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2014年1月13日 (月)

神経質礼賛 985.祝聖文

 いつも朝通りかかる華陽院というお寺の掲示板が新年に合わせて変わっていた。ここの掲示板は変わっていて、2週間位で更新されることもあれば半年位そのままのこともある。内容もお寺らしくなく、和歌が出ていたり、小説の一節が出ていたり、アンパンマンの主題歌の歌詞が出ていたり(842話)、と実に気まぐれで面白い。今回は珍しく全て漢字が並んでいる。朝は暗い上にマスクのためにメガネが曇ってよく見えないので、昨日外出した際によく見てみた。


 
祝聖文


 
天下和順 日月清明

風雲以時 災厲不起

国富民安 兵戈無用

崇徳興仁 務修禮譲


 
 掲示されていたものには漢文につきものの「レ点」と小さくカタカナの送り仮名が入っている。とはいえ、ちょいと難しい。これは、「無量寿経」という経文の中にあるもので、浄土宗のお寺では年始に唱えるらしい。世の中が安定し、災害や疫病もなく、戦争もなく、徳を重んじ礼節が守られる、大雑把に言うとそんなところだと思われる。


 年始にふさわしい大変ありがたい言葉である。しかし、残念ながら現実の世はそうはいかない。世界を見れば戦争や紛争が絶えない。そして今でも「災厲(さいれい:災害と疫病)」すなわち大震災やパンデミック(世界的な感染の流行)がいつ起こらないとも限らない。個人レベルでみれば誰もが病気を抱えたり加齢による身体の不調が増えてきたりする。苦痛はなくならない。どんな人でも死ななくてはならないのだから、「死の恐怖」は根本にあるのだ。森田先生の次の言葉を噛み締めてみよう。


 
従来は余は、人生の苦痛煩悶を、如何にすれば解脱し・安心立命を獲る事が出来るかと、迷ひに迷ッて来たものである。それが、偶然の体験から、初めて従来の迷妄を解決したのである。即ち人生に苦痛は当然苦痛であり、煩悶は其のまゝ煩悶である。「花は紅・柳は緑」である。「あるがまゝ」の姿である。之を自分勝手の都合で、様々に思ひかえようとする「ハカラヒの心」が迷妄となり・強迫観念となるのである。(白揚社:森田正馬全集第7巻 p.532


 
 どうしても困難な状況は起こる。それに遭遇してしまったら、苦しいままにとにかくできることをやっていくしかないのである。「生の欲望」を燃やし続けた先に安心立命があるのかもしれない。

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コメント

四部休符先生  お忙しい中日常のささやかなエピソード、森田先生、鈴木知準先生のお話を折に触れて書いて下さり大変参考になり
敬服しております。人は生きていく上では心配事や苦労はつきものでそれにうまく付き合っていくしかないと思っています。人はよく「神様はその人が乗り越えられる試練しか与えない」と言いますが、それは人により違うと考えます。これでもかと次から次に試練が来る人もあり、平穏な人生を送っている人もいます。私は家族がネット依存になりつつあり大変心を痛めております。パソコンは生活の必需品(勉強等)ですので、パソコンをない事とすることは出来ません。
森田先生的、鈴木先生的にはどのように対処いたしたらよいかそして四部休符先生のご意見をお聞きできたらと思います。よろしくお願いいたします。

