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2014年2月21日 (金)

神経質礼賛 997.幼弱性

 中年の女性が外来にやってきた。年齢不相応な衣装をまとっている。カルテを見ると、10年くらい前にも、他の先生が診ている。前回は不定愁訴のため内科や整形外科を受診したが何ともないと言われて受診したようである。今回は市販の鎮痛剤をたくさん飲んで内科にかかったが、幻覚があるようだから精神科に行くようにと言われて受診したとのことだ。もう幻覚はないと言い、子供っぽい話し方が目につく。念のため待合室にいた御主人を呼んで話を聞いてみると、やはり精神病ではなく、面白くないことがあるといろいろな「症状」を見せるヒステリーだと確信した。

 すでに長いこと当ブログを読んでおられる方あるいは拙著を御覧になった方は御存知だと思うが、ヒステリーについて再度書いておこう。森田正馬先生は、神経症を(森田)神経質とヒステリーに大別しており、ヒステリーは子供あるいは子供っぽい人格の人に起こるとしている。小さい子供は嫌なことがあると「頭が痛いよー」「おなかが痛いよー」と言って泣くことを考えるとわかりやすい。ヒステリーには失立、失声などの転換症状と、記憶喪失などの解離症状があるが、その心理機制として、「疾病利得」「疾病逃避」がある。つまり、病気だと、周囲が優しくいたわってくれるし、嫌なことをやらなくて済むのである。ちゃっかり生活保護を受けているヒステリーもいる。「症状」のために嫌なことがら逃れられるとなると、ますます治るはずがない。

 人格の未熟さと言う面では境界性(ボーダーライン)パーソナリティ障害はさらに重症である。知的には十分に大人であっても葛藤を処理する精神的能力は赤ちゃんレベルなのである。それに比べるとヒステリーは幼稚園から小学校低学年レベルと言えるだろう。

 もっとも、神経質も症状にとらわれているうちは大人の人格とは言いがたい。中学生・高校生レベルかもしれない。神経質にみられる未熟さ、つまり観念的・依存的・自己中心的なところを「幼弱性」と言うことがある。


 
森田先生は形外会の場で、親鸞や法然やキリストの法悦について述べた後に次のように言っておられる。

 ここで神経質の全快した諸君も、この法悦に似たものがある。心機一転により、たちまちにして全快する事が多い。自分が治るとともに、同病相憐むところの他の患者たちをも治したい心が当然起こるのである。もし単に自分が治ったというだけで、犠牲心が発動せず、自分の打明け話が恥ずかしいとか、人に知られては損害になるとかいう風では、まだその人は小我に偏執し、自己中心的であって、本当に神経質が全治しているのではない。本当の法悦の味を知らない人の事であります。(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.47

 互いに他の人の苦痛に共鳴し同感する事が神経質の治る第一歩であるのであります。(同第5巻p.50


 
 人の役に立つ人間となるように行動していけば自然と幼弱性から脱却して立派な大人の人格になる。そして、神経症の症状も自然に消退しているのである。

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コメント

「人の役に立つ人間となるように行動していけば自然と幼弱性から脱却して立派な大人の人格になる。そして、神経症の症状も自然に消退しているのである。」

森田先生や四分先生がこれを気づかせてくれて
神経質者が実践できたら法悦に至りますね。
まさに「情けは人のためならず」。
みずからの根治であり人生の重い歯車が
大回転を始めるのでありますねhappy01

たらふく様

 コメントいただきありがとうございます。

 おっしゃるように、まさに「情けは人のためならず」です。森田先生のお弟子さんにせよ治療を受けた方にせよ、「同病相憐れむ」の精神を実践された方々は悩んでいる人々を助けるとともに自分自身が大いに認められて大出世を遂げています。己の性(しょう)を尽くし、人の性を尽くす、というところが大切なのだと思います。

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