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2014年2月26日 (水)

神経質礼賛 999.森田正馬先生の性格

 こんな題名をつけると、「今更何だ。神経質に決まっているだろう」とお叱りを受けそうである。もちろん森田先生が神経質であったことは間違いないけれども、かなり大雑把で無頓着な面も持っていた。また、大変な負けず嫌いであり、粘着性があったということは、以前にも書いた通りである。大原健士郎先生は次のような点を指摘して、神経質ではなく循環気質や執着気質だった可能性も否定できないのではないかと疑問を投げかけておられる。

①本名は「まさたけ」なのだが、周囲の人々が言いやすい「しょうま」と呼ぶので自分でも「しょうま」になりきってしまい、ShMoritaとサインした点。

②著書で繰り返し発表した同一症例の年齢がまちまちである。

③しばしば胃腸を患い、「死」を予感し、恐怖におののきながら、回復すると養生はいい加減だった。好きなゆで卵は一度に10個食べ、カレーを2杯、3杯とお代わりし、妻が注意すると、勤務先の病院でゆで卵とカレーを食べていたという。晩年は3合の晩酌に制限されていたが、家族が酒を少なめに出さないよう、ガラス容器でチェックしていた。

④明らかに肺結核の症状がありながら、本人はそうは思っていなかったし、一人息子の正一郎が結核のために亡くなったのが自分の結核が感染したとは考えなかった。

 大原先生の疑問に対して、性格学の大家でもあった師の高良武久先生は「森田先生はクレッチマーの性格分類による分裂気質や循環気質などには当てはまらず、完成された神経質だったと考えるのが妥当である」と答えたという。大原先生は、森田先生の性格を両親の性格を受け継いだと理解された。厳格型の父親からは明晰な頭脳と創造性と洞察力を与えられ、溺愛型の母親からはユーモアと機転と人間愛を与えられた、ということである。


 
 神経質という性格も実は連続的なスペクトラムであって、神経質傾向が強い人から軽い人までいる。人は多かれ少なかれ神経質な面を持っていると言えるかもしれない。また、循環気質や執着気質あるいは粘着気質と混合している場合もあるだろう。だから、森田療法は森田神経質以外には全く使えない、というall or nothingではなく、神経質傾向が強い人にはピッタリ合うし神経質傾向が弱い人でも健康的な部分を伸ばしていくという考え方は役に立つ場合が少なくない。また、精神病であっても回復期のリハビリテーションには応用が可能である。最近の森田療法学会でも本来の森田神経質以外への応用に関する発表が多い。それはそれで大変喜ばしいことではあるけれども、理屈ではなく実際の行動に力点を置いた森田療法本来の特質が失われてしまうようでは困る。


 
 理屈でわかるよりも体験ができさえすれば治り、治りさえすれば、理論は容易にわかるようになるから、体験をさきにするほうが得策である。なお本人が神経質でない医者は、神経病の専門家でさえも、この心理がわからないから困る。(白揚社:森田正馬全集第5巻p.739


 
 完成された神経質の森田先生自身が患者さんたちの良い手本となって、再教育の効果を高め、治療効果を高めていたことは言うまでもない。

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コメント

森田先生の性格とは大変興味深いお話です。
高良先生の「完成された神経質だったと考える」に親しみを覚えます。
わたくしは四分先生の精励と躍動を拝見して
「神経質の本格化」という肯定的賛辞を贈らせていただきます。
森田先生の交友や対患者さん、対ご家族、対上司、先輩といった
人との交流の実際は存じ上げませんので謎ですが、
お若い頃に研究費を自分に回して貰うときの
「出しゃばって同輩の恨みを買わずに先生から指名を頂く」といった処世の知恵は
神経質の自己の内にこもる萎縮傾向からは早くに抜け出ていらした感じも致します。

たらふく様

 コメントいただきありがとうございます。

 「神経質の本格化」には、まだまだですけれども、そうなりたいと思います。

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