洋子様

 コメントいただきありがとうございます。

 さて、御家族が「ネット依存」で御心配だということですね。確かに一日中ひきこもってパソコン(スマホも一種のパソコンです)でゲームをやっているとか動画を見ているとなると困ったことになります。最近は「歩きスマホ」をしている人が多くなって危ないなあ、と思うことがしばしばあります。しかし、現在、私たちの生活は仕事も含めてパソコンやネットなしには考えられない状態になっています。例えば私が住んでいる街の県立病院や市立病院では電子カルテになっていて医師は長時間パソコンと向き合っていますし、病室を巡回する看護師さんたちも、ワゴンの上に乗せたパソコンとともにやってきて、体温や血圧データを入力しています。それらのデータは無線LANで共有されます。私の病院ではまだ手書きの紙カルテや紙の処方箋を使っていますが、間違えを減らすため、私は担当している入院患者さんの定期的な処方箋はパソコンのワープロで打ち出したものを使っています。また、紹介状や各種書類などは読みやすいようになるべくパソコンで作るようにしています。医薬品の情報をネットから得ることもあります。私個人の生活を考えても、こうして発信しているブログもパソコンを使っていますし、趣味の音楽でも楽譜をパソコンに入力したものに「伴奏」させたりしています。最近はネットから著作権切れの楽譜を入手することもあります。1日のうちパソコン画面に向かっている時間は短くても1時間、長いと5時間を超えるかと思います。私も「パソコン依存」「ネット依存」と言われても仕方ないかもしれません。ただ、仕事や趣味の「道具」としてパソコンやネットを使う分にはそれほど問題ないのではないかと思っています。仮に、森田正馬先生や鈴木知準先生が今の世に40代や50代で生きておられたら必ずパソコンやネットを使われるだろうし、私よりもずっと上手な使い方をされるだろうと想像します。要は使い方しだいなのです。
 洋子様の御家族も、メールでのコミュニケーションや仕事あるいは仕事探しなど有用なことに使っている時間もあるはずです。そういう面はプラスに評価してあげてよいのではないでしょうか。ただ、あまりにゲームや動画閲覧にパソコンを長時間使っているのは心身の健康上あまり芳しくありません。時にはその御家族にパソコンでネット情報をいろいろ調べてもらって御家族での小旅行や食事会をされて、パソコン上手・ネット上手を活かしてもらうということがあってもよいのではないでしょうか。あまり答えになっていないかもしれませんが、取り急ぎ、思いついたことを書かせていただきました。

四部休符先生  お忙しい中早速のコメントありがとうございました。家族は大学生でひきこもりという事ではありません。勉強でパソコンを使うことが多く、本人も制限を掛けたりしているのですがやはり開いてしまい長時間使用となっています。
こだわりがある性格なので、趣味の音響製品等比較検討などに大変な時間をかけています。時間によりパソコンを制限できるツールなどが存在したらそういうものを活用していけたらと思っています。もう一つ懸念しているのは、パソコンに長時間向かい続け昼夜逆転のように夜寝られ寝むれなくなっていることです。一人で生活をしているのですが、家族へのメールなど深夜の時間帯や午前3時頃の時もありますので、心配しております。
本人の意思のやパソコン利用の意識はどのように考えていったらと思います。
私も、深夜0時を過ぎてもパソコンにむかっているわけですから気を付けようと思っております。

洋子 様

 息子さんはちゃんと大学生活をなさっているわけですし、御自分でもパソコン使用時間が長いなあと自覚されているのですから、そこまで御心配されなくても大丈夫ではないかと思います。私も電化製品購入を検討する時にはネット(特に価格ドットコム)でクチコミ情報を見て、その製品の弱点を調べますし、メーカーのカタログデータの数字もよく見ています。夜更かし朝寝坊は大学生の特権(笑)でしょう。私のように大学生時代も朝型生活だったのは奇人変人の部類です。
 いずれ就職されれば、否応無しに、生活リズムも定まってくることと思います。

四分休符先生  お心のこもったコメント本当にありがとうございます。

家族の問題はネットの時間や昼夜逆転気味も含め、私達にとり時期的に少し深刻な問題となっております。時間だけがレールの上を走る列車のように過ぎてゆきその中に身を任せられずもがき苦しんでいます。
今この時期を乗り切らなくてはと思っておりますが、なかなか私自身にも力がなく辛く感じることがあります。
そのような時、先生のブログが心休まるひと時になっています。
今は 子供の生活のぺースが治っていくよう祈るばかりです。

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