあって、そうした患者さんを日常生活の中で厳しく指導していたのが久亥さんだった。


 
 五十七歳の不潔恐怖の婦人は、発病来二十二年で、所々の精神病院にも入院して来たが、余の所へ入院中、手を洗ひふける時、妻に洗面器を取り上げられて、縁側をヂダンダふんで往復しながら、泣き叫ぶとかいふやうな事もあッた。

 又二十歳の不潔恐怖の学生は、之も同じく妻に叱られ、泣き出したが「余りいふ事をきかなければ退院させる」といはれ、それから発奮して、間もなく全治し、学校も優等で卒業し、今は良い地位の職について居る。

 (白揚社:森田正馬全集第7巻p.752、『久亥の思ひ出』復刻版 p.50


 
 前半の女性は『神経質及神経衰弱症の療法』に症例15および38として登場する矢田部夫人である。長年精神病院に入院していたが、森田先生夫妻の厳しくも暖かい指導により症状がよくなったばかりでなく家事ができるようになって退院することができた。


 
 後半の学生さんは日記に次のように記載している。

 これまで、御命令に反して、前の家の水道で手を洗ツて居た事を、奥様に見付けられ非常なお叱りを受けた。退院させるといはれたけれども、今後は決して御命令にそむかない事をお誓ひして、漸くお許しを受けた。今日は僅に、飯を炊く前に洗ツた位で、苦もなく、それで済んだが、これ迄は実に、毎日二十回余も洗ツて居たのである。この様に手を洗はずに、楽に済んだのは、皆奥様のお蔭であツて、深く感謝する次第である。  第4巻 p.377


 現代の大学病院で行われている森田療法だと、まず本人の辛さを傾聴しそれに共感を示すというような対応をするのだろうが、それでこうした人たちが治るのだろうか。一見優しいようでも、本人のためにはならない。怖くてプールに飛び込めない生徒の話を聞いてあげて「怖いよね」と共感したところで、飛び込めるようになるだろうか。理屈抜きで飛び込ませて、実はやればできるのだ、という体験をさせるのが本人のためではないだろうか。鬼手仏心の精神や治療者の気迫といったものは、マニュアル化された現代の医療では一笑に付されるだけだろうが、神経症の治療には本当は大切なのではないかと思う。

2013年11月11日 (月)

神経質礼賛 964.スピード感はいらない

 近頃、政治家の演説や質疑応答の中で「スピード感をもって・・・」や「加速していく」という言葉が頻繁に出てきて、またかとうんざりする。本来は、すばやく意思決定して迅速に行動に移すということを言いたいのだろうけれど、実際のところをみていると、スピード感とは、素早く一生懸命動いているように愚民たちに見せかけることなのかなあ、と思えてしまう。簡単にできるはずもないことをハッタリでそう言い切ってしまうのでは、ますます空しい言葉である。もっとも、今の総理大臣の演説や答弁の原稿は、専門のライターがいて、学力に難のある人のためにすべての漢字にふり仮名を付けてあるというから、ライターの好む言葉なのかもしれないが。大切なのはスピード「感」ではなく実際の行動であることは言うまでもない。


 
 私たち神経質人間は、森田正馬先生が「神経質は重い車」と例えたように、やらなければならないとわかっていても、労力を計算してしまい、めんどうだなあ、と思うとなかなか手を出さずに先送りしてしまうキライがある。どうしてもスタートで出遅れがちである。森田先生は次のようにも言っておられる。

戦ふが利か・戦はざるが利か・不明の時は、断乎として敵軍と正面衝突する・とネルソンが格言を残してある。勉強しようか・遊ばうかと迷ふ時は、ノロノロでも勉強した方がよい。仕事なり・講演なりを人から頼まれて、どうしてよいか判断に迷ふ時は、断乎として、之を請合はねばならぬ。奉職口があッて、損か徳か不明の時は、断然之を引受けたがよい。之が特に神経質の心掛くべき・よき態度である。(白揚社:森田正馬全集第7巻 p.517


 
 いやいやながら、ノロノロでも手を出していけば、少しずつでも前に進んでいく。神経質人間は欲張りであるから、一旦動き出せば「もうちょっとやってみよう」とさらに前に進んでいくことになる。そして気が付けば簡単には止まらなくなっているのである。スピード感はいらない。

