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2014年5月30日 (金)

神経質礼賛 1030.気分は後からついてくる

 

 時々、精神科クリニックの先生から難治のうつ病・うつ状態の患者さんの入院治療を依頼される。時には自殺念慮が強いとか食事が全く摂れないというような重症の場合もあるが、一見して重症ではなく本人の訴えが多くてクリニックの先生が手を焼いている場合がある。すでにいろいろな薬物療法が行われていて反応が悪い。そうした人によくあるのが、意欲が湧かないと言って日中は臥床していて夜になると執拗に不眠を訴え、もっと眠れるような薬を出して欲しいと要求するパターンである。確かにうつが重症である時には休養してエネルギーが回復するのを待つ、というのが治療の基本なのだが、すでに長期にわたって休養して内的エネルギーが回復してきている場合には、少しずつ日中の活動量を増やしていくようなリハビリテーションが必要なのであって、日中ゴロゴロ過ごしてばかりいたのでは長引くばかりである。意欲が湧かない→動かない→体力が低下する→少し動いただけでも疲れてだるい→意欲が湧かない、の悪循環になってしまうのである。また、昼と夜のメリハリを付けなければ睡眠リズムも改善せず、夜間の不眠や昼夜逆転が続くのである。ちょうど骨折の治療と類似している。骨が付くまでの間、長期間患部を固定しているため、筋力が低下し、関節の動きも悪くなってしまうので、少々痛みはあっても少しずつ動かして筋力を回復させ、関節の動きを良くするリハビリテーリョンが欠かせないのと同じである。だから、時々病室を訪れて、日中はなるべく横にならないように注意し、出るだけでも良いから作業療法室へ行って他の人のやっているのを見学しては、と勧めるのが私の仕事である。一言も森田療法とは言わずに、気分本位から行動本位になるよう、背中を押しているのである。

 

よく私の師の大原健士郎先生は、神経症や慢性期のうつ病患者さんに対して「気分はどうあれ、とにかくやらなきゃならないことをやってみることだよ。そうしたら気分は後からついてくるよ」と言っておられた。気分は天気と同じで自分の力で直接変えることはできない。気分は乗らなくても少し手を出してみる。それが形になれば小さな達成感も出てくる。それを足掛かりにもう一歩動いてみる。そんなことを繰り返していると、いつしか注意が自分の外へ向き、結果として気分も少しずつ晴れてくるのである。

 

2014年5月26日 (月)

神経質礼賛 1029.組み立て家具

 このところ、実家で使うためのちょっとした家具を買っている。ホームセンターだとかニトリで買うと、自分で組み立てなければならないものが多い。これが意外と手間と時間がかかる。カラーボックスとかTV台程度でも、30分から1時間弱は組み立てに要する。まず、傷をつけないように注意を払いながら、部材を全部出して並べる。欠品がないかどうかチェックする。使う道具はプラスドライバーか付属の六角レンチだけで済むが、ダボ(ギザギザが入った円柱の棒)に木工用ボンドを塗りつけて穴にはめ込まなくてはならない所もある。これは間違えると後で大変なことになるので慎重にしなくてはならない。神経質の生かしどころである。説明書を見ながら、よく確認しながら組み立てていく。ドライバーは押し込むと回転するスクリュードライバーがとても便利である。ちょっと面倒だなあと思いながらも組み上がると、達成感があって、うれしいものである。中学生の技術家庭科の工作を思い出し、つい、また別のものを組み立ててみたくなる。

先週は壊れたソファの代わりとなる、一人用の小さなソファを二つ買ってきた。消費税増税前の駆け込み需要で品切れになっていて、一時は2か月待ち、5月の初めに注文した段階では3週間待ちだった。1個の重量が18kg。車の後席を倒して前席を一杯まで前に移動させ店員さんに入れてもらった。2個入れると、ギリギリで、運転席は窮屈だしルームミラーで後方が全く見えず、ちょっと運転が怖かった。自分一人で出して家まで運び込むにも一苦労。汗だくである。組み立ては2カ所をビス止めするだけで大した手間ではなかった。

