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2013年12月30日 (月)

神経質礼賛 980.家康の倍返し

 ゆるキャラグランプリで優勝を目前にしていた浜松市の「出世大名家康くん」(962・963話)は佐野市の「さのまる」に逆転されて準優勝に終わり、公約通りウナギのチョンマゲを切り落として出家し「出家大名家康くん」になってしまった。修行して還俗する機を探るのだそうだ。果たして「倍返し」はなるのだろうか。

 本物の神経質武将・徳川家康(1543-1616)は執念深いところがあった。1581年に家康は武田方の重要拠点だった高天神城を攻め落とした。その際、生き残った敵方の将兵たちは助けたが、一人だけ切腹させた武将がいた。それは、今川家の元家臣だった孕石元泰。家康が今川の人質だった時代に隣家に住んでいて、しばしば家康が飼っていた鷹が迷い込むと「三河の小倅にはうんざりだ」と文句を言っていた。家康にしてみれば嫌がらせに思えて根に持っていたのだろう。20年以上も経ってから、倍返しどころか百倍返しである。

 神経質人間はやられたことには過敏に反応する。ただ、相手はそれほど深く考えずにやっている場合もあるし、原因が自分にある場合もある。過剰に仕返しをすると、それがまた自分に返ってくることにもなる。できれば半返しくらいで済ませた方が無難な気がする。


 
 さて、1225日付読売新聞の磯田道史さんのコラム「古今をちこち」は「家康の気配り 敗走中も」という見出しで書かれていた。三方原合戦で大敗し命からがら浜松城に逃げ帰った家康の話は当ブログでも書いている。磯田さんはさらに浜松城に戻った時に家康とともにいた家来は7人しか残っておらず、怪しんだ門番がなかなか入れてくれなかったというエピソードを書いている。それには立腹したであろうが、簡単に入城させなかった門番の用心深さをたたえ、銀の延べ棒を褒美に与えたという。また逃げ帰る途中、自分についてきた左右の供の刀に痰唾を吐きかけて、後日、それを証拠にそれらの者を調べ上げて賞したと「三河之物語」に書かれているそうである。磯田さんは「そら恐ろしいことに、天下人になるような人間は、生死の境まで追い詰められた時でも、そんな気配りができた」と結んでおられる。私から見れば、神経質を生かした行動の積み重ねが家康に天下をもたらしたと思える。


 
 今年もあとわずかとなりました。まもなく当ブログ開始から8年になります。懲りもせず毎月10話ずつ神経質人間のたわごとを綴っています。お読み下さった方々、コメントをお寄せ下さった方々に、深く感謝いたします。(四分休符)

2013年12月27日 (金)

神経質礼賛 979.無料ソフトの怖さ

 昨日のTVニュースや新聞で、中国検索最大手「百度(バイドゥ)」製の日本語入力ソフト「バイドゥIME」を使用すると、入力したすべての文字が送信されて、同社のサーバーに保存されてしまうことが発覚した、と伝えていた。日本国内では200万人が使用しているとみられる。このソフトは別のソフト(特に無料ソフト)をインストールした際についてきて利用者が意識しないうちにインストールされる。官庁や大学のパソコンにも知らないうちに入り込んでいたという。メールやワープロソフトで打ったすべての文章もネット経由でサーバーに保存されてしまうのである。サーバーは中国にあるから個人情報保護制度がない中で何をされるかわかったものではない。パスワードやクレジットカード情報も筒抜けである。官庁内の機密情報も瞬時に中国に流れている恐れがある。ただでさえ、官庁や大学のパソコンはハッカーたちに狙われている。特定秘密保護法を作ったって、こんなに脇が甘いのでは大マヌケである。さらに、スマホに使われていて700万人が利用している同社のソフト「simeji(シメジ)」もまた入力した全ての情報を勝手に同社のサーバーに送り保存していることがわかったという。こうなるとウイルスソフトやスパイウエア同然である。全く油断もスキもあったものではない。

 無料ソフトを全く使わない人はいないし、官公庁や大学や大企業でも使っている。私もなるべく使いたくはないが使わざるを得ずにインストールしているものがある。インストールする際に何でも「Y(はい)」を押しているとこういうとんでもないソフトを呼び込んでしまうことになるので極力余分なものは入れないように気をつけているつもりだ。それでも完全には防ぎきれないだろう。面倒でも年に1回くらいパソコンを初期化して不要なソフトを排除して「不埒な住人」を追い出す必要性があるのかもしれない。コンピュータ犯罪の被害にあわないためには神経質に対応するに越したことはない。

