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2014年3月12日 (水)

神経質礼賛 1004.注文の多い料理店(2)・・・森田療法の「治る」とは

 京都森田療法研究所ホームページの「研究ノート」に掲載された、いわば「注文の多い料理店で読み解く森田療法」を993話に紹介させていただいた。今回はそれに少し補足しておきたい。宮沢賢治の『注文の多い料理店』では、都会の若者たちは山猫の化物に食べられそうになる寸前で死んだと思っていた猟犬が飛び込んできて助けられ、あやかしの料理店は消え、元通りの「風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました」という現実の自然の中に寒さに震えながら立つのである。

 遠方から森田療法を希望して来られる方の中には、入院したら症状がきれいさっぱりなくなって頭の中がスッキリと青空のように冴えわたることを期待する方がしばしばいる。ことにカリスマ的な治療者がいる場合はその傾向は強くなるだろう。もちろん、入院中に「頓悟」と言えるような状態になる方もいないわけではないけれども、大半の人たちは症状はありながらも行動する習慣ができたところで退院していくものである。「本当の勝負は退院してからですよ」「何気ない日常生活が勝負どころですよ」、と退院する方々には話している。現実の生活をしていく中で不安は決してなくなることはない。だから、「症状」も何かの拍子にまた顔を出すことがあるだろう。しかし、仮に症状が出ても、それを相手にせずに仕方なしに目の前の仕事を淡々とこなしていれば、症状はいつしか過ぎ去っていく。そういう習慣が身についていれば本物であり、森田療法の「治った」なのである。入院治療を受けていても、いつかは退院の時が来る。自分を治してくれる都合のよい存在として期待していた治療者や病院は「注文の多い料理店」と同様に目の前から消えて、一人で現実の中に不安に震えながら立たなくてはならない。そして、時には症状がぶり返して苦しみながらも行動しているうちに、ようやく治っていくのである。

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