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2013年11月11日 (月)

神経質礼賛 964.スピード感はいらない

 近頃、政治家の演説や質疑応答の中で「スピード感をもって・・・」や「加速していく」という言葉が頻繁に出てきて、またかとうんざりする。本来は、すばやく意思決定して迅速に行動に移すということを言いたいのだろうけれど、実際のところをみていると、スピード感とは、素早く一生懸命動いているように愚民たちに見せかけることなのかなあ、と思えてしまう。簡単にできるはずもないことをハッタリでそう言い切ってしまうのでは、ますます空しい言葉である。もっとも、今の総理大臣の演説や答弁の原稿は、専門のライターがいて、学力に難のある人のためにすべての漢字にふり仮名を付けてあるというから、ライターの好む言葉なのかもしれないが。大切なのはスピード「感」ではなく実際の行動であることは言うまでもない。


 
 私たち神経質人間は、森田正馬先生が「神経質は重い車」と例えたように、やらなければならないとわかっていても、労力を計算してしまい、めんどうだなあ、と思うとなかなか手を出さずに先送りしてしまうキライがある。どうしてもスタートで出遅れがちである。森田先生は次のようにも言っておられる。

戦ふが利か・戦はざるが利か・不明の時は、断乎として敵軍と正面衝突する・とネルソンが格言を残してある。勉強しようか・遊ばうかと迷ふ時は、ノロノロでも勉強した方がよい。仕事なり・講演なりを人から頼まれて、どうしてよいか判断に迷ふ時は、断乎として、之を請合はねばならぬ。奉職口があッて、損か徳か不明の時は、断然之を引受けたがよい。之が特に神経質の心掛くべき・よき態度である。(白揚社:森田正馬全集第7巻 p.517


 
 いやいやながら、ノロノロでも手を出していけば、少しずつでも前に進んでいく。神経質人間は欲張りであるから、一旦動き出せば「もうちょっとやってみよう」とさらに前に進んでいくことになる。そして気が付けば簡単には止まらなくなっているのである。スピード感はいらない。

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