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2014年1月31日 (金)

神経質礼賛 990.脱毛症

 先日、古くからの友人が「ハゲのクリニックに通い始めた」と言っていた。確かに彼の前頭部の髪は少し薄くなっているかなあという程度だが、本人にとっては深刻な問題であり、自費診療のクリニックに通い出したということだった。そこの院長は私立医大卒業後、2年間の臨床研修を終えて精神科に入局し、間もなく薄毛や脱毛症を対象にしたクリニックを開業したのだそうだ。自費診療だから「カウンセリング」とプロペシアなどの処方薬はかなり高くつく。「君もハゲクリニックを開業したらどうだい。そうしたら、俺が事務長になって患者をたくさん集めてくるからさ。絶対に儲かるぜ」と冗談を言う。そんな商才は私にはない。「毛細血管の流れを悪くするタバコをやめる方が安くつくんじゃないの?それに気にし過ぎるのは良くないよ」と言い返す。

 かくいう私もここ数年で前頭部の髪は薄くなり額が後退してきた。歳だから仕方ないよなあ、と思って特に何もしていない。強迫神経症で通院している外来患者さんからは「キューピーさんに似てる」と言われてしまった。この患者さんはまだ30代だが、一昨年に乳がんの手術を受け、抗がん剤治療のため脱毛してしまい、一時期カツラを使用していた。女性の場合、脱毛は深刻度が高い。

 別の外来患者さんで確認や手洗いなどの強迫症状が激しい女性がいる。この人は症状悪化とともに円形脱毛症になり、2カ所に十円玉大の脱毛がみられた。ストレスのためとも気になって繰り返し同じところを触るのが原因とも考えられる。

 担当している女性の入院患者さんがやはり円形脱毛症になってしまった。退院したいのだけれど、息子の奥さんと折り合いが悪く、なかなか実現しない。このところ家に外泊もできない。そのことばかり考えているのだそうである。難治性の湿疹や褥瘡や足の爪囲炎などの際に紹介する皮膚科の名医の先生のもとを受診してもらったところ、かなり強いステロイドローションとフロジン液という局所血管拡張作用を持つローションを処方してみるように、ということだった。それから半年ほど経ってみると細い毛がうっすらと生えてきて、脱毛部分が目立たなくなってきた。薬が効いたのかそれとも正月に久しぶりに家に外泊できたためなのかは不明である。

 かつて円形脱毛症はストレスが主因と考えられていたが、最近は自己免疫疾患であって一部はアレルギー性でありストレスは原因の一部に過ぎないとみられようになった。しかしながら、ストレスも無視はできないだろう。加齢による脱毛には、栄養バランスに気をつけてタバコの煙を避けてシャンプーで洗髪し過ぎないようにする、といった一般的な生活上の注意を心がけてみる。それでもダメであれば、遺伝的要因もあるだろうから、諦めた方がよいような気がする。ジタバタするよりそれこそ「あるがまま」である。

2014年1月27日 (月)

神経質礼賛 989.明智光秀の謎

 近年、TVの歴史番組で明智光秀がよく取り上げるようになってきた。御存知の通り、本能寺の変で織田信長を倒したが、すぐに秀吉に討たれていわゆる三日天下に終わってしまった人である。謀叛人としての扱いを受けてきた光秀だが、教養の高い文人であり、領民たちからは善政を行った名君と慕われ、家族思い・部下思いの行動や言動も記録が残っている。なぜ本能寺の変を起こしたのか、黒幕がいたのではないか、等々謎に包まれている。以前から、家康を接待した時の食事について信長から叱責されて恥をかかされた怨みだとか、まだ毛利勢が支配している国への国替えという無理難題を命じられて自分が死ぬか信長を殺すしかないというところまで追い詰められたためとか言われているが、それだけではなさそうである。