組み立て家具の厄介なところは、梱包されていた段ボールの始末である。月1回の資源回収の日まで置いておいたら場所を取って大変なことになる。面倒でも早めに紙ヒモで縛って、ホームセンターの古紙回収ボックスに持ち込むようにしている。嫌なことは先送りしないことが大切である。

2014年5月23日 (金)

神経質礼賛 1028.堅気系

 前話をアップした5月19日付読売新聞文化欄の新書論壇というコラムに関西大学東京センター長の竹内洋さんによる『インテリ・ヤンキー・堅気系』と題する記事があって、面白く読んだ。戦後の思想家・丸山眞男の日本社会批判や最近の斎藤環の著書『ヤンキー化する日本』(角川oneテーマ21)について論じている。同書では、戦後日本をインテリ系とヤンキー系の覇権闘争として描いていて、ヤンキー系とは熟慮を嫌いホンネと気合の反知性主義を特徴とする人々であり、舌禍事件を繰り返すA副総理・元首相やH大阪市長がそれにあたるのだそうだ。それに対して、竹内さんは、インテリ系とヤンキー系だけではなく、第三極「堅気系」が存在すると説く。ちょっと、竹内さんの話を引用しておく。

 大衆のなかには、「堅気」つまり気が散らなく(気が堅い)地道で、分別ある人々が一定の厚みで存続している。政治家でいうと、地方出の苦学力行系の管義偉官房長官やドジョウ系を自認した野田佳彦前総理などはインテリ系でもヤンキー系でもない。堅気のモラルにそった「第三極」キャラである。堅気の衆をあだやおろそかにしてはならない。

 とのことである。多分、神経質人間の多くは竹内さんの言う堅気系に属することになるのだろう。そして感情過多のヒステリー性格の持ち主はヤンキー系と親和性が高いだろうと思われる。ヤンキー系のように熟慮せず気分で行動していく人間が上に立ったら、運よく事が運んでいるうちはいいが、それは決して長続きせず、遅かれ早かれ破綻をきたす。面白がってそういう人間に投票して政治家にしてしまうと、後世まで禍根を残すことになるだろう。会社の社長がそうだと、ある日突然倒産して、社員は路頭に迷うことになりかねない。その点、堅気系は、周囲に気配りし、もし失敗した場合どうなるかを考え、慎重に行動していくから、大成功はなくても着実にポイントを重ねていくことができる。日本の民度が高いのも堅気系の心優しい善男善女が多いおかげではないかと思えてくる。

2014年5月19日 (月)

神経質礼賛 1027.内向的で大いによし 神経質はなおよし

 『内向型人間の時代 社会を変える静かな人の力』(スーザン・ケイン)、『内向的な人こそ強い人』(ローリー・ヘルダー)といった本がアメリカで話題となり、日本語訳が出て大きな反響を呼んでいるという。私はどちらも読んではおらず、書評を見ただけだが、社交性や自己アピール力が第一に求められる(と思われている)アメリカ社会でこうした本が広く受け入れられるのは面白いことである。アメリカ人はみな外向的かというと必ずしもそうではない。内向的でシャイな人も決して少なくないし、社交不安障害に悩むアメリカ人もいる。パーティーに参加するとか人前でスピーチしなくてはならない場面が多いから、仕方なしにやっているうちにある程度慣れるだけのことなのかもしれない。

