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2014年2月 7日 (金)

神経質礼賛 993.注文の多い料理店

 宮沢賢治の童話『注文の多い料理店』の結末はどうだったかなあ、と気になる。山猫の化物に食べられてしまったのか、それとも助かったのだったかな。あるいは結末は書いてなくて読者の想像に任せる形だったか。ずいぶん昔読んだ本なので思い出せない。図書館へ行ったら確認してみようと思いつつ、このところ行く機会がなくて、そのままだった。ネット上の「青空文庫」に入っているのを見つけて読んでみる。

 京都森田療法研究所の岡本重慶先生は長年三聖病院で森田療法を行いながら大学教授として教鞭を取ってこられ精神分析にも精通された方である。そして同研究所のホームページ上に先生のオリジナルな研究成果を公表しておいでである。森田療法と仏教や禅との関係、森田先生とかかわりがあった人物に関する研究が中心となっている。通常の森田本にはあきたらない方々にはぜひ一読をお勧めしたい。2013.9.9付の研究ノート「森田療法と移行対象」という興味深い御発表の中に「5.注文の多い料理店(宮沢賢治)と森田療法」とあり、その中で、森田療法の患者を二人の若者に、森田療法の治療者を案内人の猟師に、病院を「注文の多い料理店」に譬えていてとても興味深かった。我執の夢を見ている神経症患者たちは自分たちの欲をかなえてくれそうな治療者(猟師)に依存するが、治療者は途中で姿を消してしまい、不快な症状をなくして快を求めようとしていた患者たちは療法を通じて現実へと向きを変えられてしまう。治療者も病院も移行対象というわけである。そしてこの本が出版された大正13年という時代について言及されている。宮沢賢治は「都会文明と放恣な階級に対するやむにやまれぬ反感」からこの作品を書いており、森田正馬は大正時代の都会文明の中に現われた神経質に注目して森田療法を創始した、と述べておられる。

 童話には必ず子供たちに伝えたいテーマが隠されている。ピカピカの鉄砲を担いでやってきたイギリスかぶれの都会の若者たちは、案内人の猟師をたのんで山奥深くに入るが獲物は得られず、猟師とはぐれ猟犬たちが死んでしまってもいくら損したという金銭勘定しかしない。自然の恐ろしさを忘れて気楽に軽装備で登山して遭難する現代人にも通じるところがありそうだ。化物の料理にされる寸前だった若者たちを助けてくれたのは死んだと思っていた猟犬たちだった。そして猟師が与えた団子で空腹を満たして、宿に戻り都会に帰っていく。自然の豊かさと恐ろしさ、金の力で何でもできるという万能感を持つことの愚かしさが賢治の伝えたかったことではないだろうか。

 賢治自身のように「ほんとうのみんなの幸」(『銀河鉄道の夜』に出てくるジョバンニの言葉)を探求して生きていくことは常人には難しい。しかし、森田先生の言われた「己の性(しょう)を尽くす」「物の性を尽くす」から始まって「人の性を尽くす」となってくれば、我執の夢から覚めているのである。


 
移行対象:精神分析家ウィニコットが提唱した概念で、赤ん坊の最初の「自分でない」所有物で内的体験と外的世界との間を「橋渡し」する対象(北山修)。赤ちゃんや幼児が大事に握りしめているタオルや人形などがこれにあたると考えられる。

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