2013年12月23日 (月)

神経質礼賛 978.強迫からの脱却

 年5回、保健センター(保健所)へ精神保健相談に行っている。相談者は家族のことで相談にくる主婦が多い。先日の相談には、お子さんが強迫性障害のため、確認と手洗いがひどくて家から全く外出できなくなっているというケースがあった。激しい強迫行為に家族も巻き込まれて強迫のお手伝いをしてしまっている。SSRIは限度一杯まで服薬しても全く効果がなく、抗精神病薬を追加投与されたが副作用が出てしまいやめたという。本人にとっても家族にとっても深刻な状況である。ここまでくると、やはり入院して生活の立て直しをしていく必要がある。

 このほど、「生活の発見会」の中の強迫神経症の方々の集まり「生泉会」で幹事をしている方から、新刊書『仲間とともに 強迫神経症を生きる』(定価800円)を寄贈していただいた。確認行為や不潔恐怖に伴う手洗い行為などから抜け出すための具体的技法について述べられている画期的な書である。ここで内容を明かすことはできないのが残念であるが、生泉会のメンバーたちが悪戦苦闘しながらいろいろと工夫してつかんだ技法でありとても価値が高い。原則的には生活の発見会会員限定販売とのことである。関心のある方は生活の発見会ホームページをご覧下さい。

 以前にも書いたことがあるが、私自身、対人恐怖だったほか、強迫行為も経験している。というか、今でも確認癖はあるし、並び替えたり揃え直したりする癖はある。しかし、そのために生活に支障をきたすことはないし、むしろ実生活では役立っている。

以前に住んでいた宿舎やアパートではガスコンロの近くにガスの元栓があったから、外出した時に「閉め忘れたのではないか」と気になることがあった。今の家はガスの元栓が簡単に止められる場所にないので、常に開いたままである。だから閉めたかどうか確認する必要がない。今時のガスメーターには流量センサが付いていて、地震だけでなく流量オーバー時にも自動的に遮断してくれるからまあ大丈夫だろうと決め込んでいる。しかし、玄関の戸は閉め忘れが気になっていた。家を出る時には内側から鍵のツマミを縦にしてドアを開ける。そこでツマミを横にしてから戸を閉めるとオートロックで鍵が閉まる。しかし横にするのを忘れて戸を閉めると鍵は開いたままになってしまうのである。電気錠なので、15秒以上ツマミが縦になったままだと警告音が鳴る設定にはしてあるけれども、急いで家から出てしまうと聞こえないかもしれない。通勤で駅へ行く途中「もしかして閉め忘れていたのではないか」と心配になって確認に戻りたくなることがあった。でも、この頃はその心配をしなくなった。一人暮らししている子供が帰省してきた際、外出時にオートロックがかかっていることを確認するため縦長のドアノブを一度引っ張るのを見て、これはいいと思って私もやるようにしたのだ。病院内の鍵のかかる戸は事故防止のため一度丸いドアノブを回しながら引っ張って確認する習慣があるけれども、家ではやっていなかった。頭の中で「閉めたはず」と思っても「もしかして忘れたのではないか」という疑念が残る。しかし、手で引っ張れば、感触と音で「閉めた」という記憶が確かなものになる。

 つらくても確認はガマンして後ろ髪を引かれる思いで気にはなりながらも次へ進んでいく、そして目的本位に行動する、というのが強迫からの脱却の鉄則ではあるけれども、「わかっちゃいるけどやめられない」のが強迫である。確認を2回3回と繰り返していたらきりがない。安心を求めて回数がどんどん増え、ついには家から出られなくなることもありうる。意味があるのは1回だけであるから、その1回の確認を着実にかつ短時間に行う工夫も役に立つ。しかしながら安心するために別の儀式・・・「はからいごと」をしたのでは新たな強迫行為になりかねないので注意が必要だ。

2013年12月20日 (金)

神経質礼賛 977.寝坊!