先週の水曜日の夜、NHKで、歴史ドリームチーム「仰天推理 本能寺の変」という番組があり、面白そうなので録画しておいて翌日に見た。まず料理家の服部幸應さんが出演し、家康の接待役を光秀が仰せつかった時の食事を信長に激怒され足蹴りされた件についての話だった。この時のメニューは今も記録が残っていて、大変贅沢な京料理だったようである。しかし、尾張や三河でよく使われる八丁味噌に代表される濃い味付けに慣れていた信長にとって、これは不満だったのではないかと従来から言われている。それに対して服部さんは、新しいもの好きの信長が牛肉やワインやスイーツを使った斬新な洋風料理を期待していたのではないか、というような仮説を唱えていた。次に登場した漫画家の江川達也さんは、信長に対する光秀の恋愛感情とその喪失が本能寺の変の原因だという。光秀は信長に会いに行き思いを伝えたが相手にされず殺害したと考える説。いわばストーカー殺人説である。その後、犯罪心理学の専門家が二人登場した。一人は光秀の信長への過剰適応が原因という。文人の光秀があえて残虐な叡山焼き討ちを買って出たように、信長に認められようと自分を押し殺して行動し続けたのが破綻をきたしたというのだ。これはよく理解できる。もう一人は本能寺の変の際に光秀が辿った道を経時的に追って検証し、中国地方へ向かう道と京へ向かう道との分岐点で光秀はどうしていいか判断がつかなくなり、逡巡したあげく信長に会いに行った、という説を唱えている。その分岐点から京に向かうのに要する時間からすると、時間がかかり過ぎているという点を根拠にしている。しかしこれには疑問を感じる。一人あるいは数人の行動ではなく、1万を超える軍勢を率いての動きであるから、迷った末、衝動的に本能寺に向かったとは考えにくいし、気づかれにくいように時間をかけて軍を動かして未明の寝静まった時刻を狙って夜襲をかけたと考える方が自然のように思う。事実は闇の中であるから、いろいろな推察は可能である。光秀については、山崎の戦いで秀吉に敗れた後、実は死なずに逃げ延びて出家し、家康の側近の南光坊天海になったというような異説もある。

光秀は叡山焼き討ちという大殺戮をやってのけて残忍な人間とみられがちだが、最初に書いたように優しい一面を持っていたし、細やかで気配り上手であったことを考えると、もしかすると神経質な性格の持ち主だったのかもしれない。現代社会で言えば、自分を押し殺して急成長中のブラック企業のワンマン経営者に仕えて辣腕をふるい営業本部長になったものの、ついにはブチ切れて経営者に逆らう、そんなところのようにも思える。いきすぎた成果主義から殺伐とした雰囲気の職場が増えている。過剰適応から心身に障害をきたしたり、追い詰められて衝動行為に走ったりすることのないように、適度な遊びも必要である。

2014年1月24日 (金)

神経質礼賛 988.日脚伸ぶ(ひあしのぶ)

 今時分は一年の中でも一番寒い時期である。

老猿は こごまりてあり 冬の日の 斜にさせる 檻の片隅(白揚社:森田正馬全集第7巻 p.444) という森田先生の短歌がある。低い角度から照らされる弱い日の光を浴びながら檻の隅で寒そうにしている老猿の姿が目に浮かぶ。

森田診療所では卵を産むニワトリや毛皮が利用できるウサギは飼っていたが、ペットという以外には役に立たない犬や猫は飼っていなかった。まさに実用第一主義である。ところがサルが飼われていたことがあった。これもペットではなく、森田先生は神経質の研究をする以前に精神遅滞の研究をしていたことがあり、サルの知能を上げることができないかという研究用だったのだ。森田先生が詠まれた短歌は日常生活を題材にしたものが多く、前出の老猿も大きな檻の中で世話されている動物園のサルではなく診療所の小さな檻の中で長年飼われていて患者さんたちが世話をしていたサルだったと考えられる。そうすると、ますます哀感が伝わってくる。


 
 朝、家を出る頃はまだまだ暗いけれども日没時刻は少し遅くなってきて、日が伸びてきたなあと感じる。おとといの天気予報でこの時期を表す「日脚伸ぶ」という言葉を説明していた。冬も終わり頃になって、昼の時間がしだいに長くなることを言い、俳句では晩冬の季語として使われるのだそうだ。恥ずかしながら初めて聞く言葉だ。いい語感の言葉だと思う。日が伸びるだけでなく寒さで縮こまった私たちの体まで伸びるイメージが湧き上がる。寒さは厳しくても少しずつ春が近づいている。

2014年1月20日 (月)