2013年11月 8日 (金)

神経質礼賛 963.ケチケチ家康くん

 ピアノの鍵盤の袴をまとったゆるキャラ家康くんと違って、本物の家康は質素倹約そのものだった。よく言えば質実剛健ながら、ケチな戦国大名としても知られている。武将たちの間で流行った茶の湯を愉しむことはほとんどなく、漢詩や和歌などの文学にはあまり興味を示さなかった。新しい服は買わず、古い服を洗わせたものをよく着ていたそうである。ふんどしは洗濯をあまりしなくていいように薄黄色のものを愛用していたし、領民にもそれを勧めたという。便所で用を足した後、手を拭こうとした懐紙を風で飛ばされて、裸足のまま庭まで追いかけて行って取ったという話もある。女中たちがたくさん食べないように漬物はわざと塩辛くさせたなどとも言われる。ただでさえ、狸爺のイメージが強いところにもってきて、ケチケチのエピソードが数多くあるので、ますますイメージが悪くなりそうだが、実は成功した戦国大名の多くはケチだった。金貸しをしていた前田利家もケチで有名だったし、来年の大河ドラマの主人公・黒田如水(官兵衛)も自分が使って不要になった物を部下に売りつけるなどということがあったそうだ。しかし、そうした蓄財は合戦の際に武器や兵や兵糧米を調達するためであり、武芸や兵法とともに経営能力も大切だったのである。派手好きにみえる豊臣秀吉にしても、人の心を惹きつけるためには惜しげなく金を使ったが無駄なことには使わなかった。派手を好んだのも自分の力を強くアピールするとともに他の大名たちに金を使わせるのが目的だったと考えられる。

三島森田病院には「質実剛健」と書かれた森田正馬先生の色紙が残っている。「昭和十一年三月 森田形外」とある。森田先生は「物の性(しょう)を尽くす」ということを言われ、その物の価値を最大限生かすようにという指導をしておられた。風呂の湯は捨てずに掃除の雑巾がけに使い、さらに畑にまく、という徹底ぶりだった。新聞紙は捨てずに便所の紙として使ったし、チラシはメモや原稿の下書きに使った。飼っている小動物たちのエサは青物市場(青果市場)で捨てられたものを拾ってきていた。捨てられてしまう物でも生きるというわけである。ドケチのように思うかもしれないが、森田先生は郷里の小学校の講堂を建てたり備品を揃えたりするのに今の貨幣価値からすれば数千万円相当の寄付をしていたし、慈恵医大にも奨学資金を贈っていた。お金が最大限人のためになるように使われたのである。やはり、デキる人間は倹約上手ということなのである。

2013年11月 4日 (月)

神経質礼賛 962.ゆるキャラ・家康くん

 近年、ゆるキャラが注目を集めるようになってきた。企業や商品のマスコットキャラクターは古くからあって、私の子供の頃は薬局の店頭にゾウのサトちゃん(佐藤製薬)やカエルのケロちゃん(興和)やウサギのピョンちゃん(エスエス製薬)の大きな人形がよく置いてあったし、不二家のペコちゃんは大人気だった。それに対して、ゆるキャラの場合、御当地を象徴するキャラクターであり、着ぐるみでアピールするのが特徴のようだ。彦根のひこにゃん・熊本のくまモンは大人気となり関連グッズが売れて大きな経済効果を生んだ。そのため、ゆるキャラのランキングを決める、ゆるキャラグラプリは年々ヒートアップしてきている。

 浜松市は「出世大名家康くん」を売り込もうと懸命だ。頭のチョンマゲは鰻、着物の紋は葵ではなくてミカン、袴にはピアノの鍵盤が描かれていて、浜松が鰻とミカンとピアノの生産地であることをアピールしている。市長が家康くんの着ぐるみとともに街頭に立って投票を呼びかけ、市役所職員たちは投票を繰り返している。市内の企業に協力を依頼し、企業ぐるみの選挙の様相も呈している。1031日付毎日新聞夕刊トップ記事によると、家康くんは現在1位を独走中なのだそうである。市役所や地元企業による組織票を大量に入れて1位を獲得しようという動きには批判もある。それに対して歴史学者の磯田道史さんは「徳川家康らしくていいじゃないですか、だって家康は組織力で天下を獲ったんだもん」と言っておられる(1030日付読売新聞)。まさにその通りである。さらに磯田さんは面白い指摘をしておられる。同じ家康ゆかりの静岡市と浜松市では家康への親しみ感が異なり、少年時代と大御所と呼ばれる天下人として晩年を過ごした静岡市では畏敬の念が強く、若い弱小大名時代に過ごした浜松市では同級生的親愛の念が強いという。一般的には狸爺というイメージで親しみにくい家康に「くん」付して身近な存在として感じるのが浜松人である。浜松人たちが家康を支えて天下を獲らせたのだ、という感覚もあるだろう。