 日本でも近頃は「内向きではいけない」と声高に言われている。就職活動で学生さんたちは何度も何度も面接を受け、時には意地悪な質問もされる。そうした時に動揺しやすい内向的な人は採用されにくいという。ビジネスには外向的な人が向いている、という見方がされているようだ。しかし、本当にそうなのだろうか。私は、日本がこれまで成功してきたのは内向き、特に神経質な面が強かったからなのではないかと考えている。世界から信頼される高品質な工業製品や安全性の高い農産物を作り出してきたのは、真面目にコツコツ働き、人と調和して、ノウハウを蓄積し、縁の下の力持ちのように組織を動かしてきた内向的な人たちのおかげではないだろうか。一方、歴史上、日本に致命傷に近い大きなダメージを与えて子孫の代まで悪影響を与え続けてきたのは外向型の積極的な人間たちではないかとも思う。例えば、第2次世界大戦で無謀な戦争を繰り広げての大敗北、無理な不動産投機を繰り返した挙句のバブル崩壊、安全神話のぬるま湯に浸かり事故なんか起こらないとタカをくくって安全対策を怠り続けた末に起こった原発事故、といった事例を見れば明らかである。

 企業も組織で動いている。一匹狼のセールスマンだけでは成り立たない。オーケストラと同じである。主旋律を弾く第1ヴァイオリンとベースとなるチェロ・バスつまり外声部の演奏家さえうまければいいというわけにはいかない。目立たない内声部を受け持って調和を取り和声を作り出す第2ヴァイオリンやヴィオラがしっかりしていなかったら音楽にならない。企業のトップでさえ、内向的・神経質な人でうまくいく場合もある。以前に書いた松下幸之助(211話)や出光佐三(689話)もその例と言えよう。内向的で大いによし、神経質はなおよし、である。

 就活で苦戦している内向的そして神経質な学生さん。「お祈りメール(企業からのお断りのメール)」の山にガッカリしないで下さい。世間で言うところの一流企業が良い企業とは限りません。隠れブラック企業のこともあります。あなたの性格の良さを理解してくれる企業がどこかにあるはずで、そこが本当の一流企業なのです。

2014年5月16日 (金)

神経質礼賛 1026.必要ない!必要ない!病気になったら考えろ!

 民放TVを見ていると、どうも目につく(耳につく)CMがある。アヒルをマスコットキャラクターにしている某保険会社の医療保険のCMだ。そろそろ保険を考えようか、と話をしていると黒鳥(ブラックスワン)が割り込んできて羽をバタつかせながら「必要ない!必要ない!保険なんか必要ない!病気になったら考えろ!」を叫ぶ。そこに白いアヒルが登場して追い払うというものだ。最近では、そのブラックスワン君が病気で入院してしまい、「必要ないって言っていたオレが病気になるなんて・・・」とぼやき、実は保険に入っていたというオチのCMになっている。

 神経質人間は心配性だから、もし病気になったらどうしよう、その時には経済的に困ってしまうのではないかと考える。私も結婚した時に入院特約付きの生命保険に入った。終身保険で少しは配当が貯まるはずだったが、ずっと配当ゼロなので、掛け捨て保険同然である。幸いにして保険金をもらう事態は発生していない。一昨年の12月、ICU・脳外に入院した時は保険金が支払われる規定の入院日数に1日足りなかった(笑)。子供が小さい時にもし自分が死んだら、と思って、死亡時保障は高額にしていたから、長年、保険会社に多額の献金をしてきたようなものだけれど、保険は一種の「魔除け」だと思っている。ムダ金だったね、と笑える方が幸せである。

 森田正馬先生は亡くなる1年前の1937年に3度にわたり郷里・富家村の村長に宛てて手紙を出している。村から出征する兵士のために簡易保険をかけたらどうか、保険金は自分が支払ってもよい、という内容だった。兵士が死亡した場合、家族にとって経済的な助けになるし、戦争が終われば払込金は国家への奉仕になるのだし、死ななければ武運長久これにこしたことはない、というのが森田先生のお考えであった。村長は渋っていたが、森田先生は実際に保険の掛け金を村に送り、戦死した村民には村から香典が送られたという。森田先生の人間愛を示すエピソードである。

 神経質人間は、このように「転ばぬ先の杖」を用意するのが得意である。しかしながら、あまりにも病気を心配し過ぎるのも困る。例えば疾病恐怖(がん恐怖、精神病恐怖など)の人やパニック障害の人が「絶対に何か体の病気があるに違いない」とドクターショッピングして、却って神経症の深みにハマってしまうこともある。そういう人にはちょっぴりブラックスワン君も必要かも知れない。