神経質礼賛 987.ホットスポット

 ココログのアクセス解析表示が変わって、都道府県別のアクセス率がブログ管理者には見られるようになった。都道府県別アクセス数では現在①東京都16.3% ②千葉県11.2% ③山形県9.3% ④北海道8.3% ⑤神奈川県7.8%の順になっている。もう一つ都道府県の地図が表示されていて、ネット人口当たりのアクセス率が色分けされている。1日の平均アクセス数が200から300のことが多いので、どこの県も青色から水色で塗られていてアクセス率が低いことを示しているが、ただ一つ赤色に塗られていて高いアクセス率を示している県がある。それは山形県である。「神経質礼賛」にとって山形県はホットスポットになっているようである。当ブログでは、単に森田療法の紹介だけではなく、日常の中で森田先生の考え方に沿って神経質を生かしていくことを話題の中心にしているつもりである。そこが山形県の方々に受け入れていただきやすいのではないか、と勝手に解釈している。

 かつてアメリカのケネディ大統領が尊敬する日本の政治家としてあげた上杉鷹山(1751-1822)は今の山形県米沢市で活躍した人である。藩主として財政破綻に陥っていた米沢藩を見事に立て直し、新しい産業を育成し、東北地方に壊滅的な打撃をもたらした天明の大飢饉の際にも犠牲者を最小限に食い止めた。現在でも米沢では学校に肖像が掲げられ、偉大な名君として深く尊敬されているそうである。その鷹山公の考え方は森田先生の考え方と相通じるところが多いように思う。鷹山公は自ら徹底的に質素倹約を実践した。森田先生も「物の性(しょう)を尽くす」・・・その物の価値を最大限に生かすということを日常生活の中で患者さんたちに指導していたから質素倹約でムダがなかった。患者さんの指導にあたっては、大学教授たる先生自ら肥桶を担いて手本を示すようなこともあった。鷹山公には、前を通りかかった農家で人手が足りなくて老婆が困っているのを見て手助けをし、後で老婆が殿様だったと知って驚愕したという実話がある。どちらも「ものそのものになる」であり、見栄や体面を忘れた無私の精神である。そして徹底的に創意工夫をこらす姿勢も共通する。

鷹山公の有名な言葉「なせばなる なさねばならぬ 何事も ならぬは人の なさぬなりけり」と同様、森田先生は「人のすることに出来る出来ぬの別あることなし 出来ぬといふはしたくなきが為なり」という色紙を残しておられる。気分本位で屁理屈ばかりこねていて行動が伴わない神経症の患者さんにピッタリの言葉である。神経質人間は慎重過ぎて石橋を叩くだけでなかなか渡ろうとしない傾向がある。しかし、熟考を重ねているので、実際に行動に移せば並の人よりも成功する可能性が高い。とにかく手を出していくことが大切なのである。

2014年1月17日 (金)

神経質礼賛 986.レシート類

 スーパーやドラッグストアやホームセンターで買物をすると、レシート類を次々と渡される。まずは普通のレシートの後から、ポイント2倍デーが今月は何日ですよ、とか次回持ってくるとポイント3倍の券だとか、コシヒカリ200円引きクーポン券とか、順次レジの機械から芋づる式に出てくるのである。さらには、1000円以上買い物するとスタンプを押してくれる期間限定のスタンプカードを渡されたりもする。それがビンゴカードの店もある。いやはや大変である。高齢者のお客さんに店員が説明するのに時間がかかって、レジ待ちがさらに長くなる。ここまでしなくても、と思うが、どこのチェーン店も顧客囲い込みに必死なのだろう。チラシには「増税前の応援特価!」と大見出しが入っている。4月から消費税が上がれば、一般庶民の買い控えは目に見えている。価格競争やサービス競争は一層激化するだろう。

景気が良くてホクホクなのは円安で海外での売上好調の自動車メーカーと株高で利益を上げている証券会社くらいのものだ。消費税増税分個人所得が増加するとは考えにくい。病院・医院は患者さんから消費税を受け取れないので、薬や給食の食材などの仕入価格に消費税上昇の影響をモロに受ける。一応診療報酬が上がることになってはいるが、それは消費税上昇分には満たない。消費税増税ばかりでなく、サラリーマンの必要経費に当たる給与所得控除を縮小する事実上のサラリーマン増税も段階的に行われることになっている。それでいて大企業の接待費用は必要経費として今以上に広く認めるのである。強きを助け弱きを挫く政策が続くようでは、一般庶民としてはサイフの紐を固くして防衛する他なかろう。これからは消費税の影響を受けないフリーマーケットや不用品交換会が盛んになるような気がする。