 私は家ではたいてい朝5時か5時半頃には目が覚める。そして5時45分に目覚まし時計が鳴ってすぐに起きている。休日も同様である。「あ、そうか今日は休みか」と思ってもそうそう寝てもいられないから特に予定がない休日でも6時半には起きる。こんな具合だから寝坊することはめったにない。

 ところが、今週は土・日・月と3日当直が続き、火曜日の午後は有休を取ってやっと帰宅した。それからたまった洗濯をして浴室に干して乾燥機を回し、固定資産税の払い込みなどの銀行の用事を済ませてから、足が悪い母親のために買物をして実家まで歩いて届けに行った。帰りはバスに乗りたいなあと思ったら、運悪く3台続けて行ってしまった後だったので歩くことにした。その日はいつも通りに11時半に寝たのだが疲れがたまっていたためか爆睡してしまい、目が覚めると普段家を出る時刻の640分に近かった。目覚まし時計は当直が続いた間に妻が使ったらしく7時にセットされていたから鳴らなかったのである。さあ、大変! あわてて着替えをして顔を洗い、朝食は食べていられないので災害用に買い置きしてあるカロリーメイトを鞄に入れて早足で駅へ向かう。いつも乗っている72分始発の電車に間に合ってホッとする。

 とても焦ったけれども、もう1本遅い電車でも、職員送迎ワゴンの集合時刻には十分間に合う。さらに30分遅い電車でも駅から路線バスに乗って病院には9時前に着く。いつも9時に出勤して来られる先生よりも早く着くので、それでも全く問題はない。つまり、普段から十分にゆとりを持って早めに動いているから、万一こういう事態になっても何とかなるのであって、これも神経質のおかげかもしれない。

2013年12月16日 (月)

神経質礼賛 976.餅つき

 一昨日は病院で恒例の餅つき会があった。中庭に臼を出し、職員が交代で餅をつく。「よいしょー!よいしょー!」という元気なかけ声とともに餅をつく音が響き渡る。森田療法の患者さんたちも、もち米をせいろで蒸す仕事などを手伝う。冬の風物詩である。餅ができ始めると病棟の患者さんたちが順次中庭に集まり、つきたての餅にあんこを入れて大福状にしたあんこ餅をもらって食べる。他にもきな粉と砂糖をまぶした「きな粉餅」や大根おろしと醤油をかけた「からみ餅」もある。寒い中だけれどもホクホクのお餅に笑顔がこぼれる。中庭に出られない患者さんのために、午後に病棟では汁粉がふるまわれた。高齢者が多くなっているし、薬のために嚥下状態が悪くなっている患者さんもいるため、餅はかなり小さく切ってあり、職員が注意深く様子を観察している。餅による誤嚥窒息事故は恐ろしい。このあたりは神経質に対処するに越したことはない。

病院が現在の地に移転してちょうど10年が経った。それ以前の古い病院の時には、餅つきだけでなく、年末とか正月には病棟内に七輪を出して、患者さんたちが餅を焼いて食べるのが習わしだったけれども、誤嚥窒息事故や火事の危険性を考慮して廃止された。冷暖房が効いた病棟内で生活している患者さんたちにとっては季節感が乏しくなっていくのは残念であるが安全のためにはやむを得ない。今の餅つきがこれからも続いてほしいと思う。

神経質にもご褒美が回ってくる。残ったあんこ餅を一ついただいた。


  餅にまつわる諺に「絵に描いた餅」というものがある。神経質人間は事前に詳細な計画を立てるのが得意である。しかし、すばらしいプランもいざ実行する場面になると、めんどうだなあ、と思ったり、他人からどう思われるか心配だ、と思ったりして、先送りして結局やらずじまいになってしまうことがある。「絵に描いた餅」で終わらせないためには、とにかく最初の一歩が肝心である。一旦動き出せば今度は簡単には止まらなくなるのが神経質である。

2013年12月13日 (金)

神経質礼賛 975.健康的食生活による自殺予防効果

 今週、いくつかの新聞に、国立国際医療研究センターや国立がん研究センターなどによる、食生活と自殺との関連研究結果が紹介されていた。9万人の男女を8年半にわたり追跡した大規模な調査である。具体的には、対象者の食生活を、野菜や大豆や海藻などを中心とした健康型、肉やパンを中心とした欧米型、御飯や味噌汁を中心とした伝統型(日本食)の3タイプに分け、自殺との関連を調べたものである。それによると、野菜・果物・イモ・キノコ・大豆・海藻・魚の摂取が多く緑茶をよく飲む健康型では、そうでない人に比べて自殺リスクが半分以下に減少し、欧米型や伝統型ではそうした差がでなかったという。健康型の食事に多く含まれる葉酸やビタミンCなどはうつ病を予防する効果があり、自殺を減らした可能性があるとしている。

