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2014年4月28日 (月)

神経質礼賛 1020.トレインフェスタ

 一昨日の土曜日は午前だけの勤務だった。その前日のニュースで、土日の2日間、トレインフェスタ2014というイベントがあると知ったので、仕事帰りに途中の駅で降りて、ちょっと寄り道していくことにした。天気もよく、会場前の広い芝生広場には家族連れがシートを広げて弁当を食べている。そして、無料のミニSLに乗ろうという子供たちの行列ができていた。会場の大ホールに入ってびっくり。普段はコンサートや講演会などに使われている広いフロアいっぱいに鉄道模型のジオラマが作られている。これは壮観だ。15の県内・近県の鉄道クラブ・同好会がそれぞれ線路・模型・機材を持ち込んでデモ走行させているのだ。模型の総数は5000両だという。私にとっては、やはり昔の緑と橙ツートンカラーの東海道線車両が懐かしい。大学生時代は東京から帰ってくる時に乗った、そして医大生時代には通学に毎日乗った、ボックスシートの各駅停車の電車を思い出す。模型の車両内にはLEDの青白い車内照明が点いていて、夜汽車の雰囲気がよく出ている。さらに、模型の運転席のビデオカメラから写したジオラマの風景が画面に表示される。会場に来た子供たちに操作させてくれるようなところもあった。車掌さんの制服を来たクラブ会員も見かける。入場者には投票用紙が渡されていて、得票数で「ベスト鉄道クラブ賞」や子供の人気を集めた「キッズ賞」や女性の人気を集めた「鉄子賞」が決められることになっているので、各クラブとも力が入っていた。他の階には、子供向けの鉄道工作コーナーや制服を着ての記念撮影や鉄道写真展示や駅弁販売コーナーや鉄道会社のグッズ販売コーナーなどがあって、家族連れでも一人でも楽しめる企画となっていた。お堅い県が関係したイベントにしては創意工夫がこらされていて、とても良かったと思う。

 会場を出て、現実世界に戻る。神経質スイッチONである。前回重くて買いきれなかったダイコン・ジャガイモ・タマネギなどをスーパーで買って、実家に届けに行く。

2014年4月25日 (金)

神経質礼賛 1019.ホントはトクする神経質

 3回にわたって神経質の七徳ということで書いたが、お読みになって「そんなはずはない」「自分は神経質だけれど損ばかりしている」「神経質だから自分はダメなんだ。本当に嫌な性格だ」と反論される方も少なくないだろうと思う。実はそれこそ神経質の特徴なのである。神経質は「生の欲望」が強く、大変に欲張りである。完全欲が強く、要求水準が極めて高い。例えば、試験で90点を取ったら普通ならば大喜びなのに、「自分はバカだ。当然100点取れるはずなのに」と100点を取った人間と比較してしまうのである。少しくらいのことでは満足しない。頭の中では、自分の悪いところばかり拡大撮影して、良いところは全く写さない、そんな自己像を見てしまいがちである。しかし、マイナス思考であっても、自分はまだまだ努力しなければと努力を重ねるようになってくれば、結果的にはプラスになるのである。「生の欲望」をエネルギー源として、ビクビク・ハラハラ・オドオドのそのままで行動していけば、神経質でトクをする、神経質で良かったということにもなってくる。

それでも納得できないという方は、以前にも紹介した森田先生が神経質の劣等感について述べた言葉を以下に再掲しておきますから、お読み下さい。


 
 なお私が常にいうように、神経質はいつも劣等感を起こすのが自分の持前であるから、そのまま劣等感になりきっていさえすればよい。自分を不器用と決めておきさえすれば、あらためて、時々に、自分を不器用呼ばわりする必要はなく、何か自分で作りたくてたまらぬ物ができれば、丁度小児が力一杯でやるように、ただ工夫努力するよりほかは道がなくなる。そこに初めて成功の喜びができてくるのである。

 およそ何事にも偉くなるような人はみな劣等感をもち、へりくだった心から、自分の行いを慎み励んでいるものである。高ぶった心の人は、決して優れた者になる事はできない。私が色紙に書いたものに、こんな文句がある。