つい話がそれてしまったが、レシートと一緒に渡されるものの数々、なかなか悩ましい。使いそうもない値引クーポン券はですぐ捨てる。スタンプカードで貯まりそうもないものは捨てている。普段から食品や雑貨を買った時のレシートは、神経質ゆえ、不良品に当たって交換してもらうケースを考えて、家計簿につけてもなお1か月くらいは保存しているので、余分なものは早く処分しないと溜まる一方である。これが、手紙やレシート類が捨てられなくて困る間違い恐怖の強迫神経症の人だったら、大変だろうなあ、と思う。

2014年1月13日 (月)

神経質礼賛 985.祝聖文

 いつも朝通りかかる華陽院というお寺の掲示板が新年に合わせて変わっていた。ここの掲示板は変わっていて、2週間位で更新されることもあれば半年位そのままのこともある。内容もお寺らしくなく、和歌が出ていたり、小説の一節が出ていたり、アンパンマンの主題歌の歌詞が出ていたり(842話)、と実に気まぐれで面白い。今回は珍しく全て漢字が並んでいる。朝は暗い上にマスクのためにメガネが曇ってよく見えないので、昨日外出した際によく見てみた。


 
祝聖文


 
天下和順 日月清明

風雲以時 災厲不起

国富民安 兵戈無用

崇徳興仁 務修禮譲


 
 掲示されていたものには漢文につきものの「レ点」と小さくカタカナの送り仮名が入っている。とはいえ、ちょいと難しい。これは、「無量寿経」という経文の中にあるもので、浄土宗のお寺では年始に唱えるらしい。世の中が安定し、災害や疫病もなく、戦争もなく、徳を重んじ礼節が守られる、大雑把に言うとそんなところだと思われる。


 年始にふさわしい大変ありがたい言葉である。しかし、残念ながら現実の世はそうはいかない。世界を見れば戦争や紛争が絶えない。そして今でも「災厲(さいれい:災害と疫病)」すなわち大震災やパンデミック(世界的な感染の流行)がいつ起こらないとも限らない。個人レベルでみれば誰もが病気を抱えたり加齢による身体の不調が増えてきたりする。苦痛はなくならない。どんな人でも死ななくてはならないのだから、「死の恐怖」は根本にあるのだ。森田先生の次の言葉を噛み締めてみよう。


 
従来は余は、人生の苦痛煩悶を、如何にすれば解脱し・安心立命を獲る事が出来るかと、迷ひに迷ッて来たものである。それが、偶然の体験から、初めて従来の迷妄を解決したのである。即ち人生に苦痛は当然苦痛であり、煩悶は其のまゝ煩悶である。「花は紅・柳は緑」である。「あるがまゝ」の姿である。之を自分勝手の都合で、様々に思ひかえようとする「ハカラヒの心」が迷妄となり・強迫観念となるのである。(白揚社:森田正馬全集第7巻 p.532


 
 どうしても困難な状況は起こる。それに遭遇してしまったら、苦しいままにとにかくできることをやっていくしかないのである。「生の欲望」を燃やし続けた先に安心立命があるのかもしれない。

2014年1月10日 (金)

神経質礼賛 984.駅トイレ

 朝、通勤電車から降りて、しばし駅の待合室でTVニュースを見てから外へ出て、病院までの職員送迎ワゴン車を待つ。ほとんどの人はワゴン車が到着する頃には集まっていて乗り込むのだが、出発限界時刻スレスレに来る(そして時に乗り遅れる)看護師さんが一人いて15分近く皆で待つ。病院に着くまでには結構時間がかかることになるので、寒い時期は駅のトイレに寄って行く必要が出てくる。この時期、朝の駅トイレは混雑する。老若男女を問わず寒冷刺激でトイレが「近く」なってしまうためだ。2カ月ほど前に老朽化した駅構内トイレの改装工事が終わり、とても明るく清潔になったのはありがたい。


 
 神経症の症状のために駅トイレなどの公衆トイレが使えないという人がいる。不潔恐怖のために使えないという人ももちろんいるが、隣に人が来るとか後ろに人が並んでいると気になって用が足せなくなるという対人恐怖(社交不安障害)圏の人がいて、特に男性に多いように思う。私も若い頃はトイレで横に人が来る場面は苦手だった。今でも正直言うと、なるべく人が少ない場所を利用したくなる。とはいえ、昔のように横に長い溝があるだけで臭気が漂う男子トイレに比べれば、今の駅トイレは隔世の感がある。