 すばらしい研究ではあるけれども、結果についてはいろいろな考察が可能であり、単純に栄養の影響だけではないかもしれない。健康型の食事を作るのにはフライパン料理と違って手間暇かかる。御飯・味噌汁・焼魚・漬物の和食よりも健康型はさらに手間暇かかりそうだし食べるにも時間がかかりそうな気がする。愚考すると、それだけ料理を作る時間的・経済的ゆとりがあり、主婦(主夫)が作ったそうした食事をゆったり家族で楽しめる精神的にも安定した生活環境にあって、そのために、うつ病になりにくく自殺も起こりにくい、ということもあるのではなかろうか。

 最近では、高齢者も体力を保ち健康を維持するためには、肉を摂取した方が良いと言われようになってきた。うつ病や自殺リスクだけでなく、いろいろな疾病のリスクを考えれば、必ずしも「健康型」でなければいけない、ということではなく、結局は肉や乳製品も含めていろいろな食品を偏らずにバランス良く食べるのがベストなのだろうと思う。

2013年12月 9日 (月)

神経質礼賛 974.靴

 私が普段履いている靴は地味な黒革靴である。職場ではサンダルに履き替えるので、仕事の行き帰りが主になる。土砂降りの雨の日でも同じ靴で済ませるし、横断歩道の前で青信号が点滅し出すと走って渡ってしまうので、結構過酷な条件での使用だ。汚れが気になると古い靴下で拭き、時々靴クリームを塗る程度の手入れしかしていない。寿命は平均8-9か月。最短で6か月、最長で1年といったところである。雨の後で靴がダメになってしまったような時にすぐに買いには行けないから必ず1足予備を買い置きしているのが神経質らしいところであろう。

 今年の1月から履いていた靴もとうとうダメになって新しいものに替えた。今度の靴は前のよりもだいぶ軽くて足取りも軽くなる。ついでに気分も軽ってくる。なかなかいい。歳を取ってきたら重い靴は疲れるので、やはり実用的なものが良い。今時の紳士靴はデザイン重視のためか、つま先が細長く尖っているものが多い。脚が長くて細い若者が履けばとても恰好いいが、中高年だと似合わないし、階段やちょっとした段差で躓く危険性が高い。次の予備靴を買おうとしてなかなか手頃なものがない。久しぶりに昔風の紐靴を買ってみた。これも靴先が円い軽めの靴である。

 もう1足、休日にチノパンに合わせて履く茶系のウオーキングシューズがある。出番が少ないので買ってから3、4年になる。デザインは気に入っているが結構重くて疲れやすい。そこで、次に履く予備にはタイヤメーカーが販売している軽くて滑りにくいウオーキングシューズを買ってある。一見紐靴だが、中高年用にチャックで開閉できるタイプである。ますます妻からは爺くさい、近寄りたくない、と嫌われそうである。

2013年12月 6日 (金)

神経質礼賛 973.プア充

 プア充という不思議な言葉を聞いて何だろうと思う。宗教学者・作家の島田裕巳氏が言い出した言葉であり、ストレスをためず出世を望まず年収300万円位で自分の生活を充実させていくような生き方を言うらしい。確かに成果主義の社会になって、会社側は社員により厳しいものを求めていて、心身ともに疲弊しきった人たちが精神科をよく訪れるようになった。それを考えると、そこそこ仕事をして、出世せず収入は少なくても趣味などで充実した生活が送れた方が得な生き方なのかもしれない。年収300万円と言えば大卒の初任給20万円にボーナス年3ヶ月分を加えた位だ。税金や年金などを引いて手取り月1516万円ともなれば、都心近辺ならばアパート代で半分は消える。地方ならばアパート代は安くても移動の足として車は必要だから、結局似たようなものだろう。食費や光熱費やケータイ料金などを引いたら、一応自由に使える額は2-3万。それから衣料費や交際費も必要になるから、なかなか厳しい。ただ、どこかで節約すれば浮かせられるお金も出てくるから、あまりお金のかからない趣味や教養にかけることは可能ではある。サービス残業や休日出勤をしなければ、学生時代に比べれば少ないながら十分に自分の時間が持てる。「少欲知足」を今風に実践したライフスタイルと言えるかもしれない。

 しかし、20代・30代の生き方としては少々枯れすぎていないだろうか。もし、若い人たちが皆プア充を目指したら、結婚して子供を持ちたいとかマイホームを持ちたいという人が減って、景気は低下の一途をたどり、少子高齢化も一層進むことになる。年金生活者のプア充はわかるが、若い人にはもうちょっと「生の欲望」を発揮してほしいところである。