2014年5月12日 (月)

神経質礼賛 1025.今日もよし 明日もよしよし あさっても

 朝の通勤の時に通りかかるお寺(華陽院)の掲示板に新しい言葉が貼ってあった。

     今日もよし

     明日もよしよし

     あさっても

     よしよしよしと

     暮らす一日

 これは数多くの著書がある禅研究家・赤根祥道氏の言葉のようである。禅の言葉「日々是好日」(50話)をわかりやすく述べたものだと思われる。唐の時代の中国の僧、雲門禅師は、大勢の弟子たちに「今から15日以後の自分の心境を一言で述べよ」と問うたが、誰も答えることができず、自ら「日々是好日」と答えたという。来る日も来る日もよい日である、ということではあるけれども、今の一瞬を大事にして、新鮮な気持ちで日々を迎え、手を抜かない、ということも含んでいるのだそうである。

 森田正馬先生も色紙によく日々是好日と書き、患者さんたちに対してもこの言葉を引用して話されることがあった。しかし、次のように、禅の世界の人とは少々異なる解釈をしておられた。

私の解釈では、『日々是好日』とは、座禅をして陶然とすることではない。日々の小さい精神の緊張を指して言ふのである。日常、朝も晩も・生も死も・楽しくても苦しくても・皆それぞれが、好日なのである。 (中略) あらん限りの力で・生き抜かうとする希望・その希望の閃きこそ、『日々是好日』なのである。 (中略) 我々の日常生活に於いては、如何なる時も、死ぬ迄、憧れと・欲望とに引づられて、前へ前へと追ひ立てられてゐるが、それが即ち私の『日々是好日』である。生きて居る事実は、誰にも皆同じ様に、『日々是好日』であって、嘆くにも及ばない。安心するにも及ばない。それは事実である。屁理屈をつけてこそ、好日でもなくなるが、屁理屈が無ければ好日である。   (白揚社:森田正馬全集 第7巻 p.475-479

神経質人間はつい気分を重視しがちである。そして完全欲が強いので、悪い所を次々と見つけてしまう。なかなか「よしよしよし」というわけにはいかない。特に、嫌な出来事があると、それを反芻していつまでも心に留めて不快がるのである。そこで行動が止まってしまうと、その状態からなかなか抜け出せなくなるのだ。森田先生は、生の欲望に沿って一日一日を生き尽すことの大切さを説いている。気分や理屈はさておき、やるべき行動を続けていけば、たとえ苦しくても好日になるというのである。これならば、禅寺で修行する必要はないし、私のような凡人でも実行が可能である。

2014年5月 9日 (金)

神経質礼賛 1024.死ぬことのない命

 携帯電話やMP3プレーヤーに録音機能が付いている昨今、カセットテープは使われなくなってきた。それでも「テープ起こし」という言葉はまだ残っているようである。テープ起こしは、私が大原健士郎先生の助手をしていた頃、毎月必要な作業だった。