 
 さて、トイレ恐怖というわけではないとは思うが、対人恐怖・読書恐怖のために森田先生のところに入院していた29歳の中学校教師が人から「オイオイ」と言われて軽蔑されたと感じて不快に思った、と日記に書いたところ、森田先生は次のように話された。


 
 先日僕が前の廣場で小便してゐたら、だしぬけに、巡査から『オイオイぢいさん。いけないぢゃないか。』と叱られた。矢張り氣持は悪い。熱海へ行くと、其邊の子供等が、おぢいさんと呼ぶ。矢張りおぢいさんよりも、先生といはれた方が氣持がよい。しかし、こんな事を、さほどの問題とせずに、無視してゐるだけの事である。(白揚社:森田正馬全集第4巻p.143


 
 普通だったら隠しておきたいであろう立ちションを警官から注意された話をあえて公開されたのは、治ってもらうためには御自分の恥も厭わないという森田先生の「ものそのものになる」姿勢を示していると思う。なかなかできることではない。この中学校教師は、『オイオイ』と言われて気持ちが悪いのは自分ばかりでなく誰も同様だと知った、と書いている。

 対人恐怖にせよ駅トイレ恐怖にせよ、自分だけが恥ずかしい、普通の人は何でもない、と差別観で物事をみてしまうところから始まる。誰もが人前では緊張するし恥ずかしい、誰もが駅トイレなどの公衆トイレでは横に人が来るのは嫌である、という平等観で物事をみるようになれば自然と恐怖は恐怖でなくなってくるのである。

2014年1月 7日 (火)

神経質礼賛 983.七草粥

 昨夜は当直で、今朝の病院食は七草粥だった。丼一杯に盛られていたので、こんなにたくさん食べられるだろうかと思いながらも、甘い煮豆と一口サイズのサンマの甘露煮が付いていて、ついつい箸が進んだ。胃にも軽くて、たまにはこういうものもいいなあ、と思う。七草粥の風習は平安時代あるいはそれ以前からだという。正月のハレの食べ物で疲れた胃腸を整えるのにはちょうどよい、という古くからの知恵によるものだろう。七草とはセリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロであるが、それぞれどんな植物だろうか。スーパーでは七草粥セットが売られていたりもするけれど、実物が全部わかる人はほとんどいないだろう。ただ、スズナはカブでスズシロは大根のことだから、この二つだけは大丈夫だ。カブやダイコンは栄養面に優れ、消化にもよさそうである。

 以前、ラッキー7について書いたことがある(777話)。西洋では7という数字が好まれる。日本では末広がりの「八」という数字が縁起の良い数字として好まれるが、七草粥・七福神・七色の虹・七光り・七つ道具・七味唐辛子・七不思議・七曲りとみていくと、七には「多くの」というニュアンスがあるようで、意外に日本人も古くから七という数字を好んできたのかもしれない。

 その七と八の両方を含む言葉に「七転八倒」がある。神経質人間、ことにパニック障害に悩んでいる人にとって、「七転八倒」は嫌な言葉であろう。また発作が起きて死ぬような苦しみを味わうのは嫌だ、といって電車に乗ったり会議に出たり床屋(美容院)に行ったりといった苦手な場面を避けていてはますます症状は悪化する。しかし、心臓が悪いわけではないので、パニック発作のために直接死ぬようなことはないのだから、心配でビクビクハラハラのまま、不安はそのままにして苦手な場面に飛び込んでいけば、多少の症状は出ても持ちこたえていれば、必ず良くなってくる。症状はあっても目的が果たせればそれでいいのだ、というつもりで行動していれば、もう一つの言葉「七転八起」となるのである。

2014年1月 6日 (月)