「金持は常に己れの財産の乏しきを思い、知者は常に己れの知能の足らざるを憂う。柔順なる人は常に自らわがままに非ずやと恐れ、善人は常に己れを悪人と信ぜり。貧者は常に己れのありたけの金を使い果たし、愚者は常に自分のありたけの知恵才覚をみせびらかし、不柔順なる者は常に己れがこれ以上の柔順ができるかと恨み、不善人は常に己れを誠実親切なりと信ぜり。」

 己れを偉いと思い・よい人のように思う者にろくなものはない。(白揚社:森田正馬全集 第5p.741

2014年4月23日 (水)

神経質礼賛 1018.神経質の七徳(神経質でトクをする・その3)

⑦ お金が貯まりやすい

 神経質は衝動買いが少ないし、無駄遣いが少ない。うっかり無駄遣いしようものなら、ずっと後悔して気をつけることになる。ギャンブル的なものにはハマりにくい。うまい儲け話に乗ることも少ない。だから神経質でない人に比べたら、大儲けすることはなくても着々とお金が貯まっていきやすい。大きな買物の際には、あれこれ比較検討しているうちに結局買わずに先送りしてしまうこともある。単なるケチンボでは困るが、森田正馬先生のように、節約して貯めたお金を郷里の小学校にドンと寄付したり、慈恵医大の奨学金を出したり、というようになれば、大いに社会貢献することができる。森田療法を広めるために私財40億円を投じてメンタルヘルス岡本記念財団を創設された岡本常男さん(37話・268話・269話・871話)がシベリア抑留から九死に一生を得て生還されて裸一貫から起業して着実に業績をあげていき、ついにはビジネスマンとして大成功をおさめられたのも神経質性格を生かされたからに他ならないと思う。


 
 3回にわたって神経質の七徳について書いた。神経質は決して劣った性格ではなく、それを生かしていけば実にすばらしい性格ということになる。当ブログでも徳川家康、松下幸之助など歴史に名を残した著名な神経質人間を数多く取り上げて紹介してきた。神経質に悩んでいる方でまだ御覧になっていない方にはぜひ御一読いただき、神経質性格を見直していただけたらと思う。


 
森田先生は、神経質に悩む人への手紙の中で次のように書かれている。


 
 意志薄弱性の氣質の人は、初めから欲望が乏しいから、努力も・煩悶も・強迫観念もなく、只の貧乏の其日暮しといふ風であります。又ヒステリー性は、其の時々の感情にかられて、理智的の反省がないから、思ひ立つまゝに、何かと手を出し、いつも失敗するけれども、稀には成金にもなり、又忽ちに破産もする・とかいふ風になるのであります。

 之等と比べても、最も上等の氣質は神経質で、之は強迫観念や・病的異常に迷ふ間は、敗残者のやうでありますけれども、一度、心機一転して欲望と恐怖が調和し、感情と理智とが、平衡を保つやうになつた時には、初めて上等の人になります。其の実例は私共の方に、幾らでもあります。(白揚社:森田正馬全集 第4巻 p.510


 
 しかし、あまり調子に乗って「神経質万歳」にならないよう釘を刺してもおられる。


 
 今日の自己紹介の内には、皆さんもお聞きになった通り、対人もしくは赤面恐怖が、我も我もと競うて立って話をされた。近頃、佐藤先生までが赤面恐怖と名乗りをあげて、それに対して、山野井君が、今度「神経質」の七月号に、抗議らしい言いぶりで、佐藤先生は赤面恐怖の仲間に入れないという風にいってある。なんでもここでは、赤面恐怖でなければ肩身が狭いという風である、今日出席の山野井・日高の両副会長もみな赤面恐怖であった。

 しかし我も我もと、あまり自慢されても困る。神経質の事は、雑誌や私の著書でも、その素質を礼賛してあるが、九州大学の下田教授も、根岸病院の高良博士も、神経質の肩をもって礼賛してくれる。神経質はこのように立派でも、自慢してはかえって間違いの元になる。赤面恐怖も、も少しオドオドして、気を小さくしてもらわなければ、あまり大胆にやられても困ります。(森田正馬全集 第5巻 p.220