大原健士郎教授の時代、浜松医大病院では月一回、森田療法の患者さんによる茶話会があった。元は食事会だったが、病院食を止めて患者さんたちが自分たちで作った食事を食べるのはけしからん、と大学当局からクレームが付いて、茶話会に変更したのだった。調理担当者が1カ月前から何を作るか計画を立て、前日に材料を買い出しに行く。なるべく季節感を出すとか、畑で獲れた野菜を使うとか、盛り付けや飾り付けに一工夫加えるようにしていた。当日は患者さん全員で調理する。茶話会には患者さん以外に、大原教授、森田療法担当の助手(私)、看護婦さんたち、研修医たちが参加することになっていた。茶話会が始まると、まず調理係が作ったお菓子や飲物の説明をする。そして、全員でそれを食べる。その後で退院間近の患者さんが体験発表のスピーチを行う。スピーチ担当者のプレッシャーは相当なものである。特に対人恐怖や会食恐怖の人だと、お菓子がノドを通らなかったりした。あらかじめスピーチ原稿を書いてもらい、それを事前に私が添削し、「当日はこれを読みさえすればいい、いくら緊張しても構わないですよ」と言っておくのだが、客観的にはそれほど緊張している風には見えず、みな上手にできていた。その話に合わせて大原教授が講話をされる。講話は病棟備品のカセットテープレコーダーで録音しておき、後日、スピーチ担当者が「テープ起こし」をする。テープ起こししたものを助手がワープロに打って教授に渡す。そして、それは編集されて、大原教授の著書となるのだった。私の前任者の時には、テープレコーダーの調子が悪くて録音に失敗して記録が残せなかっただとか、担当の患者さんが面倒がってテープ起こしをしないまま退院してしまうようなことがあった。だから、私は自分でも小型のカセットテープレコーダーを用意し、別に録音していて、患者さんとは別に自分でテープ起こしをして、必ず次の茶話会の1週間前までには大原教授にワープロ打ちした文書をお渡ししていた。患者さんのテープ起こしは本人の勉強のためにやってもらっていた。

私が最後にテープ起こしをしたのは、大原教授の定年退官の時の最終講義である。2日がかりでテープ起こししたのだけれども、どうしても聞き取れないのが一番最後の言葉だった。亡くなられた奥様の墓参りの後、鎌倉彫の店に立ち寄った時に額の形で堀口大学の言葉を彫ったものが目に留まったという話だ。「心こそ 心こそ 死ぬことのない・・・」という言葉を2回繰り返して講義を終わられたのだけれども、フェードアウトしていく感じでどうしても聞き取れなかった。そこで、教授に直接伺ったところ、「心こそ 心こそ 死ぬことのない命なの」とのことだったので、すぐにそこを加えて原稿をお渡しした。本来は最後の医局年報に掲載されるはずだったが、当時の医局長が新しい教授の御威光を恐れて、すでに校正済みで発行寸前だった年報の発行を中止したため、それは幻となった。この最終講義の内容は『生活の発見』誌201212月号、20131月号、同2月号に掲載されている。改めてそれを読んで、私がテープ起こししたものなのでとても懐かしく感じた。

この堀口大学の言葉は、いろいろな人が使っている。「死ぬことのない命なり」とか「死ぬことのない命なれ」と記載されたものもあって、どれがオリジナルかわからないけれども、実によい言葉だと思う。大原教授の場合は、奥様は亡くなられたけれども、御自分の心の中にいつまでも生き続けている、ということで、感銘を受けられたのだろう。

森田正馬先生は患者さんたちの前で『仏教に涅槃という事がある。一般には死を意味するのであるが、その反面は、「生き尽くす」事であり、「生をまっとうする」事である。(正岡)子規も命の限りを尽くして、涅槃すなわち大往生を遂げたのである。僕も著書が今度十二冊目になったが、僕が死んでも単に灰になるのではない。著書となって残るのである。(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.705)』と述べられた。時代は流れたけれども、森田先生の著書や言葉とともに、森田療法の心もまた「死ぬことのない命」なのである。

2014年5月 5日 (月)

神経質礼賛 1023.IE(インターネットエクスプローラ)

最近、ブラウザソフトのIEの脆弱性が指摘され使用するのは危険であると言われるようになった。Windowsユーザーならば多くの人が使っているソフトである。ウイルスにやられては困るので、とりあえずGoogleのブラウザを使ってみる。IEの「お気に入り」は簡単に移行できるので、それほど面倒ではない。慣れればそれほど抵抗なく使える。ただ、やはり長年IEを使っていたので、IEの修正プログラムをダウンロードして実行してみた。すると、IEが動かなくなってしまった。これではどうしようもない。復元ポイントまで戻したところIEは動いたが、今度はなぜかWORDがすぐ停止するようになってしまった。いろいろやって時間ばかりかかってしまって、結局、データをバックアップした上でシステムの再セットアップ(買った時の状態に戻すこと)をすることにした。1,2年に1回は再セットアップをしている。XP機のようにCDを何枚もセットする手間はなかったけれど、セットアップ後の設定し直しや種々のソフトのセットアップにかかる時間は年々増えているように思う。神経質ゆえ、メールの再設定の時に必要なデータなどは記録しているのだが、しばらくぶりなので、探すのに手間取る。それに、電源を切ったり入れたりした時に大量のWindows更新プログラムが送られてきて、そのインストールやら構成やらに長時間がかかって、結局一日仕事になってしまった。IEは安全になってからまた使おうと思う。神経質はやはり安全志向である。