神経質礼賛 982.プラスワン

 数年前から暇な時にヴァイオリン曲やヴィオラ曲の楽譜をScore Grapher Liteというパソコンソフトに入力しておき、それを元にソフトシンセサイザーでカラオケ(マイナスワン)CDを自作するということをしている。ポピュラーな曲はカラオケCDが販売されているけれども、クラシック曲は少ない。自分で楽しむばかりでなく、人前で弾く時にも利用できる。さらにここ1、2年は弦楽四重奏曲などの弦楽合奏曲の楽譜を中心に入力していた。女性の手芸や編物のようなもので、少しずつ少しずつ出来上がっていくのは楽しいものである。神経質の欲張り根性で、つい「もう一小節、あと一小節」と入力してしまう。スラーの入力に時間がかかるが、同じ向きのスラーは後からまとめて入力するなど、なるべくマウスのクリック回数を減らす工夫をして、以前よりは効率よく入力できるようになってきた。昨年末、各パート用のカラオケCDを作って、高校時代のクラブの先輩や後輩数名に送った。よくOB会で弾いていたモーツァルト作曲の弦楽セレナード「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」やディヴェルティメントニ長調k136、ちょっと変わったところでブリテン作曲「シンプル・シンフォニー」などが入っている。最近は集まって皆で演奏する機会がなかなかないので、自宅で合奏気分を楽しむには良いアイディアかな、と自画自賛していたら、後輩から「マイナスワンだけじゃなくてプラスワンも作って欲しい」というメールが送られてきた。彼が言うには、自分のパートを強調したもの(プラスワン)があると、弾きやすいので、まずそれで練習しておいて、それからカラオケで弾くようにしたい、ということなのだ。彼の言うとおり、カラオケではなく自分のパートの音量を他のパートの2倍にしたものを試作してMP3ファイルに変換してメールで送ったところ、「左に自分のパート・右に他のパートを定位させたものが作れないだろうか」、ということだったので、再度それを作って送付したところ満足してもらえたようだ。私は知らなかったけれども、MP3再生ソフトに左右のバランスが調整できてさらに速度も自在に変えられるものがあって、彼はそれを利用しているのだそうだ。確かにそれがあれば、プラスワンからカラオケ(マイナスワン)まで好きなように調整して遅いテンポからだんだん速くして練習することができる。これは全く考えもつかなかった。

 手持ちのスコアやパート譜でまだまだ入力したい曲がある。今は著作権切れの楽譜がネット上にPDFファイルで公開されていて楽譜の入手が容易になっているので、さらにレパートリーが増やせそうである。神経質の「手芸」は今年も続く。

2014年1月 3日 (金)

神経質礼賛 981.年末年始

 勤務先の病院の休みはいつも通り大晦日と正月3が日の4日間である。

大晦日の日は注文してあったおせちを取りに行き、お寺へ墓掃除に行く。これまでは全て母がやってくれていたが、これからは私の仕事である。どこの家のお墓もきれいに花が備えられている。こびりついた汚れをナイロンたわしで洗い落とし、実家の庭にあった香花・センリョウ・マンリョウを供える。その後は母から頼まれた買物をして届ける。夕食後、妻が義父に電話をしてみると、体調が悪そうなので、元日に皆で行く予定を早めて妻と子供たちは妻の実家へ車で向かう。酒を飲まない娘が運転である。我が家でも少しずつ世代交代が起こっている。

元日、風は強いながら寒さは緩んでいた。洗濯を済ませてから妻の実家に向かう。車がないし、電車で行って駅まで迎えに来てもらうのも悪いので、路線バスで行くことにした。バスはのんびりと旧東海道を走っていく。ずっと乗っている客は私を含めて3人だけだった。前の席に座ったおばあさんは居眠りしている。1時間ほど乗り、実家に一番近い「千才(ちとせ)」というバス停で降り、あと30分ほど歩く。義父の体調は少し持ち直して一安心する。それから、義母の墓参りをし、例年通り瀬戸川の土手にある日限地蔵にお参りして、また一年が始まる。

年賀状を見ると、同世代の友人たちは子育てから老親の介護にシフトし、自身の闘病もあったりする。一休さんの狂歌「門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」をふと思い出す。めでたくてもめでたくなくても、今こうして生きていられることはありがたい。「石に噛りついても、生きねばならぬ。この他に、神経質者の往くべき道はない(白揚社:森田正馬全集第7巻 p.496)」「あらん限りの力で・生き抜かうとする希望・その希望の閃きこそ、『日々是好日』なのである(同第7巻 p.478)」・・・不安を相手にしている暇はない。とにかく今日一日、今できることをやっていくだけである。

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