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2014年4月 1日 (火)

神経質礼賛 1011.往生すれば治る

精神病恐怖のために森田正馬先生の診療所を受診した安田さんという人がいた。彼は薬局を経営していた。「苦しくても働くのと、心が楽で精神病になるのと、どっちがよいか」と先生に言われ、「どうにもしかたないから働こう」と思うようになって症状は消退した。だから、眼精疲労の薬はないか、と店に来た筆耕(代筆業)の仕事をしている人に、「それは生活のための仕事だから、疲れるのはあたりまえではありませんか」とアドバイスしたら、その人の眼精疲労や肩こりは治って喜ばれたそうである。薬を売らずに、放っておけば治る、という薬局はなかなかないだろう。その話を聞いて森田先生は次のようにコメントしておられる。


 
 書痙でも・眼精疲労でも、みなそれぞれの仕事に、反抗の態度をとるから起こる事である。前に安田君の話のように、生活のためだからしかたがないと覚悟して、書けないのは書けない・くたびれるのはくたびれる・どうもしかたがないと、素直に自分の境遇に柔順であれば、それらの症状は、いつとはなしに治るのである。これではならぬこれではならぬと、絶えず反抗する心があると、いつまでも治らない。

 我々の仕事でもみなその通りです。嫌いなものは嫌いで・しかたなしに・素直に、これも生活の一つのならわしで、全生活のなかの一部分だと心得れば、なんでもない事で、いやいやながらやっているうちに、いつしか興味もでき、やらなければかえって気がすまぬようになる。(白揚社:森田正馬全集 第5p.683


 
 自分の身体の変化にばかり注意を向けてしまうとますます感覚が鋭化し意識狭窄が起こり、またまた注意が集中する、という悪循環(精神交互作用)が起こって「症状」を悪化させてしまう。そこで薬を求めるのも、一種の「はからいごと」であって、「症状」に対するこだわりを強めることになって解決から遠くなっていく。「症状」はどうにも仕方がないと往生してしまえば、悪循環が断ち切られて、そもそも病気ではないのだから、自然に治っていくものである。

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