 
 やはり、神経質は小心なままがよろしいようで。

2014年4月21日 (月)

神経質礼賛 1017.神経質の七徳(神経質でトクをする・その2)

④ 人間関係のトラブルが少ない

 前回の②とも関連するが、神経質人間は他の人からどう思われるかをとても気にするため、発言は慎重であり、思い付きで行動することも少ない。また、人と衝突しそうになると、自分を強く主張せずに引くので、対人関係のトラブルは神経質でない人に比べたら少ないはずである。恋愛関係でも、押しが足りなくて諦めて引いてしまいがちであるから、昨今問題となっているストーカーにはなりにくいであろう。これが、感情過敏なヒステリー性格の人だと、自己アピールが強いので、うまくすれば人気を集めるが、感情に任せた言動や行動が目につくから、それは長続きしない。どこかでボロが出て、総スカンを食らう可能性もある。神経質は取っ付きは悪いが、長い目でみればあまりトラブルなく安定した人間関係を結んでいくことができるのである。


⑤ 成績が良い

 神経質人間は元来負けず嫌いで努力家である。少しくらい良い成績を出しても「まだまだ全然ダメだ」というように自己評価が低いので、ますます努力することになる。どうせダメだとヒネクレてしまわなければ、学業においても仕事においても、その人の能力一杯の力が出せて、良い成績をあげやすい。たとえ元々の能力が平凡であっても、上位、悪くても中の上位に食い込むことが可能である。


⑥ ムダが少ない

 何をするにつけ、神経質は簡単には手を出さず、熟考してから取り掛かる。無駄のない手順を考え、かかる時間や労力を見積もって、頭の中で何度もシミュレーションをしてから手を出す。だから、ムダな動きが少ない。日常生活の中でも、身近にある物を活用するのが得意である。だから森田正馬先生の言われた「物の性(しょう)を尽くす」は神経質人間にとって、最も手近なテーマになる。そこからさらに「己の性を尽くす」・「人の性を尽くす」に発展していけば、より神経質に磨きがかかって、完成された神経質に近づいていくことだろう。


(次回に続く)

2014年4月18日 (金)

神経質礼賛 1016.神経質の七徳(神経質でトクをする・その1)

 ブログのタイトルの割には、近頃は神経質を讃える記事をあまり書いていなかったなあ、と反省する。そこでこの際、神経質(性格)の良いところ・トクをするところをまとめてみようと思う。


 
① 失敗が少ない

 神経質人間は失敗をとても恐れる。だから失敗がないようにいろいろと考えて準備する。さらには、想定外の出来事にも対応できるように準備するのである。例えば、思いがけずに雨が降って、傘を持っていなくて困ることがある。神経質人間は一度そういう体験をすると、次からは同じ目に遭わないように、よほど降水確率ゼロ%という日でもなければ、いつも傘を持ち歩いて備えるようになる。私もその傾向大である。さらに、いろいろな場合に備えて持ち歩いているものがある。ポケットの運転免許証入れには絆創膏が入っているので、急に紙で手を切ってしまった時や靴ズレになってしまった時にはすぐに対処できる。またお札も1枚入れてあるから、万一サイフを落としたり盗まれたりした時にでもお金がなくて困ることはない。不測の事態に備えてキーホルダー代わりにミニサバイバルツールとミニLEDライトを使っている。

日常生活上のことばかりでなく、仕事の上でもミスをとても心配するから慎重であるし、よく確認もするから、神経質でない人に比べれば明らかにミスが少ない。皆さんは神経質の足りない医者に命を預けますか? 神経質の足りないドライバーが運転するタクシーに乗りたいですか? 神経質は任せて安心・安全印なのである。


 
② 人から信頼される

 神経質人間は発言にはとても慎重である。「こう言ったら、人にどう思われるだろうか」を常に意識している。だから、考え過ぎて疲れる、とこぼす人もいるが、十分に考慮してから発言するので誤った発言や不適切な発言は少ない。余計なことを言って人から揚げ足を取られることも少ない。失言を繰り返す神経質が足りない政治家(屋)と違って、気分に任せた発言やハッタリもない。だから、面白味に欠けるきらいはあるものの、彼(彼女)の発言なら間違いない、と思われるから人からは信頼されやすい。


