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2014年3月28日 (金)

神経質礼賛 1009.一期一会

 今週の月曜日、BS-TBSの番組「謎解き!江戸のススメ」のテーマは桜田門外の変だった。その際に暗殺された井伊直弼と言えば、吉田松陰らを処刑した「安政の大獄」を断行した人であり、強権を振るう独裁者のイメージがあったが、この番組を見て私の中での人物像が変わった。一期一会という言葉を広めたのが井伊直弼だったとは知らなかった。

 井伊直弼(1815-1860)は彦根藩主の十四男として生まれ、将来藩主になる可能性はほとんどなかった。兄たちは有力な大名家の養子に迎えられたが若い時の直弼はその道もなく、捨扶持を与えられて儒学・国学・禅・武道・和歌・茶道・音楽・能などを学んで過ごしていて「茶歌鼓(ちゃかぽん)」とあだ名されていたという。たまたま父の次の藩主だった兄の跡継ぎが亡くなり、藩主への道が開ける。藩主になってからは藩政改革を行い、名君と評価された。井伊家は譜代大名の中ではトップ格であり、幕府の相談役的な立場にあったから攘夷か開国かという大きな決断を迫られる時に大老に就任し、すでにバラバラになっていた幕府をまとめ、列強の植民地になることを防ぐために、やむを得ず安政の大獄・日米修好通商条約締結の決断をしたようだ。しかし、強権を振るっていたように見えても、内心ではかなり悩んでいたような資料も残っているという。弱い面を押し殺して仕方なしに強く振舞っていたのだろう。若い頃の文人生活を考慮すると井伊直弼は決して豪胆な人ではなく、実は神経質人間のお仲間だったのかもしれない。暗殺計画を事前に察知した人物から登城の際の護衛を増やすように忠告されても、大老が決まりを破っては示しがつかないと言ってそのままで登城して討たれ、暗殺は覚悟の上だったと言われている。このあたりも必要以上に規則を守ろうとする律儀な神経質の特徴が出た可能性があると思う。

 3月末から4月の初めは別れと新たな出会いの季節である。一期一会という言葉を思い起こす方も多いだろう。この言葉の考え方自体は千利休がすでに唱えていたが、井伊直弼が自著「茶湯一会集」の巻頭に記して多くの人々に知られ使われるようになったという。直接的な意味は、一生に一度会うこと、一生に一度限りであること、であるが、茶道の世界では、もう二度とないこの一瞬を大切にして今できる限りのもてなしをすることを言う。この考え方は、今を生きる、そして生き尽すことを説く、森田療法の考え方にも相通じると思う。

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