2013年12月 5日 (木)

神経質礼賛 972.特定秘密保護法の医療への影響

 今、国会で特定秘密保護法案が圧倒的な与党の数の力で通過する見込みとなっている。新聞報道によると、これが成立した場合、特定秘密保護法に抵触した可能性のある人物について医療機関に照会があった場合、医療機関は応じなければならないとのことである。何やら第2次世界大戦前の特高警察を思わせる。医者にかかってもめったなことは言えなくなる。特に精神科では患者さんやその家族のプライバシーについて多くのことを聞くわけだから一番影響を受けるだろうと心配している。当局から事細かに照会があった場合、医師の守秘義務を超えて、知りうる全てを通知しなければならないようでは、治療関係が成り立たなくなるのではないか。神経質ゆえの心配し過ぎだろうか?

 そもそも特定秘密の定義が怪しい。政権を握る政治家にとって都合の悪いことは何でも特定秘密に指定して、それを暴露しようとした人物を抹殺することが可能となる。例えば政治家が兵器製造会社から賄賂をもらった場合、国家防衛にかかわる重大な特定秘密ということにしてしまえば永久にバレないことになる。日本が、都合の悪い事実はすべて国民に隠して何でも他国のせいにする近隣某国たちのようにならないことを祈るばかりである。

特定秘密保護法に「声高に」反対するデモを「テロ行為」とブログに書いた与党の大物政治家の発言が論議を呼んでいる。その論理であれば、迷彩色の車に取り付けたスピーカーから大音量で軍歌を流しながら特定の政党を攻撃なさる方々の行為はもっと威圧的で危険なテロ行為のはずである。私の街でも休日には車上のスピーカーからボリュームを上げすぎて歪んだ音で軍歌をBGMにして「○○党、うーるさい!!」を連呼している。一般市民からすれば、うるさい迷惑行為である。しかし、隣国人にお顔がよく似たこの政治家にとって、そちらは心地よい子守唄かオペラのアリアのように聞こえるのだろう。このように、政権を握る政治家にとって都合の悪いことは何でもテロにしてしまうことができるとしたら、戦前の治安維持法の復活が懸念される。どうか心配性の私のたわごとで済んでほしい。

2013年12月 2日 (月)

神経質礼賛 971.栗

 寒くなってくると仕事帰りは駅の天津甘栗の売場に何となく目が行く。ホクホクした香ばしい甘栗を食べたくなる。デパートの地下を通ると、中津川の栗きんとんの出張販売が来ている。これはおせち料理の栗きんとんとは異なり、茶巾絞りのような形の高級な和菓子である。思いがけず勤務先の職員の方から栗満月という名前の栗饅頭をいただく。暖かい緑茶にはよく合う。多くの果物とともに栗がおいしい季節である。栗は俳句の季語としては晩秋なのだそうだ。

 栗で思いつくのがサルカニ合戦の昔話だ。ずる賢いサルに柿の実を取られ、さらに親を殺された子ガニの仇討の話だが、真っ先に助太刀を申し出たのが栗である。栗はサルの留守宅の囲炉裏の灰に忍び込み、帰ってきた猿にはじけ飛んで強烈な一撃を浴びせる。サルがヤケドを水で冷やそうとするとハチがチクリ、逃げ出した猿の足を牛糞が滑らせたところに屋根から臼が落ちてくるのである。

 栗の実はこの話のようにとても固い皮に包まれていて、さらにイガイガが周りを包んでいる。神経質の対人恐怖も固い皮とイガイガに包まれた栗の実のようなものである。本当は人と仲良くしたいのに人に笑われやしないか恥をかくのではないかと心配して、こころにガチガチの鎧をまとって身を守ろうとする。そして、人と会ったり食事したり電話に出るのを避ければ避けるほどますます怖くなって対人恐怖や会食恐怖や電話恐怖は悪化していくのである。もちろん、人と会ったり一緒に食事をしたり電話で話すのを避けていれば安全ではあるけれども、仕事や学業ができず、社会生活に大きな支障をきたす。怖いまま仕方なしに人と会い、食事をし、電話に出るのが最良の「薬」である。本人は「できない」と思うかもしれないが、「やらない」だけのことである。緊張して震えても言葉に詰まっても、やれば必ずできる。その間の気分は問題ではない。やれたという事実を積み重ねていけば、あたかも固い皮が破れるかのように、どんどん対人恐怖は良くなっていく。そして、神経質の持ち味を発揮できるようになるのである。

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