2014年5月 2日 (金)

神経質礼賛 1022.学力テスト対策の愚

 私が住んでいる県では、昨年の小学校の全国学力テストの国語Aが全国最下位だった。そのため県知事が激怒し、教育長に学校別の点数を公表しろ、と要求して、すったもんだがあった。今年は点数を上げるために過去問を子供たちにやらせたり、類似問題を解かせたりした学校があったという。しかし、これは本末転倒というものではないだろうか。何のためのテストなのかわからない。点数が悪かったのならば、なぜ悪かったのかを教師たちが分析して、今までの教育を反省して、学力が身に付くような教育法を考えていくのが正道のはずだ。たまたま点数が取れなくても長い目でみて適切な教育を行っているのなら、堂々とそれを主張すればよい。過去問や類似問題を練習させて子供たちに慣れさせて見かけの点数を上げようというのはどう考えてもおかしい。カンニングとまでは言わないけれども、あまりに姑息的である。もし学校だけの問題でないのであれば、読書を推奨して子供たちに感想文を発表させるとか、普段から家庭で新聞を読ませるようにする、という指導があってもよいはずだ。


 
 考えてみれば、神経症の治療についても同じようなことが言えると思う。不眠に対して睡眠薬を飲ませる、不安に対して抗不安薬や抗うつ薬を飲ませる、というのは姑息的な手段であって、根本的な解決にはならない。それよりも、生活リズムを改善する、不安をなくそうとするのではなく不安なままに必要な行動を続けていくという対処法を教えていくのが本当の治療なのではないだろうか。

2014年5月 1日 (木)

神経質礼賛 1021.ツツジとサツキ

 私の自宅の近くには通称「つつじ通り」という大通りがあって、その中央分離帯にツツジがきれいに咲いている。そして駿府城の石垣の上のツツジも満開近くなっている。子供の頃は幼稚園で誰かがやった真似をしてツツジの花の蜜を吸ったこともあったなあ、と思い出す。一方、勤務先の病院前の道路沿いにはサツキが植えられていてチラホラ花が咲き始めている。神経質人間ゆえ、ツツジとサツキの違いは何だろうかと気になる。サツキの方が遅い時期に咲き、花や葉が小さい、程度の経験的知識しかない。調べてみると、それだけではなく、元々サツキは山間部の渓流沿いの岩場に自生したものであり低木で常緑性であり、ツツジは半落葉という違いもあると知った。サツキもツツジの一種であって、サツキの咲く時期は他のツツジに比べて1カ月近く遅く旧暦皐月の頃に咲くところからサツキの名が付いたそうだ。サツキツツジとも言うからややこしい。旧暦五月の呼び名が皐月であることから、サツキという名前には親しみが深い。旧暦の月名が人名、特に女性の名前に使われるのは、さつき(皐月)>やよい(弥生・旧暦三月)>はづき(葉月・旧暦八月)といった頻度かと思う。他の月を人名にした例は、まず聞いたことがない。


 
 さて、ゴールデンウイークも後半。どうやら天気は良さそうである。観光地はどこも人と車の波で大混雑する。出かけても疲れてお金がかかるだけだと言って家でゴロゴロはもったいない。ツツジやサツキに誘われて、近くの小山や城跡へハイキングに出かけてみてはいかがだろうか。もちろん神経質らしく熱中症対策・にわか雨対策を忘れずに、である。

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