 
③ 仕事が長続きする

 嫌なことがあるとすぐに仕事を辞めてしまい転職を繰り返す人がいる。その点、神経質人間は実にガマン強い。石橋叩きの神経質であるから、辞めても今よりいい仕事に就けるというよほどの確信がなければ危ない橋は渡らず、無難な道を選んでガマンする。グチをこぼしながらも何とかこらえて仕事を続けるのである。また、①②のために周囲からは信頼されていて、本人はそうは思っていなくても、実は高く評価されている。だから、辞めようとしても強く引き止められることになるのだ。


 
(次回に続く)

2014年4月14日 (月)

神経質礼賛 1015.洗濯機のリコール

 

 家電メーカーT社から封書が送られてきたので、何だろうと思って開けてみると、4年前に購入した洗濯機のリコールの通知だった。3件の発火事故があってT社がリコールを発表したという記事が今年2月に朝日新聞に掲載され、朝日系のTVニュースでも取り上げられていたらしい。あいにく家でとっているのは毎日新聞であり民放のニュースはあまり見ないので、この通知が来るまで全く知らなかった。通知は販売店のデータを元に行われたとのことである。販売店が小さな個人商店だったらリコール情報が伝わらないかもしれないし、転居を繰り返していたら通知が届かないということもあるかもしれない。知らずに使っていて火災を起こして人命にかかわる場合もあるだろうから、こうしたリコール情報を広く通知するシステムが欲しいと神経質人間は思う。

 

その前はS社(中国資本に買われて現在はA社)のドラム式洗濯乾燥機を使っていて、4回もリコールがあった(652)。ドラム式としては小型で回転の方向が他社とは異なり、タオルなどは均等にフンワリ乾燥してくれて重宝していたのだが、度重なるリコールには閉口した。その都度サービスマンが来て、無料で点検と部品交換をしていったのだけれども、いつの修理かわからないが、洗濯機を出し入れした際に防水パンの底が割れてしまったらしい。家のメンテナンス工事の際に防水パンを取り換える工事をしたついでに別メーカーの洗濯乾燥機に買い替えたら、またしてもリコールとは・・・。

 

連絡先の電話番号にはつながらないため、リコール受付のホームページに書き込むと受付済みの自動メールが届く。後日、電話連絡するとのことだが、いつになるかわからない。かといって洗濯機を使わないわけにもいかないので、使用中はなるべく離れないようにして、リスクが大きい乾燥機能は使わないようにしようかと思う。

 

2014年4月11日 (金)

神経質礼賛 1014.遠心性と求心性

 現代の精神医学では、DSM(アメリカ精神医学会による診断基準)やICD(WHOの診断基準)といったアメリカ流の操作的診断が主流になっていて、従来の神経症は不安障害に分類され、その中で、例えば社交不安障害、パニック障害、強迫性障害、身体表現性障害などといった病名が付けられる。確かに、これだと病名を付けやすく、統計上便利ではある。だが、これらの病名は病気のメカニズムや治療を考慮してのものではないし、機械的に症状ごとに病名を付けるから複数の病名が併存することも少なくない。その点、森田正馬先生の(森田)神経質は、発症のメカニズムやそれに対する治療法がハッキリしている。一見全く異なった症状であっても共通のメカニズムがあって、症状(気分)を相手にせずに、目的本位・行動本位にしていく生活態度を実践しているうちに、自然に症状は消退していくのである。月に1回、患者さんたちが集まる形外会の場で、森田先生は次のように述べて弟子の古閑義之先生に説明をさせている。


 
 神経質の種々の心理に、少しも興味を起こさないで、ただ自分の強迫観念の苦痛だけをとってのけたいと、近ごすい(土佐の言葉で「安直な」というようなニュアンス)事ばかり考えているような人は、決して強迫観念は治らないのであります。古閑君、説明して下さい。


