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2014年4月11日 (金)

神経質礼賛 1014.遠心性と求心性

 現代の精神医学では、DSM(アメリカ精神医学会による診断基準)やICD(WHOの診断基準)といったアメリカ流の操作的診断が主流になっていて、従来の神経症は不安障害に分類され、その中で、例えば社交不安障害、パニック障害、強迫性障害、身体表現性障害などといった病名が付けられる。確かに、これだと病名を付けやすく、統計上便利ではある。だが、これらの病名は病気のメカニズムや治療を考慮してのものではないし、機械的に症状ごとに病名を付けるから複数の病名が併存することも少なくない。その点、森田正馬先生の(森田)神経質は、発症のメカニズムやそれに対する治療法がハッキリしている。一見全く異なった症状であっても共通のメカニズムがあって、症状(気分)を相手にせずに、目的本位・行動本位にしていく生活態度を実践しているうちに、自然に症状は消退していくのである。月に1回、患者さんたちが集まる形外会の場で、森田先生は次のように述べて弟子の古閑義之先生に説明をさせている。


 
 神経質の種々の心理に、少しも興味を起こさないで、ただ自分の強迫観念の苦痛だけをとってのけたいと、近ごすい(土佐の言葉で「安直な」というようなニュアンス)事ばかり考えているような人は、決して強迫観念は治らないのであります。古閑君、説明して下さい。


 
古閑先生 簡単に言うと、(書痙が治って)どうして書けるようになるかは、注意の遠心性と求心性とについて説明するとわかる。例えばボール投げの時に、ボールのほうばかりに注意を集中するのが遠心性で、自分の手元や・身体のほうに気を向けるのが求心性である。心が常に遠心性であれば、字もよく書け、強迫観念も治るのである。(白揚社:森田正馬全集第5p.686


 
 神経症には実に多彩な症状があって、どの患者さんも「自分が一番苦しい」と思っている。だから、他の症状の人の話を聞いても大したことはないじゃないか、と聞き流してしまいがちだ。しかし、良くなっていくにしたがって、他の症状の人も実は大変なんだなあ、とわかり、他の症状の人の話にも耳を傾けるようになる。そして、治し方は共通なのだとわかってくる。一見、別物に見える書痙も強迫観念も同じメカニズムでかかり、同じ治療法で治っていくのだ、ということを森田先生は患者さんたちに教えようとしていたことがわかる。

 注意が自分の方に向かっている求心性の状態では、心身のわずかな変化にも敏感になり過ぎていて、周囲の状況に適切に対応できない。筋肉への力の入れ方や動かし方に事細かに注意していたのでは思ったようにボール投げはできない。持っているボールと投げようとする目標に注意を向ける遠心性の状態であれば、ボールを目標に向かって適度に投げることが可能となる。ボール投げばかりでなく、私たちの日常生活全般も同様なのである。「ものそのものになる」という姿勢を身に付ければ、自然と注意の遠心性が得られる。そして、その時には治っているのである。

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