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2014年5月12日 (月)

神経質礼賛 1025.今日もよし 明日もよしよし あさっても

 朝の通勤の時に通りかかるお寺(華陽院)の掲示板に新しい言葉が貼ってあった。

     今日もよし

     明日もよしよし

     あさっても

     よしよしよしと

     暮らす一日

 これは数多くの著書がある禅研究家・赤根祥道氏の言葉のようである。禅の言葉「日々是好日」(50話)をわかりやすく述べたものだと思われる。唐の時代の中国の僧、雲門禅師は、大勢の弟子たちに「今から15日以後の自分の心境を一言で述べよ」と問うたが、誰も答えることができず、自ら「日々是好日」と答えたという。来る日も来る日もよい日である、ということではあるけれども、今の一瞬を大事にして、新鮮な気持ちで日々を迎え、手を抜かない、ということも含んでいるのだそうである。

 森田正馬先生も色紙によく日々是好日と書き、患者さんたちに対してもこの言葉を引用して話されることがあった。しかし、次のように、禅の世界の人とは少々異なる解釈をしておられた。

私の解釈では、『日々是好日』とは、座禅をして陶然とすることではない。日々の小さい精神の緊張を指して言ふのである。日常、朝も晩も・生も死も・楽しくても苦しくても・皆それぞれが、好日なのである。 (中略) あらん限りの力で・生き抜かうとする希望・その希望の閃きこそ、『日々是好日』なのである。 (中略) 我々の日常生活に於いては、如何なる時も、死ぬ迄、憧れと・欲望とに引づられて、前へ前へと追ひ立てられてゐるが、それが即ち私の『日々是好日』である。生きて居る事実は、誰にも皆同じ様に、『日々是好日』であって、嘆くにも及ばない。安心するにも及ばない。それは事実である。屁理屈をつけてこそ、好日でもなくなるが、屁理屈が無ければ好日である。   (白揚社:森田正馬全集 第7巻 p.475-479

神経質人間はつい気分を重視しがちである。そして完全欲が強いので、悪い所を次々と見つけてしまう。なかなか「よしよしよし」というわけにはいかない。特に、嫌な出来事があると、それを反芻していつまでも心に留めて不快がるのである。そこで行動が止まってしまうと、その状態からなかなか抜け出せなくなるのだ。森田先生は、生の欲望に沿って一日一日を生き尽すことの大切さを説いている。気分や理屈はさておき、やるべき行動を続けていけば、たとえ苦しくても好日になるというのである。これならば、禅寺で修行する必要はないし、私のような凡人でも実行が可能である。

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