 
古閑先生 簡単に言うと、(書痙が治って)どうして書けるようになるかは、注意の遠心性と求心性とについて説明するとわかる。例えばボール投げの時に、ボールのほうばかりに注意を集中するのが遠心性で、自分の手元や・身体のほうに気を向けるのが求心性である。心が常に遠心性であれば、字もよく書け、強迫観念も治るのである。(白揚社:森田正馬全集第5p.686


 
 神経症には実に多彩な症状があって、どの患者さんも「自分が一番苦しい」と思っている。だから、他の症状の人の話を聞いても大したことはないじゃないか、と聞き流してしまいがちだ。しかし、良くなっていくにしたがって、他の症状の人も実は大変なんだなあ、とわかり、他の症状の人の話にも耳を傾けるようになる。そして、治し方は共通なのだとわかってくる。一見、別物に見える書痙も強迫観念も同じメカニズムでかかり、同じ治療法で治っていくのだ、ということを森田先生は患者さんたちに教えようとしていたことがわかる。

 注意が自分の方に向かっている求心性の状態では、心身のわずかな変化にも敏感になり過ぎていて、周囲の状況に適切に対応できない。筋肉への力の入れ方や動かし方に事細かに注意していたのでは思ったようにボール投げはできない。持っているボールと投げようとする目標に注意を向ける遠心性の状態であれば、ボールを目標に向かって適度に投げることが可能となる。ボール投げばかりでなく、私たちの日常生活全般も同様なのである。「ものそのものになる」という姿勢を身に付ければ、自然と注意の遠心性が得られる。そして、その時には治っているのである。

2014年4月 7日 (月)

神経質礼賛 1013.春キャベツ

 実家で一人暮らししている母は足が不自由になって買物に行くことが困難になっているので、私が週1、2回食品類を買って届けるようにしている。実家は車が入れない小路の奥にあって、5-6kgある食材をスーパーから歩いて届けることになる。その際に必ず買うのがキャベツ1個である。母は一人暮らしなのに1週間で1個をほぼ食べきってしまう。最近は春キャベツが出てきた。冬のキャベツは葉がギュッと締まっていてずっしり重いのに比べると、春キャベツは緑が多くて葉もそれほどきつく締まってはいない。いかにも冬から春になって緩やかになったなあと感じさせる。そして、刻んでそのまま食べると柔らかくほんのりとした甘みがある。もちろん、玉ねぎやニンジンやもやしなど他の野菜を一緒に炒めてもおいしい。

 キャベツはビタミンCを多く含み、栄養的にとても優れているばかりでなく、胃にもよい。古代ギリシャや古代ローマではキャベツは薬草として利用されていたそうだ。胃薬で有名なキャベジン(ビタミンU)がキャベツの搾り汁から発見されて薬として開発されたことは御存知の方も多いだろう。キャベジンには胃酸分泌を抑制するとともに胃粘膜を修復する作用があり、胃潰瘍に効果がある。それにキャベツは食物繊維が豊富であるから便通にも良い。最近では発がん防止作用を持つ成分を含んでいる、というような話もある。心配性で胃腸が弱いという神経質人間にとって、キャベツは手軽に入手できる健康食品である。春キャベツから元気をいただくとしよう。

2014年4月 4日 (金)

神経質礼賛 1012.給油時のキャップの閉め忘れの確認

先週、車のガソリンを入れようと思ったら、消費税増税前に給油しようという車が道路に長い行列を作っていたので諦め、昨日またスタンドに行ってみると、今度はガラガラですぐに給油できた。よく見ると、4月3日まで春のキャンペーン・増税前の価格で提供します、と書かれていて、待たずに増税前の価格で給油できて、ラッキーだった。このスタンドはセルフ式なので、いつも心配になるのは、ガソリンタンクのキャップを閉め忘れていないかどうかである。キャップを回して「カチカチカチ」と音がしたのを意識して確認している。

 そもそも、キャップの閉め忘れが気になるようになったのは20年近く前に遡る。子供たちを連れて島田市にあるバラ園へ行く途中にスタンドで給油した。当時はもちろんセルフ式ではなく、どこのスタンドでも店員が給油しながら窓を拭いてくれた。ところが、しばらく走っていると、燃料表示のメーターが不安定な動きをするのでおかしい、と思って車を止めて確認すると、タンクのキャップがしていないことが判明した。給油したスタンドに戻ると、店員が閉め忘れたキャップが残っていた。普通、店員さんたちは「給油よし」「キャップよし」などと声を出して確認するはずだが、それを忘れたのだろう。そのままずっと気づかずにいたら危険なことになっていたかもしれない。それからというもの、何となく気になって、給油を終えて最初に駐車した時にキャップの閉め忘れがないか確認する癖がついてしまった。

