神経質礼賛 984.駅トイレ
朝、通勤電車から降りて、しばし駅の待合室でTVニュースを見てから外へ出て、病院までの職員送迎ワゴン車を待つ。ほとんどの人はワゴン車が到着する頃には集まっていて乗り込むのだが、出発限界時刻スレスレに来る(そして時に乗り遅れる)看護師さんが一人いて15分近く皆で待つ。病院に着くまでには結構時間がかかることになるので、寒い時期は駅のトイレに寄って行く必要が出てくる。この時期、朝の駅トイレは混雑する。老若男女を問わず寒冷刺激でトイレが「近く」なってしまうためだ。2カ月ほど前に老朽化した駅構内トイレの改装工事が終わり、とても明るく清潔になったのはありがたい。
神経症の症状のために駅トイレなどの公衆トイレが使えないという人がいる。不潔恐怖のために使えないという人ももちろんいるが、隣に人が来るとか後ろに人が並んでいると気になって用が足せなくなるという対人恐怖(社交不安障害)圏の人がいて、特に男性に多いように思う。私も若い頃はトイレで横に人が来る場面は苦手だった。今でも正直言うと、なるべく人が少ない場所を利用したくなる。とはいえ、昔のように横に長い溝があるだけで臭気が漂う男子トイレに比べれば、今の駅トイレは隔世の感がある。
さて、トイレ恐怖というわけではないとは思うが、対人恐怖・読書恐怖のために森田先生のところに入院していた29歳の中学校教師が人から「オイオイ」と言われて軽蔑されたと感じて不快に思った、と日記に書いたところ、森田先生は次のように話された。
先日僕が前の廣場で小便してゐたら、だしぬけに、巡査から『オイオイぢいさん。いけないぢゃないか。』と叱られた。矢張り氣持は悪い。熱海へ行くと、其邊の子供等が、おぢいさんと呼ぶ。矢張りおぢいさんよりも、先生といはれた方が氣持がよい。しかし、こんな事を、さほどの問題とせずに、無視してゐるだけの事である。(白揚社:森田正馬全集第4巻p.143)
普通だったら隠しておきたいであろう立ちションを警官から注意された話をあえて公開されたのは、治ってもらうためには御自分の恥も厭わないという森田先生の「ものそのものになる」姿勢を示していると思う。なかなかできることではない。この中学校教師は、『オイオイ』と言われて気持ちが悪いのは自分ばかりでなく誰も同様だと知った、と書いている。
対人恐怖にせよ駅トイレ恐怖にせよ、自分だけが恥ずかしい、普通の人は何でもない、と差別観で物事をみてしまうところから始まる。誰もが人前では緊張するし恥ずかしい、誰もが駅トイレなどの公衆トイレでは横に人が来るのは嫌である、という平等観で物事をみるようになれば自然と恐怖は恐怖でなくなってくるのである。
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