 家康が小心者の神経質人間だったことは当ブログに何度か書いたとおりである(11209393話・拙著p.231-235)。戦の時にはイライラして貧乏ゆすりや歯ぎしりをしていたし、成人してからも爪を噛むクセがあったという。浜松城時代の家康は大ピンチに襲われた。武田信玄が攻め込んできて、三方原の戦で大敗北を喫したのだ。何度も討ち取られそうになり、次々と家臣たちが家康を名乗って身代わりとなって時間稼ぎをしてくれたおかげで、命からがら浜松城に逃げ戻った。家康は恐怖のあまり脱糞していたという。その時の憔悴しきった情けない顔の肖像画「しかみ像」を常に座右に置き、自分を戒めていたと伝えられる。反省して失敗を繰り返さないようにする神経質らしい行動である。それが功を奏して少しずつ力を伸ばしていく。家康は無理な戦いはせず慎重に事を進め、情報戦を重視して敵の武将を寝返らせるのを得意としていた。また、ワンマンではなく、部下たちの意見をよく聞いて意思決定していた。このあたりも神経質らしいところである。家康が、長い年月をかけて天下を獲り、安定した江戸時代を作り上げることができたのは神経質性格のおかげであるとも言えよう。

2013年11月 1日 (金)

神経質礼賛 961.新しいアルコール依存症治療薬レグテクト

 今年になって新しいアルコール依存症治療薬が国内発売されるという話はどこかで聞いていたが、勤務先の病院は特にアルコール依存症専門病院ではないためか製薬会社の担当者さんが来なくて情報が入ってこなかった。今週の毎日新聞の記事ですでに発売されていることを初めて知った次第である。あわてて新しいアルコール依存症治療薬レグテクト(一般名アカンプロサートカルシウム)の添付文書とインタビューフォームをネット経由で入手して読んでみた。この薬はすでにフランスにおいて昭和62年に承認され、治療薬として用いられている薬である。

 従来、アルコール依存症で用いられていた薬は、嫌酒薬のシアナマイド液とノックビン(粉末)だった。アルコールは肝内でアセトアルデヒドさらには酢酸に分解されるが、これらの薬はアセトアルデヒドを分解する酵素を阻害することで悪酔い物質アセトアルデヒドを増やすので、アルコールを摂取すると不快な思いをすることで断酒を補助しようというものである。ところが、アルコールをわずかに含むドリンク剤や発酵食品、さらには化粧品の類にも作用してしまう問題があって、それを理由に服用をやめてしまう人がいる。それに対してレグテクトの作用点は中枢神経にあって、γアミノ酪酸(GABA)受容体と結合する。アルコール依存症ではグルタミン酸作動性神経活動が亢進しており、それを抑制することで飲酒欲求を抑えるということである。レグテクトの国内臨床試験での副作用発現率は18.6%であり、最も多かったのが下痢の14.1%だった。従来のシアナマドやノックビンを併用することも可能だという。

 もちろん薬だけでアルコール依存症が治るわけではなく、断酒会やAAなどの自助グループへの参加を含めた心理社会的治療が中心であることは言うまでもないが、補助療法の選択肢が増えたことはよいことである。


 
 うつ病や神経症で通院している人の中にはアルコール依存症予備軍がいる。寝酒や憂さ晴らしで毎日飲み続けているうちに耐性がついて飲酒量が増えてしまう。アルコール不耐症の人でない限り誰でもアルコール依存症になってしまう可能性はあるのだ。特に定年退職してすることがない人、趣味がない人は危険である。森田療法が説く目的本位・行動本位の生活を心がけることで、アルコール依存症に陥る危険性は減ってくるはずである。お酒はおいしく健康的に楽しみたいものだ。

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