 セルフ式だと完全に自己責任である。目で見るだけでなくキャップを回した音と感触でしっかり確認しておく。そうしないと、後で走っていてキャップが心配になる。走行中も気になって車を止めて確認するようでは強迫行為であり、ムダな行動であるばかりか、そのことを考えながら運転したのでは、かえって危険である。

 外来患者さんの中には、電気のスイッチの切り忘れやガスの元栓の閉め忘れや玄関の鍵の閉め忘れが気になって何度も確認してしまうとか、途中で気になって家に戻ってしまう、という人がいる。確かに、より安全でありたいと思うのは自然なことである。ミスをしたら人命にかかわるような仕事をしている例えばバスの運転手さんは、発車する前に、「左よし」「右よし」と指差し確認して、席についていない乗客をミラーで確認して「発車します」と宣言してから発車する。これは安全確保のためには大切な確認である。しかし、他を確認している間に、もしかして飛び出してくる人がいるのではないか、突っ込んでくる車があるのではないか、と心配になって二度目、三度目の確認をしていたのではバスはいつまでたっても発車できない。一度目の確認は非常に価値があるが、二度目以降の確認は大幅に価値が落ちるばかりか、時間やガソリンのムダというコストの犠牲も発生する。理屈の上では確認回数が増えればそれだけミスは減るけれども、実用になる確認は1回かどんなに多くても2回であり、心配であってもそれ以上の確認は、単に瞬間的な安心を満たすだけのムダな行為なのである。一度確認したら、後ろ髪を引かれる思いがしながらも、振り返らずに前へ進んでいくことである。神経質を必要とするところはもっと他にもある。

2014年4月 1日 (火)

神経質礼賛 1011.往生すれば治る

精神病恐怖のために森田正馬先生の診療所を受診した安田さんという人がいた。彼は薬局を経営していた。「苦しくても働くのと、心が楽で精神病になるのと、どっちがよいか」と先生に言われ、「どうにもしかたないから働こう」と思うようになって症状は消退した。だから、眼精疲労の薬はないか、と店に来た筆耕(代筆業)の仕事をしている人に、「それは生活のための仕事だから、疲れるのはあたりまえではありませんか」とアドバイスしたら、その人の眼精疲労や肩こりは治って喜ばれたそうである。薬を売らずに、放っておけば治る、という薬局はなかなかないだろう。その話を聞いて森田先生は次のようにコメントしておられる。


 
 書痙でも・眼精疲労でも、みなそれぞれの仕事に、反抗の態度をとるから起こる事である。前に安田君の話のように、生活のためだからしかたがないと覚悟して、書けないのは書けない・くたびれるのはくたびれる・どうもしかたがないと、素直に自分の境遇に柔順であれば、それらの症状は、いつとはなしに治るのである。これではならぬこれではならぬと、絶えず反抗する心があると、いつまでも治らない。

 我々の仕事でもみなその通りです。嫌いなものは嫌いで・しかたなしに・素直に、これも生活の一つのならわしで、全生活のなかの一部分だと心得れば、なんでもない事で、いやいやながらやっているうちに、いつしか興味もでき、やらなければかえって気がすまぬようになる。(白揚社:森田正馬全集 第5p.683


 
 自分の身体の変化にばかり注意を向けてしまうとますます感覚が鋭化し意識狭窄が起こり、またまた注意が集中する、という悪循環(精神交互作用)が起こって「症状」を悪化させてしまう。そこで薬を求めるのも、一種の「はからいごと」であって、「症状」に対するこだわりを強めることになって解決から遠くなっていく。「症状」はどうにも仕方がないと往生してしまえば、悪循環が断ち切られて、そもそも病気ではないのだから、自然に治っていくものである。

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